夏夜の子守唄(15) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖    作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬    有力代議士。冬湖の長男。最初の犠牲者。
天堂寺和馬    三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵   将馬の妻。
船村志朗     天堂寺家の執事。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の孫。天堂寺蝶子の忘れ形見。
天堂寺蝶子    冬湖の娘。15年前に病死。
天堂寺夏彦    冬湖の弟。画家。数十年も前に失踪している。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     僕。浩之の相棒。
姫川琴音     浩之の助手。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香    警部。
松原葵      綾香の部下。


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【贖罪】 SILENCE IS BROKEN


「目を離すなってあれほど言ったでしょうが!」
 エンタールームに足を踏み入れた途端、来栖川さんの鋭い叱責が耳に飛び込んだ。
「申し訳ありませんっ・・・つい・・・」
「つい、じゃないでしょう! この・・・!」
 新人らしい若い刑事が来栖川さんに首根を掴まれていた。
 顔面は蒼白になっていた。
「綾香、落ち着け」
 冷静に浩之が来栖川さんの肩を叩いた。
 我に返ったように、来栖川さんは掴んでいた手を放した。
「くっ・・・」
「屋敷の中は全部洗ったのか?」
「ええ・・・でもどこにもいなかったわ・・・後は葵が調べている地下1階だけだけど・・・」
 無意識に来栖川さんは爪を噛んでいた。
 ひどくあせっている。
 僕も、悪い予感が胸をよぎっていた。
「綾香さん! 先輩!」
 ふと声がして、地下に続く階段から松原さんが二人の刑事を連れて駆け昇ってきた。
「葵、どうだった!?」
「駄目です・・・いませんでした」
 そう、と来栖川さんは肩をおとす。
「でも・・・あの、ひとつだけドアの開かない部屋があるんです・・・突き当たりの大きな扉で・・・」
「開かない?」
「はい・・・鍵がかかっているみたいで・・・」
「和馬様のお部屋でございます」
 静かに、船村さん。
「その部屋は和馬様の仕事場でございます。マスターキーで開くはずでございます」
「それ! その鍵、早く!」
 来栖川さんの声に、船村さんは使用人のひとりを見た。
 その人が、はい、と応えて駆け出す。
「間に合ってよ・・・」
 細い眉をしかめて、誰とはなしに綾香さんは呟いた。

 これ以上はないほどのきしみ音をたてて、そのドアは開いた。
 むわっと埃が舞う。
 その薄暗い視界の中に、無数の人影が浮かぶ。
「なに、これ・・・」
 それは、彫刻だった。
 無数の人間のブロンズ像。
 青年、老人、美女、少年、少女、母親と赤ん坊・・・あらゆる人間が形取られていた。
 そして・・・その全てが、どこかおかしかった。
 体のある部分が、ないのだ。
 青年の右腕はなかった。老人は片足だった。美女の片目は陥没し、少年と少女はそれぞれ
指が数本かけていた。耳の削がれた母親は、首のない赤ん坊を抱いている。
 全てが不完全だった。
 不完全な、世界。
 そして、部屋の中央に、全員の視線は吸い付けられた。
 二つの影があった。
 ひとつは、全身を甲冑に固めた顔のない騎士の像。
 それが、ひとりの女性を背後から抱いていた。
 その女性の腹の部分から、何かが生えていた。
 槍だ。
 馬上槍。
 騎士は、その女性を背後から串刺しにしているのだ。
 ・・・ぴちゃん。
 水音がする。
 女性の腹から、背から、鮮血がしたたって、床に小さな池をつくっていた。
「くっ・・・」
 来栖川さんの声が、静かな部屋に響いた。
 死んでいたのは・・・天堂寺由希恵だった。
 そして──。

『煉夜はよみがえる』

   ※ ※ ※

 優しい声がした。
 僕の全てを暖かく包み込んでくれるような、あの声が。

『──泣きやんだ?』

 その人は笑った。
 そして、僕の頬にその白い手でそっと触れて、

『何があったの?』

 そう訊いた。

 家出をしたんです。僕は応えた。
 どうして? という表情でその人は笑う。
 僕はいらない人間だから。・・・応える。

『どうしていらないの?』

 僕は知ってしまったから。重荷になってしまうことに。
 もう、一緒に歩けないことに。
 誰と? また微笑をたたえた顔で、その人は訊く。
 ・・・大切な、友人です。

『その子は、どう思ってるの?』

 彼は・・・僕を友人だと思ってる。
 でも多分・・・必要としてはくれない。
 僕は彼の重荷に・・・彼の命まで道連れにしてしまおうとしたから。
 だから、ぼくはもう、いらない。

『そうかしら?』

 そうだと思う。
 いつも背中を見てきた。たまに横に並べるときが来ても・・・僕がその手を
引いてあげることはできなかった。
 認めて欲しかった。
 だけど、そのせいで彼を苦しめた。
 彼はもう、僕を必要としてはくれない・・・。

   ※ ※ ※

 重苦しい空気が場を支配していた。
 皆、口を開こうとはしない。
 来栖川さんは不機嫌そうに書類に目を通している。
 松原さんと姫川さんは、黙ったままソファに腰掛けている。
 雛山さんたちはうつむいたまま僕らの様子をうかがい、その背後で船村さんが
静かに佇んでいた。
 浩之は・・・何を考えているのか分からない表情で、天井を睨んでいた。
「こうなるってことは分かってたのに・・・」
 ぽつりと、悔しそうに来栖川さんが呟いた。
「天堂寺和馬が、こんなに大胆に事を起こすなんて・・・」
「和馬さんが・・・殺した?」
 静かに僕は訊いた。
「間違いないわ。天堂寺和馬が犯人よ」
「なぜ?」
 静かに浩之が言う。
「そりゃ、由希恵さんを部屋に連れ込んで・・・」
「そうじゃない。オレが訊きたいのは、なぜ和馬さんは由希恵さんを殺さなければ
ならなかったのか、ってことだ。どうやって、という疑問はこの際問題じゃない」
「それは・・・」
 言いにくそうに、来栖川さん。
「『煉夜の月』を完成させる・・・ためよ」
 自分でも全て納得できていないのだろう。来栖川さんが珍しく口ごもった。
「プライバシーに関わることだから、浩之には言わなかったけど・・・」
 気を取り直したように、書類をめくりながら、続ける。
「天堂寺和馬と由希恵は、関係があったわ。不倫関係・・・というのかしらね、こういうのも」
 関係・・・?
 和馬さんと由希恵さんが?
 だけど、二人は血のつながった・・・。
『誰もが・・・罪を犯していたのですから』
 そうか。
 これが、由希恵さんの・・・そして和馬さんの犯した、罪。
「だとしたら、余計和馬さんが天堂寺由希恵を殺す意味はなくなるじゃないか?」
「それは・・・そうだけど」
 来栖川さんの表情は曇っている。
 最後の一手を誤った棋士のように、無意識に爪を噛んでいた。
「やっぱり・・・遺産がらみなのかも」
「遺産? 天堂寺のか?」
「天堂寺将馬が死んで得をするのは誰? 次男である和馬と、妻である由希恵よ。将馬氏に子供はいない。
つまり、天堂寺の膨大な遺産を継ぐ資格があるのはこの2人だけ。ましてやその二人は関係があった・・・」
 ひとつひとつ、指を折って数えるように、来栖川さん。
「だから、二人が共謀して天堂寺将馬を殺し、その口封じに和馬が由希恵を殺した、という
推論にゆきつくのは妥当よ。だとすればそれをつなぐ糸は天堂寺の遺産しかありえない」
「本気でそう思ってるのか?」
「消去法による当然の帰結よ。あらゆる可能性を排除して残った推論は、真実と同義だわ」
「『煉夜の月』との関連は? あのメッセージはどう理解する?」
「捜査の攪乱・・・以上の意味はないと思うわ。天堂寺和馬ならあるいは愉快的にしたのかも」
「・・・・・・」
 押し黙った浩之を見て、来栖川さんはたまりかねたように言った。
「浩之、今は思考する段階じゃないわ。浩之の考える真実が何かは分からないけど・・・
あなたの答えを訊かせて頂戴」
「オレは・・・」
 目を細めながら、浩之。
「オレは・・・八割方自分の仮定を固めたとき、もう事件は起きないと思った。将馬さんを最後に
殺人はもうないと思っていた・・・。いや、思いたかった。目的のために何でも捨てることのできる
人間・・・ってのを否定したかったからな」
 けど、と浩之は続けた。
「だけど、事件は起きた。由希恵さんは殺された。・・・正直、戸惑ったよ。なぜだ、って。なぜそんな
ことができる・・・?」
「浩之、あなたは・・・誰のことを言っているの?」
「綾香、その答えを言う前に、確認しておきたいことがある」
「なに?」
「和馬さんの行方だ」
「それならもう手配済みよ。屋敷の内外・・・市内にまで捜索の手を広げているわ」
「いや、それは必要ない」
「・・・え?」
 その瞬間、そこにいる全員の視線が浩之をとらえた。
「由希恵さんが殺されたことで確信したよ・・・おそらくすでに天堂寺和馬は死んでいる」

 数時間後。
 浩之の言葉通り、そこに和馬さんはいた。
 冬湖さんの離れの中で、首根からどくどくと血を流して。
 彼は絶命していた。
 その表情には、苦悶も、歓喜も、悲哀も、何の色もなかった。
「この人は、天堂寺冬湖になりたかったんだ」
 血のつながらない偉大な父。
 だからこそ、彼はその世界を引き継ぎ、完成させたかったのか。
 『煉夜の月』を現実のものとすることで。
 これは彼が冬湖となるための通過儀礼だったのか。
「『煉夜の月』の結末は・・・老人の自殺、か」
 来栖川さんの震えるような声。
 そこにいる誰もが、次の言葉を発することを忘れていた。
 おそらく最後の紙片に、僕らの視線が集まっていた。



『煉夜は成れり』


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 続きます。
 掲示板が復旧し、再開できました。
 あと、残すところ4回です。

◇HNの由来
 いえ、僕は師走生まれです。
 師走周じゃカッコつかないので、1月ずらして睦月にしました。
 適当です(笑)

 あと、時代の流れという奴で僕もHPなるものを作ってみました。
 適当に作ったんでまだ真っ白ですが、SSとか色々置いてゆくので、
興味がありましたら覗いてみてください。

 ではです。

http://www3.tky.3web.ne.jp/~riverf