夏夜の子守唄(12) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖    作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬    有力代議士。冬湖の長男。一人目の犠牲者。
天堂寺和馬    三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵   将馬の妻。
船村志朗     天堂寺家の執事。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の孫。天堂寺蝶子の忘れ形見。
天堂寺蝶子    冬湖の娘。15年前に病死。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     僕。浩之の相棒。
姫川琴音     浩之の助手。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香    警部。
松原葵      綾香の部下。

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【存在】 FAULTLINE


 由希恵さんと別れたあと、僕は真っ直ぐに浩之のいる冬湖さんの離れへと足を運んだ。
 案の定、そこには浩之と、それに姫川さんがいた。
 僕は、由希恵さんの話をかいつまんで浩之に伝えた。
「なるほど・・・な」
 顔をしかめて浩之は天井を見上げた。
「なるほど・・・って?」
「いや、これで志保の情報の裏がとれたと思ってな」
「志保?」
 ああ、と浩之はうなずいた。
「朝一番に電話して、少し調べさせたことがあってな。おかげで取り分は5:5になっちまったよ」
 仲介料が50パーセント・・・もうマージンの域を越えている。
「それを今琴音ちゃんにFAXで受け取ってきてもらったんだけどな・・・」
 浩之が眉をしかめる。
「結構キテる情報だぜ」
「・・・うん」
 まず天堂寺和馬だが、と浩之は前置きした。
「あの人は冬湖氏の実子じゃない」
「ええ?」
「オレも少し驚いたよ」
「じゃあ、将馬さんと和馬さんは兄弟じゃない・・・?」
「いや、母方で血はつながってる。異父兄弟というやつだな」
 和馬さんは冬湖さんの息子ではない・・・?
 このことをあの人は知っているんだろうか。
 いや、知っているからこそ、あそこまで兄を嫌い、冬湖さんを崇拝しているのかもしれない。
「それで、この母方ってのが厄介だ」
「厄介?」
「冬湖氏の妻・・・将馬さんたちの母親だな。名前は加代子さんって言うんだが・・・この人は、
どうやら冬湖氏の弟とも関係があったらしい・・・天堂寺和馬は、その弟との子だそうだ」
「弟?」
「ああ。消息は分からない。行方不明だ、って話だが・・・天堂寺夏彦っていうらしい」
「じゃあ・・・」
「そう、天堂寺将馬と和馬は、父方から見れば従兄弟、母方から見れば兄弟だ」
 血が・・・からみあってるのか。
 それだけじゃない、と浩之は続けた。
「天堂寺由希恵は、その夏彦の娘だ。これはちゃんとした正妻との間の、な・・・。つまり、将馬氏とは
従兄妹どうしで結婚したことになる」
「ちょっとまって、それじゃ・・・和馬さんとは・・・」
「異母姉弟ってことになるな」
 頭が滅茶苦茶になりそうだった。
 将馬さん、和馬さん、由希恵さん、それぞれが何本もの血のパイプでつながっている。
 由希恵さんが言ってた、血の伏魔殿というのは、このことだったのか。
「あ・・・」
 ひとつひっかかった。
「浩之、蝶子さんは・・・?」
「天堂寺蝶子は冬湖氏と加代子さんの娘だ」
「ああ・・・」
 なぜか、ほっとする。
「けど、あの子はわからない」
「え?」
「あの繭って子だ・・・。あの子の父親は、よく分からない。母親が天堂寺蝶子だってことは、
まず間違いないんだけどな」
「そう・・・」
 思わず、気落ちしてしまう。
 そんな僕に、浩之は苦笑して肩をたたいた。
「まあ、そのあたりもいずれはっきりするさ。それより、どうやら確証を得れそうだ」
「確証? 事件の?」
「まあな」
「浩之・・・本当?」
「半分はこれで固まったよ」
 と言って、浩之は部屋の壁を指さした。
 そこには、例の何かを擦ったような跡があった。
「あ、これ・・・」
「これがずっとひっかかってたんだ」
 よく見ろ、と浩之はその線の跡にそっと手を触れた。
「これは手で壁を擦った跡だ。それも長時間・・・1年や2年じゃねえな。10年・・・いや、20年
くらいは必要だ」
「へえ・・・」
 僕はそれがどうしたの、って顔をした。正直、それが事件にどう結びつくのか分からない。
 姫川さんはと見ると、彼女も不可解そうな顔をしている。
「あれっ、浩之・・・どこ行くの?」
「使用人部屋にな」
 使用人部屋? 雛山さんにでも会いにゆくんだろうか。
「残りの半分を埋めれるかもしれねーからな」
 そう言って手をひらひら振ると、浩之は今度は母屋の方へ姿を消した。

 浩之が出ていったあと、僕は姫川さんと二人で、中庭に来ていた。
 浩之の言う確証、というものの答えがどうしても出なかったからだ。
「・・・どういうことなんでしょうか?」
「う〜ん」
 僕は首をひねった。
 あの擦り跡が事件とどうつながるのか、まるで見当もつかない。
 浩之はあれが手で擦った跡だと言っていた。
 だとしたら、それは冬湖さんが付けた、ということになる。
 ・・・でも、何のために?
「駄目、お手上げ」
 冗談めかして僕が諸手をあげると、わたしもです、と姫川さんが呟いた。
「でも、藤田さんずるいです・・・いつも核心を尋ねると逃げてしまうんですから」
「普段はディスカッション重視なのにね」
「そうです。肝心なところで必要としてくれません・・・」
 不満そうに、そして少し寂しそうに姫川さん。
 僕も同じ気持ちだった。
 結局、最終的にはいつも、浩之と同じラインに並ぶことはできないのかなあ、と思う。
 僕ら二人のワトソンが、どう頭をひねっても達し得ない結論に、浩之は鋭い直感と決して
迷わぬ意志で、たどり着いてしまう。
「僕たちは、浩之の背中を見ることしか、出来ないのかな」
 ふと、そんな思いが口をついて出た。
 姫川さんが、えっ、という顔をする。
 でも、すぐに真剣な表情になって、いいえ、と首を振った。
「一緒に歩くことができると思います・・・きっと」
 静かに、信じるように、うなずいた。

「佐藤様」
 突然、背後から声をかけられる。
 見ると、そこには執事の船村さんが立っていた。
 背筋もピンと延びていて、こうして見ると意外に背が高い。初老、という感じはしない。
「あ・・・はい」
 少し驚きの混じった声で僕は答えた。
 まさかこの人から声をかけられるとは思わなかった。
「なんでしょう?」
「少しお時間を・・・よろしいでしょうか?」
「え、ええ・・・?」
 船村さんが、ちらっと姫川さんを見る。
「あ、わたし、外しましょうか・・・?」
「申し訳ございません」
 深々と頭を下げる。
 そのうやうやしい態度に押されるようにして、姫川さんは母屋の方へ去った。

「・・・あれ?」
 姫川さんの背中を見ながら何気なく船村さんに視線を落とした僕は、その手が青く汚れているのに
気がついた。
 まるで、絵の具の染みのような。
「・・・これでございますか?」
 僕の視線に気づいたのか、船村さんは多少表情を和らげて応えた。
「独学ですが少々絵をたしなんでおりまして・・・。先程不注意で顔料をこぼしてしまったのです」
 そうですか、と僕。
 この無表情の代名詞のような人にも趣味というものがあるのだと知って、僕は少しおかしく思った。
「それで・・・何か?」
 はい、と静かな声で船村さんは応えた。
「繭様のことでございます」
「繭・・・ちゃん、ですか?」
 なぜかどきりとした。
 後ろ暗いことがあるわけではないが(いや、なきにしもあらずだが)、なぜか警戒
してしまう。
「まず、お礼を申し上げさせていただきます」
 そう言って、船村さんは深く一礼した。
「あの・・・・」
「あんなに楽しそうな繭様を見たのは、久方振りでございます」
 顔を上げて、船村さんはそう微笑した。
「そうなんですか?」
 楽しそう・・・か。
 会ったときからにこにこしていたような印象はあったけど。
「繭様は普段から滅多におしゃべりにならない方でしたが・・・昨晩は嬉しそうに
佐藤様のことを話されておいででした」
「そうですか」
 あの子が何を話したのか、少し気になるところだ。
「・・・不思議な子ですね」
 そう尋ねると、船村さんは表情を崩さずに僕の方を見た。
 肯定も否定もしない。
「・・・繭様は」
 遠い目をしながら船村さんが言った。
「ずっとこのお屋敷で生活されて参りました。学校にも通っておられません。
友達と呼べる方もなく・・・おひとりでした」
 ですから、と続ける。
「ですから、外からのお客様がお珍しいのでしょう。中でも、佐藤様には格別のご興味を
抱かれたご様子。・・・佐藤様、この屋敷にご逗留なさっている間だけで結構でございます、
どうか繭様のよきご友人となって下さいませ」
 また頭を下げる。
「その・・・顔を上げて下さい。その・・・頭を下げられるほどのことではないです」
「ですが・・・」
「僕でよろしければ、喜んで。今日一杯で終わるか明日までかは分かりませんが」
 それで結構でございます、と船村さんは応えた。
 控えめな挙措。理想的な執事とは、この人のことを指すのかもしれない。
「・・・繭様は、不憫なお方でございます」
 表情を消したまま、静かに続ける。
「あの方は父親という存在も、母親という存在も御存じありません。大旦那様は繭様を大層
可愛がられてはおりましたが・・・蝶子様とのことを思い出されるのがお辛かったのでしょう、
やはり一歩身を引いておられました。・・・あの方は、誰かから『必要とされること』に飢えて
おいでなのかもしれません」
 必要とされること──。
『そうしないと・・・わたし・・・いらない子になるから・・・』
 繭ちゃんの言葉が頭をよぎる。
 自己の否定。
 現実への稀薄感。
 あの子は──望んでいたのだろうか。誰かに『必要とされること』を。
 誰かに『見つめていてもらうこと』を。
 涙は見せなくても・・・泣いていたんだろうか。いや、泣き方さえ知らなかったのか。
 誰も教えてくれないから。誰も、見ていてくれないから──。
「あなたは──」
 言葉がせり上がってくる。
「船村さん、あなたは・・・必要としてあげなかったんですか、あの子を? ・・・見ていて
あげなかったんですか?」
 見当はずれの非難だとは分かり切っていた。
 理不尽な言葉だってことも、分かっていた。
 それでも、言わずにはいられなかった。
 そんな僕の言葉に、船村さんは少し悲しそうに微笑んで、
「繭様が欲されていたのは、主従としてのものではありませんから」
 そう応えた。
 その曇った空のような灰色の瞳は、どこか寂しげな色をたたえているように思えた。
 沈黙。
 静かに――空を見上げる。
 すみません、と僕は呟いた。
 いえ、と返ってくる言葉。
 肩を撫でる風。
 初夏の、柔らかな日差し。
「空が――高いですね」
 自分でもよく分からなかったが、そんな言葉が口をついて出た。
 はい、と船村さんが同意を示す。
「ここは――月がよく見えるのです」
 月。
 蒼い月。
 そして血のように赤い・・・煉夜の月・・・。
 ですが、と静かな声。


「――月夜は、人を狂わせます」


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 続きます。
 次回からようやく推理モードに入ることができます・・・。
 ようやく「結」に向けて書き出すことができそうです。

 では。
 いつも感想くださる皆様、本当にありがとうございます。
 返事を書けなくて申し訳ありません・・・。