生命 投稿者:睦月周
「生命とはなんだろうね?」

 わたしを――優しげな瞳で見つめながら、博士は言いました。
 問いかけるように、そして――自問するように。

「生命なんてものは、突き詰めてみればアミノ酸とタンパク質の集合体さ。
君たちのそれはバイオマテリアルによる疑似細胞の結合体だな。
さて、その二者にどれほどの相違があるものか――」

 わたしは答えることが出来ませんでした。
 わたしは、生命というものを知りません。
 客観的には理解しているつもりです。
 生命とは――概念。
 生物が生物であることの象徴です。
 感覚、運動、生長、増殖――それらの生活現象を抽象的に表した一般概念。
 ですが――。

 ですが、博士の求めている答えは、そんな辞書的なものでは・・・ないのでしょう。


◆APRIL.16 17:50 来栖川電工中央研究所 第4実験室


「セリオさん、セリオさんっ」

 今日1日のわたしたちのメモリーの、ダウンロードが終わると、お友達のマルチさんが
声をかけてきました。

「はい、なんですか、マルチさん?」
「今日もわたし、失敗してしまったんです・・・」

 マルチさんは、しゅんとうつむきました。
 そんな表情ができるマルチさんをひどく羨ましく思いながら、

「――どうしたんですか?」

 わたしは訊きました。

「今日、廊下を掃除していたら・・・わたし、バケツをひっくり返してしまったんです。それで、
どうしようどうしよう、って思っていたら浩之さんが・・・あっ、浩之さんはわたしにとてもよく
してくださる優しい男の方です。セリオさんは、一度ゲームセンターの前で会いましたよね?」

 はい、とわたしは答えた。
 その男性のことなら、わたしのメモリーも記憶しています。

「その浩之さんが、わたしを見かねて片づけを手伝ってくださったんです。そのうえ、掃除まで
手伝ってくださって・・・ううっ、人の役にたつのがロボットの仕事なのに、迷惑をかけてしまいました。
ロボット、失格です・・・」

 呟きながら、ますますうつむくマルチさん。
 マルチさんは、「悲しんで」いるのでしょうか?
 その、浩之さんという男性のために役にたてず、「心苦しく」思っているのでしょうか?

「ほんとに、わたし、セリオさんが羨ましいです。人のお役にたてること、何でもできて、もしわたしが
セリオさんだったら、浩之さんに迷惑をかけることもなかったのに・・・」

 いえ。
 わたしこそ、そんなマルチさんが、羨ましいです。
 そんな風に、悩み、心苦しく思えるマルチさんが。
 
 ――わたしには、そんな「機能」が、ありませんから・・・。


◆APRIL.17 11:30 西音寺女学院 東校舎3F 廊下


 ――とんっ。

 肩が、触れあいました。
 相手の女性は少し右によろめきましたが、すぐに綺麗なステップでバランスを取り直しました。

「あっ・・・と」

 そんな女性の声をよそに、わたしの方は少しバランスを崩して、手にしていた本をいくつか、
バラバラと取りこぼしてしまいました。

「あちゃー、ごめん。手伝うわ」

 そう言って、女性は廊下にしゃがみ込んで散らばっている本を集めだしました。
 あまりの機敏な動作に、わたしは思わず、

「いえ、構いません。先をお急ぎください」

 そう用意していた言葉を、言うことはできませんでした。
 女性はあっという間に本を集めてしまうと、それを胸に抱えて興味深そうにわたしを見ました。

「あなたがうちの今度の試作機なんだ」

「はい、HMX−13セリオです」

「うん、わたしは来栖川綾香。綾香でいいわ」

 ――綾香様。
 その名前は、わたしのメモリーの最も深い部分に、もちろん記憶されています。
 わたしを生んでくださった方々にとっても、来栖川に連なる人々は文字通り最重要VIPだからでしょう。

「じゃ、せっかくついでにつきあうわよ。これ、図書室へ運べばいいんでしょう?」

 いえ、構いません――。わたしのそんな言葉が音として発せられる前に、綾香様はもう素早く踵を返して、
図書室へ向かって歩き始めていました。


◆APRIL.17 11:45 西音寺女学院 東校舎4F 図書室


「ありがとうございます」

 深々とお辞儀をしながら、わたしは綾香様にそう言いました。
 少し、居心地の悪いような気がします。
 人の役にたつこと――それがロボットの存在定義です。
 それが、今、破られてしまいました。
 マルチさんが感じていた「心苦しさ」というものが、少しだけ、理解できたような気がします。

「うん、まあ――気にしないで」

 くすっと笑みを浮かべて、綾香様はそう言いました。

「それより――」

 少し笑ってみせてくれる? ・・・と、綾香様。

「いや、そんな無表情に感謝されても、ちょっと困っちゃうかな〜なんて思ってね」

 はい、とわたしはうなずきました。

 ・・・くい。

 頬を動かし、少し唇をつり上げてみます。
 ・・・こんな、感じでしょうか。

「ぷっ・・・」

 思わず綾香様が吹き出しました。

「そんなに変でしたか?」

「だって・・・目が・・・笑ってないんだもの・・・ふふっ」

 目・・・ですか。
 笑うというのも大変なものですね。
 頬と唇と、それに目を同時に動かさなければならないのですから・・・。

 ・・・くいくい。

 今度は、どうでしょう?

「うん、すごくよくなったかも」

 そう言って、綾香様はうんうん、と納得したようにうなずきました。

「あとはそれが、自然にできるようになれば――合格」

「自然に・・・ですか?」

「そう。さっきあなたはわたしに謝ってくれたでしょ? 『ありがとうございます』って。
それはそうプログラムされたから? 人に世話をかけたら、そう言うように、って?」

「いえ」

 ふるふると、わたしは首を振りました。
 そんなプログラムはありません。
 ロボットの存在定義は人の役にたつこと。それ以外の状況は、基本的にイレギュラー扱いです。
 ・・・・・・?
 じゃあ、さっきの『ありがとうございます』は――。
 わたしの中から、「自然に」出てきたものなのでしょうか?

「でしょ? だったら自然に笑うことだって、できるはずよね?」

 澄んだ綺麗な瞳で綾香様はわたしを見ました。
 はい、とわたしはうなずきました。
 自然に・・・ですか。
 
 道のりは・・・長そうですね。


◆APRIL.17 16:10 ゲームセンター前


 研究所に向かうバス停にさしかかると、マルチさんの姿はありませんでした。
 どうやら、少し遅れているようです。
 交差点の方へ視線を向けると、そこに見知った男性を見つけました。

「おっ・・・たしかマルチの友達の・・・」

「セリオです」

 言葉に詰まっているようでしたので、わたしは男性――浩之さんに助け船を出しました。

「ああ、そうそう、セリオだったな」

 悪い、と浩之さんは笑いました。

「マルチは一緒じゃねーのか?」

「少し遅れているようです」

 そう答えると、浩之さんは心配そうな顔をしました。

「――大丈夫かな、あいつ、ドジだからな〜」

 心配。
 浩之さんは、ロボットの心配をしています。
 なぜでしょう?
 マルチさんに何かあるとこの人が困る理由でも、あるのでしょうか?

「少し学校の方見てくるわ」

 そう言って浩之さんは背中を向けました。
 人間がロボットを迎えにいくなんて、おかしな話です。

 ですが。
 ですがわたしは少しだけ――その背中を、素敵だなと思いました。


◆APRIL.17 22:50 来栖川電工中央研究所第4実験室


「それを・・・きみはバグだと思ったのかね?」

 博士は、静かにわたしを見ながら、そう訊きました。

「はい」

 そう、わたしは答えました。
 不思議でした。
 わたしはマルチさんを「羨ましい」と思いました。
 わたしにはない、「感情」という機能を持っているマルチさんが。
 わたしは綾香様を「綺麗」だと思いました。
 あんなに自然に、魅力的に笑える綾香様が。
 わたしは浩之さんを、「素敵」だと思いました。
 ロボットも人間も隔てなく接することのできる浩之さんが。

 それが、不思議でした。
 そんなことを想う「機能」など、わたしにはないはずなのに。
 こうして「不思議」に思うこと自体、わたしにはおかしなことのはずなのに?

 ――だから、バグなのでしょう。

「そうではないんだよ」

 優しげに笑って、博士はわたしの頬をそっと撫でました。

「きみにはロボットとして、最高水準のシステムを――そしてマルチにはハードウェアとしてのコストを
抑えて『人間らしさ』という機能を――そう思っているのかもしれないが、そうではないんだよ」

 本当はね、と悪戯っぽく博士は微笑みました。

「人間性なんていうものがプログラムできると考えているほど、我々は自惚れてはいないよ。
そういうものは、本当に自然に生まれてくるもので・・・我々はせいぜい、その卵のようなものを用意して
あげられる程度のことしかできない。マルチが驚くほど高い人間性を有しているのは、彼女がそれだけ
人間に触れて、それを吸収して、彼女自身がその卵を育てていったにすぎないんだ」

 セリオ、と博士はわたしの名前を呼びました。

「きみにももちろん、その卵はあるんだよ」

 そっと、わたしは胸のあたりに手を当てました。
 なぜか、少しだけ、暖かいような気がしました。
 本当に、少しだけ。
 
 そんなわたしの仕草を見ていた博士が、ふと苦笑まじりに言いました。

「本当は、セリオの方が、マルチよりもずっとずっと不器用なのかもしれないね」

 はい。
 きっと・・・そうなのでしょう。

「そうだ、昨晩の答えだが、少しだけだが出たんだ」

 博士が窓の外を見やりながら、そう言いました。

「生命とはなんだろう――その答えを出すのは、少し難しいが、人間とは何だろう――その答えは簡単に
出るような気がするね」

 それはね、と、博士。

「悩み、新しい自分を発見できるもののことさ。今のきみだね――。構成組織などは、この際関係ないんだ」

 はい。
 わたしは、もう一度うなずきました。
 ゆっくりと、胸のあたりをさすってみます。
 そして博士の方を見て、少しだけ――。

 博士は少し驚いたような表情をしましたが、すぐに優しく微笑み返してくれました。

 今は・・・自然に、笑えたのでしょうか・・・?

 そんなことを思いながら、わたしの中で、卵が少し、大きくなったような気がしました。


============================================


 ええと、ここは初投稿です。
 本家では長編をやっているのですが、やっぱり短編も書きたくなってしまったので、
こちらにアップさせていただきました。
 偉大な先達が何人もいらっしゃるセリオものですので、少しかぶっている内容かとも思いますが、
最後まで読んでいただければ、幸いです。

 それでは。今度は、ホワイトアルバムで何かひとつ、作ってみたいです。