夏夜の子守唄(10) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵  将馬の妻。
船村志朗    天堂寺家の執事。
雛山理緒    メイド。
天堂寺繭    冬湖の孫。蝶子の娘。
天堂寺蝶子   冬湖の娘。15年前に病死。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     僕。浩之の相棒。
姫川琴音     浩之の助手。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香    警部。
松原葵      綾香の部下。


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【執着】 STILL YOU WANT MORE


 些細なことだったんだろう。
 調子に乗った子供が海で溺れて、それをもう一人の子供が助けた。
 それだけのことだったんだろう。
 だけど、その渦中にいた僕にとっては──それは癒せない痕で、同時に
消えることのない過去の記憶だ。
 重荷になってしまった僕。
 ひとつ間違えば浩之の命まで奪ってしまいかねなかった僕のあやまち。
『無茶しやがってよー』
 あのとき、浩之は笑っていた。
 僕を力づけるように。勇気づけるように。
 どうしてそうやって・・・笑えるんだろう?
 そんな浩之が僕の目には眩しくて。
 思わず閉じた瞼から、涙の雫が頬をつたった。

 ゆっくりと、僕の意識は現実へと引き戻される。
 相変わらず、丸く、蒼い月は煌々と僕らを照らしている。
 ぼんやりと僕を見つめていた繭ちゃんは、やがて囁くように言った。
「すき・・・なんだね・・・」
「え?」
 驚いて僕は繭ちゃんを見る。
「ひろゆき・・・のこと」
「・・・・・・」
 好き・・・か。
 言葉にしてしまえば、そんなものなのかもしれない。
 僕が浩之に感じる、親愛、信頼、友情、共感、尊敬、憧憬、羨望、・・・そして僅かな嫉妬。
 そんな感情の全てを煮込んでスープにでもしてしまえば、そんな名前が
つくのかもしれない。
「わかるの」
 穏やかな表情で、続ける。
「わたしも・・・かあさまのこと・・・だいすきだから」
 かあさま・・・。
 蝶子さん、か。
「お母さんのことは覚えてる?」
 ううん、と繭ちゃんは首を振った。
「でも・・・おじいさまがよくはなしてくれるの。すごくきれいなひとで・・・
すごくやさしくて・・・そう、言ってたの」
 だから、と繭ちゃんはつづける。
「だから、わたし・・・かあさまにお返ししなきゃいけないの。わたしにいのちを
くれたの・・・かあさまなの。だから・・・」
 そう呟く。
 ぬるま湯のように熱をもった夜風が、僕らの頬を撫でる。
 夜空の漆黒は一層濃さを増している。
「お返し・・・って?」
「きっとかあさま・・・おこってるの。わたしをきらいになってるの。
だから・・・だから・・・かあさまがよろこんでくれること・・・しなきゃ・・・駄目なの」
「どうして? どうしてお母さんが・・・怒ったりするの?」
「そうしないと・・・わたし・・・いらない子になるから・・・」
 いらない・・・子?
「どうして・・・!?」
「・・・・・・」
 少し強めに尋ねると、たちまち繭ちゃんは沈黙してしまう。
 何を・・・この子は何をこんなに気にかけているんだろう。
 ふう、と僕は溜息をついた。
 そうだ。気にかけているのは、僕の方じゃないか。
 やっぱり今日は、どうかしている。
 こんな小さな子に、心惹かれたり・・・誰にも話すつもりもなかった、あの
夏の日の話をしたり・・・。
 どうして、あんなことを言ってしまたんだろう。
 本当に、今日は変だ。
「そろそろ、戻ろうか」
 そう言って僕は繭ちゃんを立たせた。
 繭ちゃんは無言のまま立ち上がると、裾についた砂を払いもせずに
母屋の方へ歩き出した。
 僕は駆け寄って、その砂を払うと、微笑んで言った。
「たぶんお母さん、お返しなんかしてくれなくていいと思ってるよ。
繭ちゃんのこと、今でも大好きなんだから、きっと・・・」
 さして根拠のある言葉ではなかった。
 だけど、子供に見返りを求める親なんて、どれだけいるだろう。
 でも、僕の言葉に、繭ちゃんは表情を曇らせてうつむいた。
「ううん・・・駄目なの。そうしないと、きっとかあさま、ゆるしてくれないの」
「・・・どうして?」
 繭ちゃんは顔を上げた。
 藍色の瞳が、きっ、と僕に向けられる。
 吸い込まれそうな・・・夜空の藍。

「わたしが・・・かあさまをころしたから」

 母屋に戻って浩之の姿を探すと、3階の客間のひとつで一服しているところだった。
 高そうな樫のテーブルに両脚を投げ出して、くわえ煙草でぼんやりと天井を見ている。
 隣のソファで、うとうとと姫川さんが眠そうな目をこすっていた。
 部屋の大きな柱時計は、もう1時を回っていた。
「お帰り」
 にやっと笑って、浩之が僕に声をかけた。
「うん、夜風にあたりに・・・ちょっと出てた」
「ほほ〜う」
「・・・?」
 どうしたんだろう。
 浩之はまだニヤニヤ笑って僕を見ている。
 その横で、姫川さんが気の毒そうに僕らを見やっていた。
「なかなかの紳士ぶりだったじゃねーか」
「えっ?」
 思わずきょとんとしてしまう。
 それからハッとして部屋の出窓に駆け寄ると、そこからさっき僕らが腰掛けていた
大きなブナの木が、中庭の照明に照らされてはっきりと見えていた。
「・・・見てたの?」
 と、聞くと、浩之は笑って、姫川さんはすまなそうにうなずいた。
「浩之!」
「わりーわりー。ちょっと気になってさ、ちらっとだけ、な。すぐにやめたぜ、すぐに。
な、琴音ちゃん?」
「・・・えっと・・・」
 突然話を振られて戸惑う姫川さん。
 間違いない、浩之はずっと見てたんだ。
 本当に油断できない。声は・・・聞こえてないだろうけど。
「もう・・・」
 憤然としてる僕を見て、わりい、と浩之は両手を合わせた。
「まあ、少し気になってな。どんな感じだった、あの子?」
「えっ・・・」
「あの子が、天堂寺蝶子の忘れ形見だろ?」
「ああ、うん・・・」
 僕はなぜか口ごもってしまった。
「ちょっと調べてみたんだけどな」
 僕から話を切り出そうとしないので、浩之が続けた。
「あの子な、天堂寺蝶子の庶子だ」
「庶子?」
「父親が、わからないそうだ」
 そういえば。
 さっきの会話でも、父親については何も触れなかった。
「それと・・・な」
 少し声のトーンを落として、浩之。
「あの子の母親・・・蝶子さんだな、病死だってことだったが・・・正確には、
あの子を生んだことが原因らしい」
「えっ?」
 どういうことだ?
「浩之・・・それって?」
「蝶子さんは元々病弱な体で・・・出産に母体の方が耐えられなかったそうだ」
 ああ。
 そういうことなのか。
 それでさっき、繭ちゃんは──。
『わたしが・・・かあさまをころしたから』
 あんなことを言ったんだ。
 あれは・・・贖罪の言葉だったんだ。
 あんな小さな体で、自分に課された罪を償おうと必死なんだ。
 それは・・・決して罪ではないはずなのに。
「にしても・・・」
 浩之の言葉で、僕は我に返った。
「見えねえよなー。あの子、あれで15なのか・・・」
「えっ、ああ・・・」
 そうか。
 蝶子さんが15年前に病死した。それは、繭ちゃんを生んだからで・・・。
 だから、あの子は今年15になるはずだ。
「うん・・・たしかに。ちょっと見、10歳くらいだものね」
「よかったな」
「え?」
「それほど、ロリコンじゃなくなってよ〜」
「・・・浩之!」
 すぐこれだ。
 僕が反撃しようと口を開こうとしたそのとき、突然ドアの開く音がした。

「なんか盛り上がってるみたいね〜」
 そう言って入ってきたのは、来栖川さんと松原さんだった。
 両手に瓶を何本か抱えている。
「どう、浩之、一杯?」
 来栖川さんが浩之に一本突き出す。
「ロマネコンティよ。万年貧乏性の浩之には贅沢すぎるかもね」
「おいおい、お前、勤務中じゃねーのか」
「どうせ時間外労働なんだから構わないわよ」
 そうだろうか。
 松原さんを見ると、やっぱり少し不安そうな顔をしている。
「まあ、そこまで言うなら相伴するにやぶさかじゃねーぞ」
「それでこそ浩之ね」
 嬉しそうにそう言うと、来栖川さんはグラスにワインを注ぎ始めた。
 グラスの数は・・・5つ。僕や姫川さんも勘定に入っているらしい。
「乾杯!」
 そう言って、来栖川さんは浩之とグラスを合わせた。
 仕方がないので、僕も口をつける。
 飲む、というより嘗めるという感じだった。
「思い出すわね〜」
 来栖川さんが呟く。
「ん?」
「昔、姉さんと三人で、こうやって飲んだこと、あったじゃない?」
「あ〜、んなこともあったな・・・」
 懐かしむように浩之が目を細める。
「結局あのときは三人とも酔いつぶれて、寝ちゃったのよね〜」
「そうだったな・・・」
「姉さんね」
 悪戯っぽく来栖川さんは笑う。
「今でも浩之のこと、好きよ」
 ぶっ、と浩之が吹き出す。
「なに〜、ばっちいわね〜」
「お前がいきなり変なこと言うからだろ!」
「だって本当のことだもの」
「・・・お前、もう酒入ってるだろ・・・!」
 そう言って、浩之は松原さんの方を見る。
「すみません・・・綾香さんもう2本ほど・・・あの・・・それでどうしても
先輩と飲みたいっていうから・・・ここに・・・」
 すまなそうに、松原さんは言う。
「あっ、葵〜、裏切る気〜?」
「綾香、飲み過ぎじゃねーのか?」
「いいじゃないの、少しくらい・・・融通きかないわね〜。なんでこんなヤツ、
みんな好きになるのかしら」
 赤みがかった顔で呟く。
「姉さんもそう、あの志保って子もそうでしょ・・・そこにいる姫川さんだってそうよね?」
 思わず同意を求められて、姫川さんがぼっ、と赤くなる。
「あの、綾香さん・・・」
「なに〜葵、あんただってそうなんでしょ?」
「えっ・・・!」
 松原さんが、驚きのあまりグラスを取り落としそうになる。
「いえっ・・・あの・・・わたしは・・・せ、先輩のことは誰よりも尊敬してますけど・・・
す、す、好きとか・・・・そういうのじゃ・・・」
 耳まで赤くして言っても、あまり説得力がない・・・。
「ほらみなさい」
 来栖川さんはそう言ってグラスをかたむける。
「それなのに自分はさっさと結婚しちゃってさ〜。姉さんどれだけ傷ついたか・・・。
責任取りなさいよ、責任を〜」
「おいおい・・・」
「そ。結局浩之の側に最後までいれるのは、あのあかり、って子だけなのよね〜。
それとマルチか・・・。あ〜あ、可哀想な姉さん・・・」
「勘弁してくれよ・・・」
「あ〜、も〜、納得いかないわ〜」
 はあ、と浩之は溜息をついた。
 こんな来栖川さんを見るのは僕は初めてだったので少し驚いてしまったが、
浩之はまたかよ、って顔をしている。
 見慣れてるんだろうか。
「あの・・・綾香さん、さっきまで・・・その、天堂寺の家の人とちょっともめてたんです」
 控えめに、松原さんが言う。
「その・・・和馬さんて人、いますよね・・・。あの人、今日将馬さんが殺されたのは、
私たち警察のせいだ、ってねじこんできたんです・・・」
「どういうこと?」
 浩之が尋ねる。
 来栖川さんは、黙ったままグラスをあおっている。
「あの・・・一週間ほど前に、ここで天堂寺冬湖さんが自殺されましたよね。その事件を
担当したのも、綾香さんとわたしで・・・そのとき和馬さんから殺人の可能性を指摘されたんですけど、
あの・・・上層部から圧力がかかって、それ以上は調べることができなかったんです」
 おそらく、圧力をかけさせたのは将馬さんだろう。
 そして皮肉なことに、そのことが将馬さんの命を奪う結果になったしまった。
「それで・・・自殺、ということで和馬さんを説得したんですけど・・・今回のことで、
和馬さんにかみつかれて・・・綾香さん、色々ひどいこと言われてました」
 そう言えば、和馬さんがそんなことを話していた。
 あれは、来栖川さんたちのことだったんだ。
「ま〜、頭に血がのぼったら何するか分かんない感じだからな、あの人は」
 たしかに和馬さんは少し危険な感じがする。
 それにしても、来栖川さんもこう見えて色々と苦労しているんだ。
 いつも颯爽としていて、想像もつかなかったけど・・・。
 なんか、少し親しみを覚えてしまう。
「ま、その借りは事件をすぱっと解決することで返そうや・・・な、綾香?」
 そう言った浩之が、あれ? という顔になる。
「おい、綾香?」
「・・・・・・」
 来栖川さんは、テーブルにもたれかかって、もう寝息をたてていた。
 く〜、く〜、とすっかり熟睡状態に入っている。
「おいおい・・・あれだけ暴走したあげくこれかよ・・・」
 浩之は苦笑して来栖川さんを抱きかかえると、長いソファに静かに横たえた。
 そして、僕らの方を振り返ると、
「さ、オレらも少し休もうぜ。明日も長げーぞ、たぶん」
 そう言って来栖川さんの頭をポンポン、と叩いた。


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 続きます。
 せっかく綾香を登場させたのですから、うまく書いてあげたかったんですが。
 なんだかへべれけになってしまいました・・・。
 章の方も二桁に突入し、いまいち先が見えてこないですが、
 中だるみにならないよう気を付けます。

 それでは。