【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖 作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬 有力代議士。冬湖の長男。最初の犠牲者。
天堂寺和馬 三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵 将馬の妻。
船村志朗 天堂寺家の執事。
雛山理緒 メイド。
天堂寺繭 冬湖の養子。
天堂寺蝶子 冬湖の娘。15年前に病死。
【その他の人々】
藤田浩之 私立探偵。
佐藤雅史 僕。浩之の相棒。
姫川琴音 浩之の助手。
長岡志保 人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香 警部。
松原葵 綾香の部下。
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【記憶】 WHEN THE CROWDS ARE GONE
「ごめんっ!」
気がついたときには、僕は彼女に向かって土下座していた。
「本当にごめん・・・僕、ちょっと寝ぼけてて・・・とんでもないことしちゃって・・・」
すると繭は今キスしたばかりの唇でくすっと笑った。
「どしたの?」
ぼんやりとそう言った。
「あ・・・いや・・・」
「おにーさん・・・なにか・・・した?」
「なにかっ・・・て・・・」
もごもごと、僕。
駄目だ。口を開いてもあー、とか、うー、とかしか言葉が出ない。
「くすくす」
無垢な微笑み。
きっと僕は火がついたように赤くなっているんだろう。
すっ、と繭・・・ちゃんが僕の頬に小さな掌で触れる。
「あ、あつい、あつい・・・ふふ・・・」
面白そうに触れたり離したりを繰り返す。
「あ、あ──! そう、そう」
こほんこほんと咳をして呼吸をととのえると、
「どうしたの、こんな夜中に?」
なるたけ自然にそう尋ねた。
唇がうまく動いてくれたか、少し自信がなかった。
「ん〜」
と、繭ちゃんは口元にひとさし指を当てて考え込んでいたが、
「お月さまを見にきたの」
そう言って、僕の隣にちょこんと腰かけた。
お月さま──か。
僕もぼんやりと夜空を眺めてみる。
雲ひとつない空。
吸い込まれそうな、夏の夜空。
「・・・ああ」
思わず声が洩れる。
青い青い月の光が、僕の視界を満たしてゆく。
「本当──綺麗だね」
そう呟くと、繭ちゃんはコクリと嬉しそうにうなずいた。
「お月さまのひかりは、しんだひかりなの」
ポツリと、そんなことを言う。
「おじいさまが言ってたの。お月さまは、たいようのひかりをはねかえして、
ひかっているんだ、って。だから、お月さまのひかりは、一度しんでるの。
だからお月さまのひかりは──つめたいの」
そうかもしれない。
月の光はぬくもりもなく──命を育んでくれるわけでもない。
ただ、冷たく地上を照らす。
ひたすら、無機質に。
だけど。
「だけど・・・ううん、だからこそ、こんなに綺麗なのかもしれないね」
そう言うと、繭ちゃんは少し驚いたような顔をして、そして、
「ふふ」
無邪気に微笑んだ。
時間が、ゆるやかに流れているような気がする。
とろとろと──ただ、怠惰に。
なぜか、とても心地よかった。
まるで・・・母親の胎内でうずくまり、まどろむような──。
「おはなし・・・して」
よく馴れた子猫のように、僕のそばでぼんやりとしていた繭ちゃんが、
突然そんなことを言った。
「お話?」
「うん、おはなし」
「どんな?」
「おにーさんがしってる、おはなし」
僕の・・・知ってる?
そんなことを言われても、咄嗟に何も思い浮かばない。
「うーん・・・そうだなあ・・・」
ひとしきり考えてみる。
「あっ、そうだ」
「・・・?」
「僕の・・・身のまわりの話でもいい?」
コクコクとうなずく繭ちゃん。
「どんなおはなし?」
「僕の・・・親友の話。浩之って言うんだ──今日、会ったでしょう?」
「ひろ、ゆき・・・」
その名前を呟いて、繭ちゃんは少しだけ表情を曇らせた。
「あのひと・・・ちょっと、こわい」
え?
怖い? 浩之が?
「どうして? 怖くないよ。そりゃあ少しムスッとしてるけど・・・本当は
すごく優しいんだよ」
そう言うと、繭ちゃんは分かったのか分からないのか、とりあえず、
うん・・・、とうなずいた。
そのまま、黙って僕を見る。
続きをうながしているのだ。
「浩之はね──すごいやつなんだ」
「すごい・・・?」
「うん、すごくね」
「すごく・・・すごい?」
そうだね、と僕は笑った。
そして、ゆっくりと、まどろむように、記憶の海の中へと沈んでゆく。
暑い夏の日のことだった。
嫌になるくらい蝉がジンジンと鳴いていて、照りつけるような日差しが
肌に痛かった。
砂浜に足を踏み入れみる。
じわっと、足の裏を通して、直接熱が体にしみいってくる。
『広いねえ──海だよ!』
嬉しそうにあかりちゃんが笑う。小学生の頃のあかりちゃん。
白いワンピースを着て、黄色い小さなサンダルを履いている。
『そりゃー海だからなー』
のんびりとした声が返る。浩之だ。
『ね、ね。泳ごうよ、浩之ちゃん!』
『ひっつくな、あち〜だろ』
コツンとあかりちゃんの頭に自分の頭をぶつける、浩之。
『いた〜い』
半ベソになるあかりちゃん。
思わず僕は笑みをこぼす。
そんなあかりちゃんの髪をくしゃくしゃと撫でながら、
『見てみろよ』
浩之は海の向こうを指さした。
『沖の方にさ、ちっこい島があるだろ? あそこが穴場なんだって、
親父たちが言ってた』
な、行ってみようぜ、と浩之が言う。
『でも、でも、あんなに遠いよ?』
ちょっと怖がるように、あかりちゃんは口ごもる。
『そうだなー。親父たち絶対泳いでいくな、って言ってたからなー。
んじゃあかり、雅史、ボートで行こうぜ、ボート』
『え? ボートがあるの?』
『おう。そこにぬかりはねーんだ』
ゴムボートだけどな、と浩之は笑う。
『んじゃー、ちょっくら親父んとこ行ってくるわ』
『あ、わたしもいくよ』
浩之は、お前は? という顔で僕を見た。
『僕はここで待ってるよ』
そう言って僕は笑った。
息が、できなかった。
口から、鼻から、耳から、数え切れないところから水が僕の中へ
流れ込んでくる。
もう、腕を動かすこともできない。
足が凍ったように動かない。
全身が痺れたように硬直している。
沈んでゆく。
・・・どこへ?
ああ、底だ。
深い、深い、海の底。
どうして・・・?
わからない。
悪戯心だったんだと思う。
虚栄心だったんだと思う。
絶対無理だ、ってことを・・・浩之にだって無理だってことを・・・僕は
やってみせたかったんだろう。
あかりちゃんに驚いてもらいたくて。
母さんたちに誉めてもらいたくて。
──浩之に、認めてもらいたくて。
僕は、沈んでゆく。
ゆっくり──ゆっくりと。
全てが、ぼやけてゆく。父さんの顔も、母さんの顔も、姉さんの顔も、
あかりちゃんも、浩之も・・・。
このまま・・・。
僕は・・・眠ってしまうのかな・・・。
『・・・!』
あれ・・・。
『・・・・・・!!』
腕にかかる強い力。
全身に感じる誰かの体温。
『・・・・・・!!』
うん・・・分かってる。
眠ったりなんか、しないよ。
ひとりで・・・眠ったりなんか・・・。
ゆっくりと。
ゆっくりと、僕の体は昇ってゆく。
かさり・・・ざさ・・・。
音がする。
かさり・・・ざさ・・・。
『雅史ちゃん・・・!』
声がする。
泣いている、女の子の声。
『雅史!』
また、声がする。
よく知っている声。
浩之の・・・声だ。
かさり・・・ざさ・・・。
僕の体が揺れる。体に重みを感じる。
決して苦しくない、心地よい重み。
唇に体温を感じる。
新鮮な空気が、肺いっぱいに送り込まれる。
かさり・・・ざさ・・・。
なんだろう、この音。
ああ、そうか。
僕と砂が・・・擦りあってるんだ。
僕は揺れている。
胸のあたりに感じる、確かな重みと体温。
『あ・・・』
声が洩れる。
ゆっくりと、瞼がひらく。
白い光が視界いっぱいに流れ込んでくる。
『雅史ちゃん!』
『雅史!』
声がする。
瞼をしっかりと開く。
懐かしい顔。
見慣れてるはずなのに、すごく、懐かしい。
その顔の向こう。
青い空。
雲が、流れていた。
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続きます。
ようやくこのSSのテーマになってゆく(はず)の章をアップさせることが
出来ました。長かった。
多分、この回あたりが終局へむけての折り返し地点になると思います。
補足。雅史について。
えっと、少し補足です。今回このSSを作るにあたり、雅史を主役とした
わけですが、そのため雅史に少々オリジナルの脚色を入れています。
というか、本編でもまったく底を見せないキャラなので、その分からない部分を
自分で肉付けしたというか・・・。
これから、ストーリーが進むにつれ物語は雅史のSSへとなってゆくわけですが、
どんどん「自分流雅史」になってゆくと思います・・・。
そこのところ、暖かく見守っていただけると嬉しいです。
ではでは。