夏夜の子守唄(8) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵  将馬の妻。
船村志朗     天堂寺家の執事。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の養子。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     浩之の相棒。今回の語り手。
マルチ      浩之の助手その1。
姫川琴音     浩之の助手その2。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
来栖川綾香   警部。
松原葵      綾香の部下。

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【虚像】 INTO ANOTHER


 2階のテラスでは、浩之と事務所から駆けつけた姫川さんが待っていた。
 白い大きなテーブルと椅子が4つほど置かれている。
 浩之は、由希恵さんと僕にも座るように、と目で合図した。
「すみません、お疲れではないですか?」
 浩之が尋ねると、由希恵さんは、いいえ、と応えた。
「何かお話をしていた方が気が紛れますから・・・」
 そうですか、と浩之は応えた。
「あら?」
 由希恵さんは浩之の脇に視線を向けて、訝しげな声をあげた。
「こちらの方は?」
 ああ、と浩之はうなずいて、
「助手の、姫川くんです」
 と紹介した。
 姫川さんはよろしくお願いします、と丁寧にお辞儀した。
 姫川さんには、事件後すぐ電話をして、こちらに駆けつけてもらった。
 長丁場になりそうだったので、僕らの着替えとかを持ってきてもらったのだ。
浩之は明日から来てくれればいい、と言ったのだが、姫川さんの方から
「今から行きます」と言ってくれたため、今ここにいてくれている。
 マルチちゃんは、もう浩之の自宅に戻ってもらった。
「あら、じゃあこちらが藤田さんの奥様?」
 突然、由希恵さんがとんでもないことを言った。
「えっ!」
 姫川さんが、思わず小さな叫び声をあげる。
「えっ・・・いえっ・・・わたしは、そんな・・・大層なものじゃ・・・」
 耳まで真っ赤にして、しどろもどろの姫川さん。
 由希恵さんは不思議そうな表情でそれを見ている。
 はあ、と浩之が溜息をついた。
「彼女は、違います。本人は今頃自宅で寝てます」
 そうなの、と残念そうに由希恵さん。
 浩之の言葉に、姫川さんが一瞬寂しそうな表情を見せたのを、僕は見逃さなかった。
 それには気づかずに、(いや、気づかないフリをしているんだろう)
浩之が本題に入った。
「少し、お聞きしたいことがありまして」
 浩之の言葉に、由希恵さんはええ、とうなずく。
「ですけど、わたくしの知っていることは、全て警察の方にお話しましたわ」
「いえ、天堂寺冬湖氏のことについてお伺いしたいんですよ」
 お義父様の? と由希恵さんは意外そうな顔をした。
「ええ」
 由希恵さんは怪訝そうに眉をひそめると、
「わたくしに答えられることでしたら」
 と呟くように言った。
「ものすごく単純でフォーマルな質問なので、あるいは気を悪くされるかも
しれませんが――」
 そう前置きする。
「・・・冬湖氏は自殺をされるような方でしたか?」
 本当に唐突な質問だった。
 由希恵さんは目を丸くして、
「さあ・・・どうでしょう」
「由希恵さんの主観でけっこうです」
「そう――ですわね」
 困ったように由希恵さん。
 そう言えば、昔から冬湖さんとは疎遠だと言っていた。
 判断をしようにも、その材料がないのかもしれない。
「・・・なさるかもしれません」
 だが、意外にも由希恵さんは肯定の意を示した。
「なぜですか?」
「なぜと申しましても・・・」
 そんな気がするだけです、と由希恵さん。
「お義父様は、長い間、その・・・心を病んでいたそうですから。
あるいは――と、思いまして」
「・・・病んでいた? 心をですか?」
「はい」
 今さら隠しても仕方ないと思ったのか、由希恵さんはうなずいた。
「15年ほど前でしょうか・・・お義父様、蝶子さんを亡くされて・・・。
それから心に穴が空いてしまったようになった・・・と、主人が申しておりました」
「蝶子さん? どなたです?」
 ああ、と由希恵さん。
「お義父様のひとり娘ですわ。主人や和馬さんの妹さんに当たりますわね」
 そういえば、冬湖氏に娘がいた、と聞いたことがある。
 確か若くして病死したとか・・・。
「お義父様、蝶子さんをそれは可愛がっていたそうですから・・・」
 その蝶子さんをうしなったことで、冬湖さんは心を病んだのか。
 あるいは、その辺りに『煉夜の月』が生まれた理由があるのかもしれない。
「蝶子さんはお幾つで亡くなったんですか?」
 姫川さんが尋ねる。
「確か・・・17・・・でしたかしら」
 本当に若すぎる死だ。
 可愛いさかりだろうに。
「病死・・・ですか?」
 なぜかためらいがちに、今度は僕が訊く。
「そう・・・ですね。あれを病死というのであれば・・・」
 由希恵さんの返答は歯切れが悪い。
 明らかに、答えるのを避けている。
 だが、浩之はあえて追及するのをやめて、
「それでは、もうひとつだけ、お訊きします」
 と、河岸を変えた。
 なんでしょう、と由希恵さんが首を傾げる。
「『煉夜の月』をお読みになりましたか?」
「もちろんですわ。出版と同時に・・・」
「読んで、どう思われました?」
 浩之の瞳が、微妙に鋭さを増した。
「どう・・・とは・・・」
 もごもごと由希恵さんは言葉を濁した。
 どうやら、あまり作品内容に好意を持ってはいないようだ。
 あの内容では、無理がないだろうが・・・。
「今度の事件は、明らかに『煉夜の月』を中心に動いています。
それが犯人の意志なのか、あるいは故人の意図であるのか・・・それは
依然わかりません。ですが・・・」
 そこで、浩之は言葉を切った。
「ですが、冬湖さんがなぜ『煉夜の月』を世に生んだのか・・・。
そこに事件の鍵となるものがあるのではないか、と言う気がどうしてもするんです。
今回の犯行は明らかにあの作品を意識したものであることは間違いない。
作品の中で老人は3人の息子を殺した。それをなぞらえるように、
まず冬湖氏が死に・・・そして将馬さんが殺された」
 その言葉に、由希恵さんがびくっと反応する。
 思わず、浩之も言葉を止める。
「あっ・・・どうも、失言でした・・・すみません」
「・・・いえ、かまいませんわ。事実・・・なのですから」
「つまり・・・」
 浩之が取り繕うように言う。
「この『煉夜の月』の周囲に、全ての謎を解く鍵があると、考えているのです」
 その言葉に、由希恵さんは力なくうなずいた。
「よく・・・理解できましたわ・・・」
 そのまま、顔をあげて浩之を見る。
「ですけど、『煉夜の月』については・・・わたくしは、何も知りません。
知りたくも・・・ありませんでしたから」
 そういうと、由希恵さんはゆっくりと席を立った。
 会見は、終わった。

 右腕の時計では、もう11時を過ぎていた。
 浩之と姫川さんは来栖川さんに話があると言って母屋の中に向かった。
 僕は、夜風にあたりたくて、一人静かにライトアップされた中庭を歩いていた。
 夏の熱い風が吹き抜ける。
 僕は、ほんの数十分前の会話を思い出していた。

『もうひとつだけ、よろしいですか?』
 席を立って離れようとする由希恵さんを、僕は呼び止めた。
『はい?』
 今まで黙っていた僕が突然口を開いたので、少なからず由希恵さんは驚いた
ようだった。
『なにか・・・佐藤先生?』
『ああ、いえ・・・』
 思わず僕は口ごもる。
 そんな僕を、浩之たちが不思議そうに見やっていた。
『この家に・・・小さい女の子がいますよね・・・10歳くらいの・・・』
『ああ・・・』
 由希恵さんは得心がいったようだった。
『繭のことですわね』
 そうだ、繭という名だ。
『その・・・あの子は・・・繭さんは・・・どういう・・・? 先ほども、
いらっしゃらなかったようですし・・・』
 僕は何を訊いているのだろう。
 いや、こんなことを訊いてどうしようというのだろう。
『繭は・・・』
 やや不機嫌な表情で、由希恵さん。
 その口調には、明らかな不快感が混じっている。
『あの子は・・・蝶子さんの娘ですわ。さっきいなかったのは・・・
もう眠っていましたので、起こすのも不憫だと思ったからですわ』
 蝶子さんの・・・娘?
 ということは、冬湖さんの・・・孫、か。
『よろしいかしら?』
『あ・・・はい』
 そのまま、由希恵さんは無言で去った。

「ふう・・・」
 ひときわ太い木の幹に腰掛けて、僕は溜息をついた。
 様々な感情が胸をうずまく。
 今日は・・・事が起こりすぎた。
 志保から紹介された和馬さんの依頼・・・。
 繭という女の子との出会い・・・。
 将馬さん、由希恵さんとの出会い・・。
 そして、将馬さんの突然の死。
 それらが、1日という短すぎる時間の中で、凝縮し拡散するように流れてゆく。
 不思議と、現実味がなかった。
 どこか、物語を見ているような・・・そんな、感覚があった。
「やっぱり、疲れてるのかな・・・」
 誰とはなしに呟く。
 僕は瞳をつむった。
 浩之との会話を思い出す。
『お前は、もっと自分勝手になることを覚えなきゃなー』
 浩之は言った。
 自分勝手・・・か。
 僕は充分に、自分勝手な人間だと思う。
 僕は今の生活を壊されたくない。僕はずっとこのままでいたい。
 浩之の力になれることが僕の喜びだし、何よりもそれが自分にとって大切だと思う。
 だから、僕はこの『今』を守るためなら・・・自分勝手にも何にでもなれる。
『お前がやっと自分の大切な何かを見つけられたみたいでさ・・・』
 大切な何か。
 僕の大切・・・。
 それは、浩之だ。
 いや、浩之だけじゃない、あかりちゃんや、志保、マルチちゃんや
来栖川さん・・・浩之を取り巻く世界が、僕にとっては何より大切だ。
その世界の一員でいれることが、僕にとっては一番の幸せ・・・なんだと思う。
(疲れてるなあ・・・僕)
 こんなことを考えてしまうなんてやっぱりおかしい。
 あの頃は、考えるまでもない・・・呼吸をするように当たり前のことだった――。
 なのに、どうしてこんなに不安なんだろう。
 ふと、誰かの顔が浮かんだ。
 小さな・・・顔。
 浩之・・・かと思ったけど、そうじゃない。
 繭・・・だ。
 僕の・・・大切な・・・・。
 ゆっくりと僕は腕を伸ばす。
 そして、あるはずのない頬に触れる。
 不思議と感触があるような気がした。
 ゆっくりと抱き寄せる。
 そして・・・唇で・・・その小さな唇に触れた。
 軽い、軽いフレンチキス。

「ん・・・」

 くぐもるような声。
 瞬間、僕は我に返った。
 僕の腕の中に、小さなぬくもりがあった。
「繭・・・ちゃん・・・」
 僕は口を動かしたものの、音として発せられたかどうか、自信はなかった。
 彼女は不思議そうに自分の唇に指で触れる。
 その瞬間僕は自分が何をしてしまったのかを唐突に理解した。
「あ・・・」
 何を言っていいのか分からなくなる。
 そんな僕を見て、繭は優しく微笑むと、
「こんばんは」
 無邪気にそう囁いた。

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 続きます。
 今回もつなぎです。
 
 いきなりレスです。

悠朔さん 
>せっかく助手という役があるのにマルチさんや琴音さんが出てきませんね?
いや、だら〜っと書いているんで、なかなか出せないんです。
琴音ちゃんは今回以降レギュラーになりますが、マルチは、これからなる
ドロドロした展開にそぐわないかな〜っと思ったんで、出しません。
ごめん、マルチ・・・。

 では〜。