夏夜の子守唄(7) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵  将馬の妻。
船村志朗     天堂寺家の執事。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の養子。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     浩之の相棒。今回の語り手。
マルチ      浩之の助手その1。
姫川琴音     浩之の助手その2。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。

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【回想、あるいは断片としての過去】


 そのときの僕は、きっと泣いていたんだと思う。
 誰もいない公園で、ただひとり佇んで。
 涙がとめどなく頬を濡らしても、それを拭おうとはせずに。

『――どうして泣いているの?』

 だから、その声が僕の耳に響いても、何も応えることができなかった。
 すっ、と白く細い手が僕の肩に置かれる。
 その温もりが、ひどく優しい。
 だけど、僕はただ泣いていた。

 とんとん、とん・・・。

 音がする。
 そう、音。
 毬の音。

『よいよい・・・ねんねや・・・こよいのやや・・・』

 透き通るような声。
 僕は思わず顔を上げる。
 僕を覗き込んでいる白い顔。
 優しく、母さんのように優しく、微笑んでいる。
 瞳の中に、目を赤く腫らした僕が映ってる。

『泣きやんだ?』

 微笑む。
 誰よりも優しく。
 そして、唄はつづく。

 僕は、このまま、眠ってしまいたくなった。

【展開】 HEAVEN’S TRAIL (NO WAY OUT)


 その女性が部屋に足を踏み入れた途端、空気が一気に緊張したような気がした。
 一礼して、つかつかと歩み寄って来る。
 その所作ひとつひとつに強い意志を感じた。
 彼女はこほん、とひとつ咳をすると、
「本庁捜査一課の、来栖川です」
 そう言って、ぐるりと周囲を見回した。

「なんで浩之がここにいるのよ?」
 来栖川さんは怪訝そうに眉をひそめて、信じられない、という感じで嘆息した。
 さっきの自信に溢れた姿からはちょっと想像つかない。
 来栖川綾香さんは、本庁捜査一課でめざましい成績をあげている才媛だ。
 来栖川コンツェルンという財界でも指折りの名家の令嬢でありながら、
高校時代に総合格闘技エクストリーム界を制し、一躍名を知らしめた
ものすごい人だ。
 23で警部、という封建時代を思わせるこの異常なまでの出世も、彼女の
バックボーン以上にその才能に拠っているところが大きい。
 浩之の話では、内調からもスカウトの手が延びているとか・・・。
「いちゃ悪いか」
「浩之がからんでるってことは厄介な事件なりそうだ、って思ったのよ」
「おいおい・・・」
 まるで疫病神あつかいだ。
 浩之と来栖川さんは過去2度ほど同じ事件に関わったことがある。
 その二つとも厄介な事件へと発展した。来栖川さんはそのことを言っているのだろう。
「先輩、お久しぶりです!」
 来栖川さんの側に控えていた髪の短い女の子が嬉しそうに笑った。
「お、葵ちゃん。しばらく」
 松原葵さん。来栖川さんの部下で、僕らが高校生だった頃の後輩だ。
「先輩とまた一緒にお仕事できて嬉しいです!」
「そっかそっか。葵ちゃんは素直で優しいな〜。誰かさんと違ってよー」
「聞き捨てならないわね〜」
 ぴくっと眉をひそめる来栖川さん。
 だが浩之の挑発に乗るのも面白くないと思ったのか、
「まあ、実際の話、なんで本当に浩之がここにいるのよ?」
 改めて訊いた。
「仕事だよ。依頼を受けたんだ」
「何の依頼よ?」
「それは守秘義務」
 浩之はきっぱりと言った。
「わたしは警察なんですけどね」
「市民のプライバシーを守るのが警察の義務だろ」
 ぐっ、と言葉につまる来栖川さん。
 志保のときもそうだが、どうもこういうタイプの女性とは、浩之は
角つきあわせてしまう結果になるらしい。
 かといって二人は犬猿の中というわけではない。
 実際、過去の二つの事件では二人は即興ながらも流れるようなコンビネーションを見せ、
被害を最小限に抑えた実績がある。
 陳腐な言葉だが、お互いを認めあうよきライバル・・・という表現が一番
しっくりくるだろう。
「まあいいわ」
 あっさりと来栖川さんは折れた。
 この思考の切り替えの早さが彼女の凄味のひとつだ。
「とにかく、こうなった以上浩之たちにも捜査に協力してもらうわよ」
「おいおい、善良な一市民をまた厄介ごとに巻き込むのかよ・・・」
「あら、じゃあこのまま帰る?」
 くすっと笑う、来栖川さん。
 浩之の性格を見透かしている表情だ。
 全てをうやむやにしてこのままこの場を去れる浩之ではない。
 浩之は憮然として、「わかったよ」とうなずいてみせた。
「じゃあ今こちらが出せるだけの情報を提示しておくわね」
 来栖川さんは、葵、と傍らの松原さんをうながした。
「あっ、はい。ええと・・・被害者は天堂寺将馬さん、47歳です。
死因は腹部刺突による出血多量・・・これとは別に後頭部に鈍器で
殴られたような痕があります」
「ってことは・・・」
「天堂寺将馬は何者かに背後から頭を強打されて、気絶しているところで
腹を割かれた、という推論にゆきつくわね」
 何とも陰惨な光景だ。
「それで、犯人の目星とかは?」
「依然、不明です。ただ犯行現場が屋敷の奥まっていた場所ということもあり、
不審人物等の報告もありませんので・・・内部の犯行という見地が濃厚です」
 メモを読み上げながら、松原さん。
「自殺という可能性はないんですか?」
 僕が尋ねた。
「外的要因から言えば、皆無ね」
 そう言って来栖川さんは浩之の頭をつんつんと叩くと、
「自分で自分の後頭部を強打できる人間なんていないわ」
 でしょう? という感じで片目をつむった。
「内部犯、ねえ・・・」
 面白くなさそうに浩之が呟く。
「別の切り口はある、浩之?」
「とりあえずはないな。今の情報レベルじゃあ妥当な見解だ」
「そうね。何にしても情報が少なすぎるわ。とりあえずは足場を固めないと・・・」
「主任!」
 言いかけた来栖川さんの言葉を、野太い男性の声が遮った。
「なに?」
「応接間に屋敷の人間全てを集めました」
「そう、ご苦労様。すぐいくわ」
 はい、と男は一礼してその場を去る。
「さて、と」
 来栖川さんは長い髪をかきあげながら、
「始めましょうか」
 そう言って笑った。

 天堂寺家の応接間(といってもひとつではないだろうが)は驚くほどに広く、
これだけの人数が詰めてもまだ充分なスペースがあった。
 部屋の中央のソファではうつむいた顔の由希恵さん、その脇に神経質そうに
部屋を眺め回す和馬さんが座っている。
 その背後では相変わらず無表情に執事の船村さんが立っている。
 さらに使用人らしき人が5人。その中にはきょろきょろと落ち着きがない
雛山さんもいた。
 他、見覚えのない背広の男たちが4人。これは、綾香さんの部下の刑事だろう。
 あれ、と僕は思った。
 あの子が・・・いない。
 繭、というあの少女が。
「これで全員ですね」
 ぐるっと部屋を見渡して、来栖川さん。
 その口調には、人を惹きつける自信のようなものに溢れている。
「あるいは御存じかもしれませんが、確認の意味も兼ねて発表しておきます。
先ほど、この館の当主である天堂寺将馬氏が殺害されました。
直接の死因は腹部刺突による大量出血です」
 その言葉に、由希恵さんが、ああ、とうめくような声を洩らした。
「死亡推定時刻は午後8時50分から9時30分の40分間。極めて短い時間です。
殺害現場も屋敷の3階、奥まった場所にある書斎・・・これらの諸条件から、
外部の犯行という観点はまず除外してよいと考えられます」
「そ、それじゃ、あなたはこの屋敷の誰かが犯人だとでも言うんですか」
 落ち着きのない口調で和馬さんが言う。
 浩之が言うには、これが来栖川さんのいつもの手らしい。
 事前にある程度の情報を与えておいて、その情報に対しどう反応するか――
来栖川さんはこの場にいる人間ひとりひとりを、そのやり方で冷静に分析しているのだ。
「あくまで可能性の問題ですが・・・」
 さして否定はしない。
「滅多なことを言わないで下さい! なぜ僕らがそんなことを・・・」
「それと――」
 和馬さんの言葉を遮って、来栖川さんは続けた。
「今回の事件は、先の天堂寺冬湖氏の事件と何らかの関連性があると思われます。
あるいは今後も新たな被害者が出る可能性も否定しえません」
「そんな!」
 由希恵さんが悲鳴にも似た声をあげた。
「まだ、誰かが襲われたりするようなことが・・・?」
「可能性としては、充分に考えられることです」
 冷静に来栖川さんは応えた。
「むろん、我々としましても、それを防ぐべく最大限の努力を払います。
そのためにも、出来うる限りのご協力をお願いします」
 来栖川さんがそう結ぶと、その後松原さんの口からより細かい指示が伝えられ、
個人個人への聞き込みへと状況は流れた。

 30分後。
 扉の閉まる無機質な音がして、客間から由希恵さんが出てくる。
 まだ表情に血の気は薄いが、幾分かは落ち着いたようだ。
「由希恵さん」
 僕は声をかけた。
 由希恵さんはその声に驚いたように顔を跳ねあげる。
「ああ、佐藤先生・・・」
 緊張していた表情が、途端にゆるむ。
 由希恵さんは弱々しい微笑を返した。
「お察しします・・・」
 僕はそれだけしか、かけるべき言葉がなかった。
 由希恵さんは応えない。応えるべき言葉がないのだろう。
 僕はそれを察して、すぐに言うべき言葉に入った。
「少しお話があります・・・2階のテラスで藤田が待っていますので。
お時間、よろしいでしょうか?」
 ええ、と由希恵さんは応えた。

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 続きます。
 ええと、今回で全てのキャラクターが出そろいました。
 もうこれ以上出す予定はありません。多分・・・。いや、絶対。
 後は結末に進んでゆくのみです。

 それと、全10回くらいを想定していたはずが予想以上の序盤のもたつきで
全15回くらいになりそうです。構成の練りこみ不足でした。
 よろしくおつきあいいただければ、幸いです。

【UMAさん】
 アドバイス有り難うございます。早速実践しております〜。
 あとものすごいフォーマルな疑問で申し訳ないですが、小さなフォント
で送るにはどうすればよいのでしょう?
 僕はネットペーパードライバーみたいなもので、よく分かりません。
 よろしくご指導ご鞭撻のほどを。

 ではでは。