夏夜の子守唄(6) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵  将馬の妻。
船村志朗     天堂寺家の執事。
雛山理緒     メイド。
天堂寺繭     冬湖の養子。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     浩之の相棒。今回の語り手。
マルチ      浩之の助手その1。
姫川琴音     浩之の助手その2。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
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【横死】 BLOOD STREETS


「ねえねえ、なんで藤田くんたちがここにいるの?」
 心底驚いた、という感じで雛山さんが尋ねた。
「仕事でね」
 浩之が言うと、雛山さんはああ、とうなずいて、
「そっかー。藤田くんたちって、今探偵さんみたいなことしてるんだっけ」
 『みたいなこと』って・・・。
 ちょっと傷ついた。
「にしても、理緒ちゃんこそ、なんでここに?」
 浩之も少しひきつった顔で訊く。
「わたし? わたしはメイドのバイト」
 話によると、雛山さんは一年ほど前から、天堂寺家でメイドをしているらしい。
「だってお給金がいいんだもの」
 というのが理由だそうだ。
 相変わらず、貧乏してるみたいだ・・・。
「あ、それより鍵を渡さなきゃ」
 舌を出してそう言うと、雛山さんは彼女の拳大ほどはありそうな鍵束を
取り出すと、浩之に手渡した。
「真ん中の大きいのが、ここのだから」
「ああ」
 わかった、と言って、浩之は鍵を差し込んだ。
 かちゃり、と音がする。
「理緒ちゃんはさ」
 鍵穴から鍵を引き抜きながら、浩之。
「冬湖さんとは親しかった?」
「大旦那様?」
 きょとんとして雛山さんは口元に手を当てた。
 どうやら、ここの使用人たちは将馬さんを旦那様、先代である冬湖氏を
大旦那様、と使い分けているらしい。
 う〜ん、と雛山さんは考え込んでいる。
「わたしたちは、大旦那様とは直に会えないの。すごい人嫌いな方で・・・
いつもこの小屋に籠もりきりで・・・」
 それは、さっき由希恵さんも言っていた。
「じゃあ、冬湖さんはずっとここで?」
「うん。食事とかは決められた時間に、そこに置くように、って言われてて・・・」
 雛山さんの指さす先には、腰ほどの高さの小さな受け台があった。
「顔も見たことはないの?」
 僕が尋ねる。
「うん・・・母屋にも見えられたことはないし・・・」
 雛山さんはここに1年前に来た、と言っていた。
 その間一度も顔を見たことがないなんて、少しおかしい。
 いくら人嫌いとはいっても、限度があるだろう。
「ま、中を調べてみようぜ」
 そんな小さな疑念をうち消すように、浩之がノブにかけた手を回す。
 がちゃ、ぎいい・・・。
 きしむような音がして、扉が開いた。
 手探りで部屋の照明のスイッチを探す。
 かちっ。
 明かりが灯された。

「あれ・・・」
 僕は思わず呆けたような声をあげた。
 浩之も、訝しげに眉をひそめる。
「えっ、なになに、どーしたの、なにがあるの?」
 僕らの背後で、雛山さんが必死に背伸びをして室内を覗こうとしている。
「なにもねーんだ」
 憮然として、浩之。
 確かに、この部屋には何もなかった。
 10畳ほどのスペースに木のベッドと小さなテーブル、椅子一組。それだけだ。
 もはや、殺風景というより生活の臭いをすら感じない。
「警察が、押収したのかな・・・」
「自殺って断定したのにか?」
 浩之の言うとおりだ。
 そんなことをするはずもない。
 ともあれ、作家の部屋・・・部屋中に本がうず高く積まれているような・・・
というものに抱いていた一般的なイメージとはずいぶんかけ離れている。
「本当に何もねえな」
 僕らは靴を脱いで、室内へと入った。
 中へはいると、改めてその空虚さにおどろく。
 四方は壁で、窓と言えば天井の近くに換気のためと思われる小窓がひとつ
ついているだけだ。
 こんな部屋で、人間は何年暮らしていけるのだろう。まして、作家という
人種・・・おそらく常人より遙かにつよい感受性をもった人間が。
「ん?」
 浩之が怪訝そうな声をあげた。
 足下を見ている。
 視線の先には、赤黒い染みのようなものがあった。
「ここで死んだのか・・・」
「そうみたいだね」
 うわ・・・、と雛山さんがおびえたような声をあげた。
「どうやったんだ?」
「新聞には胸部刺突、って書いてあったよ」
 新聞発表では、冬湖氏は自分の胸に短刀をあてがって、そのまま床に
倒れ込むようにして命を絶ったらしい。
「そうか・・・」
 呟いて、浩之は思索の海の中に沈んでゆく。
 そういうとき、僕は浩之の思考を妨げないよう、口を開かない。
「なんで自殺したんだろうな?」
 唐突に、浩之。
「ええと・・・なんでだろう」
 応えようとして、思わず考えてしまう僕。
「って浩之、僕らは冬湖さんが自殺じゃないことを証明するのが仕事じゃないの?」
「いや、そーなんだけどさ」
 こりこりと鼻の頭を掻いている。
「まあ事実が自殺にせよ他殺にせよ、だ。今は自殺ってことになってるんだろ?
その理由づけは何なんだろうな?」
「冬湖さんに自殺をするような理由があったのか、ってこと?」
 そう、と浩之はうなずいた。
 そのまま、僕らの視線はぼんやりと天井を見ていた雛山さんに注がれる。
「わ、わたし?」
「そう、なんか思い当たるフシとか、ねーかな」
「だって・・・わたし、大旦那様に会ったことだってないし・・・」
「なんか噂とか、なかった?」
「う〜ん・・・」
 雛山さんはうつむき加減に考え込んだ。
 思えば、そんな事前の情報固めすらしないまま、僕らは初動捜査に入って
しまっていたのだ。まあ、依頼を受けてから5時間も経っていないのだから、仕方ないが。
 それに、もうすぐ依頼の効力そのものが、消えてしまう。
「まあ、おいおい思い出してよ」
 浩之はそんなことを気にもとめずに、事件に集中している。
『気が向いた時にやれるだけやっちまう』 
 が、浩之の持論だ。
 今、浩之はかなり事件に興味を持ち始めたらしい。
 それなら、僕もとことんつきあおう。
「でも、こんなに何もないところで、冬湖さんは執筆活動を続けていたのかな?」
「そうだな・・・作家先生ってのは、自分の脳味噌がありゃ何もいらねーのかな」
「人にもよると思うけど・・・」
 やっぱり、資料とかの類が何もないのも変な気がする。
 それとも、冬湖さんは自分の思案の妨げになる一切を排除する型の、
それこそ隠者のような人間なのだろうか。
「『煉夜はよみがえる』、か・・・」
 ぽつりと浩之。
 そうだ、和馬さんの話によれば、冬湖氏は(あるいは冬湖氏を殺した犯人は)
事件後の現場にそのメッセージを残している。
 自殺にせよ他殺にせよ、このメッセージは事件と何らかの関連性があって
しかるべきだろう。
「煉夜・・・ってのは何だろうな」
「多分、『煉夜の月』のことじゃないかな・・・」
 『煉夜の月』。
 冬湖氏の代表作にして、絶筆だ。
 それまで難解な精神文学を手がけていた冬湖氏の評価を一変させた奇書。
「なあ、それってどんな話なんだ?」
「すごく陰惨な話だよ。どろどろしてるというか・・・」
 そう言いながら、僕はあの本を読んだときの奇妙な嫌悪感を思いだし、
うそ寒いような感覚を覚えた。

 『煉夜の月』の筋はこうだ。
 一人の老人がいる。
 人形師だったその老人は、ある日精魂を込めて一体の少女の蝋人形を造った。
 その少女はまるで生きているように精巧だった。
 頬には赤みがさし、今にも微笑みそうな紅い唇は狂おしいほどに愛らしい。
 ――なんとかこの少女を笑わせたい。
 老人は思った。
 そして、あらゆる本を読みあさり、人形に命を吹き込むすべを探した。
 やがて、一つの結論に達した。
 その夜、老人は3人の息子の一人を殺した。
 そして、その胸元からしたたる血を、少女に浴びせかけた。
 次の夜、老人は2番目の息子の腹を割いて、殺した。
 その次の夜も、老人は3番目の息子を殺した。背を突いて。
 3人の息子の血を捧げても、少女は息ひとつしなかった。
 老人は苦悩した。狂恋に身を焦がしたまま、身悶える。
 ――血が足りないのだ。
 老人は思った。
 次の瞬間、老人は喉元に短刀をあてがうと、真一文字に切り裂いた。
 鮮血が吹き出す。
 薄れゆく意識の中、老人は、少女が静かに微笑むのを、わずかに見たような気がした。
 夜空には、赤い血のような月が、静かに地上を照らすだけだった。

「それで?」
「これで話はおしまいだよ」
「おいおい、そりゃねえだろ」
 浩之が納得いかねえ、という表情をした。
「冬湖さんの作品は結末がいつも曖昧なんだ。それが彼の文学性なんだ・・・
って、文壇では高く評価されてるみたいだけど・・・」
「でも気持ち悪いなあ・・・夜な夜な人形に血を浴びせるなんて・・・」
 ぶるっと肩を震わせて、雛山さんが気味悪そうに言った。
「オカルト〜って感じだよね・・・」
「こりゃ先輩の分野だな・・・」
 浩之が理解できないって顔でうなずく。
「んで、この本を最後に冬湖さんは死ぬわけだ」
「『煉夜の月』が発表されたのは冬湖さんが死ぬ一週間ほど前だから、
たしかに絶筆ってことになるね」
 ということは、『煉夜の月』は世間に発表されてまだ半月も経っていない、
ということになる。
「それで、『煉夜はよみがえる』か・・・」
「・・・・・・」
 浩之が目をつむる。
「どういうことだろうな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 沈黙。
 ふと、浩之と目があった。
「おいおい・・・」
「まさか、ね」
 お互いに苦笑する。
 どうやら、同じことを考えていたらしい。
「えっ、なにが、どうしたの?」
 雛山さんだけがきょとんとした表情をしている。
「いや・・・な」
 首をひねりながら、浩之。
「冬湖さんが・・・まあ、仮定としてだが・・・他殺だとして、それでその
犯人がこのメッセージを残したとするとだな・・・犯人は、『煉夜の月』の
筋どおりに殺人を犯してゆく・・・って仮定も成り立つわけだ」
「えっと・・・つまり・・・」
「つまり、殺人は一度では終わらない」
 えええ、と雛山さん。
「本当に冬湖さんが殺された、っていう事実が前提だけど」
 僕が補足する。
 警察が自殺だと断定したのだ、あるいは天堂寺の政治力なのかもしれないが、
殺人の証拠をそのままもみ消すほどの力があるとも思えない。
 やはり自殺、というのが当面的にも最も有力な『事実』なのだろう。
 それに、和馬さんには悪いが、この仮説はあくまで杞憂であってほしい。
 ふと、外で蝉の鳴く音がした。
 思わず、僕らは思索の網から解き放たれる。
「そろそろ戻るか?」
 と、浩之。
「そうだね・・・由希恵さんも戻らないし、将馬さんを待たせているん
だったら、結構まずいしね・・・行こうか」
 そうだ、もう戻ろう。
 それで、僕らにとっての事件は終わる。
 きっと、それが一番いい。
「ん?」
 扉に手をかけた浩之が怪訝な声をあげた。
「どうしたの?」
「なんだこりゃ・・・?」
 浩之の視線の先に、壁があった。
 そして、その壁にうっすらと、赤茶色の線のような跡が残っている。
 何か柔らかいもので擦ったような、そんな感じだ。
「ドアの方に延びてるな」
 よく見ると、確かにその跡はベッドの脇の壁からドアまで、
ちょうど部屋を半周するような感じで延びている。
「こりゃあ・・・」
 浩之が何かを呟こうとしたその瞬間、

「―――――――!」

 かすかに、耳をつく声がした。
 悲鳴・・・だ。
「母屋の方からだな」
 厳しい表情で浩之が言う。
 僕は無言でうなずく。
 雛山さんが、不思議そうに僕らの顔を見やる。
 僕らは、無言のまま母屋の方へ駆け出した。
 不安が、ちりちりと胸をついた。

「いやあ、ああ・・・」
 母屋に入り、階段を2つほど登った先に、人だかりができていた。
 由希恵さん、船村さん、それに数人の使用人。
 どうやら、悲鳴の主は由希恵さんらしい。
「何があったんです?」
「ああ、藤田さん・・・」
 よろよろと浩之にもたれかかる由希恵さん。
「こんな・・・こんなことって・・・」
 うわごとのように言う。
 浩之は由希恵さんを、青ざめた顔の船村さんに預けると、
半開きになった扉に手をかけた。
 僕もその後につづく。
 扉が開く。

 そこに、彼はいた。
 腹のあたりからどくどくと血を流して、土気色の顔で。
 その引き締まった体を無惨に横たえて。
 彼はもう、ブルータスではなかった。
 彼は、そう、ブルータスが殺したあのカエサルのように、
鮮血の湖の中に静かにその身を沈めていた。
 彼・・・天堂寺将馬さんは・・・確かに、息絶えていた。
 ふと、その胸元に目がゆく。
 一枚の紙片がくくられている。
 言いようのない不安。
 恐る恐る、視線を向ける。
 書き殴ったような文字が目にはいる。
 ・・・ああ。

『煉夜はよみがえる』

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 続きます。
 ええ、ようやくストーリーが動き始めてひと安心です。
 やはりこういう場面からがミステリの本当の意味での始まりなんでしょうね。
 あんまりトリックに凝る方ではないので、(というか思いつかない)
 HOWよりもWHYを重視した展開にしていこうと思います。
 古典ものの好きな方は少し物足りないかもしれませんが・・・。
 とりあえず、これからもよろしくおつきあいのほどを。

 月並みですが感想を下さる皆さま、本当にどうもありがとうございます。
 意欲にもなりますし、何より参考になります。
 何よりの抗鬱剤です。