夏夜の子守唄(5) 投稿者: 睦月周
【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流彫刻家。冬湖の次男。
天堂寺由希恵  将馬の妻。
船村志朗     天堂寺家の執事。
天堂寺繭     冬湖の養子。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     浩之の相棒。今回の語り手。
マルチ      浩之の助手その1。
姫川琴音     浩之の助手その2。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。
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【洋館】 IF THAT’S WHAT IT TAKES 


 30分ほどたっても、将馬さんが姿を現す様子はなかった。
 僕はセイロンの微妙な香りをぼんやりと鼻にくぐらせながら、浩之の方を見やった。
 浩之も、退屈そうに空になったマイセンのカップをもてあそんでいる。
「あっけない幕切れになっちゃったね」
 そうだな、とうなずく浩之。
「まーラッキーなんじゃねえか。何もしねえで大金が転がり込むんだ。
こんなうまい話はねえよ」
 そう言う浩之の表情に、喜色はない。
 僕も、どこか消化不良なものを感じていた。
 端から見れば、これほど幸運な話もない。
 何もしない、聞かなかったことにする、ただそれだけの報酬として、
夢のような大金が転がり込むのだ。
 だのに、この空虚感はなんだろう・・・。
 そのとき、がちゃりと音がして誰かが部屋に入ってきた。
 将馬さんかな、と思って振り向くと、そこに立っていたのは紫のイブニング
ドレスを身に纏った長い髪の女性だった。
 年の頃は40前後というところだろうか。端正な顔に上品そうな笑みを浮かべている。
「ここにいらっしゃると、船村から聞いたものですから」
 優雅にそう微笑んで、その女性は浩之の隣のソファに腰を降ろした。
 まったく自然なその動作に、僕らは思わず制止の言葉を忘れた。
「藤田先生に・・・佐藤先生、でいらっしゃいますわね? 初めまして、
わたくし、天堂寺由希恵と申します。将馬の家内です」
 はあ、と浩之。
 由希恵さんはそんな浩之をじいっと見やると、
「本当にお若くていらっしゃるのねえ・・・」
 うっとりと呟いた。
 そのまま、視線を体の方へ向ける。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・あの」
 呆然としている浩之を横目に、僕は控えめに口をはさんだ。
「はい?」
「なにか、僕らに御用ですか?」
 と尋ねると、由希恵さんは得心したように、ポン、と手を合わせた。
「ああ、そうですわ」
 にっこりと笑うと、
「お二人は、探偵さん・・・でいらっしゃるんですわよね?」
「ええ、まあ」
「お義父様について調べてらっしゃるとか」
「ええ」
 正確には、これから調べる・・・というか、その依頼そのものが
消失してしまうのだが。
「じゃあ、やっぱり殺人事件ですのね?」
「いえ、そうと決まったわけでは・・・」
「でも、その疑いがあるんでしょう?」
 目を輝かせて、由希恵さん。
 なんなんだろう、この人は。
「なんだか、殺人事件の方がよいような口ぶりですね」
 ようやく余裕を取り戻した浩之が苦笑しながら言う。
 すると由希恵さんは悪戯っぽく笑って、
「その方がロマンがありますでしょう?」
 子供のような表情で言う。
「ロマンですか?」
「ええ」
「あまりいい趣味とはいえませんね」
 あら、と由希恵さんは笑う。
「退屈なんですのよ・・・ここでの生活は。退屈で死にそうなくらい。
こんなことでもなければ気が滅入ってしまいますわ」
 持つ者の悩み、ということらしい。
 義父の死をカンフル剤程度にしか考えていないのだろうか。
 そう思っていると、由希恵さんはそれを見透かしたかのように微笑んだ。
「わたくし、お義父様とは疎遠でしたの」
 囁くように。
「話をしたのも数えるくらい。正直、特別な感慨はありませんわね」
 だとしても、天堂寺の人間が赤の他人にそういう話をする自体、
問題だと思う。
「ねえ、そんなことより」
 途端、由希恵さんの目が悪戯っ子のような色を帯びた。
「わたくし、案内してさしあげましてよ」
「ええ?」
 どこに?
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう僕。
「お義父様について調べてらっしゃるんでしょう? お義父様の仕事場に
案内いたしますわ」
「そこで冬湖さんが自殺したと?」
 浩之の言葉に、由希恵さんは優雅にうなずく。
「ちょっと待ってください」
 厄介ごとになりそうだったので、僕はあわてて口をはさんだ。
 この人には、現状をしっかりと説明しておいたほうがいい。
「あのですね、僕らはもう――」
「依頼は取り下げになったそうですわね」
 面白そうに、由希恵さんは笑う。
「でも、まだ違約金を受け取ったわけでも、書類を取り交わしたわけでも
ありませんわよね? でしたら、依頼の効力はまだ生きていることになりますわ」
 確かに、そうだ。
「でしたら、なんの問題のございませんわ」
 だけど・・・。
「・・・・・・」
 浩之の方を見ると、考えこむように宙を見ている。
 そしてにやりと笑うと、
「じゃ、一口乗りましょうか」
「浩之!」
 思わず、僕。
「だって、面白そうじゃんか」
 悪戯っぽく、浩之も笑う。
 そうだ。
 浩之は、こういう人間なんだ。
「まあ、素敵!」
 ポン、と由希恵さんは手を合わせた。
「藤田さんは、独身でいらっしゃるの?」
 唐突にそんなことを尋ねる。
「いえ」
「あら、残念・・・」
 本当に残念そうに、由希恵さんは呟いた。

 冬湖氏の仕事場は、母屋から数十メートルほど離れた場所にある。
 すっかり夜も更けてきたが、照明のおかげで中庭はずいぶんと明るかった。
「藤田さんはおいくつ?」
 由希恵さんが上目づかいで尋ねた。
 いつの間にか、呼び方が「先生」から「さん」に変わっている。
「23です」
「本当? お若いわねえ・・・それで結婚なさってるんでしょう? 
あら、じゃあ学生結婚かしら?」
「ええ、まあ」
「素敵ねえ・・・と言うことは恋愛結婚ね。憧れるわ」
「・・・・・・」
 うっとりと、由希恵さんは宙を見やった。
「ね、藤田さんの奥様ってどんな方なの? 興味あるわあ」
「・・・・・・」
 ものすごい由希恵さんのパワーに、さしもの浩之も押され気味だ。
 表情が固まっている。
 苦笑して、僕は助け船を出すことにした。
「ここですか?」
「あら・・・」
 もう着いたのね、とつまらなそうに由希恵さんは言った。
 僕らの眼前には、小さなログハウスのような小屋があった。
 母屋の壮観さに比べて、驚くほど簡素な印象を受ける。
「ええ。ここですわ。ここがお義父様の仕事場・・・というか、生活の場と
いった方がよろしいかしら。お義父様はここに籠もりきりでしたから」
 そう言ってノブに手をかける。
「あら?」
 訝しげな声。
「鍵がかかってるわ・・・おかしいわね」
「ロックされてるんですか?」
「ええ、いつもは開いているはずですのに・・・まあ、すぐ誰かに鍵を持って
こさせますわ」
 と、由希恵さんが母屋に戻ろうとしたそのとき、
「奥様!」
 母屋の方から使用人らしい中年の女性が駆け寄ってきた。
 どうやら急いでいたらしく、肩で息をしている。
「あら、花田さん、ちょうどよかったわ。ここの鍵を・・・」
「奥様、旦那様がお呼びです」
 由希恵さんが言い終わらないうちに、花田と呼ばれた女性が吐息まじりにそう言った。
「ええ? 何の用なの? こっちは取り込み中なのよ」
「それが・・・ただ急いで連れてこいとおっしゃるだけで・・・。あの、
たいそうご立腹です」
「んもう! 相変わらずせっかちね。わかったわ」
 そして僕らの方に振り向くと、
「申し訳ありません、野暮用で・・・すぐ戻りますわ。ああ、その間この部屋は
御自由に見て下さって構いませんわよ。わたしが許可いたしますわ」
 花田さん、と由希恵さんは続けた。
「誰かに言って、藤田先生にここの鍵をお渡しして」
 はい、とうなずいて、花田さんは母屋の方へと戻ってゆく。
「ではごゆっくり、藤井さん、また後ほど」
 そう言って、由希恵さんも優雅に身を翻して母屋に消えた。

「はあ・・・」
 浩之が嘆息するように小屋の壁に寄りかかった。
 僕も思わず笑みをこぼす。
「ずいぶんと気に入られちゃったね」
「ああ・・・」
 憮然として浩之は応えた。
「マダムキラー浩之だ」
「おいおい」
 思わず、悪戯心が芽生える。
「あかりちゃんに言っちゃおうかな」
「あっ、てめっ」
 浩之が僕の腕を回してヘッドロックをきめる。
「ごめんごめん」
 笑いながら僕。
 何より、安心できる瞬間だった。
「でも、あの子のことで僕をからかったお返しだよ」
 そう言うと、浩之は「ああ」と苦笑を返した。
「そういや、今日はあの子、見ねーな」
 あれだけ広い屋敷だ。偶然顔を合わせる方が難しい。
 不思議な感じの子だった。
 10歳くらいの感じだったから、将馬さん、あるいは和馬さん(これは考え
にくいが・・・)の娘さんだろうか。
 もう一度くらい、会ってみたかった。
「ロリコン」
 ぼそっと、浩之。
「なっ・・・」
 なんてこと言うんだ。
「違うよ、そんなんじゃないって!」
 思わず声がうわずる。
「まあまあ、正直になろうぜ、雅史くん」
 にやにや笑っている。
「だから・・・」
「まあまあまあ」
 このモードに入ってしまったら、浩之は手強い。
 反撃しなければ。
「浩之だって、マルチちゃんがいるじゃないか」
 そうだ、マルチちゃんだって、どう考えても見た目12、3だ。
「あいつはああいう仕様だからな」
 さらっと切り返す浩之。
 確かにそうだ。
「・・・・・・」
 黙ってしまう、僕。
「だけどよ」
 すると浩之は苦笑して、だけどすごく優しげに笑って、
「ちょっと安心したぜ、オレ」
 そう言った。
「え?」
「お前はよー」
 と言って、僕を小突く。
「いつもオレを立ててさ、一歩身を引いてるだろ? 自分のことより、
オレやあかりの心配ばっかりしてよ」
「・・・・・・」
「だから、お前がやっと自分の大切な何かを見つけられたみたいでさ、
ま、安心したっつーか嬉しいっつーか」
 浩之は苦笑いした。
 大切な何か・・・あの子が?
「浩之・・・」
「まあ、お前はもっと自分勝手になることを覚えなきゃな」
 そして、浩之はポン、と僕の肩を叩く。
 その手が、ひどく優しかった。
「そう、かな・・・」
 そんなこと考えたこともなかった。
 僕にとって、浩之やあかりちゃんの心配をするのは当然・・・というか、
まったく自然なことで、それで自分を殺しているなんて、思ったこともなかった。
 僕にしてみれば、それが何より大切なものだったから・・・。
「まあ、この話は終わりだ、終わり」
 押し黙ってしまった僕の空気を払うように、陽気に浩之が言う。
「・・・うん」
「それにしても、遅せーな。どうしたんだ?」
 そう言えば、鍵を持って来るって話だった。
 忘れられてるんだろうか。
 母屋に戻ろうか、と僕が言おうとしたそのとき、
「んきゃあっ」
 と、子犬の鳴き声のような悲鳴がした。
 見ると、薄明かりの下、エプロンドレスの女の子が、地面につっぷしている。
「いったあああ〜」
 女の子は半ベソだ。
「おいおい、大丈夫か?」
 苦笑して浩之が女の子に駆けよる。
 こういうとき、放っておけないのが浩之だ。
「あっ、お客様、申し訳ありませんっ。あのっ、鍵をお持ちしました・・・って」
 浩之の手を取りながら、女の子が言葉を止める。
「あれ〜っ」
「あっ・・・」
「あ・・・」
 僕らは声を揃えて、お互いの顔を見合わせた。
「藤田くん・・・それに佐藤くんも・・・」
「理緒ちゃんこそ、なんで・・・」
 鼻に土をつけたまま驚いた顔をしているのは、僕と浩之の高校生時代の友人、
雛山さんだった。
 なんで、こんなところに彼女が?
「それにしても・・・奇遇だね!」
 本当に奇遇だ、と僕は思った。

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 続きます。
 ・・・次回、次回こそはストーリーが急展開するはずです・・・。
 多分・・・きっと。
 そうでありたい・・・。