夏夜の子守唄(4) 投稿者: 睦月周
【あらすじ】
探偵、浩之の元に志保から依頼が舞い込んだ。
それは、作家天堂寺冬湖の自殺について調べてほしいというものだった。
勇躍天堂寺家に向かった浩之と雅史はそこで不思議な女の子と出会う。
その少女は、雅史の心に強い印象を残したまま、いずこかへ去った。
さして要領を得ぬまま依頼を受諾し、事務所に戻った浩之たちだが、そこに「天堂寺将馬」と
名乗る人物から電話がかかった――。

【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流陶芸家。冬湖の次男。
船村志朗    天堂寺家の執事。
天堂寺繭    冬湖の養子。

【その他の人々】
藤田浩之    私立探偵。
佐藤雅史    浩之の相棒。今回の語り手。
マルチ     浩之の助手その1。
姫川琴音    浩之の助手その2。
長岡志保    人気ニュースキャスター兼情報屋。
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【巨人】 STEELHEART


 天堂寺将馬は、少なくとも容姿という面ではコンプレックスをかけらほども
持ち合わせていないだろう。
 すらりとした長身は、僕らよりも頭ひとつ分ほど高く、肩幅もひと回りほど大きい。
 彫りの深い容貌も日本人離れしていて、ちょうどブルータス像を連想させる。
「ご足労かけたようで申し訳ないな」
 全くそうは思ってないだろうが、社交辞令で将馬さんは右手を差し出した。
「いえ、こちらも手間がはぶけましたよ」
 意味ありげに笑って、浩之がその手を握る。
 和馬さんもそうだが、どうも天堂寺家の人間の挙措は西洋的だ。
「申し訳ついでだが、私はちょっと所用があって家まで戻らなくてはならなく
なったのでね、失礼だが車の中で用件をすませたい。構わんね?」
 太い声だ。
 相手に拒絶されることなど疑いもしないのだろう。
「構いませんよ」
 浩之がうなずくと、将馬さんはすっと右手をあげた。
 事務所のクーペの倍はありそうな黒のジャガーが、静かに横づけされる。
 将馬さんにうながされるまま、僕らはそれに乗り込んだ。

「代議士さんでいらっしゃる?」
 車はすべるように国道を西に走ってゆく。
 ぼんやりと景色を眺めていた浩之が唐突にそう切り出した。
「うむ」
 将馬さんは鷹揚にうなずいた。
 その声にも、仕草にも、生まれついての威厳のようなものが備わっている。
 天堂寺将馬といえば、地元で知らない人間はいないであろうほどの名士だ。
 中央政界とも濃密なパイプラインでつながっているといわれ、知事ですら
その威光を無視しえない。
 浩之があえて分かり切ったことを尋ねたのは、彼は公人として僕らに会っているのか、
あくまで私人として話をしようというのか、その線引きを明確にしたかったからだ。
 将馬さんも浩之の表情からそれを察したのか、
「今日は天堂寺の人間として君らに話がある」
 と、切れ長の瞳をこちらに向けた。
 天堂寺冬湖の親族は数多いが、冬湖自身の実子となると、たった二人に限られる。
 その長男が、目の前にいる天堂寺将馬。
 次男が、僕らの依頼人である天堂寺和馬。
 あと、娘がひとりいたらしいが、若くして病死したらしい。
 ともかく、冬湖氏が死んだ今、その膨大な遺産を継ぐ資格をもったもっとも
有力な人物が、この将馬さんだ。
「腹芸は得意ではないのでね。単刀直入にお願いしよう」
 そう言うと、将馬さんは失礼、と葉巻を取り出し火をともした。
 そして息をつくように紫煙をはくと、
「捜査を即刻中止していただきたい」
 鋭い口調で言った。
 僕はびくりとして思わず浩之を見やった。
 だが浩之はさして顔色も変えず面白そうに将馬さんを見やっている。
 その横顔を見ていると、不思議な安心感にわき上がってくる。
 何も心配いらない、無言の安堵。
「まあ中止するも何も・・・具体的にまだ何ひとつ行動してませんが」
 苦笑して浩之。
 煙草を取り出すと、マッチで火をつける。
 浩之はライターが嫌いだ。『味気ない』というのがその理由らしい。
「それより、なぜあなたがそう言われるかに興味がありますね」
 おや、と僕は思った。
 浩之は決して饒舌な質ではない。
 生来無愛想でむら気があって、どこか人嫌いな面もあるが、一度気になった
人間には驚くほど親身になる。
 どうやら、浩之は将馬さんにわずかながら興味を覚えたようだ。
「痛くもない腹を探られたくはないのでな」
「ああ・・・」
 浩之はあくびとも返事ともとれない声をあげた。
「選挙も近いですしね」
 皮肉っぽい口調にも、将馬さんは顔色ひとつ変えなかった。
「まあ、そう言うことだ」
「あっさりしてますね」
 それが実状だからな、と将馬さんは笑う。
「大衆はな」
 流れる景色を横目で見やって、将馬さんは葉巻を口から離す。
「ひどくデリケートなものだよ。ちょっとした風聞ひとつで軽く数千の票がうごく。
まして今は大事な時期だ。雑事に足をとられるのは御免こうむる」
 そういえば、もう選挙も近い。
「父親の死が雑事ですか?」
「そうだな」
 冷淡ともとれる口調。
「それにもまして目ざわりなのは、君らのような人間がいらぬ詮索をして
天堂寺の名に泥を浴びせるような真似をしでかすことだ」
 鋭い視線。
 だが、平然と浩之はそれを受け止める。
「まあそちらの事情はお察ししますがね。こちらとしても子供の使いじゃない。
ちゃんと報酬をもらって仕事をしている以上、やめろと言われて、
『はいそうですか』と簡単に受諾するわけにはいきませんよ」
「むろん、ただ中止しろと言っているのではない」
 当然だ、というように将馬さんはうなずいた。
「和馬が払った金の3倍、だそう」
 ざっと1000万。想像もつかない額だ。
 だが浩之は鼻で笑って、
「そういう問題ではないですよ」
 灰皿で煙草をもみ消した。
「政治の世界にルールがあるように、この業界にも無言のルールがあります。
どんな事情であれ依頼人のいない場所で依頼を取り下げたとあっては、
事務所の信用にも響きますのでね。お断りしますよ」
「ほう?」
 面白そうに、将馬さん。
「では依頼人に了解を得た上で、ということなら構わんのだな」
「その場合は仕方ありませんね」
 あっさりと浩之が言う。
「ただ和馬氏が依頼を取り下げるとも思えませんが・・・」
「あれは神経病者だ」
 鉈で竹を割るように、将馬さんはつぶやく。
「ありもしない妄想で日夜おびえている度し難い阿呆だよ。くだらぬ粘土遊びに
熱中しておればよいものを、最近なにかと口出ししおって、目ざわりだ」
「弟さんに対する叱咤にしては程度が過ぎますね」
「愛想も尽き果てたのでな」
 将馬さんの言葉はにべもない。
「しかし君もおかしな人間だ。業界の仁義とやらは理解できんでもないが・・・
和馬に忠節をつくす価値があると本気で思っているのか?」
「約束は破るな、と子供の頃から母に躾けられまして」
 将馬さんの目が鋭さを増した。
「・・・私が怖くはないのかね?」
「今のところ政界に出馬する予定もありませんから」
 冗談ぽく笑う、浩之。
 賢明だ、と将馬さんも苦笑を返した。
 と、いうよりですね、と浩之は続けた。
「・・・寄らば大樹の影、という言葉が嫌いなんですよ」
「なぜかね? 一面の真理だと思うが」
「大樹には雷が落ちる」
「なるほど。それも真理だ」
「それに」
 じっと、浩之は視線を将馬さんに向ける。
「他人の言いなりになるってのが何より面白くない」
 一瞬の沈黙。
 そして、突然将馬さんが哄笑した。
「なるほど、なるほど・・・」
 背を丸めて笑っている。
「いや、失礼」
 そう言って咳払いすると、改めて僕らの方を見た。
「調べさせた以上に面白い人間だ、君は」
 将馬さんはしきりにうなずいている。
「金だけでは動かない、情のみで動くわけでもない、思想で行動するわけでもない、
名誉心や利害で左右するわけでもない・・・」
 指折り数える。
「調べさせたときはただの偽善者かと思ったがね、どうやらそうでも
ないらしい。・・・しかし分からないな、君という人間が」
 君は何で動く? と、好奇心に満ちた目で将馬さんは尋ねた。
「そうですね」
 ぼんやりと宙を見上げながら、浩之。
 ふと、僕と視線が合う。僕は微笑を返した。
 浩之も苦笑して、
「酔狂ですね」
 そう将馬さんに応えた。
 ふたたび、哄笑が爆発した。

 僕らがふたたび天堂寺家の門をくぐったのは、日がまさに落ちようとして、
あたりが夕闇に覆われようとする頃だった。
 将馬さんに続いて赤煉瓦の道を進む。
 あの子の姿は・・・見えない。
「今からすぐ和馬と話をつけますのでな、それまで少々お待ち願おう」
 太い声で将馬さんは言った。
 彼はよほど浩之に好意を抱いたらしいが、それと依頼取り下げの件とは別問題らしい。
「お帰りなさいませ、旦那様」
 大きな扉の前まで来ると、品のよさそうな初老の男性が一礼して将馬さんを出迎えた。
 うむ、と将馬さんはうなずく。
 そして僕らを見やって、
「執事の船村だ」
 短く、将馬さん。
「親父の代からここで働いてもらっている・・・船村、客人の藤田先生と
佐藤先生だ。私はしばらく席を外すから、お二人を応接間に」
 むろん社交辞令なのだろうが、先生、と敬称されたことが少し嬉しかった。
 かしこまりました、と船村さんはドアを開き、僕らを中へ招き入れた。
 巨大な吹き抜けになっているエンタールームが、眼前に広がる。
 外観以上に、どうやら内観も一級品らしい。
「兄さん!? それに藤田先生まで・・・」
 ホールに少しうわずったような声が響いた。
 見ると、青ざめた表情で和馬さんが立ちつくしている。
「和馬か、ちょうどいい」
 そう言って将馬さんはつかつかと和馬さんに歩み寄った。
 思わず、和馬さんが後ずさる。
「相変わらず手間をかけさせるな、お前は」
「だけど、兄さん・・・」
「いいか」
 厳しい口調で将馬さんは言った。
「親父は自殺だ。警察もそう断定した。私もそれで納得した。これが唯一の解答だ。
お前の勝手気儘な判断でそれをかき乱すな」
「だけど、親父は・・・」
「だけども何もない。お前が騒動を起こす度に尻拭いをさせられる私の身にも
なってみろ」
 うんざりだ、といいたげに将馬さんは吐き捨てた。
「お前は、お前が言うその『芸術』とやらに熱中していればいい。それなら
いくらでも援助してやる。それ以外の余計な真似をするな」
「・・・・・・」
「依頼を取り下げろ、和馬。わざわざ先生にもご足労いただいている」
 諭すように将馬さんは和馬さんを見た。
 和馬さんの不健康そうな下唇が、ぷるぷると震えている。
「和馬!」
「・・・旦那様、お客様の前でございます」
 あくまで控えめに、船村さんが口をはさんだ。
「ああ・・・」 
 思わず声を荒げたことを恥じるように、将馬さんは咳をして呼吸を整える。
「上で話そう、和馬」
 和馬さんをうながしながら、将馬さんは階段に足をかけた。
 それから僕らの方に振り向くと、
「小一時間ほどお待ちいただこう。それまでに解約金と書類を用意しておく。
それまでゆっくりくつろいでくれ」
 そして、和馬さんの背中を押すようにして階段を登っていった。
 壇上から姿を消すブルータスのように。
 僕らは、観客よろしく呆然とその光景を眺めているだけだった。
「こちらへ」
 ひどく冷静な船村さんが、なぜか妙に浮いて見えた。
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 続きます。
 今回は地固めの回ということもあり、自分でも情けないほどに「見せ場」
のない回です。
 淡々と会話が続くだけ・・・。
 こういうシーンが後で生きてくるはずなんですが・・・。
 なんか浩之も浩之じゃなくなってきたような気もします。
 こんな敬語や皮肉をいうヤツじゃないんですけどね。
 これは、生来の器用さで浩之は「普段の自分」と、依頼者(第三者)に対する
効果を考えて、「探偵としての自分」とを使い分けているのだ、という感じで
とらえていただけると有り難いです。

 最後に、感想をくださった皆さま、本当に有り難うございます。