夏夜の子守唄(3) 投稿者: 睦月周
【少女】 HELL IS LIVING WITHOUT YOU

 
 時間が止まったような気がした。
 少なくとも、この瞬間僕は息をすることも忘れていたと思う。
 目の前の少女は、ただ静かに微笑んで、僕を見ている。
 ひどく非現実的な感じがした。
 まどろみの中にいるような、そんな、感覚。
「返してほしいの」
 少女は囁くように言う。
「・・・・・・」
「返してくれないと、もう、できないの」
 何が?
 何が、出来ないんだ?
 少女は小首をかしげて僕を見ている。
 視線は僕の手元へと下がる。
 ああ。
 毬か。
 ぼんやりとそう思って、僕は手にしていた毬を少女へと放った。
 とんとん、とん・・・。
 小さな体をかがめて、少女が毬を拾う。
「返してくれたね」
 そう微笑むと、少女はきびすを返す。
 行ってしまう。
 何か、何か言わなければ。
 声が出ない。
 足も硬直したように動かない。
 ゆっくりと、少女は遠ざかる。
 行ってしまう。
 行ってしまう。
 行って・・・。
「君はこの家の子?」
 突然、僕の脇から強い意志を持った声がした。
 誰?
 ああ、浩之だ。
 そうだ、浩之は、いつも、真っ直ぐだ。
 決して迷わずに、いつも。
 浩之の言葉に、少女はこくりとうなずいた。
「名前はなんていうの?」
「まゆ」
 まゆ・・・。
 繭か。
「そっか。いい名前だ」
 浩之の言葉に、少女は嬉しそうに頬を染めた。
「おにいさんの名前は?」
「浩之。この固まってるのが、雅史」
 そう言って、こんこん、と僕を叩く。
「ひろゆき、まさし・・・」
 反芻するように、呟く。
「いい名前・・・ふふ・・・」
 そう言って楽しそうに少女、繭は笑う。
「サンキュ」
 浩之も笑う。
 僕も、唇をなんとか少しだけ、動かす。
「もういいのか?」
 浩之の問いに、繭はきょとんとした顔をする。
「唄」
 そうか。
 浩之にも聞こえていたんだ。
「いいの。今日はもういいの」
「そっか」
 ものすごく短いオブジェクトなのに、二人の言葉はつながっている。
「行かなきゃ」
 そう言って、繭はまたきびすを返す。
 また、遠ざかってゆく。
「あっ・・・」
 声が出る。
 動かなかった足も、一歩、前に出る。
 だけど、そのときにはもう、彼女の姿は屋敷の中に消えていた。

「お帰りなさい、藤田さん、佐藤さん」
「お帰りなさいです〜」
 事務所に帰ると、電話番をしていたマルチちゃんと姫川さんが出迎えてくれた。
「おっ、琴音ちゃん、ご苦労様。ブチ猫、もう見つかった?」
 浩之の言葉に、はい、と嬉しそうに姫川さんはうなずく。
「お手柄、お手柄、じゃ、報告書出してくれる?」
「はい、出来てます」
 手際よく、姫川さんはクリアファイルから几帳面に閉じられた書類を取り出す。
 それを浩之に手渡す。
 ご苦労様、と言って姫川さんの頭を撫でる浩之。
 照れたように笑う姫川さん。
 それをぼんやり眺める、僕。
「雅史さん?」
 気がつくと、不思議そうな顔でマルチちゃんが僕の顔をのぞきこんでいた。
「どうかしたんですか? お加減、悪いですか?」
「あっ・・・ううん、大丈夫。何ともないよ」
 あわてて頭を振る僕。
 すると浩之は意味ありげに笑って、
「まあ、雅史にも色々あるわけだ」
 とからかうように言った。
「浩之!」
「ははっ」
 思わず大きな声を出してしまった僕に、浩之は「悪い悪い」と苦笑する。
「なんですか、色々って?」
 姫川さんがきょとんとしている。
 マルチちゃんも、僕と浩之の顔を不思議そうに交互に見る。
「まあ男同士の秘密というやつだな」
 冗談めかして浩之が言うと、二人はいかにも「ずるいです」って顔をした。
 浩之は分かっているんだろう。
 あの、繭という女の子に、僕が強く惹きつけられたのを。
 不思議な面持ちだった。
 なぜ、こんなにあの子のことを気にしてしまうのか、自分でもよくわからない。
 だけど、浩之がからかうように、その、僕が彼女に恋をしてしまったとか、
そういう感情とは、違うと思う。
 狂おしいほどに強い親近感。
 言葉にすれば、そんな感じだ。
 なぜか、彼女のことが気になる。
 今は、それしか分からない。
「じゃあこれでブチ猫の件は落着と」
 僕の思考は、浩之の陽気な声で遮られた。
 僕の意識が、現実へと引き戻される。
「改めてご苦労様、琴音ちゃん」
 ブチ猫というのは、6月の末に入った依頼で、姫川さんが一人で担当した
『猫探し』の仕事だ。
 万事手際のいい姫川さんは、3日ほどで依頼を達成したのだが、
今度はその依頼者の突然の転勤で、依頼が『新しい飼い主探し』に変更された。
 2週間ほどかかったが、何とか姫川さんは首尾よくもらい手を見つけることが
できたようだ。
 思えば、それがそれまでで最後の依頼で、今日までまるまる半月は
仕事がなかったのだ。
 ずいぶんと暇していたんだなあ。
「どうでした、新しい依頼の方は?」
 興味津々、といった感じでマルチちゃんが浩之に尋ねる。
「報酬は破格」
「どのくらいですか〜?」
 すると、浩之はびっ、とひとさし指をつきだした。
「わっ、10万円ですか〜」
 目を丸くするマルチちゃん。
 浩之は「ブブー」と笑う。すごく楽しそうだ。
「えっ、じゃあ・・・」
 驚いたように姫川さん。
 浩之はうなずく。
「そう、100万。しかもこれは前金だぜ。依頼を達成すれば、
あと追加で200万。合わせて300万の大口の依頼ってわけだ」
「むろん、事務所始まって以来の高額の依頼だ。
「すっ、すごいです〜」
 マルチちゃんは無邪気に感心している。
 姫川さんは少し不安そうに眉をひそめた。
「琴音ちゃんが心配するようなヤバイ仕事じゃないって」
 それを敏感に察した浩之が、姫川さんに笑いかける。
「それより、ひと仕事終えたわけで悪いけど、すぐこっちの仕事に手を貸してくれるかな?」
「はい、そのつもりです」
「大学の方は大丈夫?」
「卒論指導だけですから。残っているのは」
 姫川さんは任せて下さい、という感じでうなずいた。
「そっか。じゃあ頼む」
「はい」
 微笑む姫川さん。
 彼女と初めて出会ったとき、高校生の頃だったけど、そのときの彼女は、
もっと暗い感じで、人を寄せ付けない重い雰囲気みたいなものがあった。
 だけど、今はそれをまったく感じない。
 きっと浩之と出会ったからなんだろう。
 浩之には、そんな力がある。
 側にいるだけで、心が満ちていくような、浩之から力を
分けてもらっているような、そんな安心感。
 それが、浩之という存在なんだろう。
「とはいっても、具体的にどうするってのはまだ検討中なんだけどな」
「そうだね」
 ようやく心が落ち着いた僕は、いつものように相槌を返した。
「結局のところ、なにをすべきかはまだ分からないね。
情報が少なすぎるし・・・」
「他の親族に当たってみるか?」
「会ってもらえるかな?」
 マルチちゃんと琴音ちゃんに軽く依頼のことを説明して、
僕らはディスカッションに入った。
 これが、僕らのいつものスタイルだ。
「わたしも、他の親族の方に話を聞いてみるのがいいと思います」
 姫川さんが浩之に同意する。
「そうだな、情報は多いのこしたことはないしな。
それにあの依頼人の和馬ってのも今ひとつ要領を得なかったからな、
そのあたりをまず補強しておこう」
 僕はうなずくと、テーブルの上にあった志保からもらった資料に目を通す。
 天堂寺家の一族のデータも、簡略的ながらフォローされているからだ。
「問題は会ってもらえるかだな、まず」
 天堂寺家の人間は、冬湖の影響か、驚くほど文化人が多い。
 あの和馬さんにしたところで、まったく知らなかったが、
一応プロの彫刻家なのだそうだ。
 そういった人々が、好意的に僕らと会ってくれるだろうか。
 ぷるるるる・・・。
 そんなことを考えていると、突然事務所の電話が鳴った。
「あっ、出ます」
 とてて・・・とマルチちゃんが受話器へと走り寄る。
「はいっ、藤田探偵事務所ですっ」
 はきはきと答える。
「はい・・・はい・・・あっ、ちょっとお待ち下さい」
 マルチちゃんは振り返って、
「浩之さん電話です〜」
「誰からだ?」
「えっと、天堂寺将馬さんって方からです」
 瞬間僕らは顔を見合わせた。
「作為的なほどのタイミングだな」
 浩之は苦笑して、マルチちゃんから受話器を受け取った。

(つづく)

 どうもやっちゃったような気がしている周です。
 事件が、全然動かない・・・。
 早くストーリーを展開させたいのにこれじゃあなあ・・・。
 あと3話くらいはこんな感じです。(一応地盤固め、ってことで)
 う〜ん・・・。

 あと、一応今回人物表を載せておきます。(まだ不完全版ですが)
 これ以外にTHキャラがあと4人、
 オリジナルが3人ほど出る予定です。

【天堂寺家の人々】
天堂寺冬湖   作家。奇作、『煉夜の月』を執筆したのち、自殺。
天堂寺将馬   有力代議士。冬湖の長男。
天堂寺和馬   三流陶芸家。冬湖の次男。
天堂寺繭    冬湖の養子。

【その他の人々】
藤田浩之     私立探偵。
佐藤雅史     浩之の相棒。今回の語り手。
マルチ      浩之の助手その1。
姫川琴音     浩之の助手その2。
長岡志保     人気ニュースキャスター兼情報屋。

【四方山話】
 一応、設定的にはマルチENDを経てあかりと結ばれ、現在に至る、という感じです。
 そのあたりはAEさんの書くTHの世界観に近いです。
 特に「恋する乙女は」ですね。これはすごくいい作品でした。
 僕の考えていたTHも、浩之はあかり、マルチと一緒に幸せにやっていく、
 というのが基本コンセプトでしたので、AEさんはそのイメージに
 明確に形を与えてくれました。感動です。
 僕はその輪の中に雅史を加えたかったがために、今回の物語を考えたようなものなので。
 ・・・とまあ、そんなようなことがあって、現在浩之探偵やってます。
 なぜ探偵になったのかは、エピソードを考えていますので、
 いつか(いつだ?)この場で発表できたらなあ、と思います。
 
 それでは、朝方あたりに感想を書き込みに来ますので、また。
 しーゆーあげん!