夏夜の子守唄 投稿者: 睦月周

【錯綜】 MY EMPTY ROOM


 壮観、という言葉はこういう時にこそ存在するんだろう。
 そう考えてしまうほど、目の前の洋館は巨大で、荘厳だった。

「天堂寺冬湖って知ってる?」
 数時間前の志保の言葉が脳裏によみがえる。
「ああ、何とかって言う難しい本書いた作家先生だろ?」
 そう、とうなずく志保。
 浩之の言っているのは、『煉夜の月』のことだろう。
 かなり大きな文学賞を受賞し、彼の代表作にまず挙げられるのがそれだ。
「でも志保、たしかその人って・・・」
「そう、自殺しちゃったのよね、1週間くらい前かな」
 僕に皆まで言わせず、志保。
「そうなのか?」
「ま、新聞もニュースも適当にしか見ないヒロは知らなかったでしょうけど」
 むすっとする浩之を横目に、志保はあはは、と笑った。
「ま、それほどメジャーな人じゃないし、本人もマスコミ嫌いで知られてたしね、
世間的にはそんなものよね」
 そう言えば、新聞でもテレビでも、意外なほど小さな扱いだったような気がする。
「それでね、その天堂寺さんって、旧家の出身で、結構な資産持ちなのよ。
当然、親族に資産分配ってことになったんだけど・・・」
「トラブルがあったわけだ」
 面白くもなさそうに浩之。
 志保はにやりと笑って、
「ご名答」
 と、パチンと指を鳴らした。
「親族のひとりがね、こう言い出したわけ。『あれは自殺なんかじゃない、
殺されたんだ』って」
「穏やかじゃないね」
 僕の言葉に、志保は「そうでしょ?」と言わんばかりに軽くウインクをした。
「それで警察も少し動いたみたいだけれど・・・結局どうもならなかったのね。
検死は自殺って断定して、他の親族はそれで納得してるわけだしね。
それと、まあその人・・・殺された、って言ってた人だけど、ちょっと『ここ』がね・・・」
 そう言って、志保は自分の頭をとんとん、と叩いた。
「少し特殊っていうか・・・芸術家肌でね、まあ他の親族の信望がないのね。
半分変人扱いされてるって感じで」
「可哀想です〜」
 じっと聞いていただけのマルチちゃんが、ぽつりとそんなことを言った。
「そうね」
 意外にも、志保が同意したようにうなずく。
「まあ、他の親族にとってみれば、下手な波風たてずに出来るだけ多くの取り分を
自分のものにしたいでしょうしね。
警察にいろいろ嗅ぎまわられちゃ迷惑なんでしょ。叩いてどんな埃が出るかしれたものじゃないしね」
「じゃあ、その人のお話は・・・」
「もちろん黙殺。おまけに親族会議からは締め出しくらって失意の底」
「ひどいです・・・」
 うつむくマルチちゃん。
 志保はそんなマルチちゃんの肩をポン、と叩いて、
「ひどいわよねえ?」
「はい・・・」
「助けてあげたいわよねえ?」
 と囁いた。
「はいっ」
 勢いよく、マルチちゃんもうなずく。
「OK。じゃ、これ」
 そう言って志保は数枚の紙切れを取り出して、マルチちゃんに手渡した。
「依頼人はその人。名前は天堂寺和馬。住所とか、詳しいことはそこに書いてあるから。
今日の4時にアポとってあるから、急いで支度した方がいいわよ」
 矢継ぎ早にまくしたてる志保。
「おい、まだ依頼受けるなんて一言も・・・」
「拒否できる身の上じゃないでしょうが、甲斐性なし」
「・・・・・・」
「少しは家にお金入れないと。いいかげん、あかりに愛想つかされるわよ」
 そういう志保の表情はひどく優しげだった。
 なんだかんだ言っても、浩之のことが心配なんだと思う。
「・・・志保」
「ん?」
「サンキュ」
 浩之もそれが分かったのか、短くそう呟くとマルチちゃんから書類を受け取った。
「んじゃ、帰るから」
「相変わらず鉄砲玉だな、お前は」
 浩之の言葉に、ちっちっち、と指を振る志保。
「『風のような女』よ」
「・・・・・・」
「それと」
 志保はにやりと口元に笑みを浮かべた。
「あたしのマージンは報酬の45パーセント。これは譲れないわよ」

「金ってのは、あるとこにゃあるんだなあ」
 感心したように浩之が呟いた。
「マルチちゃんに見せてあげたら、喜んだろうね」
 マルチちゃんは、今は事務所で電話番をしている。
 こんな景観が見れたら、きっとすごく喜んだことだろう。
 実際、それだけのものだ。
 目の前の洋館は、高さはともかく広さは僕らの事務所がある貸しビルの、
ざっと10倍ほどはありそうだった。
 正面玄関にはこれだけで僕らの事務所くらいはある、大きな噴水が水を吹き上げている。
 門から屋敷まで赤煉瓦で敷き詰められた道がすうっと延びている。
 屋敷の周囲は丁寧に手入れのされた花壇が取り巻き、折々の花が群がり咲いている。
 不思議なのは、これだけの偉容を誇っていながら、不思議とこの洋館から威圧感を感じないことだった。
 静寂。
 そんな言葉が、なぜか一番しっくりくる。
「あれだな、雅史」
 鼻の頭をこりこりと掻きながら、「イタリアっぽいな」と浩之が言う。
「あっ、そうだね」
 僕もそう感じた。
「うん、メディチ荘みたいだ」
 この洋館から受ける荘厳なイメージは、現代のメディチという表現がぴったりくるような気がする。
「そうですか」
 不意に、後ろから細い男の声がした。
 見ると、ひょろっとした感じの眼鏡の男が、ぼさぼさした頭に手をやりながら僕らを見ていた。
 見た感じ、40代前半といったところだが、見ようによってはそれ以上にも以下にも思える。
「なるほど、天堂寺家は現代のメディチ家というわけだ。なかなか的を得た指摘だと思いますよ」
 そう言って、ふと男は頭にやった手に気づいたように、
「ああ、申し遅れました、天堂寺和馬です。ようこそ、藤田先生」
 そう言って、僕に向かってその右手を差し出した。

「いやあ実際まったく、弁解のしようもありません」
 もごもごとそう言いながら、天堂寺和馬さんは浩之に頭を下げている。
 今、僕らはこの屋敷の中庭にある小さなテラスにいる。
 和馬さんが、「ここでは何ですから」と案内してくれた場所だ。
「別に気にしてませんよ」
 そう言いながらも、浩之は無愛想な表情で和馬さんを見ている。
 その視線に、和馬さんはますます萎縮するようにうなだれた。
 少し気の毒になったので、僕は助け船を出すことにした。
「それで、ご依頼の件ですけど」
 僕がそう言うと、和馬さんは「あっ」と顔をあげて、
「そうそう、そのことです」
 と僕らににじりよった。
「ええと、その・・・」
「あなたのお話では・・・あなたの父親である、天堂寺冬湖氏は自殺したのではなく、
殺された・・・つまり、他殺とのことですが」
 どうやら相手は話し下手のようなので、僕の方から水を向けた。
 こういう場合、依頼人から情報を引き出していくのは僕の担当だ。
「そうです、親父は・・・誰かに殺されたんです、間違いありません」
「誰にです?」
 と浩之が口をはさむ。
「それが分かればわざわざ先生をお呼びしたりしませんよ。僕じゃない誰かです」
「殺された、とする根拠は?」
 むっとした和馬さんの気をそらすため、すかさず僕が質問をつないだ。
「ありません」
 即答。
「は?」
「根拠はありません。言うなれば、勘ですね。僕の、勘です」
 勘って・・・。
「で、警察は何と?」
「とりつく島もないです、僕を神経病者扱いですよ、まるで。あなたの考えすぎですよ、
の一点張りで。・・・人を馬鹿にしてる」
 ぶつぶつと言う。
「あの女刑事、顔は綺麗でしたけど・・・僕を馬鹿にしたような目で見るんです。
変態を見るようなね。冷たい目なんですよ・・・なんで僕がそんな目で見られなけりゃならないんです?
そりゃ根拠はないですけどね。でも事実ですよ、間違いない」
 唾を吐き散らしながら、和馬さんが熱っぽく続ける。
 話し下手、という印象は撤回したほうがよさそうだ。
「そこいくと、一緒にいたあの短い髪の女の子は良かったな。僕の話を親身になった聞いてくれて・・・」
「和馬さん」
 際限がなさそうなので、僕は和馬さんの話を遮った。
「あ、ええ、なんですか?」
「あなたの・・・その、冬湖氏が殺されたという確信のですね、拠り所というか・・・
それをもう少し詳しくお聞かせ願えませんか? 勘、という返答ではあまりにも抽象的すぎますので」
「と言われましてもね」
 和馬さんは首をひねる。
 こんな頼りない依頼人は初めてだ。
「遺書のようなものは?」
 黙っていた浩之が突然口を開いた。
「あ、ああ・・・」
 少し驚いたように、和馬さんが浩之の方に顔を向ける。
「ありませんでしたね」
「何もですか? それを示唆するようなものも?」
「・・・ううん」
 考え込むように和馬さんはうつむき、「ああ」と声を洩らした。
「そういえば、親父のテーブルに紙切れがありましたね。わけのわからないことが書かれた」
「何て書いてあったんです?」
「ええと・・・」
 どうも、和馬さんのレスポンスは歯切れが悪い。
「ああ、そう、そうです。たしか・・・写しがあったな・・・ちょっと待っててください」
 そう言って和馬さんは席を立つ。
 数分ほどで戻ってくると、
「これです」
 と浩之に白い紙切れを手渡した。
 そこには、癖のある字で、こう書かれていた。

『煉夜はよみがえる』

 と。

「つかみどころのない人だったね」
 和馬さんに見送られ、正面玄関に向かう途中、僕は苦笑しながら言った。
 浩之はまったくだ、という感じでうなずいた。
「ありゃーよっぽどのタヌキか、それこそモノホンの馬鹿かどっちかだな」
 そうだね、と僕は相槌をうつ。
 僕としては前者のイメージがつよい。
 たしかに癇は強そうだったが、あの人の目には確かな知性の光があった。
「まー飯を食うためだ。即金で払うって言うしな、仕方ないだろ」
 結局依頼は受けることになった。
 即金で前金を手渡したくれた和馬さんの意外な気前のよさが、少しは浩之を動かしたようだ。
 だが、不可解な依頼だった。
 和馬さんはただ天堂寺冬湖氏の死を、自殺でないと証明してくれればいい、と言うのだ。
 どうやって殺したとか、犯人は誰だとか、そんなことは調べる必要はない、と。
「何か割り切れないものがあるけど」
「まーな」
 だけど、僕らとしてはただ忠実に依頼をこなすのが仕事だ。
 でも、気になることがある。
 浩之の方を見やると、同じことを考えていたようにうなずいた。
「あの紙切れのことだろ?」
「うん」
 僕もうなずく。
『煉夜はよみがえる』
 というフレーズに、僕は何か言いようのない不気味さを覚える。
 煉夜とは何だろう?
 やはり、冬湖氏の絶筆、『煉夜の月』のことだろうか。
 だとしたら、よみがえるという表現はおかしい。
 もっと、別の何かを示唆しているのか。
 それとも・・・。
「雅史」
 ふと、前の方で浩之の声がした。
 はっと顔をあげると、数メートルほど先で、浩之が苦笑しながら立っている。
 どうやら、立ち止まって考え込んでいたらしい。
「あ・・・ごめん」
 僕も苦笑して歩みだそうとしたそのとき、

「よい・・・よい・・・ねんねや・・・こよいのやや・・・」

 唄がきこえた。
 子守唄・・・だ。

「やまにゃ・・・とばりが・・・かかってくろじゃ・・・むらにゃ・・・あかりが・・・おちて・・・くろじゃ・・・」

 透き通った少女の声。
 ふと。
 ふと、僕はこの唄を懐かしいと思った。

「ねむれや・・・ねむれ・・・いとしきやや・・・」

 そうだ。
 僕は、この唄を、知っている。

「よい・・・よい・・・ねんねや・・・こよいのやや・・・」

 唄が終わる。
 とんとん、と僕の足下に何かが転がってくる。
 毬だ。
 これをつきながらあの唄を歌っていたのか。
 僕はそれを拾い上げると、静かに振り向く。
 そこには、少女がいた。
 『少女』というイメージを形にしたら、この子になるな、不思議とそんなことを思った。
 視線が合う。
 錯綜。
 くすっ、と少女が笑う。
 白痴の笑みだった。

(つづく)

ええと、続きます。
だいたい全10回くらいを目処にしたいなあと思ってます。
次回あたりに、人物表みたいなものを載せようかと。
ミステリの最初のページにあるみたいなのを、です。

【天堂寺一族について】
THキャラによるミステリもの、ってのがこのSSのコンセプトなんですが、
THキャラに殺人をさせたり、殺されたり・・・ってのは翻意じゃないので、
必然的に生まれたのがこのオリジナルキャラたちです。
これからもう数人出てきます。ストーリー上どうしても彼らの描写も多くなってしまいますが、
何とかTHのSSであることを壊さないよう努力します。
(大丈夫かなあ・・・)

最後に、このつたないSSに感想を下さったAEさん、久々野さん、
どうもありがとうございました。
やっぱり自分の作品に反応が返ってくるというのはよいものですね。
ちょっと(いや、かなり)感動しました。

では次回をお待ちください。(あまり期待せず・・・)