LCHM layer06 投稿者:無口の人 投稿日:4月12日(土)01時01分
layer06:metempsychosis

 学校から帰ったヒロユキは部屋でベッドに仰向けになり、先程屋上でレミィの言った
ことを考えていました。『アタシがアカリの願いを叶えてあげようと思いマス』という
言葉の意味を。願いを叶えるだって? そんなおとぎ話でもあるまいし…とヒロユキは
天井に向かって呟きます。その返答はざらざらした天井からではなく、彼の内からやっ
てきました。じゃあ、あのレミィ…つーかヘレンの存在はなんだんだよ、と。ヒロユキ
は分からなくなって頭の中がクシャクシャしました。そして、ポケットから一つになっ
てしまった小瓶を出して、その中身をひろげました。

『ひろゆきとけっこんしたい』

 幼い頃のヒロユキの字でそう書いてありました。

「しっかし、ヘレンの言ってた約束の小瓶って……これだよな。ったく、内容を書き換
えたこと怒ってんのか? アイツ……って、えっ?」

 ヒロユキは記憶にないことを喋っている自分に驚きました。ですが、その言葉が引き
金になったのか、頭の中の断片的なそれ自体ではまったく意味を為さないような映像が
連なり、ヒロユキの中で一つの記憶のフィルムが再生され始めました。

 それは死ねない少女の話でした。
 少年の出会った少女は、私は死ぬことができないの、と言いました。だけど、ひとを
簡単にころすことはできるのよ、と言いました。少女はヘレンと名乗りました。彼女が
誰かしらの人間を思いきり突き飛ばすと、まわりの何もかもが一変します。ただ、その
変化を感じ取れるのはヘレン一人だけでした。

『はじめはおもしろくておもしろくて、夢中になっていろんなひとを押したわ。そうし
たら、いつのまにかわたしを知っているひとは誰もいなくなっていたの』

 ヘレンは自分が見た目よりずっと年上なのかもしれないと言いました。正確な年齢は
わからないそうです。そうした、積み重ならない年月を過ごすうち、人々の変わりかた
に決まりごとがあることに気が付いたそうです。それは、変わった後の世界は彼女が押
したひとの願い事が叶った世界で、願いが叶ったひとは彼女のことを忘れてしまうとい
うことでした。
 両親の願い――男の子がほしいという願い――を叶えたとき、ヘレンは帰る家を失い
ました。最初に『押した』のが父親と母親でした。彼らが自分のことがわからなくなっ
たとき、ヘレンは新しい遊びがはじまったのだと思いました。ヘレンは姉や近所のひと、
それから友達をかたっぱしから押して回りました。
 気がついたときには、既に手遅れでした。誰かの願いが叶う度、ヘレンはさまざまな
ものになりました。それは羊水に漂う胎児だったり、拾われる猫だったり、クリスマス
の日に捌かれる七面鳥だったり、ロボットだったり、死んだはずの孫娘だったりしまし
た。その場、その場で都合よく彼女は世界を構成するパズルの穴埋めとして姿を変えて
いきました。彼女は、自分が人生という舞台の裏方だと思いました。決して、表舞台に
立てない舞台です。では、あそこで踊っている役者は誰なのでしょう? あれは死んだ
ひと、そしてここは亡者の世界だと彼女は思いました。願い事が叶うのは天国だからで
す。じゃあ、わたしは天使なのかしら? ヘレンは嬉しくありません。彼女は自分が天
使に向いていないと、神様に言いに行こうと思いました。

 そんなある日、少女は少年に会いました。
 少年の名はヒロユキと言いました。ヒロユキは想像力に欠けた子供でした。少女は大
抵のひとが胸に持っているものが少年にないことを、彼の真ん中に空いた空洞を見て知
りました。事実、ヒロユキは少女が押しても彼女のことを忘れたりしません。少女は、
会ったこともない神に感謝しようと思いました。
 少女の口から『わたしをころして』という言葉を聞いたとき、ヒロユキはその言葉の
意味がよくわからずに頷いてしまいました。彼は少女のことを好きになっていたので、
さからうことができなかったのでした。彼女は公園の木の根本に穴を掘らせ、儀式めい
たことをしたあと、自分をそこに埋めるように言いました。儀式とは相手が願っている
ことを代弁した紙を瓶に詰め、穴に埋めることでした。少女は自分は願いごとをできな
いからヒロユキに代わりに願ってもらうのよ、と言いました。ヒロユキは、少女を木の
根本に埋めました。まだ、息をしているとても綺麗な少女に土をかぶせていくという行
為は、彼に一生忘れられないほどの快楽と、そして絶望を与えました。

 しかし、少女は知らなかったのです。ヒロユキが書いた願い事が自分の願いと違って
いたことを。
 結果、ヒロユキの願いは中途半端に叶い、少女の抜け殻が残されました。
 抜け殻の少女は、レミィという名前でした――

 ヒロユキが目を覚ましたとき、窓の外は明るくなっていました。学生服のまま、ベッ
ドに横になっている自分に気が付きました。時計を見るといつも起きるより一時間ほど
早い時刻でした。鳥のさえずりを聴きながらまどろんでいると、この世界に自分しかい
ないような錯覚に陥るのでした。ヒロユキは不安になり、家中を歩き回りました。タン
スの引き出しを開け、クローゼットを開け、食器棚を漁り、ヒロユキは両親の痕跡を発
見しました。それでも彼は安心せず、見知らぬ人物が親として帰ってきても、果たして
自分に見分けられるだろうか? とさえ考えました。いたたまれなくなり、ヒロユキは
カバンを掴んでアカリの家に行こうと外へ出ました。ですが、家へ行くまでもなく、彼
女の姿はすでにそこにありました。しかし、それはヒロユキのよく知っているアカリで
はありません。

「おはよう、浩之ちゃん」
「あ、あかり!? お前、その髪型…」

 ヒロユキは思わず、髪型変えたのか? と見れば一目瞭然のことを訊いていました。
アカリの髪型はいつものお下げではなく、ストレートにリボンになっていました。ただ、
それだけのことでしたが、ヒロユキにはもっと根本的なところで彼女が変わっているよ
うな気がしてなりません。

「…前のほうが、よかった?」
「…あ、い、いや」

 アカリはアカリに決まってるじゃないか、ヒロユキは必死になって自分に言い聞かせ
ます。目の前に居るのはいつものあの、押しに弱くて、ちょっと鈍くさいオレの幼なじ
みだと言い聞かせました。そうだ、年頃の娘を持った父親はきっとこんな感じなんだ、
ある日突然女を感じさせるようになったって不思議じゃない、ヒロユキの心は絶叫しま
す。それとも、エディプスコンプレックスってやつか? 母親にメスの匂いを感じとる
っていう――なにを言ってるんだ、彼女は母親じゃないだろ! ヒロユキは心の暴れだ
すのを必死で押さえ込みました。
 ……母親? そう、アカリは母親なんかじゃない――ヒロユキにはそれがわかりまし
た。

「やっぱり、もとに戻そうか?」
「いや」と、ヒロユキは落ち着いた笑顔でそう答えました。「その方が似合ってるぜ」
「…ほんと?」
「ああ、似合ってる。なんだか、いつものあかりじゃないみたいでさ、ちょっと動揺し
ちまったぜ」
「またまた〜、そんなこと言って〜」

 本当だぞアカリ、とヒロユキは心の中で呟きます。彼にはわかりました。彼女が彼女
自信の望む姿になったということが。ずいぶん控え目な望みだと思い、同時にアカリら
しいと感慨にふけりました…もちろん、いまはもう居ない方のアカリらしいという意味
において。ヒロユキは、ヘレンの孤独感が少しだけわかったような気がしました。冷た
い水の中で、自分の心が澱(おり)のように沈んでいくような感覚でした。

 学校へ着いたヒロユキが最初にしたことは、シホを探すことでした。教室に鞄を置く
とすぐに隣の教室へ向かいました。シホのクラスは、隣でした。ほんの十秒たらずでし
たが、ヒロユキには永遠に続く時間のように思えました。今居るこの場所が、大気の底
であることを実感できるくらいに空気がざらつき、重くのし掛かるのでした。

「おーい、志保ー」
 ヒロユキが声をかけると、シホと集まって話していた数人の生徒が一斉にふり返りま
す。シホは友人たちに何事かを言ったあと、小走りでやってきました。その頬は、ほん
の少し赤らんでいましたが、ヒロユキがそのことに気が付くことはありませんでした。

「なによ、珍しいわね。ヒロの方から来るなんて」
「ああ。ちょっと訊きたいことがあるんだけどよ、いいか?」

 イヤ、なんて言えるわけないじゃない、とヒロユキの鬼気迫った表情を見てシホは思
いました。いまにも爆発しそうな感情を、必死で押し隠しているように彼女には見えま
した。

「なに? 志保ちゃんニュースは――」
「なあ、教えてくれっ! 外国からの転入生ってのはどうなった!?」
「あ…」シホはヒロユキから視線を外し、しどろもどろに答えました。「あー、えっと、
ニュースソースの新鮮さを売り物にしてるのよね……志保ちゃんニュースは…その…」
「転入生なんて居なかった。そうなんだな、答えてくれ志保。そうなんだろう…?」
「い、痛っ! 痛いよ、ヒロ」

 肩に食い込むヒロユキの指に痛みを訴えた彼女の目は、叱られた子供のように泳いで
いました。シホにはヒロユキがなぜこれほど怒っているのかわかりません。ですが、こ
れからはあまり出任せを言わないようにしようと心の中で誓いました。

「どうなんだ? どうなんだ、留学生は居るのか、居ないのか!!」
「…………ゴメン、ヒロ。あれは、デマだったのよ……あっ、でも転入生が来るってい
うのはホントよ、なんでも試験運用の――」

 ヒロユキはシホの言葉を最後まで聞かずに、廊下を駆けだしていました。途中誰にぶ
つかったのか、教師に何と言われたのか、ヒロユキには聞こえませんでした。ただ、水
の中で藻掻くように不格好に手足を動かし、走り続けました。向かうところは、ただ一
つでした。死なない彼女を埋めた場所。

「……っ…がっ、げほっ、げほっ………………レミィ!!」

 次の瞬間、ヒロユキは願いごとの瓶を埋めた木の前に立っていました。ただ、身体の
疲労具合から自分が全力で走ってきたようだとわかりました。

「レミィ!! レミィ!! いや、ヘレンなのか? 答えてくれっ!!」

 ヒロユキは彼女の名前を呼びながら辺りを探しました。木々の裏、近くの池、公園中
の考えつくありとあらゆる場所を探しました。
 それでも、レミィの姿はどこにも見あたりません。どっと、身体の力が抜けたような
気がしました。ヒロユキは予想通りの結末に、ただ苦笑するしかできませんでした。ア
カリの願いが叶ったのですから、レミィがレミィのままでいることはないだろうと彼は
知っていました。今はもう、別のどこかで別の誰かになっているのだろう…ヒロユキに
はもう、それだけしかわかりませんでした。

「ん?」

 かつてヘレンを埋めた木の根本に戻ってきたとき、ヒロユキは奇妙なものを見つけま
した。それは古ぼけた扇風機でした。木のまわりに立てられた柵をゴミ捨て場と勘違い
したのか、とヒロユキは歩き去ろうとしました。ですが、その羽根カバーに小瓶が結わ
えられているのを見たとき、ヒロユキは息を呑みました。近づいて紐をほどくと、やは
りそれは昨日レミィに奪われたもう一つの瓶でした。ヒロユキはフタを開け、中の紙を
取り出しました。

「………………ぷっ! ははは……まったくレミィのヤツ!!」

 ※ ※ ※

 ヒロユキは扇風機を家に持って帰りました。コンセントを差して電源を入れてみると、
一応羽根が回るのですが強弱切り替えも首振り機能もうまく動かないようでした。

「あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ…」

 ヒロユキは回転する羽根のすぐ前で、声を出してみました。すると扇風機は突然首振
りを始め、あさっての方向を向いてしまいました。しばらく、首が戻ってくるのを待っ
ていましたが、正面に戻ってくることはありません。
 扇風機は壊れているようでした。

「しぃあぁわぁせぇかぁあぁあぁあぁあぁ?」

 しかたなく、ヒロユキは自分が移動してまた声を震わせて遊び始めます。すると、横
を向いていた扇風機はまた正面に戻りました。

「しっかし、古くさい扇風機だよなあ…」

 ヒロユキがそう言うと、扇風機はまた横を向きヒロユキに向かって『強』の風を吹き
付けるのでした。ヒロユキは目を開けていれらず、髪を頬が震えるのに耐えながら再び
『弱』の風に戻るまでそのまぶたを閉じていました。

 次の日、学校にクルスガワエレクトロニクスから、メイドロボが生徒としてやって来
ました。ほとんど人間と変わらないその仕草や表情に誰もが驚嘆しました。いえ、ただ
一人例外が居ました。ヒロユキです。彼は誰もいない屋上で、紙切れを見ながら呟きま
す。

「うちの扇風機の方がもっとすごいぜ……なんたって主人思いだ」


『へれんおユるしダネ!』


 落書きされた願い事の紙を見ながら、ヒロユキは笑いました。

「アイツに名前を付けてやんなくちゃいけねーな」



「――なあ、レミィ?」
                                      (了)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 えーっと、こんなんでましたー(汗笑)
 以下、言い訳です。

 あの、幼馴染みの少女は誰? &どうしてレミィ・ヘレン・クリストファー(宮内)
じゃないの?
 という疑問を解消しようと思って書いたら、ブっとんだ設定になってしまいました(笑)
 すみませんです、はい。
 というか、PS版では解消されているのかしらん?

 ということで、そそくさと退場いたします。
 次――は、あるかないかはわかりませんが…。

 最後に、読んでくれた方(が、もしいらっしゃったら:笑)ありがとうございました。