LCHM layer02 投稿者:無口の人 投稿日:3月31日(月)00時16分
※主要キャラの性格その他が、一部変質していることがありますが仕様です。
※遺伝子組み換えキャラは使用しておりません(汗笑)

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layer02:vision

 何年かの月日が流れ、ヒロユキは青年になりました。同年代の大多数の者がそうであ
るように彼もまた、学校へと通う学生でした。ときどき世話をしに母親が帰ってきまし
たが、ヒロユキは相変わらず家では一人で過ごしていました。

「浩之ちゃーん」
「おう、あかりー。今いくっ!」

 ただ、一つ違っていたのはヒロユキには幼馴染みがありました。アカリという名の女
の子でした。彼女はヒロユキのことを『ちゃん』付けで呼びましたが、当のヒロユキは
それを、恥ずかしいって言ってるだろ、と怒りました。しかし、敢えてやめさせようと
はしませんでした。

「なあ、あかり」
「なに? 浩之ちゃん」
「毎日、毎日オレを呼びに来て飽きたりしねーのか?」

 学校に向かう途中ヒロユキがあかりに訊ねました。ヒロユキとアカリは同じ学校に通
っていましたので、毎日他愛のないおしゃべりをしながら二人は歩きました。ヒロユキ
はアカリと話すことには正直退屈していました。よく同じことを毎日毎日話せるものだ
なあ、と関心しているくらいでした。ヒロユキには彼女の話すことが本当に毎日同じよ
うに思えていましたが、では一字一句同じかと訊かれると昨日の話を詳しく覚えていな
いので結局確かめることはできないのでした。

「飽きたりはしないよ。もう日常の一部って感じかな?」
「んなこと言っても、いつも同じじゃつまんねーって思ったりしないのか?」
「ううん、浩之ちゃんとお話するのとっても楽しいよ。ちっちゃい頃から飽きたことな
んてないよ」

 ヒロユキの胸をすっと何かがよぎりました。

「そういやー、あかりと最初に会ったのっていつだっけか?」
「えーと…ちょっと待ってね。今思い出すから」
「わざわざ思い出すようなもんでもねーだろ。覚えてないなら別にいいぜ」
「――あっ、そうそうあれは私が引っ越してきた次の日だよ」

 ヒロユキはああそうか、確かそうだったな、と言われてみると確かにそんな気がしま
した。泣きべそをかいている少女の姿が鮮明に心の中によみがえってきました。

「いっつも泣かされてたよなあ、あかり。それでもオレらから離れようとしなかったも
んなー」
「うふふふ、私は浩之ちゃんのやさしいところちゃんとわかってたよ」
「ったく……、なに言ってんだか」
「ふふふ…」

 ヒロユキの胸にはもやもやとした感じが残っていましたが、特に気にするほどのこと
でもないと思い、そのままにしておきました。

「Hello! ヒロユチ、アカリ!! 2人とも早いネ!」

 衝撃がヒロユキの背中を襲いました。金色の衝撃でした。ヒロユキに続いてアカリが
振り向くと金髪碧眼の一目見て外国の人だとわかる女の子が立っていました。

「だー、レミィ! ヒロユチじゃねぇって言ってるだろ、浩之だ、ヒ・ロ・ユ・キ!!」
「あっ、クリストファーさんおはよう……」

 ヒロユキは背中を叩かれても怒りませんでした。それどころか、半分笑いさえして叩
いた女の子に言い返すほどでした。金髪の女の子はレミィ・クリストファーという名の
ヒロユキの同学年の友達でした。

「Non Non、ダメネーアカリ。アタシのことはレミィって呼んでクダサイ」
「……」
「知らねーのか、アカリ? アメリカじゃ名前で呼ぶのがフツーなんだぞ」

 固まっているアカリにヒロユキが耳打ちすると、アカリはようやく口を開きました。
照れているのを示すように彼女の頬が赤みを帯びます。

「う、うん、おはようレミィ」
「――ったく。…にしてもだ。まだちゃんとオレの名前言えねーのか、レミィ?」
「ニッポンジンの名前むずかしいネ……ヒロユッチ」
「ヒロユッチじゃない、浩之だって…」
「うふふふ、もう浩之ちゃんもムキにならなくても……」

 たしなめるような口調でアカリが言いました。ですがその顔は閉じかけたまぶたが印
象的な笑顔でした。ヒロユキが好意的に接する相手にはアカリもやさしく接しました。
ヒロユキが嫌う相手にはアカリも冷たく接しました。ですのでアカリはレミィには好意
的に接していました。彼女には自主性というものがありませんでした。アカリにとって
はヒロユキがその世界のすべてなのでした。

「ったく、早くしねーと授業に遅れるぞ」
「浩之ちゃん、グラマーの宿題やってきた?」
「うおっ! いけねぇ、見せてくれあかり」
「うん…いいよ。でもあんまり自信ないよ」

 ヒロユキは焦った様子でアカリに助けを求めましたが、彼女の方はまったく落ち着い
ていてはおやっ、と彼は思いました。もしかしたら慌てふためいたオレを見て笑ってい
るのか、と頭に浮かびましたがすぐにその考えは消えてなくなりました。ヒロユキは彼
女が自分のことを決して裏切らないことを知っていました。彼はアカリが自分のために
何かをするのが好きなんだろう、と納得してそれ以上考えるということをしませんでし
た。

「まあ、十分十分、全然やってねーよりマシだって。こんなときレミィが同じクラスだ
といいんだけどなぁ」
「アハハハ、アタシ文法はあまり得意じゃナイヨ?」
「えーい、エセアメリカンめっ!」
「Oh!? 見破られてオシマイましたカ?」
「見破られて『しまいましたか』だ。『お』はいらないってーの」
「オーNo! アハハハハハハッ」

 レミィが大声で笑いました。頭の後ろで両手を組んで照れたような顔をしている彼女
の駄洒落に苦笑いしつつも、ヒロユキは彼女の笑い声を心地よく感じました。それは可
愛らしい声ではありませんでしたが、どこか潤いのある声でした。ヒロユキの目は今度
はアカリの笑顔を映しました。彼女は声を立てずに笑っていて、その表情は顔に張り付
いたロウ細工のようでした。ヤベェな、とヒロユキは誰にも聞こえないほどの声で呟き
ました。アカリのまわりだけ音も風も心もなにもかも止まっているように彼には感じら
れました。なぜ、彼女がそんな状態になるのかわかりませんでしたが、ヒロユキはそれ
が『アカリが怒っているとき』のしるしだと知っていました。

「おら、さっさと行くぞあかり! レミィもまたな」
「ウン、またねバーイ!」
「…あ、うん、浩之ちゃん」

 教室へ向かう途中、アカリが耳元で自分の名前を呼んでいるのに気が付き、ヒロユキ
は視線を横のタレ目のオサゲの少女に向けました。彼女は目を細め、うふふ、と吐息を
漏らしながら囁きました。

「浩之ちゃん、ごめんね」
「はっ?」

 アカリがなぜそんなふうに謝るのか、ヒロユキにはまったく見当が付きませんでした。
もちろん、彼女がなぜ哀しそうにしているかも彼にはわかりません。ヒロユキにとって
アカリはまったく謎でした。

 授業が始まってもヒロユキはずっとアカリのことを考えていました。それは好きとか
嫌いとかそういった類のものではなく、自分が彼女のことをまったくと言っていいほど
知らないという事実についての畏れでした。アカリともう一人、マサシという男の子と
子供の頃遊んでいた記憶がヒロユキにはありましたが、彼らといつ出会ったのか思い出
せません。そんなガキのときのことなんていちいち覚えてるわけねーと開き直り、ヒロ
ユキはそのモヤモヤを振り払おうとしました。それでも彼の畏れが消えることはありま
せん。ヒロユキの胸は内側から誰かに引っ張られるようにシクシクと痛みます。その痛
みが畏れから来るものなのか、痛みが畏れを生み出しているのかヒロユキは考えました
が彼の頭に一筋の光が射すこともなくやがて考え疲れて眠ってしまいました。

「おーい、ヒロ! ヒロってばー!」
「…あ、ああ。……って志保かよ」

 揺り起こされたヒロユキが最初に目にしたのは、栗色の髪をショートカットにした生
徒の顔でした。まわりを見渡すと着席している生徒はまばらで、各々が2、3人ずつ集
まって笑い声をあげているのが見えるだけでした。アア、そうか、もう休み時間かとヒ
ロユキは気が付きました。先程までの重苦しい気分はすっかり消えていましたので、彼
は余裕を持って、自分のことをのぞきこんでいるシホに答えることができました。

「……ったくなんだよ。オマエらはオレの寝顔を見る会の会員かよ」
「ハァ? そんな話題性のない会なんて誰が入るのよ!」

 そう言って呆れ、肩をすくめるシホの横からも声が続きます。

「私、入ってもいいよ」
「ハハ…僕は遠慮しておくよ、浩之」

 シホのまわりにはアカリとマサシが居ました。アカリとマサシは幼馴染みでしたが、
シホは中学からの友人でした。ヒロユキは常々彼女のことを、口やかましい女だ、と思
っていましたが寝ぼけた頭にはキャンキャンわめくその声が不思議と不快でなく、なる
ほどいままでは真面目に話を聞こうとしていたのがいけなかったんだな、と自分の新た
な発見に少し嬉しくなりました。

「あかり……あんたそんな会なんかに入ったら一生後悔するわよ」
「そうかなあ? 私、浩之ちゃんの寝顔好きだよ」
「――って、あんた達そんな関係だったわけぇ!?」
「うん? あっ! そういう意味じゃないよ、志保。もうっ…」
「僕も好きだよ、浩之の寝顔」
「ま、雅史ちゃん…?」
「雅史……まさかあんた……し、志保ちゃんニュース!?」
「ンなわけねーだろうがっ!!」

 ヒロユキは夢うつつといった感じで3人の遣り取りを眺めていましたが、やがて話題
がとんでもない方向に向かっているのに気が付きあわてて口を挟みました。こと噂話に
関して、シホほどその仲介者としてすぐれた者がいないであろうことをヒロユキは知っ
ていましたので、彼は内心すごく焦りました。もちろん、それを表情には出しません。
もし焦った様子を見せたら、今まさに生まれようとしている噂話がまるで本当だと思わ
れてしまうからとヒロユキは彼としては最大の努力をして平静を装います。それはぶっ
きらぼうに物を言うことでした。ヒロユキにとって、ぶっきらぼうに振る舞うことが彼
の本心をおおう隠れ蓑でした。それが想像力に欠けた彼が身に付けた自分を守る殻なの
でした。

「まったく……そんなこと言いにきたのかよ。用がねーのならもう一眠りさせてもらう
ぜ」
「ちょっと…待ちなさいよ、ヒロ。聞くは一時の恥よっ!」
「なんだよそりゃ? 激しく使い方が間違ってるぞ」
「えっ? そ、そう?」

 シホは不安げにアカリを見、ヒロユキを見て、それからまたマサシを見ました。2人
は困ったように微笑み、1人は呆れた顔をしています。もちろん、笑っているのはアカ
リとマサシで、呆れているのはヒロユキでした。

「くぅ……そ、そんな細かいこといってるとモテないわよっ!」
「別に。んなこといちいち気にしてられっかよ」

 一拍遅れたシホの反論にもヒロユキはいつもの調子で答えました。ぶっきらぼうに答
えました。ヒロユキも他人に好かれたいとは思っていましたが、実際そうなったときの
状況というものを頭に思い浮かべることがうまくできませんので、結局彼にとっては興
味のないことなのでした。

「まあ、いいわよ。それよりちょっと取材に協力しなさいよ」
「取材だあ? なんでオレが三流ゴシップニュースの取材を受けなきゃなんねーんだ?」
「なにが三流ゴシップニュースっていうのよっ! 志保ちゃんニュースはホットな話題
満載の情報ステーションよ」
「過積載ぎみだけどな。…オレよか、あかりや雅史にでも訊いてくれよ」
「もちろん訊いたわよ。でもねぇ、あかりも雅史も付き合いが長いせいでこれといった
ものだないよのよねぇ」
「それなら、オレだって同じだろうが。だいたいなんの話なのかさっぱりわかんねーぞ」

 ごめんねシホ、とあかりがシホに言うのを聞きながら、シホはわかりやすいよなとヒ
ロユキは頭の片隅で考えました。あかりが先程ヒロユキに同じ言葉を言いましたが、そ
れとは比べものにならないくらい軽い、色のない、意味のない言葉のように思えました。
実際には、あかりの声の調子はヒロユキの耳には同じに聞こえていました。ですので、
彼はなぜ自分が彼女の声をそんな風に感じたのか、不思議でした。不思議でしたがそれ
以上考えようとはしないところは、やはりいつものヒロユキでした。彼は代わりにシホ
のことを考えました。彼女は嬉しいときには声が高く飛び跳ね、哀しいときは平坦にな
り、寂しいときは語尾が立ち消えるようになりましたので、ヒロユキにもシホが今どう
いう気持ちでいるのか容易に見当がつきました。ヒロユキは彼女と話すのはとても楽だ
と感じていましたので、シホのことを結構気に入っていました。

「ま、ヒロに訊くだけ無駄かもしんないけどねー。今、幼いころのちょっといい話を集
めてるのよ。ほら、せつない系っていうの?」
「バカ言うな。オレだってそんな話の1つや2つあるぜ」
「ホントっ?」
「ああ…幼い頃によく遊んでた女の子がいたんだけどよ、確か長い黒髪がきれいな子だ
ったよ。それがあるとき引っ越すっていうんでもう遊べなくなってさ、それならってい
うことで、願い事を書いたビンを公園の木のしたに埋めたんだ。今でも埋まってるんじ
ゃないか――」

 突然黙り込んだヒロユキを見て、アカリとシホとマサシは驚きました。ですが、一番
驚いていたのはヒロユキ本人でした。気が付けばまったく覚えていないことをヒロユキ
は話していました。でも、それが作り話ではなく実際にあったことだと確信できるので
した。

「…今でも埋まっているんだ」

 なにが埋まっているんだろう、とヒロユキは思いましたが口には出しませんでした。
 ヒロユキの胸をヒューヒューと風が吹き抜けていきました。
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おまけ『隣の長瀬くん』

 私は隣の席を、気づかれないようにしてそっと横目で見た。先程から聞こえ
る呟きはやはり、彼だ。教育実習生の長瀬くん。最初見たときはなんかかわい
くて、こんな子の担当になれてラッキーと思っていたのに。
「はぁ…」
 彼が気づいてくれるように、ため息を吐いたりして。話しかけてくれれば、
お姉さんも相談でもなんでも乗ってあげるのにな。
「……」
 だめ。長瀬くんってちょっと、真面目すぎるみたい。生徒の答案の○付けを
してるだけなのにあんなに真剣な顔しちゃって。しかも、ぶつぶつ呟いていて
端から見るとアブナイ人みたいで、お姉さんちょっと心配だぞぉ。
『……なんで間違ってるの? 合ってないと○が付けられないじゃないか…。
染まれ、染まれ、真っ赤に染まれ。答案の地を灼熱の大地に染めてしまえ』
 延々とそんなことを言ってる。結構、おちゃめくんなのかな? じゃあ、私
もそっち方面からアプローチかけて見ようかな…?
「ねーねー、ねーねー、長瀬君」
「?」
 私の呼びかけに、長瀬くんがきょとんとして振り向く。
「ほら、満点の答案に『花マル』を付けてみましたー」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 長瀬くんは突然叫びだし、目に涙を溜めながら職員室のドアまで走り去った。
……うう、こっちの方がびっくりだよ。なんか私がいじめてるみたいだしー。
 長瀬くんはドアのすき間から、半分だけ顔を出し私の方を見ていた。そして
小声で言った。
「素敵な爆弾ですね」
 ――わけわからんわっ!!