まにひとりひと 第十三章「想いをつらぬくもの」 1/2 投稿者:無口の人
 以前老師から聞いたことがある。…無口の人の作品は、読み飛ばすべしと。
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【前章のあらすじ】
  リヒトの身体を使い、英唖を復活させようとする吉川。だが、リヒトは依然としてその感
 情を表さなかった。
  業を煮やした吉川は、タカユキを用いて強行手段に訴えるが、芹香の干渉によりリヒトは
 時間の彼方へと消え去ってしまう。
  彼女はどこをさまよっているのだろうか。

【西暦2067年 6月×日 コロニー『クルス・シチ』 ドクトル・ヒロの家】

 人が住むための箱庭。磁気シールドで覆われた人工都市(コロニー)。
 人々がコロニーで暮らすようになってから、四○と数年。徐々に失われつつある生殖能力と
呼応して、街には老人とメイドロボが増えていった。

「ヒロさん、ヒロさん。今日の夕ごはんは、なににしましょう?」
 嬉しそうな声でマニヒが話しかけてくる。
<んっ!? ああ、そうだな……>
 久しく使われていなかった味覚を、目一杯働かせて想像してみる。
<冷やっことサバの味噌煮なんていいかもしれんな。食べやすくてさ…>
 やっぱ、脂っこくなくて柔らかいものがいいよな。うーん、それにしても想像すると食べた
くなっちまうぜ。…まあ、無理な注文だが。

「冷やっことサバの味噌煮ですね。それじゃあさっそく買い物に行ってきます。ヒロさんはど
うしますか?」
 無邪気な声でマニヒが聞いてきた。
<ああ…一緒に行くよ……>
 ……同じ身体だかんな。俺だけ休んでるわけにはいかないだろ…っと何度言ったことか。で
も、マニヒは聞いてくるのをやめようとしなかった。…まるで、俺が彼女のすぐそばに居るよ
うに首を傾げながら。

 …習慣? いやまさかな。『彼女』はもう…いないはずだ。

「それじゃあ、行ってきます」
「ふにゃあ」
 マニヒの声に、セリオ猫が答える。…いや、正確には猫型端末に意識を移したセリオが。
「今日は暖かそうですよ、ヒロさん」
<ああ、そうだな…>

 ひかり…。
 ふと、生き別れになった娘が頭に浮かぶ。……あれから、ずいぶんと探しまわった。だが、
いまだにその消息はつかめていない。それどころか、ひかりを連れ去った吉川の所在すらわか
らずじまいだ。そして…
『パパ、助けて…』
<…う、うぅ>
 頭の中に火花が飛ぶ。一度に考え過ぎたのか? 最近、記憶の断片化が進んでいるように思
える。突然、いまみたいに意味もなくひかりの映像が浮かんできたりする。ただ、記憶の隙間
に現れる彼女はいつも耳カバーを付けていたが。
「ヒロさん? 大丈夫ですか?」
<ああ、マニヒ。少し混乱しただけだ……たぶん…>
 …たぶん、もう俺の身体が限界に近づいているんだろう。


「さあ、できましたよ〜」
 そう言いながら、マニヒはごはんの乗ったお盆を持ってベッドの方に向かった。
「…………」
 うつらうつらしていたベッドの主は、マニヒの声に目を開けるとにっこりと微笑む。
「…ありがとうね、マルチちゃん」
「はい! どんどん食べて元気になってくださいね、おばあさん」
 ゆっくりと箸が上下する。
「とてもおいしいわよ。今度、作り方をおしえてね」
「はい、よろこんで。そう言ってもらえて嬉しいです!」

 毎日繰り返される科白…
 マニヒは知らない。 …彼女がかつて自分に料理を教えてくれた人であることを。

 あかり…
 どうしようもない郷愁感を感じながら、俺は彼女が家に来た日のことを思い出す。

 三ヶ月前。
【西暦2067年 3月×日 コロニー『クルス・シチ』 貧民街】

 勤めている病院からの帰り道、俺とマニヒは新しいバッテリーを買うために繁華街へと向か
っていた。

「…ええと、どこにいったのかねぇ?」
 頭からショールを羽織った老婦人が、腰を屈めて探し物をしている。
「おばあさん、何か探し物かい?」
 俺は何の気なしに声をかけた。社会的弱者の多いこのあたりでは、ごくごく当たり前の光景
だったろう。
「…………」
 おばあさんは一瞬動きを止めると、背筋を伸ばし――それでも曲がっていたのだが――呟い
た。
「……浩之ちゃん?」
 ――何でここに!?
 ゆっくりとこちらに身体を向ける、おばあさん。

「マ、マルチちゃん?」
 おばあさん…いや、あかりはそう言って驚く。
「あかり…」
 俺もつい言葉に出してしまう。こうして、話をするのは何年ぶりだろう…

「……マルチちゃんが、浩之ちゃん!?」
 バタッ。あかりは、驚きのあまりか、地面に崩れ落ちた。……そりゃそうだろう、マルチが
俺の声で喋った日にはなぁ……って、冷静に分析してどうする!
「…お、おい、あかり! …大丈夫か? …あかり、あかり!」

 再び…
【西暦2067年 6月×日 コロニー『クルス・シチ』 ドクトル・ヒロの家】

 あの日以来、あかりは俺の家で暮らしている。俺は自分の正体をあかりに言えないでいた。
ひかりのこと、俺のこと…今、彼女がそれを知るのは、幸福か不幸か? 苦労を重ねてきたこ
とがその容貌からもうかがえるあかりに、これ以上重い現実を告げるべきなのだろうか?

 俺は答えを見つけられないままでいる。…ただ一つ、確かなことは、

 彼女の命がそう長くはもたない、ということだった。

                                   2/2へつづく