まにひとりひと 第十三章「想いをつらぬくもの」 2/2 投稿者:無口の人
【西暦2067年 8月×日 コロニー『クルス・シチ』 ドクトル・ヒロの家】

「ごほっ、ごほっ…ぅぐ」
 今日、三度目の発作。
「あっ…だ、大丈夫ですか? おばあさん」
 マニヒが、あかりの口元と前掛けの上についたご飯粒を取りながら訊く。

「……あぁ。マルチちゃん、迷惑かけてごめんなさいね」
「とんでもないです。あっ、ご飯よそい直して持ってきますね」
 マニヒは強いと思う。俺には、日に日に弱っていくあかりを見ることが辛かった。愛する妻
が年老いて弱っていくのに、自分は何もできない、そばに居ることさえできない。…ただ、見
ているだけの存在。傍観者。

<マニヒすまない。マニヒにばかり、迷惑をかけてしまって>
 俺は独り言のように、呟いた。
「なっ、なに言ってるんですか、ヒロさん! 迷惑なんかじゃありません。むしろ嬉しいんで
す。人間の皆さんのお役に立てることが、何より嬉しいんです。…今、わたしを必要としてく
れる人がいることが。ヒロさんは、嬉しくないんですか?」

 ――はっ!
 傲慢だ。俺はなんて傲慢なんだ。いかに容姿が変わろうとも、あかりはあかりじゃないか!
 …それを俺は、まるで別の人間であるかのように見ていた。
 恥ずかしい。俺は自分が、恥ずかしい。

<そうだな、嬉しいよな。俺、一番大切なものを忘れていたよ。…ありがとう、マニヒ。それ
を教えてくれて>
「ええっと…はいっ! ヒロさんも喜んでくれて、嬉しいです!」
<ああ。これからもがんばろうな、マニヒ>
「はい、ヒロさん」

 …そうだ、俺は自分のことばかりにこだわって大事なことを忘れていた。ひかりを助けるこ
とも大切だが、目のまえの大事な人をないがしろにしていいわけはないだろうに。残された時
間はあまりないかもしれないが、あかりのそばに居よう…

 ――せめて、今だけでも。

 あかりが食事を終えるのを待ち、俺はマニヒに話しかける。
<マニヒ、わりぃ…ちょっとあかりと大事な話があるから、休んでてくれないか?>
「わかりました、ヒロさん。なにかありましたら、すぐに呼んでくださいね」
<…ああ>

 ここのところ意識を外に出すことがなかったせいか、大気の流れや光の柔らかさがとても新
鮮に感じられる。
「うーーーん」
 伸びをしてみる。生まれ変わった気分。そうだ、もう一度やり直してみよう。…忘れてはい
けない想いを胸に。

「あかり…」
 正座して、まっすぐ目を見ながらあかりに話かける。
「…うん? マルチちゃん、風邪ひいたの?」
 屈託のない笑顔で、あかりが答える。…柔らかな笑顔だ、と思う。
「あかり、実はその――」
「――うふふ、浩之ちゃん…でしょ?」
「…………えっ!? ななっ、なんで知ってんだ?」
「わかるよ…」
 目を閉じるあかり。

「だって、浩之ちゃんだもの」

 ――ふいに視界がぼやけた。涙が…溢れてくる。
「すまん、あかり。これからは、できる限り一緒に居る。だから…」
 膝の上で泣く俺の頭を、彼女の手がやさしく撫でる。
「ううん、浩之ちゃんが居なくて泣きたくなるときもあったけど、今またこうして逢えただけ
でもう十分だよ。…ふふ、こんなおばあちゃんだけど、よろしくね」
「…ああ、俺もメイドロボだけど、よろしくたのむぜ」
「うふふふふ」
「ははははは」

「ところで、マルチちゃんはどうしたの? わたしのことがわからないみたいだったけど…」
 そう言って、すこし残念そうな顔をするあかり。
「ん…ああ、記憶を無くしちまってな……」
「えっ? 何? 何て言ったの?」
「俺のせいで、記憶を無くしてしまったんだ。あと、ひかりはまだ見つかっていない…」
「そう…なんだ。でも、浩之ちゃんならきっと見つけられるよ。わたしには、もう時間がない
けど……。わたしもひかりに会いたいな」
「何言ってんだ、まだ――」
「ごほっ、ごほっ、ごほっ…」
 突然、あかりは上半身を突っ伏して苦しそうに咳き込んだ。

「大丈夫か? あかりっ!」
「ねぇ、浩之ちゃん。一つだけ、わがまま聞いてもらえる?」
「ああ、何でも言ってみろ」
 背中をさすりながら、俺は答える。
「この『クルス・シチ』コロニーの50km程西に、『金獅子の丘』って呼ばれるところがあ
るの。わたしが死んだら、その丘に埋めてほしいな」
 コロニーの外? なんであかりがそんなところを?

「…わかった、約束する」
「ふふ、ありがと、浩之ちゃん」
「でも、もっと生きるんだぞ、あかり。…俺がちゃんと、面倒みるからな」
「…………うん」


 でも…


 三日後、あかりは息を引き取った。
 冷たい水が飲みたいというので俺がそれを差し出すと、彼女はそれを飲み干し、そのまま眠
るように旅立った。
『おいしい…』――それがあかりの最後の言葉だった。


 俺は今、彼女の遺骨を手に『クルス・シチ』の外に立っている。誰もいない荒野が、眼前に
広がっていた。……この先に、いったい何があるんだ? なあ、あかり。

「さあ、行こうか!」
<はいっ!>
「ふにゃあ」

 ――約束の地へと。
                                 第十四章へつづく…