まにひとりひと 第十二章「守護者」 投稿者:無口の人
 おねげーだ。なにも言わず、読み飛ばしてけろ。
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【前章のあらすじ】
  閉ざされた吉川の心。その中に住んでいるのは、真実在(イデア)に似た名を持つ少女、英
 唖。
 少年は、知恵遅れの少女と仲良くなるも自らの選択の結果、彼女を失う。
 少年は自分を呪う。そして、彼はこころをなくした。

【西暦2027年 1月×日 政府直轄研究所】

 静寂は闇と等価か。
 かすかに聞こえるモーターの振動音が、フロアに充満していた。

 男がスイッチを押すと、マニピュレーターが極低温のプールから円筒形のカプセルを取り出
す。カプセルがすり鉢状の機械の上に置かれると、内部の不凍液が排出され、カプセルは回転
しながら下へと吸い込まれていった。

「吉川教授、準備が整いました」
「わかった」

 吉川は手術用のマニピュレーターを操作し、肝臓と思しきその肉片より細胞を切り取り、培
養液に浸けた。栄養度の低い血清中で培養することで、細胞は肝臓であったときの記憶を忘れ、
肝細胞へと分化する前の受精直後の状態に生まれ変わる。
 そして吉川は、その核を取り出し、自己制御型生体進化組織(開発コード:μ−1)へと移
植した。

 細胞はふたたび生まれ変わる――その記憶を宿したまま――

「うふふふ、イデア。もうすぐ会えるね。さあ、最高の入れ物が、用意してあるんだ」


 そして、5年近く歳月は流れた。

【西暦2031年 12月×日 政府直轄研究所】

「調子はどうだね、リヒト」
 毎朝同じ質問が繰り返される。無機的な声色。
「はい、問題ありません。プロフェッサー・ヨシカワ」
 答える声もまた、無色。

「どんな夢を見たか、言ってごらん」
「いえ、特に映像化されるような記憶はありませんでした」

(…なぜだっ! なぜ、英唖は帰ってこないっ!)
 目が合う。彼女の左目が、吉川を見返す。
(お前は誰だ? 英唖は私をそんなふうには見ない)
 吉川は懇願するように、首を振りながら虚空へと手を伸ばす。
(……あ、あ、あ……君は誰? 英唖は僕をそんな目で見ないはず……)
 衝動的に吉川は、リヒトの顔を掴む。そして、左目をえぐり出すように圧力をかけていく。
「お前には、必要ないものだろう。返してもらうぞ、私の英唖を!」
「くぅ…」
 リヒトは声を洩らすが、抵抗しようとはしなかった。眼球が押され、リヒトの息が一段と強
く吐き出される。
「うぅぅ……」

「…んっ、なんだ? 何のまねだ?」
 眼球が押しつぶされるかと思う瞬間、吉川の手を掴む手があった。
「……タカユキ、お前、この女を庇おうというのか? …この私の命令なしに」
「…………」
 タカユキは、無表情に吉川を見返す。
「ふんっ、まあいいだろう。時間はまだ、たっぷりとあるんだ…私にも、お前たちにもな」
 そう言い残し、吉川は研究室を出ていった。

「この度は、あぶないところを助けていただいてありがとうございました」
 リヒトがタカユキに言う。抑揚のない声で。
「…………ヒ」
 そのときタカユキが初めて口を開いた。空気の抜けるような、そんな感じの声だった。
「……ヒ?」
 リヒトが復唱する。
「…………カリ」
「……カリ?」
 タカユキは、声を搾りだすように必死に身体を揺さぶっているようだった。能面のような表
情は相変わらずだったが。

「…………ブジ?」
「質問の意味が――」
 そう言いかけて、リヒトの言葉が一瞬止まる。彼女は両目から大粒の涙を一滴ずつ…流して
いた。
「――よくわかりません」
 頬を這う透明な生き物は、小さくなりながらもやがて彼女のおとがいで一つになった。
「…………」
「…………」

(…なるほど、そういうことか)
 別室で、モニターを通してそのやり取りを見ていた吉川は、ほくそ笑んだ。
「これは、おもしろくなりそうだ…」


 その日以来、リヒトとタカユキは多くの時間を共に過ごした。否、一緒に行動するように仕
向けられた。
「どうかね、リヒトの生体パターンは?」
「はい、安定した波が観測されています」
 吉川は、ニヤッ、と薄ら笑いを浮かべるとデータの分析結果へと目を向けた。それは、微少
ではあるが感情の存在を示している。
「リラックスしているね、リヒト。君が何故タカユキに反応するのかはわからないが、よいデ
ータを提供してくれた」
 モニターの向こうで、タカユキと庭を散歩するリヒトに吉川は話し続ける。
「なーに、心配することなんてないよ。すぐに、奈落へと突き落としてあげるからね。うひゃ
ひゃひゃひゃひゃひゃ……」

【西暦2031年 12月24日 政府直轄研究所】

 研究所の一室に、リヒトは立っている。そして、彼女と向かい合うようにタカユキが立って
いた。
「ふふふ、リヒト、今日が何の日か知っているかね」
「いいえ、プロフェッサー・ヨシカワ」
 吉川の顔が歪む。                 ・・
「いいだろう。今日は君の誕生日だ……と言っても、君の身体のほうのものだが。…そこでだ、
今日は君にプレゼントをあげようと思う。なんだかわかるか?」
「わかりません…」
「誕生日プレゼントだ、お前を女にしてやろう」
「――!」
 吉川は、一瞬微かにリヒトの生体パターン―感情―が反応するのを見逃さなかった。
(やはりな…。やはり、こいつは意味がわかっているんだ。それでいて、わからないふりをし
てやがる。……いまこそ、化けの皮を剥がしてやる!)

「さあ、リヒト。着ているものを脱ぐんだ」


 躊躇(ちゅうちょ)するでもなく、恥ずかしさのあまり急ぐのでもなく、流れるような動作で
リヒトは服を脱ぎ始めた。患者用に作られた簡易な服は、いとも簡単に脱ぎ捨てられる。そし
て、下着も…リヒトは畳んで置くようなまねはせず、脱ぎかけのパンティを足首に引っかける
ようにしてそれを床へポトリと落とす。。
「フン…、男を興奮させるような振る舞いはしないか。それは、自己防衛の機能か? それと
も……」
 リヒトは仁王立ちのまま、まっすぐと吉川を見る。
「…………」
「…………くっ」
 吉川は苦悶の表情を浮かべ、目を逸らす。
「……父親譲りということか。その目、気に入らんな。……だがな、リヒト、しっぽを出した
なぁ。メイドロボは、そんなに長時間、人間を見つめたりしないものだ。……そんなことをす
るのは、愛玩用か、もしくは……」
 そこまで言い、再びリヒトに向き直る吉川。
「もしくは、意志があるかのどちらかだよなぁ!」
「…………」
 リヒトは相変わらずの無表情のまま、吉川を見続ける。

「おまえはだれだ」
 吉川は睨み、それでもまだリヒトの視線を避けるかのように、左手で自分の顔を覆う。
「わたしはヒカリ、セリカの祝福を受けるもの」
 リヒトはそう言った。彼女の輪郭がわずかに紅く輝いている。
「Halo…? 天使を気取るってか? ふざけるなよ。……タカユキ、こいつの首筋をかみ
切ってやるがいい!」
 吉川が声をかけると、タカユキはゆっくりとリヒトの方へ歩きはじめる。

「お待ちなさい、貴之。ひかりを救えるのは貴方だけなのですよ」
 タカユキは歩みを止めない。虚ろな目をしたまま、ただ一歩、一歩、リヒトに近づいていく。
「…………」
 リヒトの前にくると、タカユキは立ち止まり両手を持ち上げる。そして、そのままリヒトを
抱きしめた。
「貴之、やはり貴方は…」
 ゆっくりと顔を近づけ、タカユキはリヒトのほんのり紅く染まる首筋に――

 ――牙をたてた。

「――!? くぅっ!」
 タカユキの歯は、いまや獰猛な獣(けもの)のように鋭利な刃物と化していた。
「くっ…くくくくくっ、甘いねえリヒト。…私はね、同じ過ちを二度はしないのだよ。ふふふ
ふふっ、うははははっ!」

「く……あ、あっ、くぅっ!」
 赤い液体が、リヒトの首筋から止めどもなく流れ、彼女を紅く染めていく。
 白い肌に紅い縞模様。
 リヒトの手が力なくタカユキの頬をなでると、血の涙を流したような跡を彼の顔に描いた。
「ふん、そう簡単には死ねはしない。おまえは人間ではないからな。さあ、大人しくリヒトを
渡せ。…永遠に苦しみたくなければな」
「くぅ……っ……ぃぃぃ」
 リヒトの叫び声は、いつしか聞き取れないほどの高音になっていた。彼女の身体は既に、輝
きを失い、瞳の焦点も合ってはいない。
「ふん、そろそろおねんねか? …んっ?」

 黒。
 漆黒の風が吹く。
 やがて幾筋もの黒い風が、あたりを巡りはじめ、闇が空間を支配する。

「おまえは…」
 !! 言葉は、音とならずに圧縮された情報として吉川の頭に響いた。
『ひかりを離しなさい』
「……来栖川……芹香」
 吉川は、うめくように呟く。漆黒のドレスと手袋を纏(まと)った来栖川芹香は、空中で静止
し、吉川を見下ろしていた。

「やはり…貴様の仕業だったのか。漆黒の魔女よ…いや、芹香お嬢様とお呼びしたほうがよろ
しいかな?」
『…………』
「ひかりの精神に、まさかプロテクトがかけられているとはな。だがな、アレは私のものだ。
誰にも渡すつもりはない」
『プリュームス』
 芹香の手のひらから、光点が飛び去りタカユキへと当たる。光点は触れた場所に吸着するが、
その勢いのままゴムのように伸びタカユキの身体に絡みはじめた。やがて光の縄にぐるぐる巻
きにされたタカユキは、身体の自由を失い床へと倒れる。
「ちっ! 直接、世界に干渉することは御法度じゃなかったのか!? だからこそ、私が藤田
を殺すよう仕向けたのだろうが!」

 支えを失い倒れかけるリヒトを、芹香はやさしく受け止め、抱(いだ)く。…まるで、愛しい
我が子を抱くように。

「だがあの爆発の中でも藤田は死ななかった。……すべてはお前の手のひらの上の出来事か?」
『いま、ひかりを失うわけにはいきません』
「質問に答えろ!」

『誰も失いたくはありません。誰も傷つけたくはありません。それでも、ヒトの業(ごう)が私
を突き動かすのです』

 ゆっくりと芹香の姿が消えていく。リヒトと共に…。
「待てっ! リヒトを置いていけ!」
 闇は薄れ始め、空間はモノとしての形を構成し始める。
「行かせはしない…行かせはしないぞ、イデア! イデアァァァァァ!!」

 ビクンッ。
 リヒトの身体が反応し、芹香の腕から飛び出す。
『――!!』

 ヒュウ、ゴォォォォォ…
 芹香と吉川の見ている前で、リヒトの身体は黒い渦に飲まれ瞬く間に消失した。

『刻の流れに導かれ、少女は未だ見ぬ今へと旅立てり』
 そう言い残し、芹香もまた、憂いの面影のまま姿を消した。

 茫然自失のまま、吉川は呟く。
「『未だ見ぬ今』……イデア、きっと迎えにいくよ」

                                 第十三章へつづく…