わたしの好きな浩之ちゃん 投稿者:無口の人'
 たまには真面目なものも、書いてみようかな…
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 それは、北風が木々のあいだを通りすぎていく初めての日。
 動物たちはたべものを集め、街路樹はその葉を秋色に染めていく。
 そんな日のものがたり。

「浩之ちゃ〜ん、浩之ちゃ〜ん」
 呼び鈴に応えない幼なじみに、軽いためいき。そして、頬に手をそえて一分ほど悩ん
だあと、二階へ向かって呼びかけた。
 彼女の名は、神岸あかり。赤毛とたれ目がその童顔をより一層印象づける彼女は、現
在高校二年生。実は、いま呼びかけている相手…浩之と公認のカップルである。
 ガラガラガラガラ…
 二階の窓が開き、その浩之が現れる。
「…………」
 普段から悪い目付きが、寝起きのため、さらに凶悪になっている。
「…うっ……あの、ひろゆ――」
 ガラガラッ…ピシャン
 閉められた。
「は〜…」
 右のてのひらを口元にもっていき、温める。鞄を持ち替えて、もう一度。
「うんっ! がんばらなくっちゃ!」
 あかりが再び玄関の前に立ったとき、それは起こった。

『うあああぁぁぁ……』
 ドタタタタタタ……ダンッ!

 扉の向こうから浩之の叫び声。
「えっ!? 浩之ちゃん!? …どうしたの?」
 返事がない。
(えっと、確か…おばさんたちが予備のカギを……)
「あった!」
 急いでドアを開け、家の中に入ると、階段の下に浩之が倒れていた。大の字に寝そべ
ったまま気絶しているようだ。
「…ひっ、浩之ちゃん? ねえ、浩之ちゃん? ねえねえ、浩之ちゃん? 浩之ちゃん?
浩之ちゃん、浩之ちゃん、浩之ちゃん、浩之ちゃ〜ん!」
「……ああ!? オレはどうしたんだ? 痛っ!」
 ゆっくりと浩之が、身体を起こす。
「よかった…」
 あかりは思わず涙ぐむ。
「心配したんだからぁ、浩之ちゃん…」
 そんなあかりを浩之が見つめる。
「えっ、なに?」
 頬が紅潮するのを感じながら、跳ねる胸を思わず抑える。

「オマエ、誰だ?」
「えっ?」

 ――――――――――― 『わたしの好きな浩之ちゃん』 ―――――――――――

「ねえ、ホントに忘れちゃったの?」
 ベッドで横になっている浩之に、困った顔であかりが訊ねる。救急車を呼ぼうとした
あかりの案は却下されたが、傷の手当てだけでも…と、どうにか浩之を寝かせ、今に至
っている。
「…まあな、で、オメエはいったいオレの何なんだ?」
「へっ!? それは、その……こっこっこ…」
 あかりは、ぐるりと両目を一周させる。
「コッコッコ? にわとりか?」
(落ち着いて、落ち着くのよ、あかり。そう、ただ恋人って、そう言えばいいんだよ。
恋人、恋人、恋人、こいびと、こいびと、こいびと、はぁ、こいびとっ)
「幼なじみだよ、わたしと浩之ちゃんは」
「ほー、そうなのか」
(あ〜ん、わたしのバカァ)

「はい、お昼ごはんだよ」
 そう言って差し出したのは、クマの絵がプリントしてある弁当箱だった。
「…弁当? お前、自分の分はあるのか?」
「うん、それは浩之ちゃんの分だよ」
「そうか。でも、二つ作ったってことは、他の誰かの為のモンだろ。いいのか?」
 床に座って、弁当を広げはじめていたあかりは困ったような顔になる。
「うん、…だから、浩之ちゃんの……だよ」
「そうか…」
(なんか照れるぜ。こんなかわいい娘に弁当作ってもらえるなんてよ)
 などと思っているとは気付くまい…と浩之がチラッと目線を上げると、あかりが嬉し
そうに微笑んでいた。
(…まさかな)

「痛っ!」
 弁当を食べようとしていた浩之が、突然右肩を押さえる。
「どうしたの! 浩之ちゃん」
「ああ、ちょっと、右腕がな…」
 心配そうに浩之を見つめるあかり。手を伸ばすが、浩之に避けられてしまう。
「あっ…」
 箸を左手に持ち替える。ぎこちない動作。
「あの…もしよかったら、わたしが食べさせて――」
「いっ、いやいいって! 左手で食うから…」
「そ、そう?」
 あかりは座り直し、弁当を食べはじめる。だが、心ここにあらずといった感じ。

「…………」
「…………」
 ポロッ。浩之の箸から、肉だんごが落ちる。
「あっ…」
 思わず声を上げる、あかり。
 注目の肉だんごは、なんとか、ごはんの上に着地。
「…なんだよ」
「…ううん、別に」
「「…………」」
 あかりはじっと、浩之の挙動を見つめている。
「…………」
 じいぃぃぃぃ…。
(なんか、めちゃくちゃ食べにくいんスけど…)
「はぁ……ワリィ、食べさせてくんねーか? あかり…ちゃん?」
 プッ。
 あかりは、思わず吹き出す。
「…なっ、なにが可笑しいんだよ!」
 耳まで真っ赤にして怒る浩之に、笑いのおさまらないあかりが答える。
「だ、だって、あかり『ちゃん』だなんて…あかりでいいよ」
「そ、そうか」

「はい、浩之ちゃん…」
 あかりが浩之の弁当箱から、卵焼きをつまんで差し出す。微かな甘い香りが浩之の鼻
孔を刺激する。
(女の子の匂いがする…)
「お、おう」
 パクッ。
「どう…かな?」
「ん、うまい。甘すぎず、それでいて舌先でとろけるような感じだぜ」
「よかった」
(浩之ちゃんのために、作ったんだよ)

「じゃあ、次いくね」
 から揚げを浩之の口に運ぶ、あかり。二人ともお互いの顔が紅いことには、触れなか
った。…それは今、恋愛の微妙なラインに立っていることを感じていたから。それを言
ってしまったら、もう気持ちが抑え切れないと知っていたから。
「おいしい?」
 小首を傾げたあかりが、浩之の顔をのぞき込む。息遣いが感じられる。
「おう。…これは、な、何の肉だ?」
「海ねずみだよ」
「ほう…海ねずみか、変わった肉だなあ」
「う・そ・だよ」
「なにぃ! この嘘吐きが〜!」
 思わず左手を振り上げる浩之。
「きゃっ! ごめんなさい」

 ごろん、と弁当が転がる。
「あっ、ごめんなさい」
 急いでかたづけ始めるあかり。その手を浩之が掴む。
「…えっ!?」
「なあ、なんでオレにそんなに優しくしてくれるんだ? ただの幼なじみなんだろ…そ
の、オレたちって…」
 あかりの驚いた顔が、困ったような笑顔に変わっていく。
「ううん、『ただ』のじゃないよ。浩之ちゃんはわたしを助けてくれたもの。泣いてば
かりのわたしを、やさしく守ってくれたんだよ。だから、わたしは浩之ちゃんが――」
 唐突に肩を掴まれて、あかりは言葉を失う。
「オレも、お前が恋人だったら、いいなって思う…」
「うん、浩之ちゃん」
「そうだな、今から出銭ランドでも行くか?」
「ホント!? わたし、ずっとミッキー・ベアに会いたかったんだ!」
「じゃあ、決まりだな。でも学校サボりだぞ」
「えへへへ」

「「…………」」
 呼び合う唇と唇。浩之は、あかりの方へ身を寄せる…が。
(あっ右手が! 踏ん張れな――)
「「うあぁぁ!」」
 右肩を負傷していたことを忘れていた浩之は、そのまま床に転げ落ちた。
 ごんっ!
 したたかに頭を打ち付ける浩之。それは、あかりを庇っての結果だった。

「浩之ちゃん、浩之ちゃん、大丈夫?」
 浩之は、むっくりと起き上げる。
「いててて、まあ、なんとかな」
 あかりは、もじもじしている。
「じゃあ、そろそろ出銭ランドに行く?」
 散らかった弁当をかたづけながら、あかりが訊く。
「…はあ? 出銭ランドぉ? なんでわざわざ、あんな人込みの中に行かなきゃいけね
ーんだ? 行列しに行くようなもんだろ」

「ほえっ?」

「それよか、居間でビデオでも観てよーぜ。結構たまってんだよな、ドラマとかさ」
 そう言って、階下に降りようとする浩之。
 あかりも手を休めて、浩之の後につづく。
「ねえ、浩之ちゃん…」
「ん? なんだ、あか――」
「えいっ!」
 あかりは思いっきり、両の手を突き出した。
 どんっ!

「うあああぁぁぁ……」
 浩之がスローモーションで、階段を転げ落ちる。
 ドタタタタタタ……ダンッ!

 …そして、藤田家に、再び静寂が訪れた。

 階段の上に、陽炎がひとつ。それは、あかり。
 一階の床の上で無邪気に寝転がる浩之を見て、口元が緩む。

「わたしの好きな浩之ちゃん…」

「…うふふ」