扉へとつづく道 投稿者:無口の人
 お読みにならないほうが、よろしいと思いますの(微笑)
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 鮮やかに彩られた校舎が、やきそばの匂いに包まれている。運動場にはテントが立ち
並び、壁という壁で踊るPOP文字が眩しい。すれ違う人々が皆笑顔なのは、幸せとい
う魔物が彼らの時間を止めてしまったからかもしれない。

 ――学園祭。

 それは、非日常。
 トコロドコロに散乱する体操服やブルマが、今にも消えそうな日常を繋ぎとめている。
そんな生活の残りカスを見つめることで、僕は正気をかろうじて保っていた。
「祐くん、ブルマが好きなの?」
 でもそのアリキタリの日常は、幾重にも貼り付けられたポスターという無秩序によっ
て覆い隠されてしまっている。
「おーい、祐くん、聞いてる?」
 ありもしない幻想が日常の狂気に勝るとでもいうのだろうか? 無意味で空虚な笑顔
が、狂気の扉を開くことより意味のあることだと誰が言えるのだろう?

「くすくすくすくす…」
 乾いた笑いが、僕の脳髄を刺激する。
「…瑠璃子さん」
 そこに瑠璃子さんがいた。
「ねえ、祐くん、誰?」
「瑠璃子さん、いつからそこに居たの?」
 彼女の目は僕を見ていなかった。ずっとずっと遠くに、その焦点は向けられている。
にもかかわらず、瑠璃子さんと僕は見つめ合っていた。そう確信できた。
「もうすぐだよ、長瀬ちゃん」
「えっ? それってどういう…」
「へえ、クイズの出し物なんだ。連想ゲームか…面白そうだね、祐くん…って、もしも
〜し!」
 …もうすぐ? そう言った瑠璃子さんは、無邪気に笑っていた。
「――はじまるよ」

 気が付くとバスに乗っていた。いや、もしかしたら初めから乗っていたのかもしれな
い。
「あっ、あれっ? どうして私たちバスに乗ってるの?」
 プシュー。
 扉が閉まり、バスが緩やかに発車する。乗客は、僕一人。
 …いったい何処へ向かうのだろう? ……いや、本当はわかっているんだ。そう、扉
の向こう側の世界へ進んでいることを。

 発車したときとは逆に、バスは徐々に減速し始め、最初の停留所に止まった。
 プシュー。
 昇降口が開くと、黒髪の少女が乗り込んできた。頭に包帯をした彼女は、間違いなく
……あの日と同じ目、扉を開いた目の太田さん。ただ、あの日と違っていたのは、太田
さんが一人ではなかったことだ。次から次へと同じ顔、同じ目をした太田さんが乗り込
んでくる。僕は、最初に乗り込んできた彼女を、太田さん1号、次に乗り込んできた彼
女を太田さん2号…と順番に名付けた。
「えっ、うそぉ〜。なんで、おんなじヒトがいっぱいいるの? 祐くん、祐くん、どう
しよう?」
 最後の太田さん47号の名付け親になった頃には、バスの中はぎゅうぎゅう詰めにな
っていた。


 バンッ。
 何の前触れもなく、太田さん1号が太田さん2号にツッコミを入れる。
 くすくすくすくす…太田さん28号がうけている。
「こすって!」
 太田さん18号が叫ぶ。すると、他の太田さんたちも一斉に叫び出した。
「こすって!」「こすって!」「こすって!」 「こすって!」「こすって!」
 「こすって!」 「こすって!」  「「こすって!」」「「こすって!」」
  「こすって!」 「こねっと!」「こすって!」「こすって!」「こすって!」
「こすって!」「「こすって!」」「こすって!」「こすって!」「こすって!」
 彼女たちは口々に叫びながら、身体を摺り寄せてくる。
「いっ、いや〜、こすらないで! 祐くん、助けて!」
 太田さんは、僕に何を伝えようとしているのだろう? もはや、彼女の目からそれを
読み取ることは不可能だ。…なぜなら、その瞳に映っているのは虚無そのものなのだか
ら。
「いっ、イヤァァァァ〜、こするのは、いやあああぁぁぁ!」
 ずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずり…
 屋台で売られている玩具のように、シンバルを打ち鳴らすゴリラのように、太鼓を叩
きつづけるうさぎのように、踊り続けるバレリーナのように、彼女は飽きもせずに身体
をこすり続ける。

「もう、こすらないでぇ! マッチじゃないんだからぁ!」
 ピンポーン。
 誰かが押したのか、窓枠や天井にへばりついている降車ボタンが光る。するとバスは
また緩やかに止まり、太田さんたちは何かに導かれるようにしてバスから降りていった。
 車内がに再び静寂に包まれたあと、運転手が後ろを振り返る。
「正解だよ、新城ちゃん」
 くすくすくすくす。



「ねえ、沙織ちゃん、起きて」
 僕は沙織ちゃんの肩を、軽く揺すってみる。
「う〜ん、こすらないで…こすらないで…」
 このまま寝顔を見ているのも悪くないな、と思いながら少し強く揺する。
「沙織ちゃん、沙織ちゃん…」
「うん? …あれ、祐くん? 私、どうしたの?」
 彼女は気にしてないかもしれないが、僕は沙織ちゃんの肩から手を離した。
「沙織ちゃん、すごくうなされていたけど、怖い夢でも見たの?」
「うん、そうなのよ! …もう怖かったんだから! 同じ人がいっぱいでてきたの!」
「そうなんだ。今はどう?」
 興奮気味に話す彼女に、優しく問い掛ける。
「……えっ、今は………今はもう大丈夫よ。だって祐くんが、そばに居てくれるから…」
 そう言ってそっぽを向く沙織ちゃん。…耳まで紅くなっているのが、わかる。

 今こそ、彼女に本当のキモチを言おう。たとえそれがどんな結果をもたらそうとも。
「沙織ちゃん…」
「祐くん…」
 目と目が合った瞬間、唇が乾いているのに気付く。声を出すのが、少しもどかしい。
「沙織ちゃん…僕、うれしいよ。…これで2問目に入れるね」
「へっ!?」

 プシュー。
 バスは再び、走り出す。
 扉の向こうへとつづく道を。

「いっ、いやあぁぁぁ! クイズはいやあああああぁぁぁ!!」