まにひとりひと 第十章「浮遊する現実」 1/2 投稿者:無口の人
 いきあたりばったりに…連載を初めてはいけない……それが、教訓だ…(泣)
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【前章のあらすじ】
  吉川に連れ去られたひかりを待っていたのは、洗脳という現実であった。薄れゆく意識の
 中で彼女は、過去の出来事を回想する。果たしてそれは、生への執着なのか、それとも命の
 最後の輝きを意味するのか?
  貴之と過ごした、ありふれた日常…。しかし、世界は音もなく変容していく。そう、まる
 で彼女の意志など存在していないがごとく…。

【西暦2022年 11月×日 近所の商店街】

 あら、とうとう降り出したみたいね。やっぱ、ママの言うとおりカサを持ってこればよかっ
たかな? でもでも、晴れた日にカサ持ってるのってカッコ悪いし、ほらよく言うじゃない、
イギリス紳士は雨が降ってもカサをささないって……えっ? ちょっと違うって? まっ、ま
あいいじゃないそんなこと。
 とりあえず、本屋でファッション誌…じゃなくて、高校入学論文用の参考書でもながめてい
ましょうかね………って、マジよ。

 こっちの方は、人が少ないわねぇ…あぁ、こんなときでも勉強熱心なあたしって、なんてい
い子なのかしら。パパ、ママ…ひかりはこんなに立派になりました。………なんてバカやって
ないで、早く探そうっと。

「んっ、あれは…」
 本棚の向こうに、白衣を着たおじさん二人と警備員のような青年二人が連れ添って歩いてい
くのが見えた。
「あのマークは……来栖川?」
 一番後ろのカレ、結構好みだわ。…じゃなくて。
「なんでこんな――」
「こんにちは」
 ビクッ…背後から突然声をかけられて、全身が硬直する。でもここでナメられてはだめよ。
髪をかき上げながら、優雅にふりむくあたし……ちょっとぎこちないかも。
「あっ、あれ、タカ!? もう…驚かさないでよぅ」
 そこにいたのはタカこと、阿部貴之。
「ずいぶん久しぶりよねぇ。全然連絡くれないから心配してたわよ」
 と、藤田あかり直伝の笑顔で言ってみる。でもタカは、
「…こんにちは」
 さっきと同じことを、ワンテンポ遅れて繰り返すだけだった。…くっ! 新手のギャグかし
ら? そっちがその気なら…。

「はじめまして、あたしひかり」
 恭(うやうや)しくお辞儀してみせる。その途端、タカの身体がビクンと震えた。
「ヒ……カ……リ?」
 そう言ったあと、タカはもう一度、ビクンッ…と身体を震わせた。
「月の……光……それは…狂気の道標……それは…魔女の微笑み……それは生きてはいない…
…あやかしだ……気持ちのいいことだ……だから……だから……滅ぼさねば……」
 グッ…喉を襲う圧迫感。タカの手が…あたしの首を締め付けている!
「…ぅ…ぅ……」
 息が…できな…い。
「ほら、はやく……その鱗粉(りんぷん)を…落とさないと……もうダメなんだ……飛べないん
だ……だから……食べられてしまう前に……たすけて……」
 右の目から涙を流していた。それは頬を伝わり、タカの左手へと繋がっている。あたしは右
目で泣いていた。でも、左目は冷静に見ていた――タカの瞳から命の光が失われていることを。
そして、その目が深い哀しみをたたえているのを。
「…………ぅ」
 頭が痺れてくる…そして、景色が白い靄(もや)に包まれていく。もう抵抗する力はないみた
い。もしできたとしても、騒げばタカが捕まってしまうから…しないけど…ね。

 意識が薄れていく。

 あたしは狭い箱のなかで、うずくまっていた。
 あたし、死んだのかな? こんなことなら……ううん、何もないよ。やり残したことなんて。
 あたしは、自由に跳ね回った。なにも恐れることなく、なににも遠慮しないで。だから。
 …ふと、ふくらはぎの裏側がざらつくような感じを覚える。
 気が付くと、目の前に女の人が立っていた。…いえ、浮かんでいた。闇に溶ける漆黒の黒髪、
漆黒のドレス。その女の人は、穏やかな瞳でこちらを見つめていた。
『おばさん、誰?』
 あたしは確かにそう言ったはずだけど、それは声にならずに意味だけが飛んでいった。
『…………』
『…………』
『………………』
『…………お姉さん、誰?』
 瞬間、彼女のドレスが燐光を発した。
『わたしはセリカ。ヒカリ、あなたに祝福を』
『シュクフク?』
『あなたに新たな命を。人なるもの――紅玉をあなたに』
 そう伝えながら、セリカが額に触れる。その瞬間、あたしはすべてを理解した。人の血を表
すもの、生命の輝きの赤、あたしは二度目の誕生の予感にうち震えた。

 ――歓喜。幸せという衣が全身を包みこんでいく。

『ヒカリ……翠玉(すいぎょく)の輝きを手にいれなさい。……人ならざるものの光を』
 ――次の瞬間、あたしはすべてを忘れた。

 ゴトッ。そんな音がした。それは、どうやらあたしの頭が床を打ちつけた音らしい。
「コホッ、コホッ、コホッ…」
 咳き込んでいるのも、どうやらあたしらしいわね。
 渇いた左目を巡らすと、複数の男たちがもみ合っているのが見えた。
『ヨシカワ君、投与量が多すぎたんじゃないのか?』
『…一時的な副作用に過ぎませんよ、ウフフフフッ』
 …そんな声が聞こえたような気がする。

 次に意識が戻ったとき、あたしはまだ床の上にいた。
「まったく…この可憐な美少女が倒れてるっていうのに、誰も助けにこないなんて……世の中
どうなってるの?」
 でも、騒ぎにならなくてよかったのかな? とりあえず、ここを離れないと…。
「あれっ!?」
 身体に力が入らない…もがくように手足をばたつかせ、ようやく本棚に寄りかかって座る姿
勢になる。とりあえず、濡れた右目をハンカチで拭きながら…状況を整理しましょう。
 ――あれは、間違いなくタカだった。でもあたしの知っている少し気の弱い、優しいタカじ
ゃなかった。あの目は何も映していない、冷たく、哀しい目だった。
 それから、どうしてあたしをそのままにしておいたのかしら? 警察に通報しないと分かっ
ていたから? だとすれば知っている人? それとも、通報されても揉み消せる自信があるか
ら? ……そう、あのマークは来栖川、確かに来栖川だった。まさか、パパが何か関係してる
の?――

 もう、あたし…わかんないよ。

 少しよろけながら本屋を出ると、外は凄い雨だった。でも、今のあたしにはどうでもいいこ
とね。それに、右目から止まることなく流れつづけるものを洗い流してほしかったし。
 なんとか、家にたどり着いたときには、全身ずぶ濡れになっていた。

                                   2/2へつづく