『明日に向かって』 投稿者:まさた

PART3「明日に向って習得」
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 ある昼休みの穏かなとき。
 Aランチ定食のトレイを手に、松原葵が食堂のテーブルに腰掛けた時だった。

「・・案の定、ここに来たわね、松原葵!!」

 突然、足元から葵の名前を叫ぶ声がする。高らかな笑い声と共に、テーブルの下からにょっこり姿
を現したのは、他の誰でもない坂下好恵だった。

「・・よ、好恵さん!!」

 ガタガタと慌てるように椅子を引きずる葵。無理も無い、完璧に気配を消した上に、不覚にも懐に
入られているのだ。改めてライバルに恐怖する気持ちも、わからないでもない。
 そう、勝手な思い込みが相変わらずの好恵は、鼻先で笑った。

「・・ふっ。一週間ほど、昼休みにこのテーブルの下で、張り込んでいた甲斐があったみたいね」

 腕を組みながら、ゆっくりと葵との距離を作る好恵。そして、獲物を威嚇するような闘気を発する
と、好恵はそれを葵に叩き付けた。

「・・うふふ、これも天が私に味方している証拠。今まではまんまと逃げられていたけれど、今日は
上手くいかないからね。・・・葵! 私と勝負しなさいっ!!」

 ゴオオオオーーーーーッッ!!と、好恵のバックで強風が渦を巻き、竜巻が吹き荒れた。二人の間
を、竜巻に巻き込まれた椅子や生徒が飛びぬけていく。
 口元が動かない葵を見て、好恵はフフフと妖しげに笑った。

「・・・ふふ、まあ無理もないわね。天運を身に付けた私に、勝てるはずがないのも道理だものね。
・・それになに? その貧素な食べ物は? 武道家たるものは、あれほど食生活に気を付けなさいと、
いつも言っているでしょう? ちょっと、待ってなさい。」

 何処からともなく、鍋・釜・フライパンを取り出し、いつの間にか手にした包丁で、肉・魚・野菜
を調理し始める好恵。華麗な包丁さばきで凡そ3分の時間を費やすと、テーブルの上には豪勢な料理
の数々が並んでいた。むろん、速さだけではなく、香しさ・美しさ・美味しさにおいても、味王が口
から閃光を放つ出来栄えであることは、言うまでもなかった。
 匂いにつられて味見をした葵が感心して言う。

「・・・美味しいですね」

 好恵の顔が喜びにほころんだ。勝った、葵に勝ったのだ。自分が葵より上の存在であることを、つ
いに葵に認めさせる日が来たのだ。今までの苦労が、モノクロの回想シーンとなって激流する。不覚
にも、一筋の涙が好恵の頬を伝い流れた。

「・・でも、料理が出来るのと武術に、何の関係があるんですか?」

 そんなとこもわからないなんて、葵ってやっぱりお子様ね、と勝手に思う好恵は、やれやれと首を
振りながら、説明を始めた。

「わかってないわねえ。料理もお茶も落語も演舞も、全ては武道に通じるものがあるのよ。ほら、葵
がいろんな格闘技を取り入れるのと、同じ要領よ。お・わ・か・り?」

 葵に敗北してから、習い事も五つ増やした。量からいっても、これで勝てないはずが無い。
 だが、それに対する葵の反応は、鼻先で笑うと、好恵を見下すように見ることだった。

「・・でも、直接的には関係ないものばかりですね」

 グサッと好恵の心臓に、氷の刃が突き刺さる。だが、今までの屈辱に比べれば、これくらいのこと
で、好恵の精神が崩壊することはない。

「わ、わかってないわね。いろんな技術を身に付けることで、格闘技の神髄が見えてくるのよ」

 焦る気持ちを押さえながら、何とか冷静を保ってみせる好恵。しかし、それを追い打つように、葵
の冷やかな言葉が飛んだ。

「落語もですか?・・それに、わたしは武道家ですから、強ければいいんです。弱いって大変ですね。
いろんな芸を、身に付けなくちゃ、いけないようですから」

 ザシュッと好恵の背後から、二本目の氷の刃が突き刺さる。度重なる冷たさのあまりに、全身が氷
結して冷凍永眠しかけたが、何とか気力で持ち堪えてみせた。空手で鍛えた精神力があったからこそ
だった。

「なっ、なに言っているのよ。落語だって、料理だって、極めれば糧となるのよ。それに良く言うで
しょ。『芸は身を助ける』って」

 必死に氷漬けになるのを耐えながら、正当性を訴える好恵。
 しかし、吊り目掛かった葵は、ニヤリと笑いながらボソリと呟いた。

「・・好恵さん、進む道、間違えているんじゃないですか?」

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「・・この料理はどう?」
「ふん、食ってやらあ」

ガツガツ、バリムシャ、ボリボリ、ベロベロ・・・

「結構、美味しいわね」
「ふん、食ってやったぞ」
「それじゃあ、行きましょうね、良太」
「おい、まずかったぞ」

 テーブルの料理を、皿まで嘗め回してたいらげた姉弟が去った後には、氷の彫刻と化した好恵の姿
が残るのみだった。


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