『マルチちゃんとセリオちゃん「即興劇場〜願い〜」』 投稿者:まさた

『マルチちゃんとセリオちゃん』
「即興劇場〜願い〜」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――


私がこの森林公園に通い始めて、もうどれくらいが経つのでしょうか?
いままでに、いろいろな、出逢い、別れ、そして、巡り会いがありました。
その出来事の、ひとつ一つが、私にとっては、とても新鮮であり、いまも忘れることなく
鮮明に記憶しています。

「・・そういった出逢いや別れがね、セリオをセリオにしてくれるのよ」

そう、綾香さまが、謎めいた問題のように、私に言って下さったことがあります。
もちろん、私は、それがどういう意味なのか尋ねましたが、綾香さまは、ただ優しく
微笑まれると、「セリオがセリオになったときにわかるわ」とだけ、言われました。

私にとっては、いまも、それがどういうことなのか、わかりません。
本当に答えがあるのかすら、私にとっては疑問に思えるのです。
何故なら、私は私であって、他の誰でもないのですから。

ですが、もし、出逢いや別れが、私を私にしてくれるというのであれば、あの子との
生活も、私に私をくれたのかも知れません。

そして、あの子が私に私をくれたということであれば、私にも私になるということが、
少しはわかるような気がします。

・
・
・

その日は、よく晴れた六月の終わり頃でした。
いつものように森林公園に散歩に来た私は、有意義に時間を使うために、草むらの
上に座って、ぼんやりと景色を眺めていました。
正確には、観察をしていた、とでも言うべきでしょうか?
風に流れてくる土の匂い、ひんやりと涼しい木陰の若草、何処かで聞こえてくる小鳥
のさえずりや、カサカサと草木の擦れる微音。
こんな楽しげな演奏会が、どんな設備にも劣らない、何気ないこんな自然の場所で、
満喫できるなんて、いままで気付きませんでした。
データ的に解析して持っていったとしても、きっとどんなものをもってしても、再現する
ことができないんだろう、そんな風に思えるのです。

贅沢、とでも喩えるべきなのでしょうか?
掃除をするのでもなく、洗濯をするのでもなく、何をするのでもない、私だけに与えら
れた私の時間。
初めは何をするべきなのか、わからなかった散歩も、いつしか、それを有効に使える
ようになっているようでした。
そういうことが出来ること、そして、こうして自然の中に溶け込むことが出来ることが、
私にとっては、とても贅沢なことでした。


その贅沢を十分に堪能した頃だと思います。
私は忘れそうな時間を、辺りが夕暮れがかる森林の茜色と共に思い出し、腰掛けて
いた草むらから、離れようとした時でした。
ふと、私の側に、直径5センチほどの卵が、落ちているのに気付きました。
最初は、鶏の卵かとも思いましたが、淡い青灰色に班紋がかった卵は、鶏のそれとは
違います。
周りを見回してみましたが、持ち主のような人物らしき卵屋はいません。
もしかしたら、巣から落ちたのかとも思いましたが、私の座る草むらの近くには、私の
側に落ちて来るような木々がありませんでした。

「――・・こんなところで、どうしたのですか?」

私は脅えさせないように、卵に尋ねてみました。
しかし、卵が答える様子はありませんでした。

「――・・もう暗くなりますから、早くお家に帰られた方がよろしいですよ」

私は卵に、夜が近いことを教えて上げました。
ですが、卵の反応はまったくありません。
どうやら、卵は迷子になっているようでした。

私はどうしたものかと思いましたが、研究所に持ち帰ることにしました。
何故なら、ここに置いていくことで、誰かに踏まれたりしたら大変なことです。
それに、もし万が一ですが、ヘビなどに食べられたりする危険性も、無くはないと言え
るでしょう。
一時的な処置ではありますが、私が預かる方が良いと思うのです。
ですから、私は、「卵は大切に預かっております」との書き手紙を残して、研究所にそ
の卵を持ち帰ったのでした。

・
・

「・・なんだか、魔法の卵みたいね」

私の持ち帰った卵をのぞき見ながら、そう言われたのは、綾香さまでした。

「ええっ!こ、これが、魔法のタマゴさんなんですかぁ!!」

そう言って驚かれたのは、マルチさんでした。


私が研究所の部屋に戻ってみると、綾香さまとマルチさんが、暖かくて甘い香りの広
がるアップルティーで迎えてくれました。
どうやら、二人でお茶をしながら、私の帰りを待ってくれていた様子でした。
私たちには飲食は必用ないのですが、「一人で飲むんじゃ味気ないから」との綾香さ
まの要望で、一緒に付き合って飲むようにしていました。

そこで、私はその紅茶を頂きながら、迷子の卵のことを話してみたのです。
すると、二人は顔を見合わせて、不思議そうに私の手中の卵を見たのでした。


どうやら、綾香さまとマルチさんは、この卵のことを知っている様子でした。
確かに、見慣れた鶏卵とは違っていますし、色もとても綺麗なものでした。
魔法の卵という種類は、聞いたことがありませんでしたが、この迷子の卵が無事に
母親の元に戻れることは、とても喜ばしいことでした。

しかし、私が、この迷子の卵を家に届けたい旨を話すと、綾香さまは優しく笑って言わ
れました。

「セリオ。私たちは、この卵の持ち主のことは知らないわ。魔法の卵って言ったのは、
 この卵が、さっきマルチと二人で話していた童話に出てくる卵に、よく似ているから
 なの。実際に、この卵が何の卵かは、わからないわ」

そして、愛しそうに卵を見ながら、綾香さまとマルチさんは、その卵の童話を話して
下さいました。

 ・
 ・

そのお話は、とても夢のある物語でした。
正直で働き者の少年が、ある日、女神から黄金の鶏をもらったのでした。
その鶏は一日に一度だけ、魔法の卵を産み落すのです。
その魔法の卵は、自分の願いを叶えてくれる、不思議な卵でした。
そして、少年はその卵を使って、次々と思った望みを叶えてもらいました。
弱った家畜たちを元気にしてあげたり、畑の穀物の実りを豊作にしたり、病気で困っ
ている人を直してあげたりするのでした。
みんなが幸せになるという、とても暖かいお話でした。

 ・
 ・

「・・もし、その卵が、魔法の卵だったら、セリオは何をお願いするのかしらね」

綾香さまは帰りがけに、私にそう投げかけられました。
その時の私は、直ぐに答えを出すことができませんでしたが、綾香さまは、そんな
私を責めることなく、ただ、優しく微笑んでくれてました。


私は、風邪を引かないように、布団に寝かせた卵を見ながら、綾香さまの言葉への
答えを考えてみました。
しかし、不思議なことに、いくら考えても私にはその答えを、見つけることができません
でした。

「――・・もし、私が卵に願うとしたら・・」

その夜、私は卵の側で、眠りに着くことにしました。

 ・
 ・
 ・

翌朝、私が目覚めたのは、ぴーぴーと小声で鳴く雛の声でした。
初めは、壊れた時計が、電子音で悲鳴を上げているものかと思いましたが、それが
卵から孵ったばかりの雛だとわかると、とても愛しく思えました。
全身に真っ白な綿羽が密生しており、灰色の目先は未だ半開きでしたが、全身から
鳴き声を響きかせ、自らの生命力を一所懸命に訴えているのです。
まだまだ、小さな体でしたが、生きようとする力は、とても強く感じられました。

しかし、雛は何を訴えようとしているのか、私には、まだわかりません。

「――・・お前は、何を言いたいのですか?」

私は尋ねてみましたが、雛はぴーぴー鳴くばかりで、答えてくれませんでした。
どうやら、まだ、上手く言葉が話せないようです。

「――・・困りましたね。ちょっと、待っていて下さい」

私はそう雛に言うと、部屋を後にして、食堂に向いました。
何故なら、きっと雛は、お腹が空いているのだろうと思ったからです。
そこで、私は厨房のシェフの人に頼んで、ミルクを貰うことにしました。
産まれたばかりの赤ん坊は、母乳や暖めた牛乳など、ミルクを飲んで栄養を付ける
と、聞いています。
ですから、美味しいミルクをあげて、お腹を満たしてあげようかと思ったのでした。

 ・
 ・

「・・はっはっは。雛はミルクなんて飲まないさ」

ミルクの入った哺乳瓶を手にしている私を見ながら、長瀬博士は笑われました。
私が厨房から出た時に、食堂で朝食中の長瀬博士に、哺乳瓶のことを聞かれたので
した。
私が「赤ん坊が産まれたのです」と伝えた時には、とても驚かれましたが、卵から雛が
孵ったのだと知ると、安堵の溜息を吐かれいました。
そして、その雛にあげる食事にミルクを貰ってきた、との旨を伝えると、長瀬博士は
苦笑混じりに言われたのでした。

「・・雛には、ゆで卵とかあわ玉とかをあげるんだよ」

「――・・ゆで卵にあわ玉、ですか」

私が手にした哺乳瓶に目を落としていると、長瀬博士が「ついてきなさい」と言って、
私を博士のデスクの前まで連れてきてくれました。
そして、ごそごそとデスクの引き出しの中を探ると、ムキアワの袋を下さいました。

「娘がインコを飼っていてね。ついでだから、あわ玉の作り方も教えてあげよう」

長瀬博士は、そう楽しそうに言われると、引っ張るようにして、私を食堂へと連れて
行きました。
何だか、とってもウキウキしている様子なので、私も心が弾む感じでした。

長瀬博士が作るあわ玉は、とても簡単なものでした。
すり鉢にムキアワを入れ、そこに熱湯を注いで消毒をします。
浮いたアワと一緒にお湯を捨て、ボレー粉を加えてすりながら、徐々に青菜とヒマワリ
の種を足していくという、ごく簡単なものでした。

「私は松の実の方が好きだけどね。ゆで卵とかあわ玉とかは、発情薬の役割や新陳
 代謝を促進させる効果があるんだよ」

得意げになって言われる長瀬博士は、出来上がったあわ玉を私に下さいました。
私はそれを頂くと、持ち帰って、早速、雛に食べさせてあげることにしました。


ぴーぴーぴー

「――・・さあ、たくさん食べて下さい」

私は竹ベラを使ってあわ玉を掬うと、それを雛の口の中へと流し込みました。
雛はそれを夢中になってほおばり終えると、再び鳴き始めました。

ぴーぴーぴー

「――・・美味しかったですか?」

ぴーぴーぴー

「――・・ぴーぴーぴーだけでは、わかりませんよ」

ぴーぴーぴー

「――・・そのうち、言葉のお勉強もしなければいけませんね」

ぴーぴーぴー

「――・・まだ、お腹が減っているのですか?」

ぴーぴーぴー

「――・・それでは、食べて下さい」

ぴーぴーぴー

私が再びあわ玉をあげると、それを懸命になって雛が食べます。
よほどお腹が空いていたのでしょう、作った量自体もたいしたことなかったのですが、
気が付いてみると、あわ玉の入った器は空になっていました。
そして、その頃には、雛も十分にお腹が膨れたのか、安らかな眠りに落ちているよう
でした。

「――・・お前はとても大食いですね」

私は眠っている雛に向って、呆れたように語り掛けました。
すると、それに答えるような、小さな寝息が聞こえるような気がしました。
私には、それが何だか可笑しく思えて、雛をちょんと小突いてみました。
とても、柔らかくて。そして、とても、暖かい温もりがしました。

「――・・今のうちに、お前のご飯を用意しておきましょう」

私は眠り放けている雛を、優しく見ながら、雛の眠る部屋を後にしました。


その後、雛は2〜3時間おきに目を覚ましては、食事を求めてぴーぴーと鳴きました。
私は、その度に、厨房と部屋を往復し、あわ玉を作っては、雛に食べさせてあげまし
た。
そして、外が暗くなり始めた頃、ようやく、雛も落ち着いた眠りへと、入っていったよう
でした。
計六回の往復という、実に大変な作業であり、同時に、子育ての大変さを思い知った
ような気持ちでした。
しかし、不思議なことに、雛の寝顔を見ていると、慌ただしかった一日が、とても充実
しているような気分になりました。
満足感・・とでも言うのでしょうか?
雛の安眠する姿をみると、大変だった日中などどうでもいい、安らいだ気持ちが、私を
支配しているような気がしました。


「――・・ゆっくりと、お休みなさい」

私は雛を起こさないように、静かに言うと、部屋の明かりを消しました。

暗くなった部屋の中で、私はふと、綾香さまの言葉を思い出しました。

『・・もし、その卵が、魔法の卵だったら、セリオは何をお願いするのかしらね』

優しく笑う綾香さまの幻影に向って、私は静かに言いました。

「――・・きっと、私は、こういうのを望んでいたのかも知れません」

そして、私は、今日も雛の隣で眠るのでした。

 ・
 ・
 ・

それから、私と雛との慌ただしい生活が始まりました。
一日六〜七回の食事の為に、部屋と厨房を何往復もする私。
そして、それを食べる雛は、すくすくと大きくなり、今では当初の量の何倍にも達してい
ました。
大きくなったといえば、雛の姿も当初に比べて、かなり変貌してきました。
体の下面はクリーム白色となり、上面は淡黄褐色を帯びた灰色がかってきました。
瞳もしっかりと開き、両翼もその形容を整えつつあるようでした。
生命力の偉大さというものを、改めて間の辺りにしているような感じです。


「・・この鳥さん、ニワトリさんじゃないようですねぇ。セリオさん、いったい、何の鳥さん
 なんでしょうか?」

「・・ふーん、あわ玉ねえ。ねえ、セリオ。この雛は、どう見ても肉食科だと思うわよ。
 もっと違った食べ物、そう、肉とか魚とかがいいと思うわよ」

「・・あっ、あっ、見て下さい。鳥さんが、食べてますよ、鳥さんが。うわ〜、すごいです
 ねぇ。でも、小さいうちから、こんなに大きいんですから、きっと大きな鳥さんに育っ
 てくれるはずですよ」

「・・うふふ、可愛い寝顔ねえ。コラ、キミは何を夢見ているのかな?大空を飛んでいる
 夢でも、見ているのかなァ?・・早く、飛べる日がくるといいわね、セリオ」


綾香さまとマルチさんは、連日のように、私の所に来られては、雛の成長過程を、楽し
みに見て行かれます。
私も、雛の母親の代わりに、母子手帳を作成していますが、日々の生育記録を振り返
ると、この雛は間違いなく、まれに見る健康優良児だといえるでしょう。
そして、目に見て明らかな成長振ぶりが、何故だが、とても心強い勇気を与えてくれる
ような、そんな気持ちにしてくれるのです。

母子手帳と言えば、その後、私は合間を見ては、森林公園のあの草むらへと、足を
運んでいました。
雛の母親も、きっと心配していることだろうと、そう思っているからです。
しかし、あの時の置き手紙は、あの日のままで代わり映えもなく、ただ、過ぎ去った
日数分だけ薄汚れていました。
私は、その手紙を確認する度に、残念に思って、それでいて、内心、どこかで安堵して
いました。
こんな卑怯な気持ちを、以前の私は思うことがありませんでしたが、何故か、最近の
私は、そのような気持ちをすることが多くなっていました。

その度に、私は自分自身の回路が、故障をきたしてしまったのかと、恐ろしくなります
が、同時に、今の気持ちを持つことの出来る自分に、とても満足感を持っていました。
もし、それが本当に壊れてしまっていたのだとしても、私は今のまま壊れ続けていた
いとすら、思うようになっていました。



そして、私と雛とが生活を始めてから、幾日もの日が流れ、夏も暑い盛りの八月の
半ばに、いつの間にかに、季節は移り変わっていました。

 ・
 ・
 ・

「・・セリオーーッ!!行くわよーーーっっ!!」

パッコーーーーンッ!!

軽やかな打撃音が、緑の草木の中に響き渡りました。
音と共に、青空に高く跳ね上がる、オレンジ色のゴムボール。
まるで、真夏の太陽にシルエットを作りながら、大空に舞い上がる鳥のようでした。

そして、そのゴムボールに後続するかのように、大きな影が飛んで行きます。

空中で重なり合う、二つの影。

瞬間、微かな羽音と共に、影は一つとなります。

その影は、天空を優雅に旋回すると、私たちの所へと戻ってきました。
そして、私の手の平にゴムボールを落とすと、大きな翼を羽ばたかせながら、私の
肩の上に舞い降りるのでした。


「――・・よくやりましたね、鷹」

私は、自分肩で羽を休ませている鷹に向って、労いの言葉をかけました。
鷹はそれに答えるように、首を傾げてはキッキッキッと鳴きました。

「――・・ふふ、そんな大口を叩いていいのですか?」

すると、私の言葉にキッキッと鷹が答えます。

「――・・随分と自信家ですね。わかりました。ですが、そろそろお昼なので、休憩を
 取ってからにしましょうね」

鷹は、元気良くキッキッキッと声を上げると、二・三度翼を羽ばたかせました。

 ・
 ・

雛は成長するにつれ、その容姿を、勇ましい姿へと、変貌させていきました。

大鷹。
それが、雛の本当の姿でした。
淡い赤さび色の羽縁は、褐色に色付いた全体に威厳を持たせています。
そのくせ、黄みがかった褐色の柔らかな胸毛は、何処かしら幼さを残したままでいる
のです。
今は幼鳥とのことでしたが、後3年もすれば、立派な成鳥になって、大空の王者として
優雅な飛行をみせてくれるとのことでした。

そんな、データを眺めながら、私は本当かしら?と内心疑問に思ったものです。
ぴーぴーと泣き虫で、食べるばかりしか興味のない子なのです。
私にとっては、やんちゃな子供、といった感じでした。

しかし、流れる時間(とき)と共に大きく育っていく姿は、私にその勇姿ぶりを見せてく
れるものでした。
始めは手の平に乗る程度のこの子も、いつしか自分で食事を取り、空を飛ぶことも
覚え、空の住人の一人としての羽ばたきを、見せてくれるのです。
私には、それがとても頼もしく思え、同時に何故だか寂しく思えました。

成長するとこによって、大人へと変化していくこと。
いつまでも変わらない、子供であり続けられないこと。
そして、私やマルチさんと違って、生物としての営みが必用なこと。

それが、いつしか、私と鷹との歩むべき道の分岐点になるのだと、私は感じていまし
た。

 ・
 ・

草むらの上にビニールシートを敷くと、そこは私たちだけの空間となりました。
持ってきたお弁当や水筒の中身の飲み物には、大したものはありません。
それでも広げてみると、ささやかながらも、立派な食事会が催すことができました。


「今日は、とってもいい天気ですねぇ。タカさん、本当に良かったですねぇ」

とても嬉しそうに、マルチさんは鷹の頭を撫でながら言いました。
それに答えるように、鷹は擽ったそうにキッキッと鳴きます。

「そうですかぁ。そうそう、お腹が減っているのでしたんですねぇ。セリオさん、タカさん
 にですね、ご飯を上げてもいいでしょうか?」

ねだるようにせがむマルチさんに、私は鷹の為に用意した、小魚の切り身の入った
小箱を渡しました。
マルチさんがそれを手に取り、一切れづつ鷹に差し出すと、啄ばむように鷹はそれを
咥え取って、美味しそうに頬張るのでした。

見ていて、とても気持ちが落ち着いていくのがわかる、そんな微笑ましい光景でした。
このシートの上に作られた空間だけは、いつまでも止っているのだろうと思えました。


「・・うふふ、セリオ。鷹も大きくなったわねえ。良く懐いてもいるし」

マルチさんと鷹を横目で見ながら、綾香さまは優しく微笑まれて言われました。
私も、はしゃぐマルチさんたちを見ながら、「そうですね」と綾香さまに答えました。

「・・セリオの育て方が、良かったのね。セリオ、一生懸命に世話していたものね」

綾香さまは、愛しそうに鷹を眺めながら、そっと私に言われました。

「――・・綾香さまやマルチさんがいたから、私も鷹も頑張れたのです。私一人では、
 何もできませんでした」

「・・うふふ、いいのよ、セリオ。・・ただ、ね・・」

ふと、綾香さまは何かを言いかけて、止められました。
そして、無邪気にはしゃぐマルチさんと鷹の姿を、じっと見ていました。

マルチさんの鷹と楽しく会話している声が、私の耳にも入ってきました。
ご飯を食べては、その食べ方に感動し、首を傾げては、その仕草が可愛いと、楽しげ
にされている様子が、私の目にも止りました。
とても、暖かくて柔らかな、ひとときでした。

「・・このままでも、いいかもね」

ゆっくりと静かに、それでいて、どこか悲しそうな口調で、綾香さまが呟きました。
綾香さまは、直ににっこりと、先ほどの呟きを打ち消すように笑われましたが、私に
は、綾香さまの言いかけた言葉が、何のことなのかわかっていました。
わかってはいたのですが、綾香さまの言葉に、とても冷たい衝撃が、私の中を駆け
抜けて行くのが感じられました。

「――・・綾香さま。私は・・」

私が、そう綾香さまに言いかけた時でした。


うわわわぁぁぁっっ!!!


突然の男性の悲鳴が、私と綾香さまの間を、割って入ってきました。
私は、声の主を探すかのように振り向き、そして、凍り付きました。


鷹が人を襲っているのでした。


必死に、男性は、鷹を振り払おうと、腕を振り回していました。
それでも、鷹は止めようとせず、必用以上に男性に突っかかっていくのでした。

「セリオ!!何をやっているのっ!!」

綾香さまに呼ばれて、ハッと、私は意識を取り戻したようでした。

「――・・鷹!止めなさい!!」

私は夢中で叫びました。
すると、鷹は驚いたように男性から離れると、何度かの羽ばたきを持って、地面へと
軟着陸しました。
そして、キッキッキッと鳴くと、私の方を不思議そうに見るのでした。


「セ、セリオさん、タカさんを責めないで下さい。わ、私が悪いんですぅ〜」

ペタリと地面に座り込んでいるマルチさんが、鷹をかばうようにして答えました。

「私がいけなかったんですぅ。この人のお酌に行くのを、ためらったから、こんなこと
 になってしまったんですぅ〜。タカさんは悪くなんですぅ、うぅ・・」

半分涙目になりながら、マルチさんが必死に訴えました。
男性を見てみると、何処かのサラリーマン風の姿をしていましたが、ワイシャツに解け
たネクタイと、どうやら朝から宴会でもしているのでしょう、かなり酔いが回っている
様子でした。
その様相から見ても、この男性が無理に、マルチさんに酌を注がせようと誘ったところ
を、鷹が助けに入ったのだと、容易に察することができます。
しかし、理由はともあれ、鷹が人を襲ったことには、違いありませんでした。


「な、な、何なんだぁっ!この鳥はっっ!!」

男性の怒声が、辺りに響き渡りました。

「こんな、危険な鳥を、キサマのところでは、野放しにしているのかあっ!!」

ズキッと、男性の叫ぶ言葉が、私の頭に深く突き刺さるようでした。

「なに言っているのよ、この酔っ払い!!朝っぱらお酒なんか飲んでいて、なに考え
 ているの!?」

耐え切れなくなったのでしょう、今度は綾香さまが険相になって言われました。
男性は綾香さまの気迫に押されて、一瞬、たじろいだ様子でしたが、酔った勢いも
あるのでしょう、物凄い形相で綾香さまを睨み付けました。
直ぐにでも、殴りかねない、そんな状態でした。

「――・・鷹がご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」

私は二人の間に入ると、男性に向かって、お詫びをしました。

「・・なんだ?お前は黙っていろ!!」

男性は乱暴に言い放つと、腕を振り上げました。

ガツン!!

鈍い音と共に、視界が揺れ、私の頭に衝撃が走りました。

「セリオっ!!」
「セリオさん!!」

二人の悲鳴が、どこか遠くで聞こえるようでした。

「――・・鷹!止めるのです!!」

私は朦朧とする意識の中、厳しく制するように叫びました。
視界を取り戻して見ると、案の定、鷹は男性に飛びかかろうとしているところでした。

「ちょっと!あんた、セリオに何するのよっ!!」

綾香さまは、男性を睨めつけながら怒鳴ると、襲い掛かろうと乗り出しました。

「――・・止めて下さい、綾香さま!私は大丈夫ですから」

私は綾香さまの邪魔をするように、背中で綾香さまの体を押しとどめて、男性との間
を譲りませんでした。
見れば、男性も私を殴ったことで酒気が覚めたのでしょう、自分の行為に脅えている
様子でした。

「――・・鷹がご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。どうか、お許し下さいま
すよう、お願い出来ませんでしょうか?」

私は、もう一度、男性に向かって頭を下げ、深くお詫びをしました。
男性は、自分に恥じているようで、しばらく黙ったままでしたが、やがて小さく舌打ちを
すると、「これからは、気をつけろ!」と言う言葉を残して、帰って行きました。

取り残された私たちは、しばらくその男性が戻って行くさまを見つめていました。
そして、ややあって、私は、背中に頭が押し付けられるのを感じました。

「・・セリオ。ごめんなさい」

綾香さまの辛そうな声が、私の耳に聞こえました。

「――・・風が出てきたようです。今日は、もう、帰ることにされませんか?」

私は、背中で黙って頷かれる、綾香さまの頭を感じました。

 ・
 ・
 ・

その夜。
私は鷹と共に部屋に戻ると、日課の会話をすることにしました。
子供は不安定で色々な悩みも多く、こうした会話の場を設けることによって、相談など
に乗ってあげる方が良いと、育児の本などに書いてありました。
そのため、私は毎日、寝る前の時間を取って、鷹と色々な話をすることにしていたの
です。

小さな白熱灯が、うっすらと薄暗い部屋を照らす中、私は鷹に話し掛けるのでした。


「――・・鷹。今日は、よくやりましたね。あれは、マルチさんを助けようとしたのです
 ね?」

私が誉めるように言いました。
すると、それに答えるように、鷹がキッキッキッと鳴きました。

「――・・やはり、そうなのですね。私は、鷹のことを、とても誇りに思いますよ」

キッキッキッ

「――・・ふふ。お前も、いつの間にかに、こんなに立派になっていたのですね。私は
 とても嬉しいですよ」

キッキッキッ

鷹はとても満足げに喜んでいるようでした。
それからしばらく、私は鷹を見つめていました。
実際の所用時間は、ごく僅かなものでしたが、それでも、私にとっては、とても長い
時間に感じられました。
ですが、私にはある時間も、鷹には無い時間であることを、私は知っていました。
それだけに、私は意を決すると、鷹に静かに尋ねました。

「――・・鷹。お前は・・お前は、どう思っているのですか?」

不思議そうな顔つきで、鷹が私の顔を見ました。

「――・・お前は、私と暮らしていて幸せなのですか?」

キッキッキッ、それが、鷹の返事でした。

「――・・優しいのですね。ですが、本当は、大空を飛びたいのではないのですか?」

キッキッキッ

「――・・そうですか」

キッキッ

「――・・・・・・」

・・・・・・

「――・・・・・・」

・・・・・・

「――・・鷹。やはり、お前は、大空を飛ぶ必要があります」

キッキッ

「――・・いえ、飛ばなければいけないのです」

キッキッ

「――・・お前は、私たちと暮らすべきではないのです!」

キッキッキッ

「――・・駄目です!私はお前の母親ではありません!ましてや、お前は、私の物
 ではないはずです!!」

キッ・・

「――・・お前は、自然に帰るべきなのです」


最後に、私はそう、静かに鷹に言い聞かせました。
鷹は寂しそうな瞳で私を見ていましたが、何も言いませんでした。
そして、その日は一晩中、私は鷹の側に付いていてあげました。

 ・
 ・
 ・

数日後、私は綾香さまたちと共に、鷹を連れて山に行きました。
おそらく、指定自然林などで保護されているのでしょう。
都会とは違い、空気が汚れていないところ、決して空が煤けることのない場所でした。
見渡す山脈や、緑の樹海が、とても美しい場所でした。
自然の温もりが、私たちを優しく包んでくれるような、そんな場所でした。

私は、見晴らしの良い山腹まで歩いてくると、そこを場所に決めました。
ここならば、鷹が生きていくうえで、十分な環境が整っているからでした。


私は、肩に止まっている鷹に向って言いました。

「――・・鷹。ここが、お前の住む場所ですよ。とても、良いところですね」

しかし、鷹は私の言葉に応えること無く、首を傾げるだけでした。

「――・・ここならば、お前の友達や兄弟たちも、たくさんいると思いますよ。もしかした
 ら、お前の両親たちも、ここに居るかも知れませんね」

私は、鷹を勇気付けるように、出来る限りの元気そうな声で言いました。

「――・・さあ、鷹。行きなさい」

私は鷹の背中を、ゆっくりと押して上げました。
バランスを崩して落ちかけた鷹は、翼を広げて数回ほど羽ばたきました。
しかし、飛び立つことはせず、緩やかな飛行と共に、私の前に舞い下りてしまいまし
た。
そして、そのまま、飛び立つ様子を見せずに、私の方を不安げに見て、キッキッキッと
鳴くのでした。


「――・・どうしたのですか?さあ、行ってらっしゃい、鷹」

私はもう一度、声を掛けましたが、鷹は私を物寂しげに見つめては、キッキッと悲しげ
に鳴きました。

「――・・鷹、行くのです。さあ、飛んでみなさい」

しかし、鷹はキッキッと悲しく鳴くばかりで、動こうとはしませんでした。
ただただ、何かを求めるような二つの瞳が、私のことをじっと見ているだけでした。

私には、その鷹の瞳が、とても痛く感じました。
そして、同時にとても息苦しいものでもありました。

直にでも走って行って、鷹を抱きしめたい。

そんな気持ちが、私自身を掻き毟るようでしたが、私は強く踏みとどまりました。
そして、足元にあった小石を拾い上げると、それを鷹に向って投げました。

ひゅ〜〜〜・・・――

まるで、蝿が止りそうな、ヘロヘロとした投石でした。
これで、避けられない者は、誰もいないはずでした。

コツン・・

しかし、鷹は避けることなく、その小石を体に受けたのでした。

私はもう一度、近くの小石を拾い上げると、鷹に向って投げました。

ひゅ〜〜〜・・・――

コツン・・

ですが、鷹は逃げることなく、敢えて私の小石を受けるのでした。

「――・・鷹。どうして・・どうして、飛ばないのですか!?」

私は、知らぬうちに、怒鳴って言いました。
そして、もう一度、小石を手に取ると、それを投げようとした時でした。

「・・うう、セリオさん、やめてくださいぃ。タカさんが、タカさんが、可哀相ですぅ〜」

涙をいっぱいに流しながら、私の体にしがみついて来たのはマルチさんでした。

「何でなんですかぁ、何でこんな酷いことをするんですかぁ〜。また、一緒に暮らせば
 いいじゃないですかぁ、暮らしちゃいけないんですかぁ〜」

マルチさんは泣きじゃくりながら、私を非難するように言いました。
マルチさんの叫ぶ言葉の数が、マルチさんが締め付ける腕の強さが、マルチさんの
流す涙の量が、私に深く、辛く、染み渡るようでした。

「――・・鷹は、私たちと、暮らしてはいけないのです」

私は、優しく、そして、寂しそうに、そう言いました。
そして、持っていた小石を、再び鷹に向って投げました。

ひゅ〜〜〜・・・――

また、小石が鷹に当ろうとした時です。

バサッバサッバサッ

鷹は力強く羽ばたくと、その体を空へと浮べました。
そして、その速度を徐々に上げていくと共に、大空へと舞い上がって行きました。

コツッ・・コロコロ・・――

鷹のいた場所を通り過ぎた小石が、地面に落ちて転がっていきました。


「あっ、えぐぅ、タカさんが・・」

マルチさんの呟きを耳に聞きながら、私の目は鷹の姿を離さずに追っていました。
鷹は、そのまま大空に上がると、円を描くように私たちの上を飛んでいました。
とても、美しく、とても、勇ましく、とても、寂しそうな飛行でした。

キッキッキッ

空で旋回している鷹が鳴きました。

キッキッキッ

再び、鷹が鳴きました。
いつまでも、いつまでも、そうして飛んで鳴いているのではないか?そう思えました。

しかし、鷹は、今まで規律よく飛んでいた円周軌道を、静かに離れると、ゆっくりとした
翼運びをしながら、樹海の中へと飛んで行きました。
そして、キッキッキッと鳴き声を遠くに耳にしたのを最後に、その姿を自然の中に消し
て行きました。
私は、最後の一片まで焼き付けるように、じっと鷹の消え行く姿を見つめていました。



「・・セリオ。・・ご苦労さま」

緑の大海原を眺める私に、綾香さまが声を掛けてくれました。
私はその声を辿るように、綾香さまに向き直ると、静かに言いました。

「――・・鷹は・・鷹は、幸せになってくれるでしょうか?」

すると、綾香さまは静かに微笑むと、優しく言って下さいました。

「・・ええ、きっと、幸せになるわ」

私は、綾香さまの言葉に、強く頷きました。
そして、再び、鷹の消えた樹海を見ました。
いつまでも、いつまでも、決して忘れることの無いように、見つめ続けていました。


 ・
 ・


『・・もし、その卵が、魔法の卵だったら、セリオは何をお願いするのかしらね』

あの時に、投げかけて下さった、綾香さまの質問。

あの時に、答えることのできなかった、私の願い。

今の私なら、答えることができます。


『・・どうか・・あの子を幸せにしてあげて下さい』


『そして、どうか・・どうか、もう一度・・鷹に会わせて下さい』




                                     <おわり>
===================================