きみのためにできること(3) 投稿者:穂波 投稿日:6月19日(月)00時34分
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「からっぽなんだ」
 そう言って微笑んだあかりちゃんの顔を、僕は今も忘れられない。
 静かで、まるでいつもと変わらないようで、それでいて決定的に何かが欠落した
微笑。
「私、浩之ちゃんとずっと一緒だったから、浩之ちゃんの背中をずっと追いかけて
きてたから、だから、浩之ちゃんが見えなくなって、そしたら、何をしたらいいの
かよくわからなくなっちゃった」
 肩先でそろえられた髪が、ふわりと風にそよぐ。
 人気のない夕暮れの屋上。
 あかりちゃんは、夕日に溶けて消えてしまいそうに見えた。
「あかり……」
 僕の隣に立っていた志保が、ごくりとつばを飲み込んだ。
 たぶん、彼女も動揺していたんだろう。
 浩之と一緒に登校しなくなったあかりちゃんを、最初に気遣ったのは志保だった。
僕も気になってはいたけれど、浩之とあかりちゃんのことだから、何か行き違いが
あったにせよ、絶対に元の鞘に収まるだろうということも確信していた。
 けれど、今のあかりちゃんを目にしたら、そんなことはとてもじゃないけれど思
えなかった。
 何があったのか話してくれなきゃ力になれない、そう言ったのは志保だったけれ
ど、話を聞いた今、無力感は募るばかりだった。
 志保のか細い呼びかけに答えず、あかりちゃんは遠い目をしている。
 僕は、声をかけることすらできなかった。
 ただじっと、あかりちゃんを見ていた。
 すっと華奢な腕を上げ、あかりちゃんは、制服のリボンを抑えるようにして、自
分の胸に指先を押し当てた。
「だから……ここにね、何にも、無いの。ごめんね、ふたりとも心配してくれてる

のに」
 涙は、こぼれなかった。
 あかりちゃんは、穏やかに微笑していた。
 それはいっそ、泣き叫んでくれ、と懇願したくなるような、痛々しい微笑だった。
「あかりッ!」
 先に動いたのは、志保だった。
 あかりちゃんにぎゅっと抱きついて、体全体であかりちゃんを何かから庇うよう
にする。
「あかり、もういいわよ、わかったから、よくわかったから」
「志保?」
「言わなくていい、言わなくていいわよ!」
 強く頭を振る志保。
 あかりちゃんは、まるで慰める側のように、ぽんぽんと志保の背をなぜる。あや
すような、優しい仕草で。
「ごめんね、志保」
「謝らないでよ!! 何に謝るのよ、なんで謝るのよ、あかりは何にも悪くないわ
よ!! 悪いのはヒロ……」
「違うよ」
 志保の言葉をあっさり遮り、あかりちゃんは残酷なほど静かに告げる。
「浩之ちゃんは悪くないんだよ。お願い、志保。浩之ちゃんは責めないで、それだ
け、約束して」
「あかり、どうしてよ!?」
 激昂したように志保が叫ぶ。
 僕は、志保に同調しながら、それでもあかりちゃんの答えを半ば予測していた。
 そんなことは、訊くまでもないことだった。
「私、やっぱり、浩之ちゃんのこと好きだから。ごめんね、志保。浩之ちゃんのこ
と見えなくても、そばにいられなくても、まだ気持ち、変わらないから」
 志保が背を震わせる。
 まるで、泣けないあかりちゃんの代わりに、涙を流しているように。
「……バカよ、あんたは」
 つぶやいた志保に。
「ごめんね」
 あかりちゃんは、困ったように謝った。
 僕は、そんなあかりちゃんを、見ていた。
 見ていることしか、できなかった。


 日曜日は、雨だった。
 鉛色の空から、バケツをひっくり返したような豪雨が降りそそぐ。
 僕は窓の外を眺めながら、受話器の声に集中する。
「残念だったね」
 やわらかなトーンのあかりちゃんの声。
「うん、でも延期になっただけだから」
 今日はサッカーの試合の予定だった。
 それが来週に延長された。連絡をもらう前から空を見れば予想はついていたので、
それ自体はどうということもない。僕はただ、受話器の向こうのあかりちゃんの声
を聴いていた。
「そうだね。来週に伸びただけだもんね」
「うん、応援頼むよ」
「雅史ちゃん、うんばっかり」
「うん……あ」
 くすくすと笑う声。
 耳に心地よいさざめき。
 屋上で儚い微笑を見せたあかりちゃんを思い出すと、少しはいい方向に変わるこ
とができたんだろうか。あれから志保とはよく遊んでいるようだし、半ば強引にマ
ネージャーに誘ったことも、ちょっとは功を奏しているかもしれない。
 そんなことを思っていると、不意に受話器から聞こえるあかりちゃんの声のトーン
が変わった。笑いを引っ込め、でもどこかやさしい空気を感じさせる響き。
「雅史ちゃん、ありがとう」
「え、何が?」
「……なんでもいいの。ありがとう」
 あかりちゃんの言いたい事が、全てわかったわけではなかったけれど。
 僕は受話器の向こう、あかりちゃんのたぶん穏やか過ぎて胸が痛むような微笑を
感じ取りながら、
「うん」
 と、頷いた。
 受話器をおいて、僕は大きく息を吐く。
 そのままベッドに倒れこむと、雨の音がざぁざぁと耳を打った。
 僕と浩之とあかりちゃん。
 三人でいた頃とはもう違う。
 浩之は僕に「あかりのこと、頼む」なんて言ったけど、それはあまりに僕を買い
かぶっている。
 結局のところ、あかりちゃんの本当の笑顔を取り戻させてやれるのは、浩之しか
いないんだ。僕や志保がどんなにがんばっても、ダメなんだ。そんなこと、最初か
ら知っていた。
「バカだよ、浩之」
 声に出すと、少しすっきりした。
 あんなに辛そうな顔をして。浩之が本当にあかりちゃんの事を嫌いになったのな
ら、あんな表情できるわけないんだ。あかりちゃんのことなんて、頼まれてやらな
いよ、だから。
 僕は、あかりちゃんと浩之と志保と、前みたいに笑って過ごせる時間を取り戻す。
そのためになら、頑張れる。
 僕は、あかりちゃんと浩之の幼なじみなんだから。
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視点を雅史に切り替えてみました.
でも、私の書く志保はなんだかあかりを愛しているような(笑)。
(しかし、暗いうえになんだか恥ずかしい話のような気がします・・・とほほ)