きみのためにできること(2) 投稿者:穂波 投稿日:6月13日(火)00時13分
 セミの音が、夏の暑さを盛り上げる。
 土曜の放課後、オレは琴音ちゃんと公園に寄り道していた。
 いくら木陰といっても、クーラーの効いた室内のような涼しさは得られないわけ
で、代わりというわけでもないがオレはコンビニで買ったアイスの最後のひとかけ
を、飲み下した。
 オレの隣には、琴音ちゃん。
 やわらかな表情でソフトクリームを手にしている。
  赤い舌が、白いクリームをすくいあげる様子を、オレはほほえましい気持ちで眺
めていた。
「? どうかしましたか」
 琴音ちゃんがソフトクリームを舐めるのをストップし、オレの顔をちらりと見上
げる。
「いや、なんでもない」
「そうですか? でも、なんだか藤田さん顔がにやけてます……」
「う、そ、そんなことはない……と思うけど」
 慌てて片手で口元を抑えると、琴音ちゃんがくすくすと声を漏らした。
「冗談です、ただ、嬉しそうだなぁって思っただけですよ」
「ったく、琴音ちゃんも言うようになったなぁ」
「うふふ」
 あまり楽しそうに笑うので、オレはつられて笑ってしまった。ありきたりの、日
常の一こま。他愛のないことで笑っている琴音ちゃんを見るのは、本当に嬉しかった。
 ひとしきり雑談に花を咲かせ、気が付くと空は茜色に染まっていた。
「そろそろ、帰らないと、だな」
「はい……そう、ですね」
 どこかためらいがちな琴音ちゃんの返事。
「まだ遊び足りないかな?」
「あ、いえ、そんなことはないです!」
 ぶんぶん、と手を振る琴音ちゃん。
「ただ、その……」
 オレは琴音ちゃんの鞄を手にとると、立ち上がった。
「送らせていただけますか、お姫様?」
 芝居がかった仕草で頭を下げると、琴音ちゃんは目を丸くした後はにかんだよう
に微笑んで、
「ありがとうございます!」
 と、応えた。


 街灯の影が、うすぼんやりと揺れている。
 琴音ちゃんを送った帰り道、日はとっぷりと暮れて空には星が瞬いていた。昼の
暑気はどこかに消え、夜風が肌に心地よい。
 先ほどまで琴音ちゃんと雑談していた公園を抜け、ぶらぶらと歩いていたオレの
耳に、聞き慣れた声が入ってきた。
「うん、それじゃあ、また明日」
「おやすみ、あかりちゃん」
「おやすみなさい、雅史ちゃん」
 オレは、無意識のうちに、足を止めていた。
 別に、こんなところで突っ立っている理由はないはずなのに。雅史とあかりは幼
馴染で、それはオレも同じことで、わかっていたにも関わらず。
 軽快な足音が、こちらに近づいてくる。
 オレはようやくわれに帰って、足を踏み出す。どこかで、今聴いた声をなかった
ことにしなければならない、と思いながら。
「あ、浩之」
「よぅ、雅史」
 顔がこわばらないか少しだけ心配だったが、オレはいつもと同じに手を上げるこ
とができた。
「遅いな、サッカー部の練習か?」
「うん。それで、いまあかりちゃん送ってきたところ」
「そういや、あかりマネージャーになったんだっけ」
「あかりちゃん、がんばってるよ。マメだし、一生懸命だし、特に差し入れのお弁
当とか、皆にも好評なんだ」
 一学期も終わりに近づいた時期に、サッカー部は新しいマネージャーを迎えるこ
とになった。何でも元からいたマネージャーが腕を怪我したので、人手が欲しかった、
というのが表向きの理由らしい。
 本当は、たぶん、雅史なりのあかりへの気遣いだ。
 新しいことをはじめて、その忙しさで、オレとの距離を置けるように。
「そっか、もともとあいつはお節介だからな、性にあってるのかも知れねーな」
「浩之」
 夜空を眺めるオレに、雅史が真剣な声音で呼びかけた。
「あかりちゃん、がんばってるよ……痛々しいくらい」
 言外の意味を、読み取れないわけじゃなかった。
 読み取りたくなかっただけだ。
「…………」
 オレは、雅史に向き直る。
 白っぽい街灯に照らされた雅史は、いつになく本気な顔をしていた。
「あかりちゃんは、確かに人の世話するの好きなのかもしれない。だけど、あかり
ちゃんが誰の世話を一番してきたか、わかってるよね?」
 オレは、しばらく黙っていた。
 答えるまでもなく、わかっていた。
 わかっていた、最初から。
「……雅史」
「なに?」
「あかりのこと、頼む」
 雅史が、息を飲む気配。
 だが、オレはすでにそのとき雅史の横をすり抜けていた。
 何か言われる前に家に帰らないと、何か言ってはいけないことを、吐き出しそう
な気がしてならなかった。
 背後から追ってくる雅史の声を無視し、オレは必死に逃げつづけた。


 暗い玄関、電気もつけずオレはただ天井を眺めていた。
 あの日の夜も、こんな風にぼんやりと滲んだ闇を見上げていたことを思い出す。
 あの日、あかりが家に来るよりも早く学校に行き、あかりに会わないようにして
家に帰っていた、三日目の夜。
 とうとうオレの家に押しかけてきたあかりを、あげることもしなかった。玄関先
で靴を履いたままのあかりと、オレは対峙した。
「もう、迎えに来ないでくれ」
 そう言った時のあかりの顔。
 驚いて、ぽかんとして、それから泣きそうになって、オレの名前を呼んだ。
「浩之ちゃん、何で……?」
 胸が、痛かった。
「そろそろ、いいだろ? いい加減幼馴染の仲良しこよしっつーのも、ガキっぽい
し。フツーに友達やってればいいじゃねぇか」
「嘘、嘘だよ浩之ちゃん、そんなの嘘!」
 泣き出しそうな……いや、泣き出していたのかもしれない、あかりの声。
 あいつの瞳を見る度胸は、オレにはなかった。
「嘘じゃねぇよ、いい加減嫌になったんだよ、朝っぱらから浩之ちゃん連呼される
のも、毎朝毎朝あかりの顔見て学校行くのも」
「どうして急にそんなこと言うの? 何か理由があるんなら教えてよ、そんなんじゃ
納得できないよ、浩之ちゃん!」
 あかり、あかり、あかり。
 思い出すだけで、得体の知れない痛みがこみ上げる。
「だからさっきから言ってるだろう、もう嫌になったんだ」
「嘘!」
「嘘じゃねぇよ、じゃあはっきり言わせてもらえば、お前、鬱陶しいんだよ! 
浩之ちゃん浩之ちゃん、ガキじゃあるまいし、いい加減オレ離れしろよ!」
 声を荒げて、壁まで叩いて。
 あかりはびくっとしたけれど、一歩も引かなかった。
「じゃぁ……どうして」
 ただその声は、すでに涙混じりになっていた。
「あの時、キスしてくれたの?」
 ぱたぱたと、頬をつたってこぼれる雫。
 オレは拳を握り締めた。
 これを言ったら、どれくらいあかりを傷つけるか、想像するまでもなかった。
「……どうしてって、まさか、お前、オレがお前のこと好きだからなんて思ってた
わけじゃねぇよな?」
 息を殺して、小さく笑い、後を続ける。
「わりぃわりぃ、それで勘違いさせちまったんなら謝るよ、あれはシャレだったん
だよ。ほら、お前ってオレにとって性別ないよーなもんだし、まさかお前がそんな
誤解するとは思ってもなかったから」
 オレは、必死に笑いつづけた。
 笑うのをやめたら、自分がどうなってしまうかわからなかった。
 あかりは、しばらくそこに立ち尽くしていたが、やがてゆっくりときびすを返した。
「わかったよ。ごめんね……ばいばい、浩之ちゃん」
 ぱたん。
 ドアの閉まる音、そして遠ざかっていく足音を聞きながら、オレは笑いつづけた。
涙がこみ上げて止まらないまま、オレはずっと笑いつづけていた。
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久々野 彰さん、はじめまして。
読んでくださり、有難うございます〜。
「ふたりのなつみ」拝読しました・・・が、アンティークを未だやったことがないため
コメントがつけられませんです(あう〜すみません)。