「膝枕道―ひざまくらどう―」 投稿者:ブランコ 投稿日:5月15日(月)02時48分
 
 ――とある昼下がり。
 麗らかな春の陽射しが、川面にきらきらと乱反射を繰り返していた。
 
 春、と言ってももう夏に近いこの季節。
 見回すと、そこかしこに新緑の風景を見て取れた。

 
 帰り道。

 今日は土曜日。
 いつものように、神社の裏で汗を流した俺と葵ちゃんは、今、河川敷に来ていた。
 

 部活が終わった俺たちは、商店街へ昼飯を食べに出掛けた。
 昼食を食べ終えて、いざ帰ろう、という段になって珍しく葵ちゃんが、俺を河川敷に誘ってくれた。

 無論、断るバカはいない。
 俺たちは河川敷へと歩みを向けた。

 河川敷に付くと葵ちゃんは、
「いい天気ですねぇ」
 と言って伸びをした。

 5月も中旬に近づき、空には小さな雲片しかない。
 夏の足音が聞こえてきそうな、そんな天気。
 ちょっと詩的な気分になってしまう俺。
 思わず昼寝したい衝動に駆られる。

「ああ」
 俺もつられて伸びをする。

 川下から吹いてきた爽やかな春風が、優しく葵ちゃんの前髪を躍らせた。
 
「疲れた?」
 堤防に並んで腰を降ろして、俺は葵ちゃんの身体を気遣った。

 最近の葵ちゃんの熱の入れようは凄い。
 あの坂下好恵に勝ってからは、目標を綾香に据え、レベルの高い練習を高密度にこなしている。
 疲れが溜まっていても可笑しくはない。
 その思いから出た言葉だった。

「…いえ。好きでやってることですし、それに、もう一人じゃないですから…」
 恥かしそうに俯く葵ちゃん。

 はっきり言って、マジで可愛い。

 そんな可愛い葵ちゃんの為に、俺が出来ること、と言えば今のところマッサージぐらいなものだ。

「マッサージしてあげるよ」
 俺は葵ちゃんを芝生にうつ伏せに寝かせ、丹念に身体をほぐしてあげることにした。

 キック系が得意な葵ちゃんの為に、足周りを重点的にマッサージすることを忘れずに。

「どう?」
 気になって尋ねると、
「気持ちいいです、先輩。どうして私の凝っているところがそんなに解かるんですか?」
 振り返ってそう訊いてくる葵ちゃん。

「それはね、俺が、葵ちゃんのこと、ちゃんと見てるからだよ」
 川の流れに目線を落として、言った。

 我ながら恥かしい台詞だ。

 でも悪くない。
 それが葵ちゃんの求めている台詞でもあるのだし、実際、俺の本心でもあるからだ。

 ――ところで。

 何故だか知らないが、昔から俺にはマッサージの素質がある。
 将来、男性初のエステシシャンでも目指そうかと、頭の片隅で思っていないこともない。
 
 でも、マッサージとエステは関係ないか。

 などとバカなことを考えつつも、10分間ほど、葵ちゃんの瑞々しい身体をほぐしてあげた。


 マッサージが終わると葵ちゃんは、
「気持ちよかったです、先輩。いつも私ばっかりマッサージして貰っちゃって。私もなにか先輩にして
上げらたらいいのに…」
 と照れながら呟いた。

 降って涌いたその嬉しい申し出に、もちろん俺の心はときめいた。

 いや、ときめかいでか!

 待ちに待った、この瞬間。
 ついに、
 遂に、
 遂にこの時がきたんじゃぁぁぁぁ!!
 
 もちろん心の中で俺、ガッツポーズ。

「…じゃあ」

 ゴクン。思わず生唾を飲み込む。

「…ざ…くら」

「え?」

 思わず聞き返す葵ちゃん。
 俺としたことが、うわずってキチンと発音出来なかった。

 もう一度、意を決して言う。

「…ひざまくら、お願いしても、いいかな」
 俺は笑った。 
 出来るだけ平静を装って言った積もりだったが、最後の笑いが張り付いていたかも知れない。

 俺の言葉を聞いた葵ちゃんは、ちょっとだけ不可思議な顔をしたが、直ぐに合点がいったのか、
「それぐらいでしたら、いいですよ。私の膝で良かったら、幾らでもお貸しします」
 と言って、天使のように微笑んだ。
 実際、俺には葵ちゃんのことが天使に見えた。
 
 ――何故、
 だか知らないが、俺は膝枕が、寝ることの次に好きだ。
 いや、寧ろ膝枕が一番かも知れない。
 うん、絶対そうだ。
 間違いない。

 嗚呼(ああ)。
 
 ――ひ・ざ・ま・く・ら。

 なんて甘美な響きなのだろう。
 しかも、実際には「太もも枕」が正解なのに。
 そんな奥床しさも俺のハートをガッチリ掴んで離さない。

 おっとご免よ、睡眠君。君も嫌いなわけじゃないんだ。
 君も変わらず愛しているよ。
 でも、膝枕と比べたらいくら君だって、ねぇ。

 でも、それほどまでに愛惜しい膝枕と睡眠なのに、どうしてか膝枕で寝ることはあんまり好きじゃな
いんだよなぁ、俺って。
 人間って複雑に出きてるよな、全く。

 って、俺だけか?

「どうかしましたか? 先輩」

 葵ちゃんの無垢な笑顔が、俺を現実に呼び戻した。
 
 アブナイ、アブナイ。

 ここで相手に警戒されては、元の木阿弥。
 今までのイメージトレーニングの成果を試せなくなってしまう。

 俺は咳払いを一つしてから、腹を決めた。
 あくまでも「爽やかさん」をモットーに、俺は葵ちゃんに微笑んだ。 
 「じゃ、お願いするよ」

 
 まずはオーソドックス・スタイルで行くことにした。

 オーソドックス・スタイルとは、その名の通り、基本姿勢だ。
 後頭部を女の子の太ももに載せる、ごく一般的なスタイル。
 大半の人間はこれを膝枕、と言うのではなかろうか。

 しかし、俺は違う。

 俺の求める膝枕道は、そんなアマちゃナイズ(造語)な行為では、決して極められるものではない。

 そうは言っても、基本は重要だ。
 葵ちゃんもそう言ってたし。
 
 で、その基本のオーソドックス。
 はっきり言って、馬鹿に出来ない。 
 何と言っても、女の子の顔を間直で、且つ、いつもとは違った視線で愛でることが出来き、あまつさ
え、やや膝頭の方に頭を置いて、女の子を名前を呼んだ日にゃあ、長年恋焦がれた接近戦にも持ち込め
るって寸法でさぁ。
 
 うむ。俺の選択、間違ってなし。


 葵ちゃんが俺の隣りに膝を伸ばして座り、どうぞどうぞ、する。

 心臓が高鳴る瞬間。

 ドクン、ドクン。

 俺は葵ちゃんの膝に近づきながら、心の中で、こう呟いた。

 (レディー、……ファイッ!!)


 戦いが始まった。
 俺はまず膝頭の付近に頭を乗せ、葵ちゃんを見上げた。

「?」

 葵ちゃんは見慣れた膝枕スタイルとの違いに、少し違和感を感じているようだ。
 ここはまず、その違和感からくる警戒心を解かなくてはなるまい。

「気持ちいいー」
 俺は不意にそう言い、葵ちゃんの反応を待つ。
 すると、葵ちゃんはぎこちなく笑いながら、
「そう、…ですか?」
 と言った。
「ああ。最高だ!」
 俺は満面の笑みでそう答える。

 もちろん嘘ではない。
 本心だからこそ、相手の警戒心も和らぐというもの。

 俺は畳み掛けるように、覗き込む葵ちゃんの顔を見詰める。

「先輩?」

 葵ちゃんは気恥ずかしそうに、視線を逸らす。
 だが俺は、構わず葵ちゃんを見詰め続ける。 

 その視線に気付き、また赤面する葵ちゃん。

 可愛い!

 可愛すぎるぜ、葵ちゃん!

「そんな初心(うぶ)な彼女に対し、一体俺は何をやっているんだ!」
 
 という葛藤が涌かないでもない。
 でも、ホンの一瞬。

 俺は葵ちゃんのことを愛しているが故に、戦いを挑んでいるのだ、とアッサリ自己肯定。

 さらに俺は高度な駆け引きを要求する。

「幸せだなぁ」

 え? ってな感じでこちらを覗き込む葵ちゃん。

「幸せだよなぁ」

 繰り返し言う。
 多少恥かしいが、それも止むを得まい。
 今の内、出来るだけ葵ちゃんの警戒心を和らげなくては、後にとって置いてある連続技に持ち込めな
くなってしまう。

「…私も、…幸せ…です」
 顔中を真っ赤にして葵ちゃんが俺の意見に同意した。

 その葵ちゃんの表情を見ただけで、俺は参ってしまった。
 このままでも、いいかも。

 だが、しかし、である。

 そんな葵ちゃんを困らせてしまうかもしれないんだよ、俺。
 やっぱり、漢(おとこ)として生まれたからには、進まなくてはいけない「道」があるんだよ。
 判って、欲しい。
 いや、葵ちゃんなら判ってくれると信じている。
 
 「道」は「道」でも、膝枕道だけど。
 

 そろそろ頃合だと思った俺は、葵ちゃんに呼びかけた。

「…葵ちゃん」

「どうかしましたか? 先輩」
 今まで春風に身を任せていた葵ちゃんが俺のほうを向く。

 俺はここぞとばかりに小さな声で、
「……」
 と言った。……の部分は恥かしいので、省略。

「?」
 葵ちゃんは狐に摘まれたような顔をしている。

「…ちょっと」
 俺はさらに葵ちゃんを呼んだ。
 不思議がっていた葵ちゃんが、釣られて俺の方へ迫ってくる。

 その瞬間を俺は、見逃しはしなかった。
 俺は颯爽と、葵ちゃんの身体のほうへ頭を回転し、潜り込んだ。

 決まった。

 俺の心の中の審判の2人が、旗を揚げた。
 しかし、残りの2人と主審は旗を下げたままだった。

「有効!」
 
 主審はそう判断を下した。
 しかし、有効といっても、俺の片耳は嬉しい悲鳴を上げていた。
 確かに有効だよな、と俺は思った。
 
「先輩!?」
 葵ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。

 言うまでも無いが、俺の片耳の上には葵ちゃんの胸がある。
 その柔らかな刺激が…
 嗚呼ぁ(エコー希望)、
 堪らない。

 いつまでもこうして居たいのは山々だが、返し技(?)を貰う可能性もある。

 すかさず俺はその心地よい圧迫を押し退けるように、次の技(逆回転)を試みる。


 次の瞬間、俺は葵ちゃんの胸の中にいた。
 顔中に広がる、柔らかで、ふくよかな圧力が、

 俺を、

 俺の心を、

 俺の全てを、虜にしていた。

 オー、イエス!!
 俺は叫んだ。もち、心の中で。
 
「一本!」

 心の中の主審も、副審も旗を揚げていた。
 一瞬の後、俺の会場はオーディエンスの歓声で溢れ返っていた。 

「「「 ワァァァァァァーーーーー!!! 」」」

 勝った!
 勝ったんだ!
 やったよ母さん。
 俺、勝ったんだよ!

 最近とんと(全く?)姿を見せない母親に、感謝する俺。
 ありがとな、お袋。生んでくれて、こんなに感謝したことは一度も無かったよ。


「あっ」
 敏感な部分を擦られてか、葵ちゃんが艶のある声を発した。

 感涙に咽(むせ)ぶ俺にとって、葵ちゃんの声は鬨(とき)の声そのものだった。

 そして俺は、勝利の美酒、とも言うべき、次の技を繰り出すことに決めていた。

「せ、せ、せ、せんぱぁーい!」
 戸惑う葵ちゃんを尻目に、今度は顔を太ももに向け、頬擦りを始める。

 さわさわさわ。

 瑞々しい葵ちゃんの太ももが俺の鼻腔という鼻腔を、頬という頬を刺激する。

 うむ。これぞ正しく勝利の味。
 頬擦りからの連続技、太もも「はむはむ」をしながら俺は強くそう思った。

「は、は、恥かしいです。先輩ーって、あぁぁぁ!!」
 
 そんな声を荒げて、俺の気を惹こうしたって、無駄だよ、葵ちゃん。

 今の俺に怖いものなぞ、なぁぁぁぁい。

 相変わらず、葵ちゃんを無視して、次の技「顔ふるふる」に滑らかに移行を続ける俺。

 うむ。実際、天才かもしれぬ。

 と自画自賛していると、葵ちゃんが無粋にも俺の背中をとん、とん、と軽く叩いた。
 

 だ・め・だ・よ。

 いいかい? 
 葵ちゃん、これは勝者の正当報酬なんだ、そのへんキッチリわきまえなくっちゃ!

 と、思った瞬間、

 ズドム!!
 
 と背中に鋭い痛みが電撃のように走った。

 ゲフォッ、ゲフォッ。
 思わず咳き込む俺。

 あ、あ、あ、葵ちゃん。
 い、い、幾ら何でも、今の肘鉄、シャレになんないんじゃ、って? 
 
 さらに両肩をムンずと掴まれ、起こされる俺。

 え?
 なに?
 なにがおきてるの?

 思わず思考回路が幼児化してしまう。

「「 ふじたぁー/ひろゆきぃー 」」
 異なった言葉が、同時に発せられた。悲しいことに、両方ともこの俺を指している。

(なんだ!?)
 と思いながら振り返ると、坂下と綾香が目を炎にして仁王立ちして、俺を睨下している。

 や、やばぁ!

「あんたら」と坂下。

「昼間っから」と綾香。

「「いい根性してるわねぇー」」
 と声を合わせて言いつつも、二人とも俺しか見ていないのは何故?

 っちょ、っちょ、ちょっと、お二人さん、喧嘩は止めて、話を聞いて、ってあぁぁぁぁ!!
 ね、今、目が「キュピーーーン!!」と星になって、って、
 あ、あ、あ、葵ちゃんもそんな照れてる場合じゃないって。
 
 って、

 う、う、うぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!!

 まるで背面跳びの選手のように、スローモーションで草原に倒れこむ青年。
 その前面には、目映い陽の光を背に、拳を高々と掲げる二人の女性の影があった。


 意識を失う寸前、

 「……試合に勝って、勝負に負けたんだな、…俺」

 そう呟く藤田浩之青年の声を聞いた者は、誰も居ない。                (了)