鬼咬鬼〜鬼喰う鬼 伍・阿片  投稿者:林 正英

鬼咬鬼〜鬼喰う鬼
伍・阿片

 私は当時、軍属にも関わらず日本軍、特に関東方面軍が嫌いだった。
 雰囲気が嫌いだった、と云う事もあるのだが、それよりも深刻で重大な理由があった。
 この頃になって従軍慰安婦の問題が上がっている。今と違い、当時には日本の柳町など、お上の認可が有る娼館がたくさんあった。満州国における大連、奉天、ハルピンなどの大きな都市にもご多分に漏れずそのような地区は存在していた。また、認可の下りていないそのような店も有り、戦前、戦中とはずいぶんと賑っていた。
 私も俗に「赤線」などと呼ばれるそのような場所に行った事もない、などと聖人君子面するつもりはない。政府によって保護されたそれらのような場所には、ただ春をひさぐだけではない、つまり「会話」「付き合い」などを売り物とする粋の良い姐さんたちが大勢いた。
 無論彼女らも言ってしまえば売春婦であり、公娼制度を正当化する理由とはなり得ないのだが、しかしそこには大人の付き合いがあり、彼女らからは多くを学んだ。
 実のところを言えば私にも馴染みのそういう女性がいたこともある。
 しかし娼館とはそんな店ばかりではない。むしろそのような場所は一握りであり、もっぱら男の性的な欲求の始末場所という、直截的なところの方が多かった。
 本土外においては特にそれが顕著である。公娼の中には兵隊よろしく徴収されてきた者が多くあり、その殆どは日本人ではなかったのだ。
 私が華やいだ場所にあまり行きたくない理由の一つではあった。行けば嫌でもそのような彼女らの姿が目に入る。日本軍さえ来なければ普通に誰かの娘として妻として、日々を送れたであろう女性達だ。
 もう一つ、当時の関東方面軍の収入源の問題があった。関東軍は様々な事業を興し、収入源としていた。だがその、最大の収入源こそが軍属の私をして軍を嫌わせる理由であったのだ。
 関東軍最大の商品は『阿片』だった。

 「鬼の調査」などという馬鹿馬鹿しい仕事をはじめて程なく、私は体調を崩し、軽い風邪をひいてしまった。どうもそれまで張り詰めていたものが抜けてしまったみたいで、気持ちの上では緊張感を保とうと努力はしていたのだが体は正直に反応してしまう。
 薬を買いに、人を遣らせても良かったのだが、なんとなくバツが悪かったのと、気分転換とを兼ねて朝方に自分で薬屋に行くことにした。
 同僚から聞いた良く効くという漢方の店を訪ね、葛根湯などを買った帰り道のことだった。店から出掛けについ不注意で人とぶつかってしまった。
「失礼」
 私はそう言って相手を見た。そしてぎょっとした。目の下に隈を作り、肺病病みのような色の白さが私を威嚇していた。
 年の頃は三十は過ぎていただろうが、不摂生の為に酷く年寄りにも見え、私とはさほど違わないようにも見える。薄汚れた人民服を着ていたが、どうにも馴染んでいないふうであり、日本人であるかも、と思った。
 だが彼は何も答えず、そのままふい、と今さっき私が出た店の中へと消えていった。
 私の視界から消える瞬間、顔が少し笑ったようにも見えたが、かと言って表情を緩ませたようにも思えないのが薄気味悪かった。
 その所作や様子は精神を病んでる人間のもののようにも思えたが、私はとりたてて気にも留めなかった。何故ならあのような注意力や意思力が欠如したような散漫な態度というのは麻薬中毒者には良く見られるものであり、ことこの大陸内では麻薬中毒者を見るのに困ると言う事はなかったからだ。
 阿片というのは芥子の実から採れる麻薬である。それには多くの植物性アルカロイドが含まれ、主成分はモルヒネである。モルヒネは鎮痛剤として医薬用にも使われるが、常習性のある麻薬でもある。モルヒネを含むそのような働きをする成分、オピオイドペプチドの「オピオイド」とは元来阿片(opium)のことなのだ。
 一八三六年、イギリスからの阿片の流入に対し、大臣であった林則徐がこれを押収し、焼却した事に端を発する「阿片戦争」は欧米の武力による亜細亜支配の恐怖を植え付け、
今だ江戸の世であった日本にも大きな影響を与えた。太平洋戦争における日本の唱える理想はそのような亜細亜の欧米支配からの脱却が含まれていたはずだが、結局百年も前のイギリスと同じ事をやっているのである。この一事を見ても日本の戦争に正義などあるわけがない。
 日本軍のしてるのが良い事とはからきし思わなかったが、しかしそのような人間があふれている現状には慣れてしまった。慣れると言う事は良い事でもあり悪い事でもある。日本はいずれこの事のツケを払うことになる、というのはわかっていたが、阿片中毒者への感覚が鈍化すると共にその認識も心の奥深くに沈んでしまっていた。
 だからだろうか、彼の事もふと心の底に沈んでしまい、その日の夕刻まで特に思い出す事もなかった。
 夕刻、憲兵隊から連絡があり私はまだ風邪気味の体をおして出かける事になった。住所を聞いて、ハテ、覚えのあるような、と思ったがそれが今朝方訪れた漢方店であることに気付いたのは現地に着いてからだった。
 昼には既に通報があったが、地元警察から憲兵隊に、そして私のところへと回ってくる頃には日が暮れていた。その頃には被害者の遺体も片付けられ、ただ生々しく散乱した店内を見るだけだった。
 私は今朝方見たはずの店主の顔を思い出そうとしたがついぞ思い出せない。袖触れ合う程度の縁とは云え、関わりのあった人間の死を悼むべきだ、と理性では思ったが心の働きがついてこなかった。私も薄情な人間だ、と自嘲気味に思った。
 店内の荒らされ様は、強盗が家捜ししたというよりは旋風が店内を過ぎ去った、と言うべきものだった。ただしこの旋風には大きな爪があったらしい。地面に人に荒らされぬように印のつけられたその旋風の「足跡」があったが、私の知っているいかなる獣のものともそれは違っていた。
 足跡から素人ながらに大きさを推定すると、身の丈は二米(メートル)を超えているはずである。大型の熊ほどもある。しかしそのような大型獣が、人目に触れることなく人家に侵入出来るのであろうか。いや、そもそも狭い戸口を破壊せず中に入る事すら不可能である。
 出入り口、裏口共に壊された跡はなかった。
 被害者は店主及びその妻。金銭を取られた形跡はないが、奥の棚に入っていたものが奪われた形跡がある。それが、素人が現場を荒らす必要もあるまい、と捜査に当たっている巡査から聞いた話である。
「奥の棚には何が?」
 近所住人などの話を聞くと、この店は秘密裏に阿片を扱い、一部の馴染み客に販売していたと言う。噂話であるが、それを聞いて私は今朝出会った男のことをはじめて思い出した。事件の起こったらしい時間とも一致している。だが…
 私は苦笑した。これは人間の仕業ではない。不可解な事件だが怪奇な事件ではない。
 私が笑ったのを奇妙に思ったのか、巡査が怪訝な顔をした。私は今日この店を訪れた事を告げ、その際にすれ違った男のことにも言及した。
「ああ、では証言にあった軍人とは、大尉殿でありましたか」
 どうやら近所の聞きこみから、私の事も探していたらしい。巡査は私に訪れた時の店の様子などを聞き始めた。私は思い出せる限り聞かれた事に答えたが、ふとまだ何か心の隅で気にかかることがあった。それはあの男のことであったのだが、何故かしらそれ以前にもその男に会ったような気がしていたのだ。
 しかしその事には触れず、再び忘却の彼方に沈んで行った。
 再度思い出すのはかなり後になってからのことであった。