『狂科学者の夢』Cryptic Writings previous 投稿者:日々野 英次 投稿日:6月28日(水)07時30分
「やぁ懐かしいな」
 研究所を片づけている時、それは出てきた。
 普段から物をため込んでしまう癖のある長瀬源五郎は、大掃除の度に粗大ゴミを出す。
 今回は、黄色い古びた外装のパソコンだった。
「主任、凄い物持ってますね」
 松浦が隣からそれを覗き込む。
「もしYachintoshだったら高く売れるんですけどねぇ」
 DOS/V派の彼だが、iYacの処理能力に惚れ込んでいるという。
 その辺研究者、それも数値演算マニアとしてはずせないという。
「馬鹿、こいつはそれどころじゃないんだぞ」
 自分の大事な子供を自慢するように彼は言う。
 その時の長瀬の表情は、まさに宝物を自慢する子供。
「安っぽいのは、これが自作だからだよ」
 えぇっ、と声を上げるのを機嫌悪そうに見つめる長瀬。
「何だよ、別に不思議じゃないぞ。昔はコンピュータと言えば電子工作のキットだったんだぞ」
「いったいいつの話をしてるんですか…」
「インテルのチップとモトローラのチップの競争とか」
「…じつは年誤魔化してません?」


 まだ大学生の頃。

 パソコンと言っても、今どこにでもあるようなあんなハイスペックな物ではない。
 今から考えれば、計算機に毛が生えたとしか言えない程度。
 でも、あの頃では、あれが精一杯だった。
 メモリーだってたったの4M、CPUに至っては今の100分の1にも満たない速度のCPU。
 それでも、憧れだったそのコンピュータを買った。
 目はもう随分前から悪くなってたせいで、丸い眼鏡をかけている。
 そのせいか、パソコンの前でキーを叩いていると妙に似合うと言われたことがある。
 まだまだ普及率の低い時代だった。
 その頃から、ずっとAIを研究していた。
「計算機で人の考えができるものか」
 海外では当たり前の話だった。
 テューリングテストというものをご存じだろうか?
 人間が出す質問に対する答えで、相手が人間かどうかを判別する事でAIの出来不出来を調べる物だ。
 最近では非常に高得点を出しそうな対話ソフトが出回っている。
 音声認識という点に加え、それに対する答えが『円滑なコミュニケーション』のように感じられればいい。
 よく考えてみれば良い。
 人間同士の会話でも、よく意味をとってみればかみ合っていない事がある。
 それでも会話はできるし、その内容は伝わる。
 むしろ意味がかみ合った会話というものはぎすぎすしているだろう。
 文法をとばしたような正しくない文章同士でも会話はできるのである。
 逆に言えば、そういう『不自然な』文章での会話こそが、コミュニケーションのように感じられるのだと言う。
 それだけに、コミュニケーションをとれるコンピュータを作れたら。
 人間の言葉に対して反応できるプログラムを作れるなら。
 それがAIの研究の始まりだったのかも知れない。
 少なくとも長瀬が『心』を組み立て始めたのはそれが始めだった。

「調子はどうだ?」
 短く刈り込んだ黒い髪、神経質そうな目つき。
 口調もどっちかと言えば刺々しい人嫌いの青年。
 友人を作ろうとしないタイプの男が、月島光三だった。
「まぁまぁかな。まだC言語、こなれてないところあるし」
 普及していない訳ではない。ANSI規格はすでに出来上がっているのだから。
 ただ、日本で扱うには『教科書』になってしまうのだ。
「そうか。だが俺はそれでいいと思う」
 月島はハードウェアに依存する言語を使用して制御している。
 言語、というよりはむしろ『操作するためのスイッチ』と言うべきだろうか。
 彼は自分の研究に必要だから、と言っていた。
「コンピュータ一つ一つに違う言語があるというのは、非常に不便だ」
「昔は全てそうだったんだけどね」
 どの機械でも機械に応じた『最適』な言語がある。
 それが手で触れるスイッチなのかどうか、それだけの違いである。
「ソフトを優先するか、ハードを優先するかだよ。共通の言語があればソフトが成長する。
では、汎用性のない特殊な言語はハードを成長させるか?」
「…俺はハードを作っているから思うんだが、あり得ない」
 長瀬は顎に手を当ててふん、と笑う。
 決して譲ろうとしない時、彼はこうして自分を一歩引いて語る。
 何か裏がある。
 月島はいっさい表情を変化させずに呟いた。
「しかし最終的にはそれぞれのハードに適した言語に最適化すべきなのだ」
「それでは全く矛盾していないか?」
「矛盾などしていない。パソコンのCPUの高速化はどうやって行う?
レジスタの叩き方を最適化する事で早くなるだろう?」
「逆だろう?ハードを統一する事でその垣根もなくなるんじゃないか?」
「だからといって画一化することで、ハードが成長しなくなるだろう」
 どちらも正しい事を言っている。
 ハードとソフトは常に車の両輪でなければならない。
 だからこの論争も結局は終わりはしない。判っていて二人は常に言い争っていた。
 それこそコンピュータが成長するきっかけでもあると思っているからだ。
 二人の大学での研究は結局、制御までやることになった。
 長瀬が気がついた時には結婚して、長瀬よりも後に卒業したらしい。
 特別に仲がよかったわけではない。らしい、と言うこと以外は知ることもなかった。


 やがて長瀬は就職口が決まり、大学を卒業した。
 来栖川重工開発研究部第7研。研究員としての入社だった。
 7研では機械制御のプログラムの作成が主な仕事だった。
 初めは簡単なオートメーションのプログラムから、やがてロボットの制御を始めた。
――月島がいれば
 僅かにそう思ったことすらある。
 まだ日本には単純な自動化機械しかなかったからだ。
 各ハード毎の特殊な操作を、一つのコンピュータで統合して動かせるようになるまでに1年かかった。
 そんな時、彼が入社してきた。
 月島光三との再会だった。
 来栖川重工に存在した『兵器開発部』、第8研究室に彼は配属された。
「今度新しいプロジェクトが開始されるらしい」
 彼は再開してすぐにそう切り出した。非常に鋭い目つきは一切変わっていなかった。
 むしろますますその切れ方は鋭くなっていたと言うべきだろうか。
 危険な――目つきだ。
 長瀬は何故か彼の表情に空恐ろしい物を感じた。
「恐らく明日にでも連絡が出るはずだ。既にうちでは研究が続けられているが」
「…何の話だよ」
「ロボットさ。そう、我々の『ロボット』が今度の研究の課題さ」
 長瀬にとっても、それは忘れらない日だ。
 来栖川重工だけではなく、来栖川財閥が全力を持ってロボットの開発を開始した日だった。

 月島は、どこで覚えてきたのか『微少機械』に関する技術を身につけていた。
 どんどん小型化を突き進めた彼は、彼のその姿は何かに取り憑かれた亡者のようだった。
 やがて携帯電話やMCM(Multi Chip Module)に活かされはしたが、彼の求める物にはほど遠かった。
 いつの間にか研究室内部で反目するようになり、孤立化していたらしい。
 定時で帰宅するようになり、だんだん目つきが怪しくなっていった。
 そしてロボットの兵器転用をトップが見限ったのを機に、彼は来栖川を去ったのだ。
 もうここにいる意味がない、そんな感じだった。
「お前に負けたんだ、長瀬」
 最後に会った時、彼は何の感慨もなく呟いた。
「ハードを突き詰めればソフトに勝てるはずだったんだ。俺はその終点を見た。
 電源を入れなくても、たとえば人間が脳細胞の一部が欠けても動くように。
 歯車の一部が欠けたとしても、時計が回り続けるように。
 電源もスイッチも、ましてや外からプログラムなど入れる必要はない。
 ハードの組み合わせこそがプログラムなんだ」
 目つきは、狂気に満ちていた。
 まるで、神に出会ったかのような…悟ってはいけない物を悟った顔つきだった。


「そうなんですか?」
 疑わしい目つきで松浦は若い主任を見る。
 確かにHM研究室主任ではあるものの、年はどう見積もっても30代だろう。
 どこでどうすればこんな古いコンピュータを持っているのだろう。
「ああ。『マルチ』の雛形はこいつで作られたんだよ」
「嘘でしょ?」
「ああ、嘘だよ」

  ずるぺた。

 松浦はあっさりした長瀬の答えに顔面を思いっきり机にぶつける。
「あ、あのねぇ…主任っ」
「はっはっは。そんなに勢いよく倒れる必要などないだろう」
 長瀬の物言いに、松浦は顔を自分の掌に押し当てて無言になる。
「これは大学時代の恩師が、記念にくれたんだよ。でも、これが私の研究の始まりだったのは確かですよ」
 そう言ってにっこり笑う。
「一つ一つの部品だけでは、コンピュータではない。スイッチの集合に過ぎない。
 それが、一つ一つきちんとくみ合わさってコンピュータってのが出来上がる。
 どれか一つが欠けたとしても、動かないようにできてる。そう聞くと不思議に思えてね」
 だが奴は違った。
 それは不完全だと感じていた。
 多少欠けても、それを補うように動くハードが欲しかったのだ。
 いつの間にか…彼はそれを手に入れていた。
「ふーん。そうですね、それも社会みたいなものですね」
「そうですかね?」
 違うぞ、松浦。
 社会の『歯車』は、たとえ一つ失われても動き続ける。
 いつ、誰が、突然欠けたとしても目的に向けて動きを止めることはないんだ。
「じゃ、これ捨てといて」
「って、大切な物何じゃないんですか?」
 またずっこけそうになるのをこらえて、何とかつっこみを入れる松浦。
 うん、良いキャラだぞ、お前。
「うん、大切だった物だけど、それに執着する気はないから」
 長瀬は、それでもパソコンをしまう手つきは決して乱暴ではなく、きちんと段ボールに詰め込んで封をした。
「誰か、拾っても使い道はないし」
「…そんなもんですか」

 粗大ゴミの日、その古いキットは捨てられた。
 が、数分もしないうちに拾われていったという。



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