迷い羊の夢 投稿者:日々野 英次 投稿日:4月2日(日)00時18分
 それ程遠くない未来。
 人間達は新たな存在意義を見いだそうともがいていた。



――いる
 暗い部屋。
 唯一の灯りは、南側に向いた大きな窓から差し込む月明かりだけ。
 耳が痛くなる程の静けさの向こう側から、張りつめた空気が漂っている。
 手に握ったパイソンがやけに冷たい。
 タンスに隠れて背を壁に付け、向こう側の気配を伺いながら雅史は大きく息を吸い込んだ。


 昨日。
 ある場所。
 ピザの看板をしょったスクーターが勢い良く停止する。
 後ろのトランクからピザの箱を取り出す。ホームパーティ用の大きなものだ。
 販売員は門をくぐった。
「すいませーん、ピザ・クラッシュです」
 はーい、と家の中から声がすると、少し大きめのドアが大きく開かれた。
「どうも、毎度有り難う御座います」
 そう言って彼はピザの箱を差し出す。出てきた女性は少しだけ眉を顰めて、首を傾げた。
「あれ、おかしいわね。一人分だけしか頼んでいないはずですけど」
 彼女の言葉ににこやかに応える。
「ええ、サービスですよ」
 そして、軽い金属音。
「鉛弾のね」

  銃声

 立て続けに響く銃声。
 パーティ用の大きな箱に幾つも穴が空き、白い煙が棚引く。
 いつの間にか箱の中に手をつっこんでいた彼は、箱からゆっくりと手を引いて箱を閉めた。
 そして何喰わぬ顔で死体に背を向けた。
 だが、その死体には。
 ただきな臭い匂いと穴が幾つか空いているだけであり、硬直した表情ですら生々しい色をしていた。

 玄関から走り去っていくスクータとすれ違いに、アンテナの耳を立てたメイドロボがその家に入っていった。
 彼女の目はスクータを追いかけるようにして向けられたが、販売員はそれに気がついていなかった。


 心のあるロボットが開発されてから10年。
 それは最初の罪だった。
 高齢化社会にメイドロボは歓迎されて受け入れられた。
 次々に開発されていったメイドロボは人間と寸分変わらない構造をした物もあった。
 小子化、出産率の低下から人間の代わりの労働力としても活用されるようになった。
 特に人間の姿をしている必要など無いのだが、インターフェイスが非常に扱いやすいという利点があった。
 だが。

 そのうち、それが犯罪に使用されるようになっていた。
 殺人を隠すための身代わり。
 始まりはそれだった。


――…人間か?
 いつも使っているM4は背中だ。
 ストックとバレルを短く切ってカウンターウェイトを仕込んだ特注のM4。
 サブマシンガン並に小さいM4が雅史のメインなのだが、特別な場合はこいつを握る。
 ウォルナットのグリップにも既に油の匂いが載っている。

  ぎしり

 僅かな床の軋み。
 闇の中では居場所を的確に教える物になる。
 最初の銃弾が闇を切り裂いた。
――わかっていたさ

  がん がん

 金属を叩くような発射音。
 おもちゃのような軽い音。
 雅史は闇を転がるように動き、家具や壁を楯にして銃口の火に狙いを定める。

  ばきばきばき
       ___
――今度はどっちなんだ


      ____
 確かに疑似人間達がすり替わっていることがばれることはなかった。
 殺人は初めは犯罪者達の手により行われた。
 しかし、それがいつの間にか連鎖的に広がり、彼らの存在が明らかになった時にはもう誰が人間なのか判らなかった。
 彼らが人間に対して『謀反』をおこしたのだ。
 自ら『ターゲット』にそっくりに作った『仲間』を用意し、『本物』を消す。
 それは食物連鎖の頂点が入れ替わったかのようだった。
 今、隣で弁当を広げているのが人間であると、誰も言い切れなくなったのだ。


 ここは雅史のセイフハウスだ。
 構造は完全に熟知しているし、逃げるのだって簡単だが。
 今命を狙っているのがどちらだとしても必ず地の果てまで追ってくる。
 自分もそうだからだ。
 なのであれば、むしろ…
――ここでけりをつける
 その方が有利だ。
 敵は今、二階の書斎辺りに逃げ込んだようだ。
 一階から伸びる階段は、手すりの部分が骨組みになっていて書斎からは丸見えになる。
 足音を忍ばせて階段を登る。
 トラップを仕掛ける暇など与える物か。
 引き金を引くのを躊躇してはならない。
――種の保存に反するのに…な


 たった一つの救いがあった。疑似人間は、同類を見分ける事ができる。
 それが『種の保存』のプログラムだ。
 いつの間にか暴走をしたこれが人間を駆逐しようとしていたのに、何故完全に駆逐しなかったのか。
 世界レベルで起きたこの現象は、彼らの『保存』の為に人間が必要だという結果を弾き出したのが原因だった。
 『種の保存』プログラムのために、彼ら自身――そう、疑似人間同士では殺し合いができないのだ。
 そのために人間を使用する。
 疑似人間は人間を殺すことができ、人間は疑似人間を殺すことができる。
 そのなかで現れた職業が『殺し屋』だった。


――何故人間は人間を殺すことができるんだろう
 『殺し屋』同士では無言のルールのようなものがあった。
 偽物を殺す時は容赦なく。
 『人間』がもしターゲットならば、それは『決闘』だと。
 唯一の問題は、彼ら偽物にも『人間を殺す殺し屋』がいると言うことだった。

  ひょう

 空気を割く音。
 頬に液体が垂れる感触がある。
――ナイフか?
 相当の腕前だろう。
 そうでなければ暗視装置をもっているに違いない。
 雅史は書斎が見える位置で一旦停止した。

 引き金に掛かった指が、緊張のあまり動かなくなる。
 ほんの僅かな意識の空白の時間。
 銃声は再び闇を切り裂いた。
 次々に吐き出される鉛弾に、壁の破片が舞い一瞬で廊下が霧に包まれたようになる。
 そして。
「そこだ」
 銃声。


 皮肉にも、人間は疑似人間によって新たに存在意義を与えられたのだ。
 自らを滅ぼそうとした物によって。


 つーんとした鼻に来る匂い。
 鉄の匂い。

 雅史は左手でM4を構え、油断なく敵に近づいていく。
 「奴ら」は外見こそ同じだが、中身はまるで違う。
 銃創はめくれた金属のようになり、死んでも肌の色は変わらない。
 連続的な発射音。続いてかちりというスライドストップの音。
 吐き出された黄銅の薬夾が床にぶちまけられている。
「…フン」
 雅史の足下には、金属の塊が転がっていた。
――そろそろ、ここも離れなければならないようだね


 依頼人も偽物、目標も偽物。
 時々、もしかすると自分は疑似人間でその記憶を失っているのかも知れないと思うこともある。
 でも、本当に誰が人間で誰が違うのかは判らない。
 もしかして自分の恋人も偽物なのかも知れない。
 言うまでもなく…自分も。

 セイフハウスに背を向け、車に乗り込んだ雅史はため息をついてハンドルを切った。


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