Cryptic Writings特別編(終幕 その1) 投稿者:日々野 英次 投稿日:3月21日(火)20時28分
 東京発、0856。乗り継いで午後二時過ぎに隆山につく。
 席番号を確認しながら、僅かにため息を付いた。

『この寝ぼすけ!いつまで寝てんだ!』
 留守電のスピーカー越しにたたき起こされて下宿を出たのが朝七時。
 仕方あるまい、切符を寄越したのは梓なのだ。
――判ってる癖に指定席を用意しやがって
 それすら彼女の思惑のように思えて、彼は苦い顔をした。
 席はすぐに見つかった。着替えの詰まったスポーツバッグを棚に載せて、彼は席に座った。
 隆山行きの最後の乗り換えの電車は恐ろしい込み具合だった。
 指定席しかないはずの列車にすら人が溢れている。
 いつものことだが、シーズンに出てきたのは初めてかも知れない。
 そう思えば、彼女の心遣いと思うべきかも知れない。
 それに――何事もなく、隆山行くのは久しぶりだ。


 親父の葬式の件。
 鬼の件。
 楓ちゃんが襲われた件。
 そして――今回。
 実際は何も無いわけではない。無ければ梓が切符を寄越すはずがない。


 思わずため息を大きく吐いて、がっくりと身体をシートに沈めた。
 どうせ、隆山は終点なのだ。

 電車が出てからしばらくうとうとしていて、後ろから車内販売のワゴンの声が聞こえた。
 ワゴンのビールを一本貰い、真っ昼間から煽る。
 こう書くと親父のようだが、『鬼』は酒と女にはめっぽう目がない。
 それに、こんな機会でもなければ昼から酒など呑まないだろう。
 別に構わないだろう。これぐらい。一足早い祝杯だ。
 ふと目を向けると人気のない田舎――良い意味での自然が広がっていた。
 錆びた鉄骨のみのビニールハウスが密集し、少し遠くに見える山には雪が残っている。
 時計を見れば、後30分程の時間が残っていた。
――一寝入りできそうだ
 と思う間もなく、回ってきた酔いのせいで彼はすっと気を失った。


「おめでとうございます、耕一さん」
 千鶴さんは顔色を変えなかった。
「うまくやりやがって」
 梓は立ち直っていた。
 耕一も、敢えて何も言わなかった。
「これで本当のお兄ちゃんだね」
 初音ちゃんだけ、素直に嬉しそうだった。
「…耕一さん」
 そして。


 耕一は楓と結婚した。


「幸せにな」
 梓が背中を叩いた。思いっきり。
 式場のすぐ外、耕一はトイレから帰る途中だった。
 側に他に誰もいないのを確認して近づいてきたようだ。
 今、彼女は悪戯好きな少年の様な表情を浮かべている。


 泣き笑いのような梓の顔は、それでも忘れられないだろう。
 思えば、勝手な話だ。
『何の話だよ、耕一』
 いつもの乱暴な口調も、震えていた。
『知らないよ、そんなこと。はん、のぼせるんじゃないよ。あたしが、何であんたなんかに』
 多分、それが精一杯の強がり。
 彼女達は姉妹同士で啀み合いたくなかったのだろう。これ以上こじらせても仕方がない。
 まるで型にはめられたように耕一はそれに従った。
 でなければ、梓が余りに可愛そうだから。


 彼女の言葉はどういう意味なのだろう。
 幸せになれ?
 幸せにしろ?
 どちらにしても、耕一は深く頷いた。
「また、どうせ隆山に来るんだろう?」
 そう。
 耕一は楓を連れて東京に向かう。まだ学生だからだ。
「就職口が…決まっているからな」
 しばらく沈黙。
 梓も何か言いたそうにしながら、言葉を紡ぐ事ができないでいる。
 結局、少し苦い表情を浮かべて彼女は再び耕一の背を叩いた。
「新郎がこんな隅っこでいつまでもいるもんじゃない。さっさと表に出な」
「…ああ」
 俺の方が引きずってるな。
 耕一は彼女の笑顔に負けているような気がして、彼女に苦笑を返した。

 挙式の後、彼らはそのまま東京へ向かう電車に乗る。
 14時過ぎの特急列車で、取りあえず帰ってからだ。
 楓にそう言って、見送りに手を振った。
 思えば色々な事があった。
 多分これからは人並みの生活が送れるんじゃないかと思っている。
 人並み以上に幸せな生活かも知れないし、仕事だって相応に大変だろう。
 でも、彼女は必ず守って見せる。
「…楓ちゃん」
 彼女は静かに寝息を立てていた。
 僅かに笑みを浮かべ、自分もシートに身体を沈めた。

 もう二度と、あんな目に合わせるものか。


 昨晩遅くに降っていた雪が、畑を白く埋め尽くしていた。
 雲の切れ間から覗く太陽の光を受けて、トンネルから出た列車に白い光を投げかけていた。
 

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