Cryptic Writings Intermission 3:一ヶ月 投稿者:日々野 英次 投稿日:3月12日(日)23時02分
 張りつめた空気。
 押し殺した気配が、闇に溶け込んでいるかのように静かで。
 呼吸音さえ――彼を除いて――彼らには聞こえない。
 一人は扉の端に張り付いている。
 もう一人は、扉の真正面で銃を構える。
 その後ろで立つ男が、ゆっくり腕を差し上げる。

  どん

 白く切り抜いたような場所に映える人影。
 やがて、かちかちという接点を叩く音が聞こえる。

「…ち」
 舌打ちをして男達は明るくなった部屋を見回した。
 コンクリうちっぱなしの部屋。
 まるでそこには誰も住んでいなかったかのような、埃しかつもっていない部屋だ。
「またやられましたね」
 柳川は悔しそうに呟いた。

 柳川達は、先の事件の解決のために現在都内の警察署勤務という事になっていた。
 『鬼塚殺し』の捜査は一向に進展を見せなかった。
 するはずもない。
 犯人は分かっているのに、令状が間に合わないと解った時はどうするべきか迷った程だ。
 連絡事務手続きが『1週間』では間に合わないのだ。
 さらに奴らが立てこもった物件が抵当に入っており、所有者などの都合で
 法的にもデリケートで複雑な状態が続いていた。
 来栖川と、米国のある会社。
 現在ではまだどちらの物件でもなくどちらの物件でもあるという不安定な状況だった。

   『1週間だ。我々にはそれだけ期間を与えてくれればいい』

 あいつの言葉通りならば、間違いなく1週間で跡形すら残さずに消え去るだろう。
 結局、その間彼らは殺された鬼塚の足取りを探っていた。
 鬼塚忠広、26才。柳川とは一年違いで警部補に昇任している。家族は妻一人。
 千葉県警所属、仕事の関係で東京都内へ出向するはずだったという。

「…柳川、お前、コンピュータ分かるか?」
「何の話です?」
 収穫もなく結局署に帰る際、長瀬は柳川に聞いた。
 首都高を流す白いシルビアの車内。
「いや、よく考えれば俺達は無謀なことをしてるんじゃないかってね」
 ソケットを引き抜いて、煙草に火を付ける。
 車内にむっとする煙が立ちこめる。
「…エアコン、入れますよ」
 柳川は空気清浄機を入れたエアコンのスイッチを弾いた。
 長瀬は嫌そうな彼を見てくくくと笑う。
「それで、何ですか?」
「ああ。…いや、相手はコンピュータを味方に付けているから…こんな古い手段じゃ捕まらないんじゃないかってね」
 ちらと長瀬の横顔を盗み見る。
 いつもの飄々とした表情だ。感情など見抜けるはずもない。
「まだおっしゃる程あれですよ。ネットワークも発達してませんよ」
「でも今回にしてもどうだ?ほんのわずかでもコンピュータを利用している部分を介せばいいんだぞ?」
 確かに。
 柳川は唇を噛んだ。
 隆山で、署がセリオ型に襲われた時もそうだ。
 彼女は署の監視カメラを全て破壊していた。
 セリオというコンピュータを介する事で、あっさりと出し抜かれた。
――…奴らに…
 ぎりっと歯ぎしりして、彼は何とか感情がむき出しになるのを我慢する。
「まだ、奴が…あれから人を殺していないのが唯一救いですね」
「…そうだな。ああ、そこの信号を右に」
 赤信号で車を停車させると不意に彼は言った。
「え?」
「飯だよ飯。もう良い時間だぞ?」
 長瀬は少しだけ悪戯ぽく笑って見せた。

 小さな中華料理屋。中国人が経営していて、値段の割に量が多く美味い。
 ランチのセットを二つ頼むと、グラスの水を少しだけ傾ける。
「ま、今日は仕方ないさ。…ところで、明日から鬼塚の方に回ってくれんか?」
 気軽に声を掛けるように、彼は言う。
 こういう時、長瀬は必ず何かを考えている。
 隆山で仕事をしていた時から彼の一挙一動を見ていたからこそ分かる。
「何を考えてるんですか?」
 長瀬はにやっと口を歪めると、ふふんと鼻で笑った。
「なんだ。お前も大分分かるようになってきたな」
「そりゃ、これでも結構一緒に仕事してますからね、先輩」
 口の中でくぐもった笑いをすると、長瀬は肩を竦める。
「んー、それもあるんだが…柳川。情報は多い方が良いだろ?まだ彼女には会っていないし」
 彼女、とは鬼塚の奥さんの事である。
「足取りを掴むのは基本だからな」
 先刻まで『こんな古い手段じゃ捕まらないんじゃないか』とか言っていた癖に。
 柳川は苦笑した。
「はい。分かりました」

 鬼塚警部補の自宅は、千葉県のはずれにある。
 東京から車でも一時間ぐらい。以外に近い場所に彼の家はあった。
――ここか
 こじんまりした家だが、自宅を持つという事はそれなりに資産があるはずだ。
 彼はふと給料の事が頭について苦笑した。
――公務員の安月給でこんな家を持つの何て、いつになるやら
 ため息をつきながら彼は呼び鈴を鳴らした。
『はい』
 案外可憐な声が聞こえた。
 年は実はかなり若いのではないだろうか。
「すみません、警察の者ですが、少しお伺いしたい事があるのですが、ご都合はいかがでしょうか」
 しばらくの間。
 小さな足音がして、玄関の扉が開かれる。
――!
 そこに立っていたのは、セリオだった。
 一瞬右手が痙攣したように動くが、彼女はそのまま扉を大きく開いて立ち止まった。
 先刻の声も、彼女だろう。
「…刑事さんですか」
 玄関の向こう側から女性の声がする。
 機械的な音がして、車椅子が姿を現した。

 柳川は自分の表情に現れていなかったかどうか、僅かに心配した。
 彼女が半身不随だったからだ。
「事故で、右半分の身体が動かなくなってしまって」
 僅かに表情が引きつっている。
 柳川はセリオの入れたコーヒーを飲みながら、鬼塚がどういった感情を抱いていたのかを想像した。
――…今の…耕一みたいなものか
「あの人がいなくなってしまってから生活が不便で。来栖川のメイドロボを購入したんですよ」
「はぁ」
 やはり資産があるのだろうか。
 柳川は余計な勘ぐりをする自分に少し恥じ入りながら、早速質問を始めた。
「…あの人、ですか」
「はい。現在私が担当して、事件を追っています。
 まだ鬼塚警部補の足取りすら掴めていなくてですね、できれば最後にここを出た時の事を聞きたいのです」
 彼女は少し考え込むような表情を浮かべる。
 僅かに動く左腕を口元に当てて。
「ええ、確か…はい、出ていく時に嬉しそうに『帰ってきたら楽しみにしてろ』って言ってました」
「心当たりは」
 彼女は柳川に目を向けて頷く。
「多分私の義足の事だと思います。あの人、私のためにお金を貯めて、義足を買ってくれるって言ってましたから」
 そして僅かに寂しそうに笑みを作る。
「でも、結局そのお金、葬式とあのメイドロボに消えましたけれども」
 急速なロボット工学の発達が、義肢の世界にも変革をもたらしていた。
 人間そっくりな義肢は勿論、人工臓器も十分使用に足るレベルにまで達していた。
 但し、その値段は破格なものだ。
 従来の義肢に比べ、10〜50倍もの値段のものまである。
「義肢…ですか。ところで警部補がここを出られた時刻とか…わかりますか?」

 柳川が署について報告をまとめていると、部下が書類を持ってきた。
「これですね。CYBER-NAUTS社。昨今の医療機器メーカでは異例の成長を遂げています。
 本社は米国、日本には日本CYBER-NAUTS社がどちらかというと代理店的な存在としてあります」
 サイバーノーツ。『機械化の先駆者』とは良く言ったものだ。
 柳川はレポートを無言で受け取って、目を通す。
 CYBER-NAUTS社。本来医療機器メーカではなく、ロボット工学を専門としていたらしい。
 前身は米軍のファームで、その技術者の一部が築き上げたらしい。
 業界筋では来栖川のメイドロボよりも義肢として優れているという評判である。
 ただし来栖川は、義肢を操る本体を作る技術があった。
 結果、メイドロボを世界で最も早く市場へと流出させたのだ。
 CYBER-NAUTSは即座に方針を転換。医療機器へと手を伸ばした。
 来栖川の義肢より精巧で丈夫、確実な動きをするという玄人からの評判のお陰で今も持っているという。
 義肢としてのインターフェイスの技術は来栖川よりも上と言うことだろう。
――成る程ね…
 鬼塚は奥さんの為にこの義肢を買ってやるつもりだったのだろう。
「御苦労さん。仕事を続けてくれ」
「はい」
 部下が帰るのを見て、彼は再び今日の報告書類を見直しながら彼女の話を思い出していた。
――…?
 メモを見ながら彼は眉を顰めた。
 慌てて書類を並べ、今日の事情聴取と見比べる。
――…!
 おかしい。
 明らかにおかしい。彼の出張の命令と彼が経った日付がおかしいのだ。
――一日…ずれている
 早く家を経つ理由が彼にあったのか?
『帰ってきたら楽しみにしてろ』
 柳川はCYBER-NAUTS社のレポートを見て唸った。
――もし俺が…いや…
 耕一なら、どうするか。
 もし楓が蘇る手段があるとするなら。その金も、何もかも手元にあるならば。
 レポートをひっつかむと彼は席を立った。
 時計を見れば、まだ昼過ぎだ。
「ちょっと出てきます」

 日本CYBER-NAUTS社も千葉県にある。
 ただし、東京とは反対側に位置し、鬼塚の家からでも3時間以上はかかる。
 片田舎、といった感じの民家すらまばらな土地に、ぽつんと白い建物が見える。
――場違いな雰囲気があるな
 彼がぽつりと漏らした感想どおり、近代的で無機質なその建物は、異常に浮き上がって見える。
 直接車で入れるような場所ではないが、すぐ近くにいくらでも車を止められるスペースがあるのは助かる。
 彼はすぐ近くに車を止めて、ビルを見上げた。
――…業績はNo1のメーカー…ね
 硝子の自動ドアをくぐり、受付に警察手帳を見せながら名乗る。
「警察の者です。少し聞きたいことがあるんですが…10分ばかりよろしいですか」
 受付の女性は『警察』という言葉に緊張の色を見せた。
 一般人の反応だ。何もしていなくても通常警察に対して『怯え』に似た感情を抱く。
 これが『熟達した』犯罪者なら逆だ。
 また、嫌悪感を持つ人間も少なくあるまい。
――まぁ、仕方のないことだ
「はい、どういった御用件でしょう」
「…ここでは義肢を製造販売していると伺ったのだがですが、ここで直接注文できるのですか?」
 いきなり会社の方に来たのだ。
 鬼塚なら、『義肢を買いに来ているはず』なのだから事務所に顔を出しても仕方がない。
 いきなり現れた程度で鬼塚の『注文書』みたいなものまで出してくれるとは思えない。
 ならば、という考えだ。
「はい。我が社では製造を海外で行い、日本国内では注文のみを承っています」
 ビンゴ。
 彼は素早く鬼塚の家を出た日を受付に言うと、鬼塚の写真を出した。
「…ああ、この方なら、はい。その日にここに来ました」
「できれば彼の様子とかを聞かせて貰えないか」
 受付は彼の顔を覗き込むような顔を見せると、僅かに頷いた。

 義肢は各人ごとに調整して作られる。
 ただそれだけでは非常に高価な『カスタムメイド』になってしまう。
 CYBER-NAUTSはそこに目を付けた。
 『フレーム』と呼ばれる骨組みは非常にタイトに、正確に作成された量販品を使用。
「インターフェイス部分を各人の体に合わせて作成しているんですよ」
 男は自分の説明に、そう付け加えるようにして言った。
 鬼塚担当の、『技師』だ。
 ここでは注文を受ける人間は各客に合わせて一人つくようになっているらしい。
「鬼塚さんの話でしたね。確かにその日に伺っております。…んー、特に変わった様子とかは」
 彼は若干の笑みを浮かべて、人差し指を立てて見せる。
「嬉しそうでしたね。『出張が終わったら、妻を連れてくるから』って」
「…そうですか」
 呟きながら柳川は暗い気持ちになるのを自覚していた。
 自分の周りには、そんな人間がいない。
 普段は気にしないのに、それをほんの一瞬でも感じて彼は胸が重くなるのを耐えた。
「あ。…」
 男は急に眉を顰めて神妙な顔つきをする。
「刑事さん。あまり…関係がないかも知れないんですけど」
「はい?」
「その二日ぐらい前でした。丁度、鬼塚さんが来られる日を確認する電話があったんです」
 柳川の眉が若干吊り上がる。
 手早くメモにペンを走らせる。
「先刻も御説明しましたけど、私達は個人毎我々のような人間がついて『カルテ』を作成します。
 ですからお客様の方から必ず指名して戴くようにしているんですけど」
 客は担当の人間を指名せず、結果彼とは別の人間が電話を受けたらしい。
――大したことではないかも知れない
 はっきりした証拠にもならないだろう。
「分かりました。どうも、お忙しいところ、ご協力有り難う御座いました」
 型どおりの挨拶をして、柳川はそこを離れた。


 解っている。
 奴には戸籍すらない。
 奴の存在は、この日本国から出生と同時に抹消されている。
 それを知った時、彼は笑う事すらできなかった。
 裕は殺されていたのだ。『母』によって。

 自分を育ててくれた母は、裕を殺したのだ。
 正確には殺した事になっていたと言うべきか。
 親父である柏木耕平…奴の目を避けるために、奴の目を逃れるために『双子』を利用したのかも知れない。
――…そんなことをおくびにも出さず
 母親は、耕平の恨み言だけを柳川に残した。
 奴は柳川を恨んでいるのだろうか。
――どちらにせよ…奴は全てを食い物にできる…する人間だ
 そんな人間が、どうしてわざわざ鬼塚警部補と入れ替わったのか、だ。
――刑事の振りをして…
 余りに無茶な相談だが、簡単に事件をもみ消すには確かに内部犯行の方が容易だ。
 僅かな期間であれば、直接自分で消してしまえばよい。
――という事は、東京で何かやっていたはずだ
 刑事という身分を使えば、結構犯罪が可能である。
 すれすれの事も、容易にできる。
――しかし、それだけのリスクを負う
 いや。
 自らそれを望んだとは思えない。
 もし奴の残した言葉が正しいのであれば、鬼塚を直接下したのは彼でない可能性が高い。
 博士か?いや、それはあり得ない。
 一つだけ、有力な仮説がある。
――…やはり、奴の裏に何かある
 ある組織に糸を引かれているだけだとする仮説だ。
 それはかなり巨大で、個人の抹殺など虫を殺すよりも簡単に行える組織。
 これからまだ、かなりの犠牲が出るかも知れない。

――それでも俺の『鬼』を、俺は仕留めなければならない

 太陽は傾き、柔らかい日差しの中で冷たい空気は頬を切り裂くような冷たさを湛え。
 そして、今世紀は終わろうとしていた。


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