Cryptic Writings 第4話『捜査』  投稿者:日々野 英次


前回までのあらすじ
  通り魔事件には薬が絡んでいた。
  取り調べでは何の情報も得られなかった柳川は、偶然梓を助ける事になる。
  だが、倒れたはずの男達に襲われかかったところを、耕一の乱入に助けられる。
  そして、柳川は耕一にある頼み事をするが…
  


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Chapter 1

主な登場人物
 柳川祐也
  26歳。若干ネクラ気味。

 柏木耕一
  20歳。一度思いこんだことには一生懸命になれるが、他のことが目に入らなくなる。
     猪突猛進ではないが、結構鈍感な男。

 柏木 梓
  18歳。恥ずかしがりやで、以外に耕一に乱暴なのはそのせいかも知れない。
     

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 耕一が帰りついたのは八時を回ろうかという時刻だった。
「ただいまー」
 すると、床を踏みならして――いや、駆け足で廊下を走ってくる足音がした。
 彼の帰りを待ちかまえて――いや、待ちわびていた彼女だ。
 梓は形のいい眉を吊り上げて、ただでさえ険のある顔に刺々しい表情を浮かべている。
「遅かったな耕一」
 彼女のその態度を見て、彼は柳川の言葉を思い出した。
『尻に敷かれそうだな』
――全くだ…
 梓は腰に手を当てて耕一を見下ろすように見つめている。
 梓は結構背の高い方だ、と言っても耕一程高くはない。
「飯できてるぞ。さめないうちに食べろよ」
 相変わらず乱暴に言うと、彼女はふんと鼻で笑って耕一に背を向けた。
 居間には食事が用意されていた。
 三人分。
 梓が食べていなかったのはともかく、初音ちゃんも食べていなかったのか?
「どうしたんだよ」
 梓が耕一の真正面に座ると、顎で耕一の席を指した。すわれ、と言いたいのだろう。
 相当頭に来ているのだろうか?
 俺が何をやったんだよぉ。
「いや、初音ちゃんも食べてなかったのか?」
 梓は僅かに怪訝そうな表情をするとまた鼻で笑う。
「そーだよ、耕一が来るのを待ってたんだよ」
「私はお兄ちゃんが折角来てくれたから、一緒に御飯を食べたくて」
 にっこり笑いながら初音ちゃんが言ってくれる。梓とはえらい違いだ。
 食事中、梓が睨んでいるので味わう余裕がなかった。
 何か言いたいんだったら言えばいいじゃねえか。
 耕一の思いもむなしく、食事中あのつり目で睨み続けていた。
「ごちそうさまでした」
 重苦しい食事が終わり、耕一は二人がいそいそと食器を片づけるの見ていた。
――別に…悪いことしてる訳じゃないから、睨まなくてもいいだろうに…
 ある程度片づくと、初音は耕一にお茶を持ってきた。
 耕一がそれを受け取ると、梓が台所から顔を出して言う。
「初音、大事な話があるから…ちょっと席外してくれない?」
 初音はそれに気がついていたのかもう部屋の入り口に立っている。
「うん、いいよ梓お姉ちゃん。私部屋に帰ってるから」
 にっこり笑って消える、最後の望み。
 …って、何も悪いことしてないじゃん!
 梓は片づけを終えると居間に戻ってきた。
 耕一の前に卓を挟んで座ると彼女は不満そうな顔のまま言った。
「…さて、それじゃ教えて貰おうか」

「柳川警部補、まだ完全ではないですけど、昨日頼まれた薬の解析結果です。偶然ですが…」
 矢環だ。
 彼は言いながら書類を柳川に提出する。
 柳川はたった一枚のレポートを見ながらフム、と顎を撫でた。
「以前から追っているEden's Applesに良く似ているんですよ」
 柳川はレポートから顔をあげて矢環の顔を見る。
「似てる?…構造か?」
 彼は首を振って否定する。
「それもですけど、こいつ効果がそっくりなんですよ」
 どうやって仕入れてきたのか分からないが、
 Hysteria Heavenの効果はどうやらEden's Applesと変わらないらしい。
 それも、ベースに使用するものがLSD系の幻覚剤であり、
 過剰服用による意識の低下がない事が特徴だという。
「…お前、試した訳じゃないだろうな」
「まま、まさかっ、何言ってるんですか警部補!」
 思わずかっとなる部下に、柳川はくっくっくと含み笑いをする。
「冗談だ。…だがお手柄だな、つまりは同じ場所から流れている可能性が高いな」
 以前の薬に改良を加えたという可能性である。
 通常レシピは作った人間にしか分からない。だから、それを改良した物も、同一犯の可能性が高い。
「はい。恐らく同じブローカーが同じルートで流してます」
 柳川は目を細めた。
――貴之…
 あの日以来、彼の中の鬼は表に出ようとしない。意志である程度自由は利くが、
 事件のショックだろうか、完全に鬼化する事はまだままならない。
 そのせいで昨夜は少し後れをとった。
 たかが、あんな出来損ないに。
「しかし妙なんです。両方の薬ともあんまり有名な薬じゃないんですよね」
 薬に有名も何もないと思うかも知れないが、たとえば『スピード』と呼ばれる薬は、
 恐らくドラッグパーティでは最も有名だろう。これもカクテルの一種である。
 また重曹にコークを混ぜた安価な『クラック』と呼ばれる薬なんかは
 アメリカでは小学生でも買えるという事で問題になった。
 ちなみに日本で売られているスピードはクラックである可能性が高い。本来スピードは蒸気吸入では使用しない。
 だが、薬の種類というのは何千とある。カクテルまで含めればそれこそ星の数あるのだ。
「オリジナルの調合…じゃないのか?」
「基本的にその線で捜査を進めてますけどね。今までに日本に『持ち込まれた』事はあっても、
 『作られた』事ってありませんでしたよね」
「あ、ああ。俺も輸入したものと思っていたんだが」
 部下は頭を振る。
「それがどうやら国内製品のようなんです。柳川警部補が昨日手に入れたあれが最大の証拠、ですね」
 印刷されたラベルに書かれている文字は全て英語だったが、紙とインクである程度判別したらしい。
「海外ではあまり使われていないものですね」
 通常製造工程でパックする際にラベルを貼る。
 わざわざ輸入してきたノンラベルの包装紙に、日本でラベル貼りをするだろうか?
 それも、わざわざ英語で印刷など。
「…そうだな」
 気のせいか、柳川の目が薄く赤く染まったように見えた。
「矢環、地図を持ってこい。馬鹿、隆山の全図だ」
「はい」

 耕一が頼まれたのは『おとり捜査』だった。警官ではなく、普通の人間よりは安全な男。
 柳川の言った理由は、だがそれだけではない。
「…じゃ、柳川っていう刑事の話はいい」
 柳川については結局詳しいことを言及しなかった。ただ、『鬼の血』を引く事だけは伝えた。
「いつ『鬼』に目覚めたんだ」
 その時の梓の表情が印象的だった。
――まさか、あいつがね…
 柳川が耕一に頼んだもう一つの理由。
『鬼の血を引いた人間が、関わっている可能性がある』
 まだ柳川の勘でしかないが、薬と鬼が大きく関わっている可能性が非常に高い。
 だから、それが分かる人間でなければならない。
 耕一には『薬』も『鬼』にもあまり興味は沸かなかった。
 人助けという義憤だけでは、彼は動く気にはなれない。
 だが、違う。
――楓ちゃんのため
 今更彼女を刺した犯人を責めても、彼女は帰ってこない。
 そんなことは百も承知だ。
 原因になった薬をつきとめても、彼女は帰ってこない。
 分かっていても、動かざるを得なかった。
 祖先である次郎衛門が、エディフェルの愛に応えたように。
 現場には鬼の匂いが残っているのだろうか?耕一にはまだよく分からない。
 確かに普通の人間の中にはいくらか鬼の血を持つ者がいる。何故か、分かる。
「…ふう」
 耕一は自動販売機のジュースを飲みながら大きく息を吐いた。
 昨晩、あれから色々と『尋問』された。
 結局柳川についてはあまり語るつもりになれなかったので、鬼への目覚めについては適当に濁した。
 今の梓には、どちらにせよあまり良い話題ではないだろう。
「…そうか。じゃ、何にも心配いらないんだね」
 梓はそれまで険のある表情を浮かべていたのに、急に安心した表情を見せた。
 時々こいつは勝手な思いこみをする事があるので、敢然とそれを否定してやらねばならないのだが。
 このときばかりはそうも言えなかった。
「よかっ…」

  ぽろ

 両目に涙が溢れる。
 片手で額を押さえるようにして涙を堪えるが、
 らしくないことにそのまましばらく泣き続けるものだから、どうして良いか分からなかった。
 何かこっちが悪い気がして、ものすごくばつが悪く感じたが実際には違った。
「耕一は、いなくなったりしない」
 たしか、涙声でそんなことを言っていたようだ。
 今まで溜まっていたように卓に突っ伏して泣き始めたせいで、
 いまいち何を言っているのか分からなかったが。
 それを聞いて納得した。
 と、同時に、卓を挟んでいて良かったとも思った。
 考えれば自分達の両親、俺の父親を『鬼』の血のせいで失っているんだから
 ――知らなかったとは言え――俺が鬼の血に目覚めるのが心配になるだろう。
 特にこいつとはつき合いが長い。
「泣くなよ。な?何かお前を虐めてるみたいじゃねーかよ」
 いや、その時は多分考えなかったんだろう。
 梓が泣くなんて事態に遭遇したことに動揺していたんだろう。
 何とか泣きやませようとして側に行ってしまったのだ。
「ごーいちーぃ」
 背をさすろうとすると思い切り抱きつかれたものだからたまったものじゃない。
――いや、あれは本当に死ぬかと思った
 梓に『依頼』の事を話した時には流石に難色を示したが、楓の名前を出すと黙り込んでしまった。
 あいつらしくない…いや、梓にも女の子らしいところがあるらしい。
 苦笑しながら缶をゴミ箱に捨てる。乾いた金属の音を立てて、ゴミ箱の中を転がった。


 
  ぴぴ ぴぴ ぴぴ

 携帯の着信音。
 柳川は背広のポケットに入れた携帯を出してアンテナを伸ばす。
「はい柳川です」
『柳川?耕一だ』
 この時間、通常柳川は自分のマンションにいる。今回の部署が楽だという意味ではない。
「…ああ、何だ」
『今日は収穫なしだ…柳川』
 耕一は一息ついて、少し躊躇うように言葉を継ぐ。
『俺は…』
 ふっと電話口で笑う。
 そう言えば、何故『通信』できるのに、使おうとしないのか。
「耕一。何もできない事が当たり前だろう?別にそれは恥じゃない」
――使う訳ないだろう?どっちの心も筒抜けになってしまう
 沈黙。どうやらこちらの言葉を待っているようだ。
「…すまなかったな。明日は楓の病院にいかねばならないんだろう」
『いや、いい。…夜過ぎにでる』
「わかった。気をつけろよ」
 無言。
 ぷつという音と共に電波は途切れた。

 そんな感じで数日間特に対した進展もなく捜査は続いた。
 柳川は完全な薬の成分の解析が終わったのを確認し、隆山中の薬の出所を、地図と足で探していた。
 耕一は二日おきに柳川に言われた付近を回り、何もなかったことだけを報告していた。
 実際にやばそうな店なども回ってみたが、見た目だけだったり、ちょっと従姉妹に話せない店だったりした。
 夏とは言え、もうとっぷりと日が暮れている。今彼は『元殺人犯』が死体になって上がった現場にいた。
 これで三つ目の現場だった。だが、今までは何も残っていなかった。
 しかし、現場を離れようとした時、視線を感じた。
――つけてきている?
 妙な気配がうろつき始めたのだ。

  どくん

 僅かに、意識的に鬼を開放する。もし相手が鬼であれば必ず気がつくはずである。
 気配がはっきり感じ取れるようになる。相手は…
――一人?いや…
 曖昧だ。今までに一度も感じたことのない気配。
 感触。
 もしかすると気配を隠蔽する術、隠形ができるのかもしれない。
 彼は気取られないように路地の方へと歩き始める。
 現場は住宅地から数十分の距離にあり、十分に物静かな場所だ。
 あとは目に付かない場所を選べばよいだけだが。
――もしかすると俺の方が追いつめられているのかも知れないな
 冷たいものが胸を這い上がる。
 何故か、出発前に見た梓の顔を思い出した。
 気配の動きが止まる。
 気づかれたか?
  耕一は慎重に気配を探る。迷っている風ではないが。
 もう少し先にいけば路地の壁を利用して視界を遮ることができる。
 そうすれば、不意をついて闘る事ができる。
 何喰わぬ顔で彼はその角を曲がった。
 距離は200m。
 通常なら、尾行には気づかれないはずの距離だ。相手がプロであろうと。
 耕一は足を止めて相手の出方を窺う。角から顔を出すへまなどしない。
 相手は足音をさせずに近づいてくる。

  ばき めきめき

 耕一は鬼の力を開放した。
 ズボンとシャツが内側から膨れ上がる筋肉により僅かに膨れる。
 再び気配が動くのをやめた。
――まさか?勘づかれた?
 できる限り気配を殺し、壁に身を潜めているのだ。
 その気になれば姿を完全に隠してしまう『擬態』の能力も忘れてはならない狩りの能力だ。
 鬼の力を開放しているとは言え、相手に気配を悟られているはずはない。
  だがやがて気配は離れていった。


  ぴぴ ぴぴ ぴぴ

「悪い」
 柳川はまだ署内にいた。
 残業である。
 地図とのにらめっこだけでは余りに調べる規模が大きすぎるために、少しでも仕事をせねばならないのだ。
「いいですよ」
 矢環も当然のように残っていた。
 廊下にでて、彼は携帯の通話ボタンを押した。
「はい」
『柳川、尻尾を出したぞ』
 耕一からだ。
「何?」
『今俺を尾行していた奴をつけている』
 抑揚から、僅かに興奮しているのが分かる。
――『鬼』の力を使っているのか
「今どの辺だ」
『…暗すぎて方向が分からない。が…奴は中心部に向かってる』
「分かった。しばらくしたら又連絡してくれ」
『ああ』

 それから数分後。
 耕一の電話は、轟音と同時にかかってきた。
 慌てて携帯電話を取った柳川の耳に、ほとんど同時にその音が聞こえた。
『柳川、だめだ、警察署に…』

  ずどん

  じりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり

 状況を理解するより早く、柳川は音のした方に向かう。
 どうせそこには耕一がいるはずだ。

 署には留置所が併設されている。そこには通常酔っぱらいや取調中の犯罪者がいる。
 もしこれが脱走劇なら派手なものだ。
 どうせ中に拘置されているのは軽犯罪者、長くとも一年もない者ばかりだ。
 逆に酷い年数になって彼らの身に降りかかるだろう。
――何が狙いだ?
 柳川の周囲は先程の警報でもう騒ぎ始めている。
 本当なら彼らの指揮を執るのが仕事なのかも知れない。

  ごぉおおお

 血が音を立てて流れる音が、自分の耳に聞こえる。
 心音が、まるで耳で脈打つように熱くなる。
 『内』から声は聞こえない。
 久々に『血の衝動』を覚えたのに、『人間』である自分の意識が高揚している。
――どうやら、完全に鬼を支配しているようだった。
 影のように署を飛び出して、柳川は音の正体を知った。
 留置所の扉が叩き壊されている。フレームがぐしゃぐしゃになっている。
 それを乗り越えて彼は中に侵入する。砕けたガラスが足下で甲高い音を立てる。
 中は薄暗く、蛍光灯で照らされた廊下が人気のない雰囲気をさらに酷くしている。
――…どういうことだ
 耳が痛くなるほど静かだ。
 応戦する警官がいないのか?
 彼は慎重に奥に歩を進めた。

  こつこつこつ

 いや。
 いる。
 彼はニューナンブを抜くと角からゆっくり顔を出した。
 その通りはまだ犯罪者のいない区画だ。
 昔の牢屋のように常に誰か入っている程、ここは犯罪者に溢れていない。
 後ろ姿が見えた。
「…耕一」
 胸をなで下ろして柳川は身体をさらした。
――クルナ
 右手が電気に痺れたように緊張した。
 耕一の『信号』は、警戒と『敵の気配』を柳川に伝えた。

  どくん

 耕一はゆっくり歩を進める。両手を下げてごく普通に歩いている。
 彼の周囲には、20を下らない数の扉と、奥の扉がある。柳川は銃をゆっくり正面に構える。
 余程うまく隠しているのか、どこに気配があるのかわからない。
 鬼相手に気配を消すなど、尋常ではない。

  きし

 耕一の目が、
 柳川の銃口が、音にした方向を向いた。
――奥の扉。

「うわあああああああ」

  液体が飛び散るような音

「しまったっ」
 二人が駆け出すと同時に、留置所が揺れる。鈍い音が数回響いて、コンクリの砕ける音。
「柳川、もしかして」
 柳川は頷いて耕一の目を一瞬見る。
「ああ、その先には…」
 耕一が肩から扉を破り、柳川は横に滑るように銃を構えたまま奥に入る。
 留置所の壁が壊れている。
 月の光が、差し込んでいる。
 ほっそりとした人影がそこに佇んで、両腕を肩の高さに上げている。
 足下には警官が転がっている。
「まて、やめろ!その先には…」

  ひゅぅぉおおお

 妙な風切り音がした。
 断末魔の叫びが聞こえた。
 だが、それも水が叩きつけられるような音にかき消される。
 耕一が地面を蹴る。
 柳川は滑るように人影に接近する。
 ゆっくり頭を向ける人影。
――…!
 急接近する二人より、さらに速い速度で破れた壁へと移動する。
「何」
 そして、見る間もなく赤い一陣の風になって消える。
「待てっ」
 耕一は続いて地面を蹴って影を追った。
――今のは…
 シルエットは確かに女性の物だった。
 だが、頭に妙な突起が生えていた。
 来栖川重工製のメイドロボだ。
 むっとする臭気に柳川は赤い目を向けた。そこには、もうただの肉塊になったものがあった。
 ついこの間、通り魔殺人を行った男だった。




 次回予告
  メイドロボの後を追う耕一。
  だが、その凄まじい戦闘力に耕一は苦戦する。
  「最優先プログラム確認」
  続けられる捜査に思わぬ進展が…

  Cryptic Writings Chapter 1:COMA 第5話『裏切り』

   …貴之…俺はどうするべきなんだ…


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