「ふとりぼっちということ」 投稿者:はならび 投稿日:3月11日(土)14時25分


 ――beakerさんの作品とは関係ありません。ありませんが、一応謝っておきます。
                             ――ごめんなさい。





     「ふとりぼっちということ」

                       作者 はならび





 地響きがする――と思って戴きたい。
 言うまでもないだろうが、地殻変動の類ではない。
 その重低音は、この来栖川エレクトロニクス中央研究所の第七研究開発室。
つまり私のいる部屋に近づいているようだった。

 長瀬源五郎はマルチが帰ってくるのを待っていた。
 マルチは今日――正確には昨日だが、総てのテストを終えた。
 しかし彼女は「今までお世話になったあの人に、ご恩返しがしたいです」と
言い出した。
 源五郎はそれを承諾し、彼女に僅かではあるが休みを与えた。
 そして彼は、彼女が帰ってくるのを待っていた。

 どすん。
 部屋の外から地響きが聞こえてくる。
 さっきからその音は定期的に聞こえてきた。
 どすん。どすん。
 間違いない。あの音はこっちに向かってくる。
 どすん。どすん。どすん。
 ひょっとしてこれは何かの足音なのか?
 どすん。どすん。どすん。どす。
 遂に音の主はドアの前で止まった。
「ただいま、かえりましたでごわす」

 ドアの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 そう、マルチの声である。
 しかしその声は明らかに異質な物だった。
 源五郎はふらつく足下を堪えながらドアへ向かった。
 一呼吸してからドアを開ける。
「遅くなってすいませんでしたでごわす」

 私は気が狂いそうになった。
 あしか。とど。せいうち。あざらし。おっとせい。
 私の目の前にいる物体を説明しろと問われれば、そう言う他にない。
 目の前にいるのはマルチであってマルチでなかった。
 紅葉のように小さかった手は見事に膨れ上がっていた。
 折れそうな細い足は巨木のように太くなっていた。
 小さかった身体はビア樽――いやウイスキー樽のように大きかった。
 ……つまり太っていた。
 私はいつも通りに対応しようとした。
 気を抜けば腰が抜けそうだった。
「は、初の朝帰りかぁ。マルチもとうとう不良になってしまったねぇ」
「しゅ、主任さん! からかわないでくださいっす!」
 私がからかったせいかマルチはこづいてきた。
 いつものマルチなら大したことはない。しかし今のマルチの腕は丸太のよう
に太かった。
 むしろ張り手と呼ぶに相応しいマルチの突きを喰らい、私の身体は部屋の壁
に叩きつけられるまで吹っ飛んだ。
「しゅ、主任さん! 大丈夫でごわすか!?」
 ――殺される。
 今のマルチなら、例えぶつかっただけでも致命傷になりかねない。
「主任さん! しっかりしてくださいっす!」
 どすどすどすどす。
 奴が迫ってくる。
 マルチは心配して駆け寄ってきてくれているのだろうが、今のマルチの体重
のせいか、地響きが鳴り、机の上の物は崩れ、ガラスは粉々に砕け散る。
 ――もうだめだ。

 が、突然のノックがマルチの突進を止めた。
 ドアからマルチの開発スタッフが全員ぞろぞろと入ってきたのである。
 しかし全員マルチを見て足を止めた。
 やがてある者は泣き出し、ある者は笑い、ある者は踊り始めた。
 この異常な状況を認めない。
 いや、認めたくないからこそ現実から逃げようと足掻く。
「み、皆さん! 会いたかったでごわすー!」
 マルチは彼らに突進した。

 最初の犠牲者は横田だった。
 巨乳好きとの噂があるあいつは、マルチを見るや否や歓喜の表情を浮かべて
突進していった。
 ……今思うとあいつはデブ好きだったのかもしれない。
 マルチはそれを見ると低く構え――つまり仕切りを取り、向かってきた横田
を居反りで後方に投げ飛ばした。
 打ち所が悪かったのだろう。横田は死んだ。
 そのままマルチはスタッフに片っ端から襲いかかった。
 しかも止めは相撲の決まり手だった。
 ある者は浴びせ倒しで。
 ある者は掴み投げで。
 ある者は突き落しで。
 ある者は寄り倒しで。
 マルチと取り組んだ者はみんな死んだ。

 そしてマルチは中央研究所内を駆け回った。
 出会う者と容赦なく取り組んだ。
 ある者は上手投げで。
 ある者は首投げで。
 ある者はとったりで。
 ある者は寄り切りで。
 みんな殺された。
 47人目の犠牲者はセリオだった。
 セリオは極めて冷静にマルチと会話しようとした。
 それが命取りだった。
 マルチはセリオに抱きついた。しかし今のマルチから見れば、それは鯖折り
というのが相応しい。
 セリオは胴体が完全に折れて壊れた。

 私は逃げ込んだ管理人室のモニターで惨状を確認していた。
 もう所内にはマルチ以外の動く物はいなかった。
 ――ふいにある事に気が付いた。
 マルチが今まで繰り出した決まり手は一つたりとも重複していない。
 相撲の決まり手は四十八――マルチはあと一つ決まり手を残している。
 ……おそらく私が最後の犠牲者になるのだろう。
 どすんべきばきどんがん。
 来た。
 奴が来た。
 もう駄目だ。
 親父、すまない。親不孝にも私はこれから死ぬ。
 どがん。
 ドアが吹き飛んだ。
 奴がいる。恐怖が目の前にいる。
 もう逃げ場は無い。
「主任さん! 探しましたでごわすー」
 嫌だ。やはり死にたくない。
 しかし私の身体は動けなかった。
 さながら蛇に睨まれた蛙のように。
「あっ!」
 するとマルチが素っ頓狂な声をあげた。
 見ると玄関を映しているモニターに人影が映っていた。
 藤田浩之――マルチがお世話になったという男だった。
 それを見た途端マルチは
 どすんどすんどすんどすん。
 地響きをあげて走り出していた。

 ――ここがマルチの生まれた場所か。
 オレは来栖川の中央研究所の玄関にいた。
 もう一度マルチに会いたい。
 わがままではあるが、そう思い立ち居ても立ってもいられなくなった。
 そしてここにやって来たのだが――。
「……何か妙だな」
 こういう所はおいそれと入れるはずがない。
 そもそも普通は門にいる守衛に追い返されるのが関の山だろう。
 しかしオレはここまで来た。
 よく見ればここに本来いるはずの受付もいない。
 尚かつ辺りは何かが暴れたようにメチャクチャだった。
 どすどすどすどす。
 地響きが聞こえてきた。
 どすどすどすどすどすどすどすどす。
 それは確実に近づいてきている。
 どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど。
 ――来る。
「ひ、浩之さーーーーーん!!!!!」
 マルチだった。いやマルチではなかった。それでもやっぱりマルチだった。
 ええいややこしい。
 つまり、今オレに駆け寄ってくるマルチは太っていた。
 あしか。とど。せいうち。あざらし。おっとせい。
 オレの目の前にいる物体を説明しろと問われれば、そう言う他にない。
「お、お前マルチなのか!?」
「浩之さーーーん!!!」
「く、来るなあああぁぁぁっっっ!!!」
「どすこーいっ!」

 めきょ。

「――最後の決まり手は頭捻りか」
 モニター越しに始終を見ていた源五郎は呟いた。
 源五郎はふと、咄嗟に持ち出した集合写真を見た。
 開発が終了しマルチが完成した直後の写真である。
 全員が全員晴れやかな笑顔でマルチを囲んでいる。
 源五郎はぽたりぽたりと額に何かが零れ落ちているのを見て、ようやく自分
が泣いているのを理解した。

 ――写真の中のマルチはいつもとかわらない笑顔。
 そして太っていない身体。

 それが無性に悲しかった。



「ところでこのSSだが、あまりにも下らないのでは?」
 悪いとは思ってるんです。
 なら書くなよ。



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