溜息一つ、幸せ一つ 投稿者:柄打 投稿日:6月11日(月)13時10分
「ただいま〜」
「お帰り〜、好恵」
 奥で夕食の用意をしているであろう母の声。
「あ、そうそう。手紙来てるわよ、下駄箱の上」
「誰から?」
 そう尋ねつつも、視界の隅に件の封筒を目にとめた時、差出人の予想はついた。
 一体、何が入っているのかと疑いたくなるほど膨れ上がった封筒。だが、差出人が私の
予想通りなら、その中に特別なモノなどは入っていないはず。
「いつもの子。ほら、松原さん」
 そして予想通りの母の答えに、私は溜息を吐くしかなかった。


 シャワーで濡れた髪をバスタオルで拭きながら部屋に戻る。
 机の上で、パンパンに膨れた封筒が私を待っていた。
「……よし」
 一度目を閉じ、軽く気合いを入れると、葵からの手紙の封を開けた。
 どさっと、確かな質量を持った紙の束が現れる。
「うっ……」
 先程の気合いがたちどころに霧散していくのを感じ、思わず溜息を吐いていた。
 色々と不器用な子だけど、とりわけ自分の意見を述べると言う点に関しての不器用さは
群を抜いているな。便箋の束を手に、今更ながらにそう思わずにはいられなかった。

『電話だと、何を話しているのか解らなくなってしまうんです』

 昔、何故手紙なのかと尋ねたとき、その返答がこれだった。
 実際、葵のことだ。何度も推敲したであろう結果がこれなのだから、
電話での応答を想像すると、冗談ではなく目眩がする。
 とりあえず一通りざっと目を通す。
 葵には申し訳ないが、こうして大まかな内容を把握してからでないと、最初の数枚で
力尽きてしまう。
 ……エクストリーム、綾香、寝技、私の名前、先輩といった単語がよく目に入る。
 どうも、放課後の練習についてのことが書かれているようだ。
 何とかそれだけは読み取る事が出来た時、夕食を告げる母の声がかかった。

 仕方がない、『解読』は食事の後にするか。

 言い得て妙な自分の思考に、思わす苦笑を零しつつ部屋を後にした。


 食事を終え部屋に戻ると、机の上で携帯がガタガタと音を立てて震えていた。
 脳裏に一人の顔が思い浮かぶ。
 ディスプレイから、その想像が間違っていなかったことを確認する。

 やれやれ、どうやら千客万来らしい。

 今日、何度目かの溜息を吐くと通話ボタンを押した。

「何の用だ?」
「あら、いきなりな挨拶ね。しかも、そんな不機嫌な声で。
一人寂し〜い夜を過ごしている好恵ちゃんを、わざわざ慰めて上げようって電話したのに」
「…そーいう冗談ばかり言っているから、ホワイトデーの時に頭抱えたり、卒業式で
泣きながら抱きつかれたりするハメになるのよ」
「な! なんで好恵がそんなこと知ってるの!?」
「なんだ図星? 何やってるの、アンタは」
 盛大な溜息が一つ零れる。
「っ……。さ、さすがに経験者は凄いわね〜。す〜ぐ解っちゃうんだから」
「ふっ」
「あっ! 鼻で笑った!!」
「生憎私は誰かと違って、愛想が良くないのでね。そう言った悩みとは無縁なのさ」
 言ってから、そう威張れることではないことに気付いた。
 返って来るであろうツッコミを幾つか予測し、切り返す手段を慌てて講じる。
 しかし、
「…………」
 驚いたことに、帰ってきたのは沈黙だった。いや、微かに悔しそうな呻きが聞こえる。
 と、言うことは……
 もう一度、今度は軽く溜息を吐く。
 まったく、ほとんど拗ねている猫だな。
「で?」
「え!?」
 驚く綾香の声。耳と尻尾がピクッと跳ねた猫のイメージが浮かぶ。
「何か言いたい事が有るんでしょ。聞いて上げるから、さっさと話す」
「ど、どうしちゃったの好恵! 今日、冴えまくりじゃない!?」
「あのねぇ。一体、何年アンタの馬鹿話に付き合わされてると思ってるのよ?」
 しかし、その長い付き合いの中でも、綾香が隙を見せたことなど数えるほどしかない。
 まあ逆に、そうだからこそ強く印象に残っているのだが。
「きゃ〜、好恵ちゃん優しい〜」
「……切るわよ」
「あ、嘘嘘。ごめん、ごめん」
 もう少しやり込めておくべきだったと、少しだけ後悔した。


 結局、それからかなりの時間、綾香の話を聞くことになった。
 こうなった綾香の話は、流石に達者で、ほとんど聞き手一方という状態にも関わらず、
全く退屈することはなかった。


「それでね…って、聞いてる、好恵?」
「聞いてるわよ。それで?」
「うん。それでね、って、あれ! もうこんな時間!?」
 時計を見ると、既に翌日になっていた。
 まあ、いつも寝ている時間まではもう少しあるが。
「流石にここまでかな。ありがと、好恵。愛してるわよ〜」
「あーやーかー」
「あはは〜。それじゃ、お休み」
 まったく……
 溜息と一緒に、終話ボタンを押す。
 結局最後は、終始綾香のペースに振り回されることになった。
 しかし、悪い気分ではない。
 ただ不思議なことに、初めて聞くはずの綾香の話を、どこかで聞いたことがあるような
気がしてならなかった。
 携帯を充電器に戻そうとした時、机上にある便箋の束が目に付いた。

 なるほど、そういうことか。

 もう一度葵の手紙に目を通す。
 いつもなら、内容を完全に把握するのに、数時間はかかる葵の手紙。
 しかし、まるで綾香の話が符帳であったかのように、手紙の内容が次々と形になっていく。
 そこには綾香の言葉の端々にも出てきた男の名が、頻繁に、別の表記で書かれていた。

 その男の居る光景が思い浮かぶ。


 何故か不意に、二人の友人を一度に奪われた気がした。


 そして、ふと、寂しさまで感じている自分に苦笑した。

 とりあえず、明日の放課後は葵の所に行ってみよう。
 恐らく、いや、間違いなく綾香も現れるであろうその場所を思い描く。
 そして、何が起こるかは想像もできないが、起こることだけは確実に予想できる騒動も……
 微妙な頭痛のする頭を振ると、今日最後の溜息を吐き布団に潜り込んだ。

『溜息を一つ吐くと、幸せが一つ逃げる』

 そんな言葉は嘘だな、と感じながら。