幻鏡庭園 エピローグ 投稿者:柄打 投稿日:7月10日(月)23時40分
 瞼に残る柔らかい感触。
「もう泣かへんように、な」
 あの時と同じ言葉。そして、再び近付く唇。
「?」
 それを片手で柔らかく押しとどめる。
「アホ・・・。もう、ええよ・・・」
 花が綻んだような笑顔。瞳に涙を湛えたまま。
「・・・・そっか」
 ふわっとした笑顔。
「じゃ、もう行くわ」
「!!」
 慌てて伸ばされた手が途中で止まる。
「・・・・・・・・・」
 掌が力無く握られ・・・・また開き・・・・
「えっ!」
 その掌に先刻脱がされた眼鏡が渡される。
「じゃ、な。智子」
「・・・・・うん・・・・・・・バイバイ」


〜〜幻鏡庭園〜〜


四日目 今では無い時間 ここではない場所

 何も無い。ただ、柔らかな光に包まれただけの空間。
 彼はそこで何をするでなしに、ただ佇んでいた。
「もう良いのか」
 そこに凛とした声が響いた。
「ん?」
 振り返った少年が目にしたモノ。
 赤い髪。朱い瞳。そして、冷たく光る大鎌。
「ああ。また会うたな、べっぴんさん」
 少年の顔がわずかに綻ぶ。
 喜びも、悲しみも、悔しさも、楽しさも全てを内包した不思議な表情。
 対して、向かい合う赤毛の少女には、何の表情も浮かんではいなかった。
 ただ、夕日と同じ光を湛えた瞳が、真っ直ぐに少年を見つめている。

 二人は、ほんの僅かな時間だけ無言で見つめ合った。

「もう、未練はないか」
 大鎌の少女が淡々とした口調で、そう尋ねた。
「いやぁ、未練はごっつ残っとんやけど」
 瞳が、ほんの僅かの間、ふっと遠くを見つめる。
 戻ってきた時、彼は真剣な瞳で、

「多分、後悔はしてへんと思う」

 そう言って微笑んだ。

「良い覚悟だ」
「すまんな。いろいろと手間ぁかけて」
「まったくだ。同じ人間の魂を二度も運ぶことになるとはな」
 元々の淡々とした口調に、どこか突き放したような響きが加わる。
「いや、それだけや無いねんけど・・・・」
 取り付く島のない態度にやや鼻白む。ただ、不思議と嫌悪感はない。
「なんだ?」
 冷徹な瞳に、鋭さが加わる。
 その瞳の鋭さに、ふと、親しみを抱く。
「・・・・・・・・・・・・・・まあ、ええか」
 言って、後ろ頭をボリボリと掻く。
 同時に、同じ目を良くする少女を思い出し、わずかに顔が緩む。
「そろそろゆくぞ」
「ん」


同日 逢魔ヶ時 現世

「はい。お疲れさま、エビル」
 声と一緒に板チョコが一枚飛んでくる。
「ん」
 ぺちっと間の抜けた音を立て、振り向いたエビルに当たった板チョコが
そのまま地面に落ちる。
「メイフィアか」
「・・・あなたねえ、受けるか避けるかしなさいよ」
 落ちたチョコを拾い上げると、包装についた埃を払う。
「いくら大仕事の後で疲れてるからって・・・・ハイ」
「別に。いつも通りだ。大した事はしていない」
 受け取ったチョコの包装を軽く叩く。
「そう?」

こく。

 頷きながら、真剣な表情でチョコの包装を丁寧に剥いていく。
「でも半離魂の法って、死神が使える最上級の『奇跡』じゃなかったっけ?」
 チョコを囓ろうと口を開けたままの格好で、エビルの動きが一瞬凍り付く。
「・・・・・・覗いていたのか・・・・・・」
 冷徹な視線に、わずかに非難の色が滲む。
「あら失礼ねぇ。パチンコの帰りに偶然見かけただけよ」
 心底心外そうな声を上げるメイフィア。
「・・・・・何処のパチンコ屋迄行っていたのだ」
「んー、最近この辺出が悪くってね」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ん。何?」
「いや」
 少し大きめにチョコをくわえる。
 くわえた部分を支点に軽く力を込める。
 チョコを割る乾いた音が、小さく響く。
 暫く無言の時間が続く。


「あのまま地縛霊になられても厄介だったしな」
 それだけ言うと、再びチョコを囓り出す。
「そっか」
 メイフィアの視線が妹を見守るような、柔らかなそれに変わる。

こく。

 チョコをくわえたまま小さく頷く。
『・・・・・・・・・・・意地っ張りなんだから・・・・』
「ん?」
 不思議そうな顔(とは言っても、それを見分けられる者はほとんど居ないが)で
エビルがメイフィアを見つめる。
「んー、何でもない。何でもないよ」
 そんなエビルに、メイフィアはそう言って楽しそうに微笑むのだった。


 夜の帳は既に落ち始め、太陽は地平線にその残滓を晒すのみ。
 大地には、並んで歩く二人の影が、長く、長く延びていた。


幻鏡庭園    完