幻鏡庭園(4) 投稿者:柄打 投稿日:7月7日(金)00時27分
「っだー。流石に堪えたー」
 そう言って、腰をトントンと叩く浩之。
 はなはだ若者らしくない仕草だが、学校から自宅まで腰を抜かしたあかりを
背負って帰ったとあれば、仕方のないことだろう。
「帰ったらまず風呂だな。それにビール」
 やはり、どこか若者らしからぬ台詞を呟きながら自宅の門に手をかけたとき

「こんばんわ」

 聞き慣れた声が、聞き慣れないイントネーションで聞こえてきた。

 しかし浩之は、闇の中から不意にかけられた声に驚いた様子も見せなかった。
「・・・なんとなく、いるんじゃねえかと思ってたよ」
 そして門の奥、明かりのついていない玄関の前には、ついさっき別れたはずの
志保が立っていた。
 いや、姿こそ志保だが『彼』が全くの別人であることを既に浩之は知っている。
「ま、あかりがいないときで助かったけどな」
「やっぱ、全部バレとるようやな」
 志保もそれを察したらしく、そう言って軽く溜息をつくと、軽く肩をすぼめた。
「全部、じゃねーよ。でもまあ、それはこれから解るんだろ?」
 そして浩之は、『彼』を智子から教えてもらった名前で呼んだ。
 その名前を聞くと、彼は志保の姿で軽く微笑んだ。
「そやね。ほな、とりあえず初めまして、藤田浩之君。わいは・・・」
 そして志保は、浩之が言った名前を名乗った。自らの本名を。


〜〜幻鏡庭園〜〜


三日目 夜 浩之宅

「コーヒーでいいか?」
「おおきに」
 玄関での奇妙な挨拶の後、とりあえず浩之は志保を部屋にあげ、コーヒーを置くと
彼と向かい合うようにして腰を下ろした。
「んで・・・結局なにがどうなってるんだ?」
 ブラックのコーヒーを一口啜ると、浩之はそう切り出した。
「わいも全部理解しとるわけやないねんけど・・・・」
 志保も同じようにブラックコーヒーを一口啜ってから応えた。
「・・・まあ、普通なら、あの事故であっさり死んどったんやけど・・・・
って、わいが事故ったことは知っとるんやろ?」
 浩之は黙って頷いた。
 それを確認してから、志保は再び話し始めた。
「けどな・・・・・・あん時――――最後に、命半分は捨ててもええから、
半分は死にたない。生きてたいって。それが・・」
「叶っちまった・・・・っての?」
「うーん・・・・叶ったちゅーか、叶えてくれたっちゅーか・・・」
 右手で口元を押さえるようにして、ぼそっと呟く。
「?」
「まあ、それで事故んとき砕けたドアミラーに姿映っとったさかい、
そん中のわいが死なずに残ったってわけや・・・・・・多分」
 多分のところだけ、妙に歯切れ悪く呟く。
 バツの悪そうな顔をしながら、口元を覆っていた右手の親指で鼻の頭を撫でる。
「ふーん」
 それだけ言って浩之は再びコーヒーに口を付けた。
「・・・・ふ、ふーんて・・・・そんだけ?」
 本来なら一笑に付されてもおかしくない話である。
「いや、だって証人が目の前に居るわけだし」
 あっさり一言で片付ける片付ける。
 もっとも浩之の場合は、その手の超常現象に感覚が麻痺してしまっている感が
無くもない。
「・・・・ま、ええか」
 しかし、こちらも一言で片付けると、もう一口コーヒーを啜る。
「ほんで、智子と藤田君の様子見たらおとなしく帰るつもりやったんやけど・・・・
いらん騒ぎ起こしてもうたなぁ」
「俺の?」
 浩之が意外そうな声に志保は軽く頷いた。
「せや。智子があれだけ口にしとった人やからな。気にするな言うんは無理な話や」
 そう言って明るく笑う。
「そんで、放課後ゲーセンまで一緒にいたこの子の姿借りたっちゅーわけや」
「あの時か・・・」
 その時のことを思い出し、浩之の顔がわずかに渋くなる。
「長岡さん・・・やったか?この子には謝っといてくれへんか。
いろいろ迷惑かけて、すまんかった・・・・って」
 そう言って再び微笑む。
 その微笑みは、志保ならば決してしない、何処か悟りきったような寂しい微笑みだった。
「な!ちょ、ちょっと待て」
 その微笑みをどこかで見たことがあると感じた瞬間、浩之は制止の声を上げていた。
 しかし、声を上げた浩之自身、何を止めたかったのかハッキリとは解っていなかった。
ただ、何かとてつもなくイヤな予感がしたのだ。
「・・・今のわいは『死んでない』だけや。所詮そんなもんには限界があるから」
 そんな浩之の制止の声がまるで聞こえなかったかのように、
志保は手に持ったコーヒーカップを見つめたまま話すと、それを軽く揺らした。
 そして、コーヒーがカップの縁に沿って一回りしたのを見届けてから、
ゆっくりと飲み干した。
「コーヒー、ごちそうさん。美味かったよ」
 マグカップを置いてとゆっくりと立ち上がる。
 そしてまた、あの寂しい微笑みを浩之に向けるのだった。
「・・・・・・・・・・・・!」
 再びその微笑みを見たとき、浩之はかつて自分が20年足らずの人生の中で、
その微笑みを二度、見たことがあるのを思い出した。

 一度目は、もっとずっと幼かった頃。
 二度目は、ほんのつい最近。

 だから、今度は何も言葉にすることが出来なかった。
 何を言ってやれるのか解らなかった。
 自分に、何が出来るのか解らなかった。
「くそっ」
 視線が志保の微笑みから、自らの足下に落ちる。
 視界に入ってきたマグカップをおもむろに掴むと、残ったコーヒーを一気に呷る。


 呷りながら思い出す。
 一度目の時は、ただ、一緒にいてやることしか出来なかった。
 最後になめてくれた頬の感触を、俺はまだ覚えている。
 それに、結局二度目の時も、出来たのは一緒にいた事くらいだった。一晩。
 でも、あの夜のことを、俺は決して忘れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
						なんだ、そうか。


「ふーーーーーーー」
 コーヒーを飲み干すと、俯き、長い溜息を一つつく。

 そして、ほんのわずかな間。

「その笑顔、見せる相手が違うんじゃねーか?」
 顔を上げたとき、いつもの浩之な態度でそう言ってのけた。
 志保の表情が、鳩が豆鉄砲を食らったようなキョトンとしたものに変わった。
 浩之もそれ以上は何も言わず、斜に志保を眺めている。

 その均衡は程なく、志保の微笑みによって破られた。
 その微笑みは今までのものとはまるで違っていた。柔らかで、
まるで周りの空気も軽くなったかの様に感じさせる、ふわっとした微笑みだった。
「うん、思った通り。いや、それ以上にいいヤツやなぁ、藤田君は」
 浩之は、しばし呆然とその微笑みに見とれた。
「智子のこと、よろしくな」
 志保がゆっくりと窓に歩み寄る。
 光量の差から、鏡と化した窓に触れた瞬間、志保の姿は瞬く間にかき消えた。
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「・・・・・いいヤツ・・・・・・・か・・・・・・・」
 志保の消えた窓に触りながら、浩之は以前智子から彼がそう言っていたと聞かされた
ことがあったのを思い出した。
「しかし・・・・」
 先程までの会話を思い出しながら、しみじみと呟いた。
「大阪弁の志保か・・・・・・・・・あまり違和感無かったなぁ・・・・・・・」


続く