幻鏡庭園(2) 投稿者:柄打 投稿日:7月2日(日)23時44分
「!!な、長岡さん!!」
 気が付いたとき、智子の目の前には、志保の顔があった。
「ね・・・智子・・・・・」
 囁くように紡ぎ出された言葉と共に、志保の吐息が頬に当たる。
「ちょっ・・・・ちょっと待ちぃ・・・・・・」
 混乱のためか、それとも別の理由によるものか、その声にいつもの威勢は無く、
智子の語尾は弱々しく震えている。
「やぁ〜〜だ」
 こちらも、いつもの喋りからは信じられぬほどの、艶を含だ返事を返す。
「あ!」
 刹那、志保の手がの胸元に伸びたかと思うと、わずかな衣擦れの音をたてただけで、
智子の制服のスカーフが引き抜かれた。
「えっ!?」
 同時に、志保が智子に体をあずける。
 不意をつかれた智子は、こらえきれず、志保に押し倒される形で倒れ込んでしまった。
「こういうの、嫌い?」
 先程より更に間近で囁かれる、蠱惑的な響きを持った台詞。
 智子は頸椎も折れよとの勢いで首を縦に振る。
「クスッ。ひどいなぁ・・・・」
 そんな智子の態度に気落ちした様子もなく、
いや、むしろ彼女のそんな反応を楽しむように、志保は妖しく微笑む。
「あたしは・・・・・・」
 声と同時に、流れるような動きで、制服の裾から潜り込んだ志保の左右の手が、
それぞれスカートとブラのホックにかかる。
「!!」
 ホックがはずされると同時に、智子が声にならない悲鳴を上げる。
「あたしは・・・」
 囁きと共に耳に吹き込まれる吐息。
「あぅっ」
「こんなにも・・・」
 背中に回された指が、スッと背筋を撫でる。
「ひゃんっ」
「智子のこと・・・」
 腰に潜り込んだ手が、下着の縁に掛かる。
「ひっ」
 そして、ゆっくりと、顔が近付いてくる。
 間近に迫った唇が、新たな言葉を紡ぎだそうとわずかに形を変える。

「愛し・・・」


「いやぁぁぁぁぁ!それ以上言うなぁぁぁ〜〜〜!脳味噌腐る〜〜〜〜〜〜!!!」


 窓枠をも震わせる絶叫が、椅子から立ち上がった智子の口からほとばしった。
「・・・・・・・・ほ・・・保科!?」
「えっ!?」
 思わず周りを見回す。

 いつもの制服。
 いつもの教室。
 いつものクラスメイト。
 いつもの授業風景。

 ただ一つ違うのは、クラス中の人間が驚愕の表情で自分を見つめていることだけだった。
「だ・・・・大丈夫か、保科?」
 教師の心配そうな声で、智子は我に返った。
「・・・・・・・・ゆ、夢?」


〜〜幻鏡庭園〜〜


三日目  掃除時間 廊下

「なんかあったのか、委員長?昨日から、ちょっと変だぜ」
 モップに寄りかかるような体勢で、浩之は隣で黙々と掃除している智子に声をかけた。
 他の連中は早々に切り上げており、既に智子と浩之しか残っていない。
「・・・志保が何したんだ?」

ガラガラガッシャーーン

 志保の名前が出た途端バケツを蹴飛ばし、水浸しになった廊下を拭こうとしたモップを
自分の足に引っかけ、後頭部から教室の扉にダイビングする智子の姿があった。
「・・・・・・・生きてるか〜、委員長」
 その見事なまでのコケっぷりは、つい先日『卒業』した、緑の髪の小柄な少女を
彷彿とさせた。
「ふ、ふっふっふっふ・・・」
「お・・・おい、本当に大丈夫か?」
「藤田君!!」
 やばいところでもぶつけたのかと、心配げに覗き込んだ浩之の襟首を、
顔を真っ赤にした智子がぐわしと掴む。
「お、おう?」
「なんで知ってん?」
「・・・・・・・・・は?」
「せやから、なんであの変態女が原因やて知ってん?」
 襟首を掴んだまま、勢い良くガクガクと揺する。
「・・・・・・へん・・・・・たい?」
「ま、まさか!あの口先女、いつもの調子でベラベラ話したんとちゃうやろな?」
 振動速度が更に増す。
「おおおおおおおお落ち、落ち、落ちつつつつつけ、いいいいいいんちょおおおお」
「そうなんか?本当に話したんか!?どうなんや、藤田君!!」
「いいいいいいいいいいいいやいやいやいや・・・・」
 浩之、既にパンチドランカー一歩手前。
「なんやと!!あの痴女、人にキスしたこと位、ガセ情報にも劣る言うんかい!!」
 不意に現れた川の対岸から、見覚えのある犬に吠えられていた浩之に、
その単語は天からの蜘蛛の糸のように降りてきた。
「きす?」
「!!」
 ボンッという音でも聞こえそうな勢いで、智子の首筋までが朱に染まった。
「えっ・・・・あっ・・・うっ・・・」
 意味を持たぬ言葉が、開け閉めされる智子の口から漏れる。
 その姿を見た浩之はポンと手を打つと、
「ああ、魚の」

 パチキ一閃

「しょーもないボケかましてると、終いにはどつくで」
「っ痛〜〜〜〜。どついてから言うなよ」
 だが幸運にも、その痛みは朦朧としていた浩之の意識を完全に覚醒させてくれた。
「しかし・・・・・・」
 真正面から、真剣な眼差しで智子の顔を見つめる。
「な・・なんやの?」
 次いで、何もない空中を視線が漂う。

		間

 上を向き鼻の頭を押さえ、首筋をトントンと叩く浩之。
「ふ〜じ〜た〜く〜ん!何、想、像、してん!!」
 パチキ連打。
「痛っ痛っ痛・・・・・」
「今度妙なことしてみぃ。どつき倒して、道頓堀に浮かしたるからそう思ぃ」
 荒い息を付きながら、完全に座った目で睨み付ける。
「・・・・・ハイ」
 本気で命の危険を感じた浩之であった。

「しかし・・・・・・本当なのか委員長?」
「冗談でも、こんな事言う趣味は無い」
「まあ、な。でもなぁ、いくら志保でもそれは・・」
「呼んだ?」
 聞き慣れた声に振り返ると、予想通りそこには志保が立っていた。
「あ、ちょうどいい。なあ志保・・・」
「わーわーわー!!」
 慌てて浩之の口を押さえる智子。
「・・・・っ。何すんだよ委員長」
「藤田君。いきなりズバリ聞こうとしたやろ?」
「・・・・・・ダメなのか?」
「あたりまえやん!他の人に聞かれたら、私まで変態扱いされるやろ!」
「いや、さっき自分から暴露してたから気にしないのかと」
「藤田君!!」
「って、冗談だよ。じょうだ・・・・・・ん?」
「言ってええ冗談と悪い冗談が・・・・どないしたん?」
 不意に黙り込んだ浩之の視線の先には、小声でやりとりする二人を、楽しそうに
『黙って』見つめている志保がいた。
 日頃から悪いと評される浩之の目つきに、刹那、剣呑さが増す。
「おい・・・」
 志保に声をかけようとした瞬間、浩之達の背後からは聞こえるはずのない声が響いた。
「あ〜、こんな所にいたのね、ヒロ。ま〜だ掃除なんか・・・・・・え!?」
 たった今やってきた志保が、浩之達の正面にいる志保を見付け、間の抜けた声を上げた。
「あ・・・・・あたし?」
「な、長岡・・・・さん!?」
「・・・・誰だよ、お前?」
 浩之は、智子達を背後に隠すように立ち位置を変えると、今までいた志保に、
わずかに険を含んだ言葉を投げかける。
「・・・っ」
 志保はその言葉に軽く肩をすぼめると、小さな溜息をつくことで応えた。
「?」
 その仕草に、智子は概視感に似た奇妙な違和感を抱いた。
「おい」
 険しい声と共に伸ばされる浩之の右手。
 その手から逃れるように、志保はスルリと身を翻すと、そのまま背中を向け
勢い良く走りだした。
「なっ!ちょっと待て」
 慌てて後を追う浩之。しかし、前を行く志保の背中は既に突き当たりを曲がっており、
見えなくなっていた。

「あ、志保。浩之ちゃんは・・・」
 角からものすごい勢いで現れた志保は、あかりの鼻先をそのまま走り抜けていった。
「?」
 小さくなっていく志保の背中を、あかりは不思議そうに見送った。
 と、突然背後から慌てた声が上がる。
「なっ!どけ、あかり!!」
「え!!浩之ちゃ・・・・・わっ」
 振り返ったあかりの視界いっぱいに飛び込んでくる浩之。
 そして、もつれ込むように倒れる二人。
「っ痛〜〜〜〜。大丈夫か、あかり?」
「イタタタタ。う、うん。何があったの浩之ちゃん?」
「何がって・・・・・くそっ、逃がしたか」
 浩之が忌々しげに呟いたとき、角から遅れてやってきた二人が姿を現した。
「大丈夫か?藤田君、神岸さん」
「もー、なにやってんのよ。ヒロのドジ」
「あ、保科さん、志保・・・・・・あれ?」
 まるで間違い探しの2枚の絵を見比べるかのように、
目の前の三人と、背後の曲がり角を交互に見比べるあかり。
「どうやら、三人揃って白昼夢って訳じゃないみてーだな」
 そんなあかりの態度を見て、浩之が憮然と呟く。
「せやな」
「みたいね」
 二人とも硬い表情で頷く。
「あれ?あれ?あれ?・・・・・」
 そんな三人の間を、あかりの間の抜けた声が通りすぎていった。


続く