今日、一人の鬼が死んだ。 狩人が狩りを辞める理由は何か? 獲物が全くいなくなる、などといったきわめて特殊な状態を除けば、それは狩人自身に存在する。 事故や病気、老衰など様々な理由があるだろう。 しかしながら、それらは突き詰めていけば最終的に全てがたった一つの理由に帰着する。 それは狩人が持っている、狩猟者の本能が『こう』告げたため。 即ち、自分が獲物に対し『勝てぬ』と。 だから今、鬼は死んだのだ。 そして、一人の男が再び生を得た。 『・・・・冷たいな』 久しぶりに得た感覚を、そのまま言葉にしてみた。 しかし、言葉が音になることなく、只、泡となり水面へと登っていった。 そこでようやく自分が水中に落ちたことを思い出した。 ふと目を向けると、落ちる原因となった痕から、大量の血が煙のように立ち上っていた。 最早痛みはなかった。そして苦しみも。 『過ぎた死に方だ』 そう思った。 幾人もの女を犯し、その数十倍もの人間を殺した。 そんな自分が、これほど安らかな死に目を迎えている。 分不相応だ。素直にそう思った。 しかし、これで終わる。やっと。全てが・・・・・・・・ 最早冷たさは感じない。体温が水温より下がったためだろう、暖かくさえ感じてきた。 『終わり、だな』 仕事柄、人の死に目には幾度も遭遇してきた。 そんな経験からか、それとも俺の中に残っていた狩猟者としての本能からか、 自分の命の火が消えようとしているのが手に取るように解った。 そして、俺の意識は闇の底へと堕ちていった・・・・・・ 「ごめんなさい」 不意に響いた声が俺の意識を、闇の縁まで引き上げた。 柏木 耕一? いや、やつとは幾度か繋がったことがあるが、やつの意識はもっとしっかりしていた。 こんな、今にも崩れそうな硝子細工のようなものでは無かったはずだ。 では、これは一体誰だ? 俺は必死で記憶をまさぐると、あの時あの場所にいたもう一人を思い出した。 柏木 千鶴! 「ごめん、なさい・・・」 ・・・・・・・・なぜ、泣く!? お前の最愛の者を失わせようとした原因が死ぬのだぞ。 何故喜ばない!?何故、俺の死などを悲しむ!? 俺は、残った命の灯火の全てをエルクゥの感応力につぎ込み、柏木千鶴と繋がった。 そして知った。彼女が、鬼の血を持つ者を哀れむ理由を・・・・ 死ねない。死ねるか! 彼女の父のように、鬼に立ち向かう努力も、 彼女の叔父のように、後に何かを残すための努力も、俺は、何一つしていない。 そう、俺は、俺を頼ってくれていた親友さえ助けることができなかった。 俺は、まだ、何一つ事を成してはいない! クェェェェ バサ バサ バサ 不意に、雄々しい鳥の声と羽音が聞こえたかと思うと、俺は柔らかな光の中にいた。 そして、暖かな声が俺にこう言った。 「ならば、もう少しだけ生きてみなさい。 私は、貴方の中にあるもう一つの命だけを持っていくことにしましょう」 『・・・お、お前は?』 , 「私は、永遠の命」 クェェェェ バサ バサ バサ ゆっくりと、ゆっくりと、俺の身体が水面へと上がってゆく。 水面が光を反射し、キラキラと輝いている。 そこには、俺が心から待ち望んでいたものが待っていた。 そう、 『朝だ!』