屋上の電波  投稿者:柄打


 いつからだろう?僕の周りの世界から色彩が失われたのは?
 いつからだろう、僕の周りの世界から音が消えたのは・・・・


〜〜屋上の電波  『祐介』〜〜


 その日、僕は午後の授業をさぼると、いつものように屋上から街並を眺めながら、
ねっとりとした妄想の世界に沈んでいった・・・

	 モノトーンの街並に新型爆弾の雨が降る。
	 逃げ惑う人々。その鼻先で一発の爆弾が爆発する。
	 手足が吹き飛び、臓腑の雨が降る。
	 親からはぐれた子供が泣いている。・・・でも、その泣声は僕には聞こえない。
	 いや泣声だけでなく、街を埋め尽くす悲鳴も、爆発音も、何も聞こえてこない。
	 大昔の無声映画のような世界。
	 しかし、僕にはそのことが逆に現実感を増してくれた。
	 そして僕は、街に最後の爆弾を降らせることにした。
	 落下目標は、あの泣いている子供。
	 僕は、ゆっくりと爆弾を投・・

パタパタパタ・・・・・

 不意に一羽の小鳥が目の前を横切り、僕の妄想は中断された。

パタ、パタタ・・・

「元、飼い鳥かな?」
 その小鳥は屋上のフェンスの縁から首を傾げ僕を見つめている、
「何処から紛れ込んだんだ、お前?」
 僕がその小鳥に手を伸ばし駆けたとき・・・

クスクスクス・・・・・

 不意に背後から聞こえた笑い声に、僕は文字通り飛び上がらんばかりに驚いた。

 振り向いたとき僕は再び驚いた。そして、一瞬僕はまた妄想の世界に沈んだのかと思った。
 でもそれは、すぐに間違いだと気付いた。
なぜなら、僕の世界に彼女のような綺麗なものが存在するはずはないのだから。
 本当に綺麗な少女だった。テレビCMに出ているモデルより、繊細に作られたフランス人形より、
僕にはそこに現れた彼女の方がはるかに綺麗に思えた。

 その子は驚いた僕を見ると、目を細めてくすくすと笑った。
「いけないいけない、驚かせちゃったよ」
 その子はそう言いながらもくすくす笑いを続けた。
 
 不思議な少女だった。すぐ其処にいるはずなのに、手を伸ばすと消えてしまう様な気さえしてくる。
      陽炎のような、硝子のような少女。
                  ドクン
     ドクン
                              ドクン
 ・・・・・・・・心臓の鼓動が、いやに大きく聞こえてきた・・・・・・・・

「ねえ、名前は?」
 不意に、訪ねられた。
「えっ!・・・あ・・・な、長瀬。長瀬祐介」
 思わず、そう素直に答えていた。
「長瀬ちゃんも、電波を集めに来たんだね」
「電波?」
「うん」
 彼女は、ゆっくりと頷いた。
「今くらいの時間、ここに集まってくる電波はね、とても優しいの」
「優しい?」
「うん、長瀬ちゃんにも判るはずだよ」
「僕には、無理だよ」
 僕は、苦笑しながらそう答えた。
 同時に、こんなに他人と会話したのは久しぶりだ、などとぼんやり考えていた。
「そんなことないよ。長瀬ちゃんにはあるよ、強いちからが」
 彼女はささやくようにそう言いながら、スッとその細い両腕で僕の頭を抱え込んだ。
 ひんやりと冷たい彼女の腕が、僕の後頭部に優しく触れる。
「すぐだよ。きっとそのうち、長瀬ちゃんにもわかるようになるから・・・」
「!」
「感じて・・・」
 彼女は息が掛かるくらいに顔を近づけると、そうささやいた。
 吐息が頬にかかる。
「・・・え?」
「電気の粒を・・・。空気中にいっぱい漂っている不思議な電気の粒を・・・。
 今は、私がアンテナになるから・・・」
 僕の額と、彼女の額が触れる。

 ドクン。ドクン。ドクン・・・。

 僕の心臓が早鐘のように高鳴った。
 不思議な気分だった。身体の心が熱くなり、全身の肌がうっすらと汗ばむ。
脳にちくちくと刺激が走り、視界が弾むように揺れた。
 それは本当に彼女の言うように、電気の粒が僕の中に流れ込んでくるかのようだった。

チリチリチリチリ・・・・・・

 その感覚は決して不快なものではなかった。いや、むしろ心地よくさえ感じた。
 僕のすぐそばで、彼女の声が聞こえる。
「ねえ、長瀬ちゃん。屋上から夕焼けを、ただぼーっとながめたことがある?」
「いや・・・ないけど ?」
「じゃあ、見てみようよ。・・・さあ、目を開いて」
 そう言われて、僕ははじめて自分が目を閉じていることに気がついた。
 そして、ゆっくりと開いた僕の目に飛び込んできた世界は、全てが赤で彩られていた。
 溶鉱炉の中の金属が、飴色になって溶け落ちるような赤。火花の赤。線香花火の赤。
 綺麗で、鈍い赤。

 ゆっくりと少女が額を離す。
 でも、僕は赤く染まった世界から目が離せなかった。
 ・・・・世界は、僕の周りの世界は、こんなにも綺麗な色で彩られていたんだ・・・・・
 冷たいものが僕の頬を濡らす。
 いつのまにか、僕の目から涙が溢れていた。

「長瀬ちゃんは?」
 不意に、少女の声が響いた。
「長瀬ちゃんの世界は、綺麗じゃないの?」

        ドクン!

 心臓が一つ、大きな鼓動を刻む。

	 モノトーンの街並・・・
	 新型爆弾の雨・・・
	 吹き飛んだ、人間だったものの雨・・・
	 泣いている子供・・・
	 そして、ゆっくりと爆弾を投下する・・・僕

 ・・・ねっとりとして、狂った・・・・・
「僕の、僕の世界は・・・」
 ・・・モノトーンの、只、繰り返すだけの・・・
「多分、何の彩りもない・・・・」
 位置の間にか、涙は乾いていた。同時に、口の中もひどく乾いていた。

クスクスクス

 少女が、相変わらずの口元だけの微笑みでこちらを見ていた。
「おかしいね」
 小首をかしげて目を細めたその姿は、あの時の小鳥を連想させた。
 そういえば、あの小鳥は何処に行ったのだろう?何故かそんな考えが頭をよぎった。

「―――だって、すごくきれいないろをした長瀬ちゃんがいるよ」
「!」

・・・チリチリチリチリ・・・・・・・・

	 モノトーンの街並に光が射す。
	 でも、まだ、あの子供は泣きやまない。
	 ああ、そうだ。ここで泣いている子供。あれは・・・・・・僕だ。
	 世界に、全てに恐怖し、ただ・・・ただ、泣くことしかできなかった僕・・・
	 そんな、僕の世界に・・・光と共に、天使が現れた・・・・
	 「家へお帰り。もう二度と爆弾の雨が降ることはないよ・・・」
	 天使は、口元だけの微笑みで僕を見送ってくれた。

 ・・・ポツ。
 雫? ・・・雫だ。
 雫が落ちた。涙の雫が・・・。
 雫はゆっくりと水面に落ち、ゆるやかな光の波紋を描いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・チリ

キーンコーンカーンコーン
          下校を告げるチャイムが鳴った

「・・・君は・・・一体?」
 僕は、はじめて真正面から少女を見つめた。

クスッ

「!」
 はじめて見せた彼女の笑顔は、これ以上ないくらいの鮮やかさに満ちていた。
「もう、大丈夫だね」
「えっ?」
「そうやって顔を上げて、逃げないで、泣いて、笑って・・・おはなしをしよう」

・・・・・チリチリチリチリ・・・・・・・・・・
 少女の笑顔と、頭の中を駆けめぐる電波が、
僕にこれからも、顔を上げて生きていくための勇気をくれたような気がした。

「約束、するよ」
「?」
 僕のいきなりの言葉に、少女はきょとんとした顔をして見せた。
「いつか、必ず、電波を使えるようになる」
 僕がそう言うと、彼女は再び笑顔を見せてくれた。そして、
「うん、約束」
 少女ががすっと小指を差しだした。
「?」
「指切り。しないの?」
「あ、ああ」
 僕は素直に、彼女の細い小指と指を絡めた。
「ゆーびきり、げーんまん・・・」
 少女のひんやりとした指に、僕の指の熱がながれていくような感覚が、とても心地よい。
「・・・のーます」
 指と指が、ゆっくりと離れた。

「約束だよ」
「うん、約束だ」
・
・
・
 屋上から校舎への階段を下りている途中、背後で小鳥が飛び立つ音を聞いたような気がした。
・
・
・
 教室に戻ると、丁度太田さんが帰り支度をしているところだった。
「あ、長瀬君」
 太田さんは僕を見かけると声を掛けてきた。
「次の物理、今日やったところまでの小テストだって」
 帰り支度の手を休めることなく続ける。
「出る気があるのなら、誰かにノート見せて貰うなりした方がいい、よ」
 支度を終え、鞄を持ち上げる。最初の一瞥以来、僕の方を見ようともしない。
 これはいつものこと。
 クラス委員である太田さんが、授業をさぼった僕に連絡事項を伝えるだけ。
 そして、太田さんは教室を出て、生徒会の仕事に向かう。
 そう。これは、いつも繰り返される日常の1シーン。
 ・・・ここまでは・・・
「うん、いつもありがとう。太田さん」
「えっ!!」
 教室から出かけた太田さんが思わず振り返る。
 太田さんは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
       クスッ
「太田さんて可愛いね」
 そんな彼女の顔を見て、思わずそんな言葉を口にしていた。
「えっ・・・・なっ・・・・」
 太田さんの顔があっという間に赤くなった。
「え、えっと・・・わ、私、生徒会の仕事があるから・・・その・・さ、さよなら」
 勢いよく教室の扉を閉める音が響くと、廊下を走る足音がだんだんと小さくなっていった。
 こんな事を言っては失礼かもしれないが、太田さんがあんな反応をするなんて、正直以外だった。
 どうやら、世界は僕が想像していた以上に色鮮やからしい。

 この時僕は多分、笑っていたんじゃないかなと思う。


―――後日、また屋上に行ってみた。
 しかし、約束を果たさないことには彼女に会うことはできないようだ。

「さて、それじゃ少し頑張ってみるかな」
屋上から仰ぎ見た空は、目眩がしそうなほどの青空だった。