灰色の“痕”   番外編     梓   ― 生きてく強さ ― 投稿者: 葉岡 斗織
灰色の“痕”   番外編
     梓   ― 生きてく強さ ―


♪すれ違う〜 毎日が〜
 増えて〜く け〜れど〜
 おた〜がいの 気持ちはいつも
 そば〜に い〜る〜よ〜

 あたしは、とにかくご機嫌だった。
 今日の気分は最高。
 今だったら、たいていのことを許してしまえる。
 そんな感じ。
 なぜかって。
 それは、あいつが。
 耕一が帰ってきてるから。
 あたしは単純だから、それだけでうれしかった。
 料理の腕、上がったんだぞ。
 あれから、いろいろ勉強したんだから。
 フレンチ。
 イタリアン。
 もちろん中華だってOK。
 和食はもともと得意だから、鉄人4人分の働きよね。
 まあ、それは冗談だけど。
 だけどレパートリーが増えたのは本当だよ。
 なんたって耕一には、美味しいものを食べさせてあげたいからね。
 健気な梓ちゃんに感謝しろよ、耕一。
 というわけで、あたしはご機嫌だった。
 料理の最中に、思わず歌まで歌ってしまう。
 最近覚えた歌。
 この歌のフレーズは、ちょっと気にいってる。
 なんだか、今のあたしみたいだから。
 すれ違いとか、強がりとか。
 あたしは、耕一の前だと素直になれないからね。
 タンタンタン。
 うんうん、今日は包丁がいい音だしてる。
 最高に美味しいのが作れそう。
 まってろよ、耕一。
 コンビニ弁当なんかじゃ味わえない、愛情のこもった手料理。
 もう向こうに帰るなんていえなくなるよ。
 うん、それもいいかな。
 そしたら、あたしが毎日ご飯作ってあげられるし。
 きっと楽しいよね。
 他愛のない口喧嘩とか。
 暇つぶしのおしゃべりとか。
 そういうのって、なんかいいよね。
 タンタンタン。
 材料が軽やかにスライスされていく。
 今日の晩御飯は中華。
 耕一が次に帰ってきたときは、中華にしようと決めていたから。
 理由は特にないけど。
 なんとなく、腕が上がったぞっていうことをアピールしやすいかなって。
 強いていえば、それが理由かな。
 でもその方が、あたしらしいしね。
 もちろん、何度も練習した。
 千鶴姉達にはわるいけど、晩御飯のときにだして試食の実験もした。
 結果は、おおむね好評だった。
 とりあえず一安心。
 けど耕一にうまいといわせるには、もう一味たりない。
 タンタンタン。
 切り揃えられた材料達は、ちょっと達人の仕事って感じ。
 料理の基本は愛情。
 中華の基本は火力。
 特に炒め物系は、火の使い方で味が全然変わってくる。
 あたしはもっともっと練習した。
 耕一にうまいといわせるために。
 もちろん、会心の作だって何度かあった。
 そして、今日の晩御飯は間違いなく会心の一品になる。
 あたしの確信。
 今日のは絶対美味しい。
 耕一、びっくりするぞ。
 タンタンタン。
 もちろん、炒めるだけじゃ芸がない。
 揚げ物と蒸し物も作る予定。
 あと、水餃子もね。
 餃子といえば焼くものだと、あたしは思っていた。
 でも、中国で餃子は焼かないみたい。
 ニンニクも特に入れる必要はないみたいだし。
 というわけで、今夜の餃子は少し具にこってみた。
 あたしのオリジナリティーがあふれた餃子ってことになるのかな。
 でも、きっと美味しいよ。
 タンタンタン、タン。
 材料を切り終わったので、下準備はできた。
 後は火を通すだけ。
 炒めたり揚げたりするだけなんだけど…。
 う〜ん。
 そうだ、耕一の様子でも見に行ってみようか。
 たぶん、居間にいるはず。
 どうしようかな。

 1.いいや、料理を早く作っちゃお。
 2.耕一の様子を見にいってみようかな?
 3.先にお風呂に入っとこ…かな。

 あたしは2を選んだ。

 耕一の様子を見に行ってみようかな?
 あたしは居間へ向かった。
「お、そろそろメシの時間か」
 あたしの顔を見るなり、耕一はそんなことをいった。
 居間にいるのは、耕一、楓、初音。
 千鶴姉はまだ鶴来屋だから、とりあえず全員この部屋にいることになる。
 しかし、あたしの顔をみるなりそれか。
 まったく、目をキラキラさせちゃって。
 あいかわらず、耕一は子供っぽいんだから。
「お腹空いたかい、耕一」
 軽く聞いてみる。
 やっぱり、お腹の空いている方がご飯は美味しい。
 耕一の状態をチェックするのは、結構大事だ。
 お腹が空いてるといいんだけど。
「ああ。もうかなりペコペコだ」
 お腹に手を当てながら、耕一はそんなことをいった。
 本当にお腹が空いてるらしい。
 ジェスチャーを交えながら、目でも訴えてくる。
 ちょっと可哀相かな。
「もうすぐ千鶴姉が帰ってくるから、もうちょっと我慢しなよ」
 だああああああ。
 違うって。
 何をいってるんだ、あたしは。
 ここは『すぐに準備してあげるよ、耕一』だよ。
 ポイントアップのチャンスだったのに。
 あたしの馬鹿馬鹿。
「そうだな。もうちょっと我慢するか」
 耕一はすこし悲しそうにそういった。
 ごめんよ、耕一。
 思ったことと口からでた言葉が、ちょっと違ったんだよ。
 絶対美味しいの作るから、それで許して。
「梓の作るメシは美味いからな。楽しみだよ」
 え?
 あ、今、確か、耕一。
 耕一のその一言で、あたしは自分の顔が赤くなるのを感じた。
 楽しみだよ、楽しみだよ、楽しみだよ…。
 耕一の言葉が、何度もリフレインされる。
 ドキドキドキドキ。
「耕一ぃ、なに見え見えのお世辞いってんだよ」
 だから違うってー。
 ここは『ありがと、耕一』に決まってるハズのに。
 あ〜あ。
 あたしってば、ダメだよね。
 耕一の前だといつもこんな風。
 はう〜。
 あたしは座り込んでしまった。
「梓お姉ちゃん、今日のメニューは何?」
 ああ、初音か。
 そうだよね、今ここには楓と初音がいるんだ。
 いいよね、2人は。
 今だって耕一と遊んでるしさ。
 あたしの方はっていうと、今夜のメニューが…。
 メニュー?
 メニュー、メニュー、メニュー…。
 そうだ、それだ。
 初音、ナイスフォロー。
「今はまだ秘密。楽しみにしといて」
 耕一にさりげなく伝えてみた。
 あたしの顔は、初音の方を向いていたんだけどね。
 とりあえず、これでいい。
 耕一の方を見ながらだと、また違うことをいいそうになるからね。
 ちょっとだけ、耕一の方を見てみる。
 耕一は笑っていた。
「ずいぶんすぐにわかる秘密なんだな、梓」
 そりゃ、今日の晩御飯のメニューだもん。
 でもね、今日のはぜったい美味しいから。
 梓ちゃんの保証つきだよ、耕一。
 よーし、元気でた。
 料理の続きに取りかかろっか。
「梓姉さん」
 立ち上がったあたしに、楓が声をかけてきた。
 この子も、最近はずいぶん明るくなってきた。
 昔の雰囲気に戻ったというか。
 なにか、吹っ切れた感じがする。
 原因はわかんないけど。
 でも、我が妹とはいえこう可愛くなると。
 ずいぶんとポイントアップよね。
「何、楓」
 楓はにっこりと笑った。
 この微笑みは、もう初音と同レベルにまでなっている。
 いったいいつのまに、楓はこんなテクを身につけたんだろう。
 やっぱり、楓は要チェックね。
「たぶんだけど、中華でしょ。今日の晩御飯」
 ピンポーン。
 いや、ここで正解なんていえない。
 さっきもいったように、それは秘密なんだから。
「最近、梓姉さん中華にこってるから」
 楓ぇ〜。
 邪気のない笑顔でバラさないでよ。
 それは秘密なんだってば。
 何かわからない方が楽しみだし。
 だから、それ以上はいわないで。
「へええ、中華か。オレは結構好きだな、中華」
 耕一はちょっと嬉しそうにそういった。
 !
 そっか。
 耕一、中華好きなんだ。
 あたしは自分の顔が緩むのを感じた。
 だって仕方ないよね。
 いい展開になってきたんだもん。
「例えば中華だとして…、耕一はなにが好きなの?」
 あたしは思わず聞いてしまった。
 これだと、晩御飯は中華だよっていってるみたいなもんだ。
 でも、あたしは知りたかった。
 そこが一番の問題点だったから。
 すると耕一は、悩むようなそぶりをみせて。
「簡単なところで餃子、春巻、焼売。
 あの手軽さと値段はうれしいよな。
 とびっきり辛い麻婆豆腐も捨て難い。
 炒め物系は、全般的に好き…かな。中華の基本だしさ」
 炒め物系が好きって。
 ひょっとして、かなりのポイントチャンスかも。
 練習したかいがあったってもんよね。
 春巻なんかもちゃんと用意してあるし。
 ようし、絶対美味しく作るぞ。
「たっだいま〜。今帰りましたよ〜」
 玄関の方から声が聞こえた。
 千鶴姉だ。
 浮かれてるな、千鶴姉のやつ。
 いつもと声の調子がだいぶ違う。
 たぶん『あ〜疲れた』とかいって、耕一に甘えるつもりなんだ。
 でも、楓と初音が甘えてるこの状況でするかな。
 するかも。
 っていうか、千鶴姉ならする。
 ま、いっか。
「それじゃ、料理の続きにとりかかりますか。
 お腹空かせてる誰かさんが、可哀相だもんね」
 耕一にむかって、あたしはいった。
 今度は上手くいえたと思う。

 1.さあ、料理の続き。
 2.とりあえず、千鶴姉を迎えに玄関へ。

 あたしは1を選んだ。

 さあ、料理の続き。
 台所へ戻ったあたしには、楽しそうなみんなの声が聞こえていた。
 あたしは料理が好き。
 嬉しそうに食べてくれる人がいるから。
 楽しそうに食べてくれる人がいるから。
 でも…。
 こういう時は、ちょっと寂しい。
 せっかく耕一がきてるのにさ
 いっしょにいられる時間が短くなるのは、ちょっと悲しい。
 いつもの事なんだけどね。
 それに。
 この寂しさも、実はすぐに晴れてしまう。
 晩御飯ができてしまえば、みんなが食べてくれれば。
 耕一が、美味しいっていってくれれば。
 今のあたしには、料理しかないもんね。
 だって、他にポイント稼ぐ方法を思いつかないから。
 だから、あたしはあたしらしくがんばるしかない。
 よーし、やるぞ。
 カチッ。
 片方のコンロのスイッチを入れる。
 コンロには天ぷら鍋が置いてあって、もう油がはってある。
 コーン油と紅花油が、1対1の割合。
 カチッ。
 もう片方のコンロにもスイッチを入れる。
 こっち側にあるのは両手鍋。
 中には水が入っている。
 待つこと数分…。
 実は家庭で中華料理って結構難しい。
 湯通し。
 油通し。
 中華では基本の下拵えなんだけどね。
 でも、家庭でそんなことしてたら大変な作業になる。
 特に油通しは普通ならしないというよりできない。
 でも、あたしはやる。
 美味しい料理を作るためだかんね。
 まずは、野菜の湯通しから。
 ポイントは後でもう一度火を入れるということ。
 だから本当に煮たりはしない。
 まだ少し硬いままでも全然OKだ。
 野菜を適度に湯の中で泳がせた後、引き上げて氷水の中へ入れる。
 もう一つのポイント。
 湯通ししたままおいておくと、野菜はかってに煮えてしまう。
 だから、冷やして野菜の温度を下げる。
 野菜の色の変化も止まって一石二鳥だ。
 次は油通し。
 日本では見かけない、中華料理の必殺技。
 あたしも普通はしないけど…。
 油通しも意味的には湯通しと同じ。
 メインの調理を後でするから、火の通り具合は7割ぐらいでいい。
 具材の表面をコーティングする。
 そして、旨味を逃がさないようにする。
 それが目的。
 卵の白身を絡めた海老を鍋に入れる。
 色が変わりかけたところで取り出す。
 さあ、いよいよ本番。
 中華料理は時間の9割を下拵えに使う。
 そして仕上げは一瞬。
 あたしは気合を入れた。
 もうすぐ料理は完成。
 後は、耕一の前に並べるだけなんだから。
 気合も入ろうってもんだよね。
 そして、あたしが炎と格闘すること暫し。
 いいにおい。
 自分でいうのもなんだけど、完成した一品一品が本当においしそう。
 うんうん。
 これなら、もう完璧だよね。
 ふふ、耕一ぃ。
 びっくりしてほっぺたおっことすなよ。
 あたしは思わずガッツポーズをとった。
 よーし。
 それじゃあ、耕一のところへ運んであげましょっか。

 1.千鶴姉、ちょっと手伝ってくれる?
 2.楓、初音、ちょっと手伝ってくれる?
 3.かおり、ちょっと手伝ってくれる?

 あたしは2を選んだ。

「楓、初音、ちょっと手伝ってくれる?」
 あたしと、楓と、初音の手で、次々に料理が運ばれてくる。
 食卓は彩りにあふれていた。
 野菜と卵のスープ。
 鶏で取ったスープの中に、たっくさんの野菜。
 それを卵でとじてみた。
 少しうす味にしてあるけどそれが美味しいと思う。
 中華料理はこってりしてるから、丁度いいよね。
 スープにすれば野菜の栄養がしっかり取れるし。
 あ、そっか。
 サラダを作れば良かったんだ。
 海老のチリソース。
 油通ししておいた海老は、旨味がしっかり残ってる。
 初音が辛いのダメだから、ケチャップを大目に使った。
 ちょっと甘口だけどこれはこれでいい感じ。
 だって、辛いだけがチリソースの意味じゃないもんね。
 風味として味にアクセントをだすだけでも全然OK。
 春巻き、鶏の唐揚げ、豚肉の唐揚げ。
 揚げ物3点。
 春巻きは具を野菜だけにしてみた。
 唐揚げを2種類作るからこれでいいよね。
 野菜のシャキシャキした感じが巧くでていてマル。
 鶏と豚肉にはそれぞれ別の下味がつけてある。
 鶏はお酒に漬け込んでおく。
 それにマスタードをぬり、衣をつけて揚げた。
 揚げるとマスタードの辛さは消えちゃうから、初音も大丈夫になる。
 それにこうしておけば、鶏の臭みのない唐揚げができる。
 豚肉の方はもっと手が込んでいる。
 お酒、ウイスキー、ネギ、生姜といっしょに漬け込んでおく。
 ポイントはウイスキーを入れること。
 揚げた後、とってもいい香りになってくれる。
 水餃子。
 限界まで刻んだ海老、白菜、白葱、筍。
 コクを加えるために、豚の挽肉をプラス。
 かくし味には、これも限界まで刻んだ生姜、椎茸、舞茸。
 この前つくったときは、千鶴姉達にはすっごい好評だった自信作。
 野菜の方がメインになってるから、いくらでも食べられちゃう。
 ちょっとダイエットの天敵。
 ま、ダイエットなんてしてるの千鶴姉だけだし。
 別にいっか。
「おお、すっげーうまそう」
 耕一がほえた。
 うーん、だって他にいいようがない。
 でも、耕一はすごくうれしそう。
 全身で腹減ったぞーっていってる感じ。
 がんばったかいがあったよね。
 美味しい料理が並んでいて。
 みんなでいっしょに食べる。
 本当に簡単で平凡で当たり前のことなのに。
 でも、やっぱり嬉しい。
「どうだい耕一」
 ちょっと自慢してみる。
 本当は耕一のために作ったんだよっていいたかったけど。
 いいたかったんだけど。
 でも。
 照れくさいんだもん。
「いや、ちょっと俺、感動してる」
 えへへ。
 そっか。
 なんか、こんなに喜んでもらえると。
 嬉しいよね。
 ビールも冷やしてるし。
 お酒の用意もばっちり。
 じゃ、後は最後の仕上げ。
 炒め物ね。
「耕一、最初は冷えたビールでいいんだよね」
 耕一が嬉しそうにうなずくのを確認して、ひとまず台所へ。
 さてと…。
 いよいよ正念場だぞ、梓。
 なんたって中華の基本は炒め物なんだから。
 絶対これは美味しく作んなきゃダメ。
 ううん、きっと大丈夫だよ。
 何回も練習したし。
 千鶴姉も楓も初音も美味しかったっていってくれたし。
 それに、今日のあたしは絶好調なんだ。
 絶対、美味しく作れるよ。
 材料は全部そろってる。
 同じ大きさにそろえて切られた豚肉、筍、そして…。
 カチッ。
 あたしは鍋をセットして、コンロのスイッチを入れた。
 最後はキチッと決めなきゃね。



− エピローグ −

「「いっただっきまーす」」
 みんなの声が一つになって、晩御飯が始まった。
 今日は特別楽しい。
 とりあえず、あたしは耕一にビールを注いであげた。
 エビスビール。
 いっとくけど、あたしはビールの味がわからない。
 そう。
 わからないことになってる。
 だって、まだ未成年だかんね。
 本当のところは内緒だけど…。
 というわけで、このビールは千鶴姉の趣味。
 あたしとしては、一番搾りの方が美味しいと思う…。
 って、人から聞いた。
 あははははは。
「うお、すっげー美味い。まぁた腕を上げたな、梓」
 水餃子を食べながら、耕一はさけんだ。
 美味しいものを食べると、みんな自然と笑顔になっちゃう。
 今の耕一ってば、まさしくそれ。
 もう幸せまっただなかーって感じ。
 ふふ、今度は春巻きを美味しそうに食べてる。
「でも本当に梓お姉ちゃんって料理上手だよね」
 いや、初音もいいセンいってるよ。
 今だって十分美味しいし。
 あたしの手伝いもよくしてくれるし。
 部活で遅くなる時なんて、本当に頼りになってるんだから。
「はい、耕一さん」
「お、すまないねぇ、楓ちゃん」
 楓がビール瓶を手に持ったので、耕一はコップの中身をぐいっと空けた。
 トクトクトク。
 耕一のコップがまたいっぱいになる。
「くうー、美人の杓だとビールがますます美味いねぇ」
 おい。
 耕一は酔うと途端に親父臭くなる。
 それはいいけんだけど。
 なんで、あたしの時は美人の杓っていわないんだ。
 むむむむむむ。
「フフ、耕一さん」
 カチン。
 耕一と千鶴姉のコップがぶつかった。
 軽い乾杯。
 こんなに楽しそうな千鶴姉を見るのも、なんか久しぶりな気がする。
「おお千鶴さん、かんぱーい」
 クス。
 耕一はかなりご機嫌らしい。
 あー、いーよねー。
 あたしの欲しかったのは、こんなちっぽけな日常だったんだ。
 ささやかだけど楽しい食事をみんなで。
 もう手に入らないかと思ってた。
 あの日から。
 あの日?
 あれ、あの日っていつからだろう。
 叔父さんが死んでしまった日?
 お父さんとお母さんが死んでしまった日?
 耕一が川で溺れた日?
 それとも、もっともっと昔…。
「…さ、…梓」
 へ?
 あ、ああ、耕一。
「どうかしたのか、梓。
 なんか、ぼーっとしてたけど」
 え、あ、いや、何でもないよ。
 うん、何でもない。
 あたしは耕一から視線をそらすようにテーブルを見た。
 ちょっとあたし、変だったかな。
 あれ?
 耕一、あたしの自信作にまだ箸つけてないみたい。
 炒め物は冷めると味が落ちちゃうのに。
「ああ、耕一ぃ。それも食べてよ」
 あたしはそれを指した。
「あ、耕一お兄ちゃん。これ、美味しいんだよ。
 ね、楓お姉ちゃん」
 初音が嬉しそうに耕一を誘う。
「うん。最初はちょっと苦手だったけど。
 今は大丈夫。梓姉さんのおかげかな」
 そういえば、楓はちょっと苦手にしてたっけ。
 でも、今は美味しいっていってくれる。
 食べてくれる。
 嬉しいよね。
「ほら、耕一。炒め物はあったかいうちが美味しいんだよ」
 ?
 耕一の様子がおかしい。
 何だろう。
 思い当たることは…ないよね。
 ま、いいか。
 せっかくの自信作なんだから。
 耕一には食べてもらわなくっちゃ。
「ほら、あたしが取り分けてあげるよ」
 あたしは取り皿を手に持ち、『青椒肉絲』に箸をのばした。
「ストーップ」
 瞬間、部屋の中が固まった。
 千鶴姉、あたし、楓、初音の4人が耕一を見つめる。
 えっと…。
「何?」
 しばしの間。
 やがて、耕一が口を開く。
「わ、悪い、梓。
 俺さ…。
 ピ、ピーマンだけは駄目なんだ…」
 ピシッ。
 どこかで何かが割れるような。
 そんな音が聞こえた気がする。
 なんですと?
 あたしの頭の中は、真っ白になった。
 コウイチハイマ、ナンテイッタノ…カナ?

(Fin)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

「また今回は、ずいぶんと時間がかかったわね」
「はい? あ…」
「何してたの? 斗織。怒らんないから、いってごらん(ニコッ)」
「いや、あの、綾香…目が笑ってませんが…」
「…………」
「そ、そ、そうです。そうなんですよ」
「姉さんの言う通りだっていうの?」
「先輩の言う通りです。忙しかったんです」
「へええ」
「…………」
「いや、心からお疲れ様って言われると、ちょっと罪悪感が…」
「ところでさ、知ってる? 斗織」
「何をですか?」
「忙しいっていう字はね、心を亡くすって書くのよ」
「え?」
「覚悟はいい?」
「…………」
「大丈夫よ、姉さん。手加減はちゃんとするから」
「あの、綾香?」
「さあ、斗織。ちょっと初心を思い出してみましょ」
「うそー」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 というわけで、その後の柏木家・梓編。
 久しぶり投稿の、葉岡斗織です。
 覚えてる人、いるかな…。

 前回の投稿から半年。
 光陰矢の如しというけど、実際、あっというまですねぇ(しみじみ)。

 途中にある分岐は、気にしないで下さい(笑)。
 それでは、今回はこのへんで失礼します。

 PS.この作品に感想を書かれる奇特な方。
    もしいらっしゃるなら、できればメールでお願いします。
    このコーナー、更新が早くてチェックが追いつかないんで…。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――