灰色の“痕”     初音   − 春を愛する人 − 投稿者: 葉岡 斗織
灰色の“痕”
     初音   − 春を愛する人 −


 タンタンタン。
 三和土の上で、初音は軽やかなステップを披露した。
 玄関に手をかける。
「あ…」
 鍵がかかっていた。
 そっか。
 耕一お兄ちゃん、帰っちゃったんだ。
 また、家で1人なんだ。
 わたしはちょっと寂しくなった。
 そうだよね。
 耕一お兄ちゃんだって学校があるもん。
 休みが終わっちゃったら、向こうへ帰っちゃう。
 帰っちゃうんだ。
 神様もいじわるだよね。
 そんなところまで彦星様にしなくてもいいのに。
 離れ離れは…寂しいよ。
「はあ」
 わたしは小さなため息をついた。
 鞄を開けて鍵を探す。
 鍵は耕一お兄ちゃんにもらったキーホルダーについている。
 かわいい犬のキーホルダー。
 耕一お兄ちゃん曰く「初音ちゃんのイメージ」だって…。
 カチャン。
 軽い音が響いて鍵があいた。
 大切なキーホルダーを鞄にしまう。
 カラカラカラ。
「ただいま」
 返事のこない挨拶。
 わたしの家は結構広い。
 1人でいるとよけいに広いなって思う。
 ついこのあいだまで、耕一お兄ちゃんがいてくれたのに。
 今はわたし1人。
 お姉ちゃん達はいつも帰りが遅い。
 千鶴お姉ちゃんはお仕事。
 最近は、残業が多いみたい。
 いろいろあったから、きっと忙しいんだと思う。
「大変だよね」
 家では普段通りのフリをしてるけど。
 千鶴お姉ちゃん、だいぶ疲れてるみたい。
 事件があった後は、本当に大変だった。
 警察の人達もマスコミの人達も、みんないい人達じゃなかったから。
 聞かれたくないことばかり聞いてくる。
 取材だから当たり前だって。
 それでも、家にくる取材の人達が少なかったのは。
 千鶴お姉ちゃんが鶴来屋にいたから。
「ごめんね、千鶴お姉ちゃん」
 でも、ありがと。
 わたし、あの人達苦手だから。
 靴を脱ぎ、初音はトテトテと廊下を歩く。
 自分の部屋に向かおうとしたのに、気がつけば居間にいた。
 梓お姉ちゃんも、今日は帰りが遅いっていってた。
 部活だって。
「がんばってるんだ、梓お姉ちゃん」
 本当は3年生だからもう引退なのに。
 それとも、身体を動かしてないと…。
 不安なのかな。
 やっぱり、そうなのかな。
 初音はただ一点を見つめる。
 叔父ちゃんの座っていた席。
 そして、耕一お兄ちゃんが座っていた席。
 また今日から、誰も座らなくなる席。
 誰も座らない…。
「今日は静かだね」
 この部屋は、こんなにも静かだったんだ。
 楓お姉ちゃん、早く帰ってこないかな。
 わたしは壁にかかった時計を見上げた。
 はあ。
 まだ無理そう。
 今日は楓お姉ちゃんの方が、授業が1時間長いはず。
 しばらく帰ってこない。
 1人なんだ。
 この家に今、わたしは1人なんだ。
「うう」
 本当はみんな知らないんだ。
 千鶴お姉ちゃんも。
 梓お姉ちゃんも。
 楓お姉ちゃんも。
 耕一お兄ちゃんも。
 わたしって、結構泣き虫なんだよ。
 ポタッ。
 ほら。
 涙だって、すぐこぼしちゃうんだよ。
「1人は嫌だよ」
 1人は寂しいよね。
 だって、1人だと何もできないから。
 誰かに話をしてあげることも。
 誰かの話を聞いてあげることも。
 いっしょに笑うことも。
 いっしょに泣くことも。
 抱きしめてあげることも。
 抱きしめてもらうことも。
 1人じゃできないんだよ。
「でも…」
 耕一お兄ちゃんがいないだけで、こんなにも寂しいなんて。
 わたしちっとも思わなかった。
 七夕様がくれた耕一お兄ちゃん。
 いつもいつも優しくて。
 わたしの大好きな耕一お兄ちゃん。
 昨日まで家にいたんだよ。
 ただいまっていったら、おかえりっていってくれたのに。
 今日からはもう…。
「元気ださなきゃ」
 初音は居間から自分の部屋へと向かった。
 その途中。
 ふと足が止まる。
 わたしは1つの障子をじっと見てた。
 白い白い、真っ白な障子。
 昔はお客さんの為に使っていた部屋。
 でも、今はもっと大切な人が使ってくれる部屋。
「耕一お兄ちゃんの部屋」
 お姉ちゃん達と昨日決めた。
 ここは耕一お兄ちゃんの部屋だって。
 お客さんの部屋は別につくろうって。
 だから、この部屋はこれからもずっとずっと耕一お兄ちゃんの部屋。
「お掃除しようかな」
 耕一お兄ちゃんがいつ帰ってきてもいいように。
 綺麗にしておいて。
 きっとびっくりするよね。
 ちゃんと掃除してたよっていったら…。
 耕一お兄ちゃん、誉めてくれるかな。
 誉めてくれるよね。
「うん」
 タタタタタ。
 初音は廊下を走った。
 鞄を自分の部屋に置く。
 エプロンをつけ、ハタキと箒を持ってくる。
 フフ。
 なんだか楽しくなってきたよね。
 お掃除とか、お洗濯とか。
 綺麗になると、すっごく気持ちいいから。
「ようし、がんばろ」
 スッと障子を開く。
 部屋の中はガランとしていて、ただ静かだった。
 小さな机が一つ。
 耕一お兄ちゃんの部屋は、それしかない。
 うーん。
 とりあえず、ハタキで埃を払ってみる。
 パタパタ。
 箒で掃いてみる。
 シャッ、シャッ。
「終わっちゃった」
 もう、お掃除終わっちゃった。
 始めてから5分も時間経ってないのに。
 どうしようかな。
 あ、そうだ。
 もっといっぱい綺麗にすればいいんだよ。
 雑巾とかも持ってこよっと。
 タタタタタ。
「うんしょ、うんしょ」
 お水って結構重いよね。
 でもこれで机を拭いたりできるようになるし。
 水に浸した雑巾をつかむ。
 ギュッと力を入れてしぼる。
 水は雫になってピトピトと音をたてた。
「これでよし」
 机を拭いた。
 柱も拭いた。
 窓も拭いてみた。
 なんだか大掃除してるみたいだよね。
 でも綺麗になったよ。
 耕一お兄ちゃんきっと喜んでくれるよね。
 きっと…。
「でも」
 それっていつなんだろ。
 耕一お兄ちゃんがわたしを誉めてくれるのって。
 いつのことなんだろ。
 わからない。
 わからないよ、わたし。
 ずっと待ってるだけなんだ。
 いつくるかもわからない時間を求めて。
 わたしは待ってるだけなんだ。
 ううん、それだけじゃない。
 耕一お兄ちゃんと一緒にいられる時間だって。
 ちょっとだけしかないんだ。
「会える時間はちょっとだけ」
 やっぱり、寂しいね。
 お姉ちゃん達も、今日は元気なかったし。
 ポタッ。
 あ、まただ。
 また涙でちゃった。
 きっとみんな、寂しいんだね。
 大好きな人といっしょにいられないのって。
「織姫様もそうなのかな」
 寂しいのかな。
 1年に1度しか会えないなんて。
 手紙も書けないんだよ。
 電話もできないんだよ。
 1日だけ会ったら、次の日にはさよならなんだよ。
 お部屋を綺麗にしていても。
 1日だけしか会えないんだよ。
「きっと、寂しいよね」
 楽しい時間は。
 幸せな時間は。
 すぐに過ぎていっちゃうから。
 きっとわたしみたいに。
 ポロポロと涙こぼしちゃうんだ。
 そしてまた、待ってるだけの毎日が始まるんだ。
 昔みたいに…。
「あれ」
 昔みたいにって、なに。
 わたし、昔からなにかを待ってたのかな。
 でもなにを。
 あれ、あれ…。
 なんかわたし変だね。
 大切ななにかを待っていた気がするけど。
 それがなんだったのか思い出せないよ。
 こんな感じ、あの時といっしょだね。
「場所もここだし」
 初音は部屋の中をゆっくりと見渡す。
 あの日、耕一お兄ちゃんはこの部屋で寝ていた。
 うなされてた。
 涙も流してた。
 それでわたし心配になって。
 起こしてあげることにしたの。
 そしたら耕一お兄ちゃん、わたしに抱きついてきて。
 わたしびっくりしたけど。
「でも変なんだよ」
 なんだか懐かしくて。
 嬉しくて。
 そして寂しくて。
 耕一お兄ちゃんを、わたしギュッて抱きしめてた。
 なんだったんだろう。
 あの感じ。
 わたしの中に、もう1人誰かいたような。
 変な感じ。
「なんだったのかな」
 遠い昔っていつなんだろう。
 わたしがもっとちっちゃかった時。
 ううん、ちがう。
 もっともっと昔。
 でも、わたしが生まれるより昔だったら。
 なんで覚えてるのかな。
 覚えてる…。
 覚えて…。
「わたしなにを」
 初音は部屋から飛び出した。
 目からポロポロと涙が雫になる。
 今、誰かがわたしの中で。
 耕一お兄ちゃん。
 ううん違う。
 思い浮かんだ人は、耕一お兄ちゃんじゃない
 耕一お兄ちゃんに良く似てるけど、全然違う人。
「誰なんだろう」
 変、変、変。
 わたし変になっちゃった。
 なにかを思い出せそうで、思い出せない。
 でも、思い出していいの。
 ううん、ダメ。
 心の不安を抱えたまま、初音は廊下を走る。
 自分の部屋に飛び込む。
 バフッ。
 初音はベッドの上に倒れ込んだ。
「思い出しちゃダメ」
 恐い。
 恐いよ。
 きっと思い出しちゃダメなんだよ。
 わたしがわたしでなくなっちゃうんだよ。
 今の幸せがなくなっちゃうんだよ。
 耕一お兄ちゃんだって…。
「うう…」
 早く帰ってきて。
 誰か早く帰ってきてよ。
 千鶴お姉ちゃん、梓お姉ちゃん、楓お姉ちゃん。
 誰でもいいよ。
 誰でもいいから…。
 1人だと変になっちゃうよ…。
 変に…。
 …………。
「あ…」
 わたし寝ちゃってたみたい。
 気がつくともう薄暗くなっていて。
 台所からまな板を叩く音が聞こえる。
 きっと梓お姉ちゃんだ。
 帰ってきたんだ。
 もうわたし1人じゃないんだ。
 この家に、わたしの他に人がいるんだ。
「良かった」
 初音はほっと一息ついた。
 ベッドから起き上がろうと手をつく。
 濡れてる。
 枕にはちょっと大き目の涙の後が、2つ残っていた。
 わたしまた泣いちゃったんだ。
 でも、ちょっと落ち着いたよね。
 さっきはあんなに恐かったけど。
 今は平気。
「まだ思い出しちゃ、ダメなんだよ」
 きっとそうだよ。
 1人ぼっちだとわたし、こんなに寂しがりやなのに。
 たぶん、もっと寂しさに耐えられない気がするの。
 いつの記憶か。
 なんの思い出かわからないけど。
 わかる気がするんだよ。
 いつかは思い出さなきゃならないんだろうけど…。
「まだいいよね」
 ごめんね。
 誰にごめんなのかわからないけど。
 でも、わたしの素直な気持ちだよ。
 だから誤っておきたいの。
 弱虫でごめんなさい。
 弱虫で…。
 ポロポロ。
「ほら、1人だと涙が止まらないんだよ」
 みんなの前だと笑っていられるのに。
 寂しいのダメなんだよ。
 誰かにいっしょにいて欲しいから。
 みんなが大好きだから。
 普通の毎日が続くだけでいいんだよ。
 わたしはそれが幸せだから。
「だから、会いたい人がいるの」
 いつもわたしに優しくて。
 いつもいっしょに遊んでくれて。
 いつも笑っていてくれる。
 七夕様がわたしにくれた。
 大好きな、大好きな…。
「すぐにまた会えるよね」
 だって昨日いってくれたもん。
 またすぐに会いにくるよって。
 隆山に帰ってくるよって。
 そうだよ。
 帰ってきてくれるんだよ。
 遊びにくるんじゃなくて、帰ってきてくれるんだよ。
「うう…」
 またポタポタと雫が落ちていく。
 寂しいよ。
 いつまで待てばいいの。
 こんなにも、こんなにも寂しいなんて。
 わたし知らなかったんだよ。
「耕一お兄ちゃん」
 早く会いに来てよ。
 またいっしょに遊んでよ。
 初音からのお願いだよ。


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「…………」
「まにあいましたねって、ああ先輩じゃないですか」
「…………」
「そうなんですよ。七夕様、ギリギリセーフです」
「今回は新しい挑戦してるじゃない」
「へえ」
「なによ」
「わかるんですか、綾香」
「当然。姉さんはどう?」
 コクリ。
「…………」
「さすが先輩。場所の移動ありと時間の変化ありで正解です」
「なんにせよ、新しいことに挑戦するのはいいことだわ」
「綾香…、ありがと」
「でさ、斗織」
「はい」
「話は変わるんだけど」
「なんです」
「姉さんとわたしの話はいつ書くの?」
「あう」
「…………」
「そうですね。早く読みたいですよね」
「だったら、早く書きなさいよ」
「あうあう」
「…………」
「わっかりました、がんばりましょう」
「あとね、斗織。感想Eメールきてたよ」
「そーみたいです」
「そーみたいですって、ちゃんと返事書いたの」
「書きました」
「…………」
「それはもう、すっごく嬉しかったです」
「…………」
「そうですよね。読んでくれる人がいると気合がはいります」
「斗織って、結構単純ね」
「シンプルといってください」
「意味、同じよ」
「ほえ?」


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 Eメールを送っていただいたみなさん。
 コーナーに感想を書いていただいたみなさん。
 どうもありがとうございます。

 というわけで、今回は初音編です。
 危なく七夕にまにあわないところで、ちょっとドキドキ。
 初音は書くのが難しくて大変でした。

 ええと、いただいたEメールの中で気づいたことをすこし。
 「葉岡斗織」は「はおかとおる」と呼んで下さい。

 「灰色の“痕”」の副題にはお気づきの人もいるみたいですが…。
 GLAYの曲名です。
 歌詞の内容や音楽そのものが、キャライメージに直結しています。
 お暇な時に聞いてみて下さい。

 好きなキャラクター。
 上から順に、綾香・芹香・マルチ・セリオ…。
 来栖川に毒されてますね、実際。
 「痕」では梓がお気に入りかな。
 ついで千鶴さん。

 「灰色の“痕”」は、誰のエンディング後なのか。
 うーん。
 特に考えてないです。
 ごめんなさい。

 それでは、またなにか書きます。
 ひとまず、今回はこれで失礼。

 コメント:98年7月。いつもの日常に戻っただけなのに、心には小さな穴
      があいていた。
 ジャンル:シリアス/痕/柏木初音


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 感想コーナーです。
 まず最初に一言。
 な、なんて多量の投稿なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
 ほんとは全部の感想を書きたいんですが。
 今回は最近の分だけなんです。
 すみません。

<約束の返事>
 vladさん。
 すっごく梓らしいエピソード。
 こういうほのぼの系のストーリーはすっごく好きです。
 待て待て待てーってな表現もありましたけど(笑)。
 昔の約束をずっと覚えてるなんて、梓はかわいい。
 楓ちゃんのつぶやきが、ちょっと気になるところではありますが…。

<今そこにいるヒヒ>
 MIOさん。
 なんかすっごく笑ってしまった作品です。
 あかりの頭にヒヒが…。
 なぜヒヒに好かれるんだ、あかり。
 矢島君の冥福(死んでないか)を祈りつつ、ヒヒの再登場を待つ私(笑)。

<まだ癒えぬ痕>
 MAさん。
 あえてあのエンディングを採用したSS。
 一度書こうかなと思ったけど、私には書けなかったのでびっくりです。
 耕一の心を奪って、千鶴さんはこの世を去ってしまう。
 全員のハッピーエンドばかり考える私には、ちょっと衝撃的でした。

<Congratulations!>
 久々野さん。
 このストーリー、マジで楓エンディング後ですか。
 書く方が辛いのか、読む方が辛いのか。
 千鶴さんの苦悩が、胸の奥を締めつけるように痛いです。
 楓の笑顔に救いを求めるしかないです。

<ニヤリ>
 AEさん。
 やっぱりセリオはニヤリと笑うのでしょうか。
 図書館の蔵書は、ほとんどがセリオをニヤリと笑わせますよね。
 おばあさんが優しくていい感じです。
 長瀬主任はちょっとスケベオヤジですね。
 セリオのデータを勝手に読んじゃうなんて。
 映像データとかがあったら、綾香ファンから処刑されるかな(笑)。