灰色の“痕”
楓 − 軌跡のはて −
楓は月を見ていた。
雲のない夜空には、ひときわ大きく見える。
十五夜じゃないけれど。
「綺麗…」
輝く月はどこか寂しく、冷たい感じがして。
でも美しくて。
そして、私の遠い記憶を思い起こさせる。
楓。
今の私。
エディフェル。
もう1人の私。
でも、それは2人で1人ということかしら。
私は楓なのに、エディフェルのことを覚えている。
私がエディフェルの時は…。
まだない。
私はいつも楓。
千鶴姉さんといっしょにいる時も。
耕一さんといっしょにいる時も。
私は楓なのに。
千鶴姉さんは、私を見ると悲しそうな表情をする。
千鶴姉さんは、リズエル。
耕一さんを見ると、私の中のエディフェルがドキドキする。
耕一さんは、ジローエモン。
千鶴姉さんは覚醒していて、耕一さんは覚醒していない。
私は、千鶴姉さんが好き。
耕一さんが好き。
エディフェルは、リズエル姉さんが好き。
ジローエモンが好き。
目を閉じれば、エディフェルの世界が見える。
エディフェルの世界。
500年前の地球。
500年前の日本。
エディフェルの記憶は、いつもこの星。
突然の出会いが、すべての始まり。
悩む。
愛する。
笑う。
泣く。
1人のエルクゥだった時には、そんな感情はなかった。
同族以外はすべて敵。
ただ狩るだけ。
魂の炎を見るだけ。
それでよかった。
でも、エディフェルはジローエモンのことを思うようになる。
思考は短絡ではすまなくなった。
新しい感情が芽生え始めた。
そして、エディフェルの思考は、より近い血族へテレパスされる。
リズエル姉さんへ。
アズエル姉さんへ。
リネットへ。
それは幸せなことだったの。
それとも…。
私は幸せだと思う。
幸せだったんだと思う。
私の中のエディフェルは、幸せだったんだとそう思いたかった。
でも、歴史は悲劇へと流れた。
エルクゥの決定は、ジローエモンの抹殺。
そしてエディフェルの抹殺。
それを指揮するのは、リズエル姉さん。
でも、リズエル姉さんは。
エディフェルのテレパスを、1番強く受けていた。
だからリズエル姉さんは、鬼の爪を振るう時に。
ジローエモンと戦わなくてはならなくなった時に。
眼から涙を流して。
狩猟者エルクゥ。
すべてを狩る者。
魂の炎を楽しむ者。
それが、狩りの最中に涙を流すなんて。
私の心が痛む。
私の中のエディフェルの心が痛む。
そして訪れる。
最後の瞬間。
エディフェルはジローエモンをかばった。
リズエル姉さんの爪から。
最後の一撃から。
そして、エディフェルの魂は炎を上げた。
リズエル姉さんは泣いていた。
ジローエモンも泣いていた。
でもエディフェルは笑っていた。
「幸せだったよね…」
私は眼を開いた。
銀色の丸い月が、やさしく照らしていた。
電気をつけない部屋が、奇妙に明るかった。
エディフェルの願い。
いつか生まれ変わったら、今度は幸せな日々を。
私はエディフェルの生まれ変わり。
千鶴姉さんはリズエル姉さん。
梓姉さんはアズエル姉さん。
初音はリネット。
耕一さんはジローエモン。
そして、ダリエリ達は。
他のエルクゥ達は感じない。
エディフェルの願いはかなった。
でも、私は…。
覚醒してしまった私は。
今にとまどいを感じている。
なぜ。
千鶴姉さんと私だけが、覚醒しているの。
どうして。
耕一さんは、ジローエモンは。
私に、エディフェルに気づいてくれないの。
それはやっぱり、500年前のあの日のせいなの。
私はエディフェルは幸せだったと思いたいのに。
それも、許されないの。
リズエルはエディフェルを。
ううん、エディフェルがリズエルに。
最後のあの日は、強く強く記憶に残っている。
たぶん、千鶴姉さんにも。
そう。
だから千鶴姉さんは、私の顔を見ると。
悲しそうな表情をするのね。
千鶴姉さん。
ごめんなさい。
千鶴姉さんが、笑顔を浮かべようと努力してること。
私は知っているの。
それは私だけの秘密。
だって、千鶴姉さんにそれを伝えたら。
もっと悲しそうな表情になるから。
私にはわかるから。
だって千鶴姉さんのこと。
私は大好きだから。
そんなに辛そうな表情をしないで。
「千鶴姉さん」
今日もあの部屋で、泣いているのね。
覚醒した鬼の力が。
千鶴姉さんの痛みを。
悲しみを。
寂しさを。
切なさを。
私に運んでくる。
千鶴姉さんの心は、ひどくひどく傷ついていて。
でも、私には。
助けてあげる力もなくて。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
見てるだけしか出来ないなんて。
声をかけることが出来ないなんて。
私は。
千鶴姉さんの妹なのに。
千鶴姉さんのことが大好きなのに。
私に出来ることは。
耐えることだけ。
私の心が。
思いが。
願いが。
千鶴姉さんにテレパスされないように。
これ以上、千鶴姉さんが悲しまないように。
姉さんが悲しまないように。
そう。
私はそれでいいの。
それでもいいと…。
楓は月から目をそらせた。
一筋の雫が頬を伝う。
ウソつきだよね。
私。
本当は笑いたいのに。
千鶴姉さんと。
梓姉さんと。
初音と。
耕一さんと。
もっともっとたくさん話がしたいのに。
伝えたいことがいっぱいあるのに。
今の関係が。
耕一さんが覚醒した時。
今の関係でさえ、なくなってしまうことを恐れて。
笑わなくなってしまった。
話さなくなってしまった。
千鶴姉さん。
私、聞き分けのいい子なんかじゃないの。
ただ、怖いだけ。
ただ、弱いだけ。
一瞬でも長く、今を続けたいだけ。
だって。
最後の最後に、死神の札を引いてしまったら。
最悪の結果が待っていたら…。
楓はふと振り返った。
月明かりだけで照らされた室内。
机の上。
写真立てに納められた、一枚の写真。
「あの頃は…」
たぶん、幸せだった。
写っているのは、耕一さんと梓姉さんと私と初音。
魚釣りに行く、楽しそうな4人の写真。
今、思えば…。
時間が動いていた最後の日の写真。
私が心から笑っていた最後の日の写真。
その写真も、色あせてしまった。
千鶴姉さんや私の心のように。
セピア色の写真。
私はセピア色なんて嫌いなのに。
色あせる思い出なんてほしくないのに。
あの日から何かが狂ってしまった。
千鶴姉さんは、あの日から私を見ると悲しそうな表情になって。
そして、私にその意味がわかる日が来て。
笑わない日々が始まって。
耕一さんが遠くなって。
お父さんがいなくなって。
叔父様が…。
千鶴姉さんは1人でいる時、静かに泣くようになってしまった。
そして私は、その時を恐れるようになって。
その時…。
そう、私はその時が来るのが恐い。
梓姉さんが初音が。
そして、耕一さんが。
千鶴姉さんや私のように覚醒してしまったら。
アズエルのリネットのジローエモンの記憶を取り戻してしまったら。
その時、私は…。
私はきっと、もう耐えられない。
今でも私はこんなに弱いのに。
心が凍りついてしまいそうなのに。
ううん、それはもう私だけじゃない。
千鶴姉さんも初音も、きっと変わってしまう。
耕一さんも…。
ジローエモンとして覚醒してしまったら。
その時、千鶴姉さんや梓姉さんを許してくれる?
私や初音に会いに来てくれる?
それとも。
2度と会えなくなる?
そう、もう耕一さんは2度とここに来なくなる。
耕一さんは優しいから。
もしジローエモンとしての記憶が戻れば。
ここはきっと、耕一さんには辛すぎる。
私がエディフェルが望んだのは。
ほんのささやかな日常なのに。
小さな、普通の幸せなのに。
記憶が戻れば。
私の小さな願いは、きっとすべてが壊れてしまう。
だから。
だから、私はウソをつき続けてる。
千鶴姉さんに。
リズエル姉さんに。
耕一さんに。
ジローエモンに。
そして。
エディフェル自身に。
そう、エディフェルに。
私はもう…気づいてしまったの。
エディフェルの願いと、私の願いが少しずつズレてしまっていることに。
「私は…」
楓は再び月を見上げた。
銀色に輝く月は、楓を優しく照らす。
耕一さんに、ジローエモンに愛されたい。
いっしょに時を過ごしたい。
抱きしめたい。
笑い合いたい。
キスをしたい。
話をしたい。
それはウソじゃない。
私の、そしてエディフェルの思い。
でも、もうそれだけじゃない。
なくなってしまった。
私の…楓だけの願いがあるから。
千鶴姉さん。
笑ってよ。
涙なんていらないよ。
私もエディフェルも、姉さんのことが大好き。
大好きなの。
あの日のことは、もう忘れて。
悲しかったけど。
寂しかったけど。
また、いっしょに。
いっしょに今を生きられるんだから。
だから、千鶴姉さん。
笑ってよ。
千鶴姉さんが笑っていてくれれば、私は幸せになれるから。
大丈夫だから。
元気になれるから。
そんな悲しそうな表情はしないで。
(やっと教えてくれたね)
え?
今、声が聞こえた。
千鶴姉さん?
ううん、違う。
千鶴姉さんの声じゃなかった。
どちらかといえば。
そう、私の声だったようなそんな気がする。
でも、確かに聞こえた。
(やっと教えてくれたね、楓の心)
後ろから?
楓は振り返った。
しかし、そこには誰もいない。
月明かりだけに照らされた、静かな自分の部屋があるだけ。
写真立ての置かれた机と。
楓を優しく包んでくれるベッドと。
お母さんの鏡台。
無理いって私がもらった、最初で最後のわがまま。
あれ?
鏡台は閉じておいたはずなのに。
(そう、こっちだよ)
声は鏡の中から聞こえてくる。
誰だろう。
私を呼ぶのは。
私によく似たこの声は、いったい誰の…。
「エディ…フェル?」
鏡台の前に立っているのは、私。
柏木楓。
でも鏡の中に写っているのは、私じゃない。
遠い異国の装束。
どこか懐かしい。
そんな不思議な感じがする。
でも、私はこの服を…そう、よく知っている。
だって、あれは…。
(伝えたいことがあるの)
鏡の中のエディフェルが微笑んだ。
優しい表情。
長いあいだ、私はそれを忘れてしまっていた。
そう、昔は私も笑っていたのに。
でもエディフェルは、私に何を伝えたいの?
(私に縛られないで、楓)
ワタシニ…シバラレナイデ?
ううん、そんなことない。
私はエディフェルのことを、怒ったり怨んだりしてない。
あなたはもう1人の私だから。
私の大切なもう1つの心だから。
縛られたりはしてない。
(私が望んだのはジローエモンとの幸せな日々)
そう、エディフェルの最後の願い。
耕一さんとの生活。
でも…。
ごめんなさい、エディフェル。
私は耕一さんが好きだけど、私の願いは。
(何も違わないよ)
え?
でも私の願いは、あなたの願いとはもうズレてしまった。
私の望む幸せは、あなたの願いと少し違ってしまったの。
だって私、姉さん達と笑っていたい。
話だって、もっともっとしたいから。
だから…。
(それでいいのよ)
エディフェルの微笑みが、さらに優しくなった気がする。
でも、どうしてそれでいいの。
私はあなたを裏切ろうとしている。
もう1つの私の心なのに。
私は自分の望みを叶えたいと思ってる。
なぜ、優しく微笑んでいられるの。
(笑うことを、ジローエモンが教えてくれた)
ああ、そうか。
その一言で、私には十分だった。
幸せを感じれば、人は笑っていられる。
でも、そうでないときは。
あのときエディフェルが望んだ幸せは…。
(だから楓も、笑っていて)
エディフェルは、そういい残していってしまった。
鏡には、もう自分の顔しか写っていない。
笑わなくなってしまった、私の顔しか。
でも…。
エディフェル、ありがとう。
私、笑ってみるよ。
それは、2人の願いだから。
「耕一さん」
会いに来て下さい。
千鶴姉さんや梓姉さんや私や初音に。
今なら…。
笑顔で耕一さんを、迎えられそうだから。
******************************
「…………」
「え? お疲れ様って…」
キョロキョロ。
「…………」
「あ、先輩」
「…………」
「そうなんですよ。やっと書きあがりました」
「…………」
「調子ですか? う〜ん…」
「いいに決まってるでしょ。美人姉妹といっしょにいるんだから」
背後から腕で首締め。
「だあぁーーーーーーーーーー」
「ね? 斗織」
にっこり。
「あ…、はい」
「…………」
「これぐらい大丈夫よ、姉さん。ちょっとふざけてるだけだし」
「いや、苦しいんですけど…」
「…………」
「大丈夫だって。ね、斗織」
「できれば…」
「ね!」
目がキラッ。
「は、はい。大丈夫です」
「ほらね。斗織も大丈夫っていってるでしょ」
「…………」
「脅迫なんかしてないよ」
「…………」
「だったら、姉さんもしてみる」
「え? もしかして、2人がかり?」
「そうよ、斗織。2人がかり」
「それって…」
「楽しそうでしょ」
ポッ。
「え?」
「え?」
「ちょっと姉さん? 何、赤くなってんの」
「…………」
「抱きつくなんか恥ずかしいって…」
「違う違う。これは、ふざけてるだけだってば」
「…………」
「仲良しなんかじゃないの」
「…………」
「だから、何も隠してなんかない」
「…………」
「だから、違うっていってるでしょーーーーーーーーーー」
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というわけで楓編です。
お楽しみいただけましたでしょうか。
私的には、楓とエディフェルはシンクロ率低いです。
だから別人格っぽく書いてみました。
逆に、千鶴さんとリズエルはシンクロ率400%です(笑)。
やっぱり楓ちゃんには笑っていて欲しいですね。
誰のエンディングかは別にしても。
千鶴さんも楓ちゃんも、ある意味、時間が止まったままですから。
笑う角に福がくるよう祈ってます。
レスをいただいたみなさん。
本当にありがとうございます。
なんかもう、誉められるとは思ってなかったもので…。
舞い上がってしまって。
梓ファンの人も多くて、ちょっと嬉しかったです。
最後になりますが、Yさん。
1週間のポスト、ありがとうございました。
メールアドレスの変更は、無事に終了しました。
今回から、自分のアドレスで投稿します。
それでは、みなさんにまたお会いできるよう。
がんばって次を書きます。