Creators! 第四話『襲撃』  投稿者:へーのき=つかさ


 窓から眩しい日の光が差し込み、小鳥のさえずりがさわやかな朝を演出する。
 そう、朝だ。
 生物達はゆっくりと生命活動を再開させる。
 ローマが滅びようが、世界大戦が勃発しようが、メディアが崩壊しようが、朝はいつも
と同じようにやってくる。
 そう、いつもと同じように…

 ぼ〜っ…

 猪名川由宇はベッドの上に座り込み、緩みきった惚けた顔をしていた。
 それは顔だけに止まらず、服装までがだらしない。
 髪も結ばず、眼鏡もかけず、ビッグサイズのTシャツを上から羽織っているだけ。
 しかも肩が見えている。
(あ〜 眠ぅ…)
 よろよろとベッドから降りる。
 せっかく揃えてあったスリッパをグシャリと踏み潰し、裸足のままぺたぺたと洗面台ま
で歩いてゆく。
 そして…

 スッコーン!

 部屋中に脱ぎ散らして会った下着に足を滑らせ転倒、派手に地面に頭突きをかました。
「………」
 流石に今のはヤバかったか。
 由宇は全く動かない。
 彼女は一体全体どうしてしまったのか!?
「グ〜っ…」
 ……二度寝していた。



          ====================

                COMIPA THE MOVIE
                  Creators!
                 第四話『襲撃』

          ====================



 同じ日の朝、千沙とあさひは社員食堂で朝食を摂っていた。
「はあ……こんな広い場所で、しかも誰かと一緒に御飯を食べるなんて何ヶ月ぶりだろう
…」
「そ、そうなんですかぁ…」
 やや引きつりながら相づちを打つ。
「しかも普通の御飯とお味噌汁、レトルトじゃない…」
「………」
 不憫だ…
 千沙はだくだくと涙を流していた。

「それはそうと、猪名川さん、どうしてるんだろう」
 ピタ
 千沙の箸が止まった。
「あれからほとんど部屋から出てきてないみたいだし……心配だなぁ」
「……そうですね」
「一日中これからの事考えてるのかな。もしかして、今も一生懸命頭捻ってるのかも…」


<現在の由宇の状態>
「ZZZ……むにゃ…」


「………」
 千沙の手は完全に止まり、数日前の事を思い出していた。


『アンタを連れてきたのは間違いだったかもな…』
『邪魔や』
『ただの一般人をウチ等の戦いに巻き込むわけにはイカン!』


(千沙は、千沙は一体どうすればいいんですか?)
 そんな事を自分に訊ねてみる。
 当然答えは出ない。
(千沙は、"ただの女の子"なんですか? 何かあってもただ護られるだけの、"普通の女の
子"なんですか?)
 自分の疑問を自分に投げかけ続ける。
(お姉さんに才能があるって言われた時、千沙は自分に他の人とは違う何かがあるんだと
思いました。お姉さんみたいな『クリエイターの力』まではいかなくても、何か普通の人
とは違う物が…)
 本来なら由宇に問うべき事柄を、自分の胸の内で繰り返す。
 そして、もうひとつの疑問がある。
 『神のシステム』
 これは一体何なのか?
 システムというと、由宇、詠美、あさひの持っていたキャラクターについての詳細が書
かれたファイルが浮かぶ。
 すると、神が書いたシステムという事になるのだろうか?
 それとも、神を呼び出すシステム?
 いや、もしかしたら全然違う物なのかもしれないが。
(分からない事が、多すぎます…)


                   〜§〜


 食事が終わると、千沙は自分の部屋に戻ってきた。
 正確にはあさひの部屋で、そこに千沙が居候しているのだが。
 ちなみにこの前彼女が潜んでいた楽屋ではない、ちゃんとテーブルも椅子もベッドもあ
る普通の部屋だ。


「あれ?」
 何気なく本棚を眺めていると、一冊の本が目に留まった。
 やたらと古臭い、ハードカバーの本。
 タイトルは書いてない。
 手にとって見る。
「これ、日記じゃないですか」
 本の表には金色で"DIARY"という文字が彫られていた。
 それに、よく見ると古臭そうに見えるのは元々のデザインらしい。
 もっとも、表紙の擦り切れ具合を見るとそれなりの月日は経ってはいるようだが。
「桜井さんの日記ですかぁ…」
 そこで、ふと良からぬ考えが浮かんだ。
(この日記に『神のシステム』について何か書かれてるかも)
「い、いけませんっ!」
 ブンブンと首を振り、邪念を吹き飛ばそうとする。
(日記は人に読ませるための物じゃないです、プライバシーの侵害です! もし自分の書
いてる日記を他の人に読まれちゃったりなんかしたら恥ずかしいじゃないですか!)
 とは言っても、
(『神のシステム』が何なのか解き明かさない限りお姉さんとの仲は修復できそうにない
ですし…)
 結局、心の中であさひに謝りながら隠れて読む事にした。


 始めのうちは、このメディアタワーでどんな仕事をしているかが機械的につづってある
だけだった。
 しばらく読み進めていくと文の中に自分の感情を挟むようになり、由宇や詠美といった、
おそらく同僚であろう人物達との間で起きた他愛も無い出来事が多くなってきた。
(あれ?)
 読んでいるうちに、千沙はある人物の名前がやたらと連呼されている事に気付いた。
 『千堂和樹』
 それがその人物の名前だった。
 どうやら彼女の上司でかなり偉い人らしいのだが、付き合い方を見るとただの同僚──
いや、気心知れた友達といった感じだ。
 だが、それは表面上であり、あさひ自身は和樹に淡い恋心を抱いていたようだ。
(こ、恋のポエムまでありますぅ〜)
 千沙、むずがゆくなってベッドの上で転げ回る事5分程。
 再び日記を読み進める。
「あっ! もしかしてこれが…」
 とうとう手がかりらしき物を見つけたようだ。
 日記にはこう書かれていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

○月×日 晴れ

 今日、千堂さんが例のシステムが書きあがったと言っていた。
 明日そのシステムを試してみるそうだ。
 その場に立ち会えないのが残念。
 でもコンサートの日程を変えるわけにはいかないから仕方ない。
 明後日の夜には帰って来れるから、その時いろいろ教えてもらおうと思う。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(多分この例のシステムっていうのが『神のシステム』ですね)
 次の日はコンサートの模様が書かれていた。
 そして、その翌日。
 わずか一言、こう書かれていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

○月△日 曇り

 千堂さんが失踪した。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「え…?」
 何の脈絡も無い。
(い、一体どういう事なんですか!?)
 千沙はどんどん読み進めていく。
 日記の内容は初期の頃のような機械的な文章に戻り、メディアタワーが、日本のメディ
ア全体が衰退してゆく様が淡々と綴られていた。
 だが、その千堂という人が失踪した理由はどこにも出ていない。
 あさひはその理由を知らされていないのだろうか?
(気になりますぅ〜 どこかにちょっとでも載ってないんですか?)

 パラリ…

「!?」
 千沙の手が、あるページで止まった。
「こ、これって…」

 ドクンッ!

 心臓が激しく脈打つ。
(嘘……そんな…)
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 千沙は思わず叫んでいた。


 ザザッ!
「きゃっ!?」
 自分の部屋のドアを開けたとたん、小さな影があさひの横をすり抜けて行った。
「塚本さん?」
 千沙はその呼びかけには答えず、廊下を走って行ってしまった。
(どうしたんだろう? あんなに急いで…)
「あっ!?」
 目が部屋の一点に釘付けになる。
 大事な日記が開いた状態で床に落ちていた。

 ボッ!

 あさひの顔が真っ赤に染まる。
(つ、つつ塚本さんたらあたしの日記を!)
 慌てて日記を拾い上げる、そして、そのページに釘付けになった。
(これは…)
 そこには、あさひにとって最凶最悪の思い出が記されていた。



 ビルの最上階、優しい風が吹き抜けてゆく。
 だが、それは千沙をさらに惨めな気持ちにさせていた。
「グスッ……ううっ…」
 ゴシゴシと袖で涙を拭く。
 でも、拭いても拭いても涙は止まらない。
(もうあの事は忘れようと思ってたのに、楽しかった時の思い出だけを持って生きていこ
うって誓ったのに!)
 ガンッ!
 手すりを拳骨で殴り付ける。
 痛い。
 でも、それ以上に心が痛かった。
(まさか、こんな形で仇が現れるなんて!)


                   〜§〜


 がらーんと空いた社員食堂。
 たったひとりの客である由宇は、かなり遅めの昼食を摂っていた。
「はあ…」
 気の抜けたため息を吐く。
 目の前にあるのは蕎麦一杯。
「蕎麦のツユが黒すぎるのはともかく、なんか最近食欲出んなあ…」
 こんな変な時間に来られそのうえ料理にケチを付けられた調理師達が頭に湯気を立てて
いたりするのだが、まだ眠そうな目をした由宇は全く気が付かない。
 最も、シャッキリしてる時はその時で完全に無視してそうだが。
「疲れとるんかな? 最近やたらと眠いし」
「猪名川さん!」
 食堂の入り口からひとりの女性社員が飛び込んで来た。
「猪名川さん、お食事中のところ悪いのですが力を貸して下さい!」
 ずるずるずるずる…
「味濃いなあ……喉乾くやん…」
「あの、猪名川さん?」
 由宇はマイペースに蕎麦をすすっている。
 女性社員は少し目眩を感じたが、なんとかググッと持ちこたえた。
 胸を張り、すぅーっと息を吸い込む。
 そして、一気に吐き出した。
「『おたく狩り』が来ましたっ!」
「………」
 一瞬、食堂内の時間が止まる。
 そして…
「何ぃぃぃぃぃ!?」
 由宇の絶叫が響き渡った。


                   〜§〜


 メディアタワー玄関、そこを黒づくめの男達が包囲していた。
「ここか、桜井あさひのいる場所は?」
 ひとりの大柄な男が口を開いた。
 眼鏡をかけて紺のスーツを着込んでいるが、素晴らしいまでに似合っていない。
 逆立った髪、
 鋭い眼光、
 顔に走る傷痕。
 迷彩服あたりに着替えてマシンガンを持たせるとぴったりな気がする。
 または薄汚れた道着などもいいかもしれない。
 とにかく、そういう物が似合いそうなむさ苦しい男だった。
「はい、間違いありません」
 その男に、部下らしき男が先程の問いに答えた。
「桜井あさひはこのメディアタワーに軟禁生活を送っています。警備員はいる事はいます
が、我々の敵ではありません」
「では、ターゲットの捕獲には何の問題も無いと?」
「はい」


「アイツ等がおたく狩りの連中なんか?」
 窓から下を覗き込んでみると、十数人の男達が徘徊していた。
「はい、実際に見たのは私も始めてなのですが」
「ウチだって始めてや」
 由宇はそう言うと、窓に足をかけた。
「猪名川さん!? 一体何を…」
「奇襲や」
「ちょっと待って下さい、ここは10階ですよ!?」
「関係あらへん!」
 女性社員の制止を振り切り、由宇は窓から飛び出した。



「あの、塚本さん…」
 反応は無い。
 千沙は屋上の手すりに両手を乗せ、その上に顔を埋めている。
「あ、あああたしね、別に隠そうと思ってたわけじゃないんだ。た、ただ、わざわざ自分
から言うような事じゃ無いかなって…」
 やはり反応は無い。
 言い訳がましい事を言ったのがさらに怒らせてしまったのだろうか?
 しかし、とにかく何か言わなければ。
「あの『有明の惨劇』の事で怒ってるんだよね? おたくの大規模暴動の…」
「返して…」
 不意に千沙が口を開いた。
「え?」
「返して下さい……お父さんとお母さんを、返して下さいっ!」



 ガガガガガガッ!

 無数の光弾が男達に降り注ぐ。
 突然の奇襲に、数人の男達があっけなく地面に倒れ伏した。
 うろたえながらも、残った者達は上を見上げる。
 そこにいたのは、太陽を背に神々しく浮かぶ、白い戦乙女。
 ……と、その背中にへばりついた一人の女性。
「何が目的なんかは知らんが、アンタ等の好きにはさせへんでぇ!」
 マルチは宙に浮いたまま銃を乱射する。
 男達は慌てて散らばった。
(ん?)
 由宇は、その中にひとりだけ雰囲気の違う男がいるのを見つけた。
 雰囲気だけでは無い、外観からして他の男達より一回り大きい。
 その男は、こちらの攻撃に気づいた風も無く──いや、実際には気づいているのだろう
が──静かに佇んでいた。
 まるでその場だけ時間が止まっているかのように…
 散った男達が自分達から十分な距離を持っているのを確認すると、由宇はゆっくりとマ
ルチを地面に着地させた。
 巨漢の男は、やはり動かない。
(なんかムカツクなぁ…)
 マルチを自分の前に立たせ、由宇はゆっくりと男に歩み寄る。
 男は目を閉じていた。
(不気味なやっちゃな、やっぱこのまま撃ってまうか?)
「猪名川、由宇だな…」
 不意に男が口を開いた。
 ザッ
 由宇は思わず一歩下がった。
(ウチの事を知っている? 何者や!?)
「桜井あさひだけかと思っていたが、まさかお前までいたとはな」
「アンタは一体何者なんや!」
「俺か? 俺はおたく狩りの立川だ」


「くぅ…」
 息が苦しい。
 襟首を両手でがっしり掴み、吊し上げるような形になっている。
 この小さな体のどこにこんな力があったのだろうか。
 ギリッ、ギリッ、
 締め付ける力が強くなってゆく。
 屋上の手すりは胸ぐらいまでの高さまである。
 体を持ち上げでもしない限り、転落する心配は無い。
 頭では分かっていた。
 しかし、酸素不足と吹き抜ける風と青く底の見えない空があさひの正常な思考を奪って
いった。
 千沙は完全に我を失っている。
 あの愛らしい笑顔は失われ、憎しみに満ちた凄まじい形相を浮かべている。
(このまま死ぬかも…)



「さあ、狩りの時間だっ!」
 ブワッ!
 立川から凄まじい闘気──いや、"殺気"が膨れ上がり、弾けた。
 それは風となり、立川のスーツ、そして由宇のマントを吹き上げる。
(な、なんなんや!?)
 由宇は手で吹き付ける風から顔を守った。
(このでたらめな闘気は一体なんなんや!? まるで漫画…)
 そこで、気付いた。
「まさかアンタはっ!」
「その通り!」
 立川の目が金色に輝く。
「俺はクリエイター! コスプレの力を持つクリエイターだ!」

 コスプレイヤーには、漫画家や声優達とは大きく違う点がある。
 それは自分自身がキャラクターに成りきるという点である。
 簡単に言えば、自分の体にクリエイターの力を纏わせ人を超えた力を振るう事ができる
ようにするのだ。
 ただ、コスプレには非常に大きな欠点が存在する。
 他のクリエイターの場合、キャラクターが受けたダメージは精神ダメージになって返っ
てくるだけですむ──最も、強力なのを食らえば一発で死ねるが。
 だが、コスプレイヤーの場合は精神ダメージと同時に肉体的ダメージを受けてしまう。
 単純計算にして二倍。
 当然だ、自分の体で戦っているのだから。

(しかし…)
 間合いを取り、由宇は身構えた。
(なんでおたく狩りのコイツがクリエイターの力を使えるんや?)
「不思議か? おたく共を狩る俺がクリエイターの力を持っているのが」
 由宇の思考を読んだかのように、立川が口を開いた。
 もちろん彼に思考を読むなんて事が出来るわけでは無い。
 ただ単に、誰でも同じ事を考えるというだけだ。
「そうや、なんで狩る側の人間がその力を持ってるんや? いや、例え持っていたとして
も隠し通すはずや。クリエイターは粛正の対象なんやから!」
「そうだ、その通りだ」
 立川は平然としている。
 それが由宇を苛立たせた。
「だったら…」
「だがな、おたく共の生み出した力でおたく共を狩る。これこそ最高の狩りだと思わぬか?」
「なんやて…」
 由宇の顔が歪む。
「おたく共が絶滅すれば、次に俺が狩りの対象になるだろう。だが、それも本望!」
(狂っとる!)



 カタン…
 そんな音がしたような気がした。
(何…?)
 すでに白い靄のかかってしまった頭で考える。
(あっ!?)
 心の中で悲鳴をあげる。
 屋上の扉から黒づくめの怪しい男が現れたのだ。
 そして、腰から抜いたのは黒光りする拳銃。
 狙いは、自分達。
(撃たれる!?)
 消えかかっていたはずの意識が一気に覚醒した。
 何故だかは知らないが、怪しい人物が現れて自分達に銃を向けている。
 そして、千沙はその事にまったく気付いていない。
 このままでは自分が、千沙が殺されてしまう。
(塚本さんを死なすわけにはっ…!)
 締まる首に力を入れ、必死に声を絞り出す。
「マジカル、ユキ……狙、うは…黒づくめの、男…」
「!?」
 おそらく自分に向かって攻撃しようとしていると思ったのだろう。
 千沙の手の力がさらに強くなる。
 だが、あさひの気合がそれを上回った。
(死なせない……あたしなんか死んだって構わないけど、塚本さんは死なせない!)
「我は、投ず……光の、槍!」

 ブゥゥゥゥン…

 千沙の背後に桃色の戦乙女が現れる。
 突然の事に、侵入者は反応できない。
 動けない的に、ユキの手から文字どおり光の槍が投じられた。
「ぐわぁっ!」
 槍は男の胸に突き刺さった。
「……!?」
 突然の背後からの悲鳴に、千沙は驚いて後ろを向く。
 そして、一人の男が倒れているのを見た。
「にゃぁっ!? だ、誰ですかこの人は!」
 その手から銃が落ちるのを見て、さらに千沙は混乱する。
「塚本さん…」
 あさひは、脅える千沙の肩に手を置いた。
「何かが起きてる。裁きは後で受けるから、今は一緒に行こう…」



 ズガガガガガ!

「効かん! 効かんなあ!」
 マルチの銃撃は確かに立川の体に撃ち込まれている。
 だが、全くダメージを与えているようには見えない。
「なんで効かないんや!?」
「ふん、お前は俺達のブラックリストでもトップクラスだからな。全て調べ済みだ。お前
のキャラクターが電撃攻撃を得意としている事もな」
「そうかい、ウチも随分と有名になったもんや」
 立川が一気に間合いを詰める。
 マルチはバーニアを噴かせて後ろへと跳んだ。
 構わず、立川は引っかくようにして大きく右手を振り抜いた。
 今の間合いなら当たらない、そのはずだったが…

 ピシッ

「何やて!?」
 チクリと差すような痛みが頭に伝わる。
 見ると、マルチの腹部に浅い三本の切り傷ができていた。
「どうして、って顔だな、猪名川由宇」
 立川が右手を眼前に掲げる。
「その手…」
 立川の右手が、"変形"していた。
 何と言えばいいのだろうか?
 手のサイズがひとまわり大きくなり、どす黒く変色している。
 太く節くれ立った指。
 そこから生えたナイフのような爪。
 人間の手ではない。
(優れたコスプレイヤーは自分の容姿をも変える事ができると聞いとったが…)
 マルチに構えをとらせる。
(コイツ、ただモンじゃない!)

「さあ、鬼の手に大人しく狩られろっ!」
 立川が再び変形した右手を──彼の言葉を借りるなら鬼の手を──大きく振りかぶり走
り出した。
「二度も食らうかいっ!」
 マルチはバーニアを噴かせて上空へと舞い上がった。
「いくらアンタでも空は飛べんやろ!」
 だが、立川は走るスピードを落とさない。
 真っ直ぐと"由宇に向かって"走り続ける。
「え…?」
「馬鹿者め! 俺の狙いはお前の命なのだぞ!」
「クソがぁっ! アンタにはクリエイターの暗黙の了解ってのがあらへんのかっ!」
 由宇は全身のバネを使って横に飛ぶ。
 だが…
(駄目や、体が重い…)
 普段通りの動きができない。
 立川の爪が迫る。
「おおおおおおおおっ!!!」
 由宇は体を反転させ右で前蹴りを放つ。
 狙いは、立川の手首!
「何っ!?」
 由宇はそのまま右足に体重をかけ、跳んだ。
 実際には吹っ飛ばされたと言った方が良かったかもしれないが、とにかく爪の斬撃だけ
は免れた。
「行け! カラミティ・マルチ!」
 宙に浮いたまま、着地するまでの間に次の絵を描く。
「無駄だっ! 銃は効かない、ボルトフィンガーを使うには間合いが離れ過ぎている!」
「甘いわぁっ! ホンモノの漫画家は読者を裏切り続けるモンなんや! いい意味でな!」
「裏切るだと!?」
 立川はハッとして振り返った。
 そして、自分に向かって飛んでくる"銀色の円筒"を見た。
(ミサイルだと!? 電気の銃弾では無く!?)
 避けようとしたが、間に合わない。
 ミサイルは立川がガードのために挙げた腕に着弾した。

 ドウンッ!

 一瞬の閃光の後、爆風が吹き荒れた。
「くっ、ちょいと爆心地から近すぎたか!」
 由宇は頭からマントを被り、飛び散った石や砂から身を守る。
 幸い爆風に巻き込まれて怪我をする事からは免れたようだ。

 そして、砂煙が晴れた後……そこには肩膝をついた立川の姿があった。

「やっぱり一筋縄ではいかんようやな。今の『ハイドロミサイル』は切り札のひとつやっ
たんやけど」
「ほお……今のはハイドロミサイルというのか。新技だな?」
「ああ、電気の効かない相手に出くわした時のために考えておいたんや」
「大庭詠美との戦いを教訓にしてな」
(くそっ、そこまで知っとるんか…)
 ブルッ
 由宇は体を震わせた。
「まあええ、ここでぶちのめしてまえばアンタ等のストーカー活動も終わりや」
「ならばやってみろ。俺を倒してみろ!」
 立川の爪が立て続けに繰り出される。
 由宇はマルチの背中に飛びつき、飛んで攻撃をかわす。
(銃で牽制、隙を見てハイドロミサイルをぶちかましたる!)
 マルチは十分な高度をとった。
 そのはずだった…
「!?」
 立川の顔が目の前にあった。
「馬鹿なっ!?」
「これぐらいならひと跳びだ!」
 立川の爪が煌いた。


「はぁ、はぁ、はぁ…」
 由宇は地面にうずくまり、荒い息をついていた。
 マルチを前に立たせてはいるが、それに意味は無い事は分かっていた。
 クリエイターが動かなければ、キャラクターも動けないのだから。
 直接爪を受けるよりはキャラクターに盾になって貰った方がダメージが少ない。
 ただそれだけの事だった。
 最も、相手がマルチを避けて自分を狙ってくれば全く意味はないのだが。
(立たなアカン…)
 膝に手を当て、なんとか立ち上がろうとする。
 しかし、力が入らない。
(体が言う事聞いてくれん…)
 立川がゆっくりと近づいてくる。
「猪名川由宇」
(殺される!?)
 しかし、次の彼の行動は由宇の考えている物とは違っていた。
「俺の質問に答えれば、命だけは助けてやらんでもない」
(なんやて?)
 由宇は顔を上げた。
 マルチを挟み、立川と対峙する。
「俺達は元々お前達を殺すためにここに来たわけでは無いからな」
 そう前置きし、本題を切り出した。
「神のシステムはどこだ?」



「我なびかせしは炎のカーテン!」
 魔法の業火が通路の影に隠れた侵入者を昏倒させた。
 それを確認すると、あさひは移動のための台詞を──エレベーターは危険だし、階段を
降りるのは体力的に無理なので──唱える。
 千沙は黙ってあさひの後ろに付いていた。
(お姉さん…)



「ふざけんなやっ! 誰がアンタ等なんかに教えるかいな!」
 実際は神のシステムの在処など知らない。
 その情報を求めてここにやって来たのだから。
「そうか、なら仕方無い。桜井あさひに訊くか」
(あさひ……しまった!)
 今頃気付いた。
 自分はまだあさひに訊ねていないのだ。
 神のシステムの在処を知らないかと。
(ここんとこのごたごたの所為ですっかり忘れとったわ)
 しかし、今更思い出したところで遅い。
 とにかく今は、なんとか立川を止めてあさひを守らなければ。
「待たんかい、この筋肉ダルマ!」
「なんだと…?」
 メディアタワーの入り口に向かっていた立川は、足を止め振り返った。
(ハッタリでええんや。なんとかせな)
 由宇は無理矢理笑みを浮かべて立ち上がった。
「ウチはまだ倒れてへんで。もしあさひのところに行こう言うんならウチにトドメを刺し
てからにしたらどうや」
「そうだな、お前には最高の苦痛を与えてやろう」
(へ? ちょ、ちょっとタンマ! もう少しウチの戯れ言に付き合ってくれても…)
「食らえ、鬼の爪!」
 立川の右手が突き出される。
(アカン、避けんと…)
 が、自分の体はおろか、ペンを持つ手すら動かない。
 ザムッ!
 爪はマルチの腹部に深々と突き刺さった。
「ぐぁぁっ!」
 マルチの受けたダメージが精神ダメージとなり由宇の頭を打つ。
 由宇は頭を抱えてへたり込んだ。
「さあ、綺麗なソプラノを聞かせてくれよ…」
 立川の左手がマルチの頭部を鷲掴みにする。
 これから何をしようとしているのか、それに気付き由宇は顔を強張らせた。
「ア、アカン……それはアカン…!」
 立川の左手に力が入る。
 ミシッ…
 そんな音がした。
「……っ!?」
 由宇の頭に新たな激痛が走る。
「お願いや……それは、それだけは堪忍してや…」
 立川は何も答えない。
 メキッ、ミシミシミシ…
「かっ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 目に見えてマルチの頭部が変形してゆく。
 真っ赤に焼けた鉄杭を全身に打ち込まれたような感じ。
 有刺鉄線で縛り上げられ、針の山の上を引きづられるような感じ。
 マグマの海に、少しずつ、少しずつ沈められていくような感じ。
 想像すらできないが、きっと実際にやられたらこんな感じかもしれない。
 全身の神経が弾け飛んでしまいそうな気がした。
「やめ……堪忍……頼む、から…」
 由宇は涙をぼろぼろこぼしながらごろごろとのた打ち回る。
「さあ、トドメだ…!」
 立川はひしゃげた頭部から手を放すと、コキコキと指の間接を鳴らした。
「死ね!」

 ゴンッ!

(ああ、これでウチは死んだんか…)
 既に痛覚の限界を超えて何も感じなくなっていた由宇には、その音がやけに大きく聞こ
えていた。
(まだやり残した事いっぱいあったんやけどな……描きたいネタは一杯ストックあったし、
行ってみたい場所もたくさんあったし、いっちょ前に恋愛なんてものしてみたかったし、
それに…)
 一人の少女の顔が浮かび上がる。
(まだ、千沙と仲直りしてへんし…)
「お姉さんっ!」
(ああ、とうとう幻聴まで聞こえてきよった……これはますますヤバイな…)
「しっかりしてください! 目を覚まして下さい!」
(千沙がウチをゆさゆさ揺すっとる……コラ、そんなに強うしたら頭に来るって……アレ?)
 幻聴ならともかく、体が揺すられるなんてのはおかしい。
「お姉さんっ! お姉さんっ! 目を覚まして下さい!」
「千……沙…?」
 目の前に千沙がいた。
 大きな瞳に、たくさんの涙を流して。
「死なないでください! お願いですから……キャッ!」
「千沙!?」
「よくもやってくれたな、今のはなかなか効いたぞ…」
 千沙は片手で襟首を掴まれ吊るされていた。
 立川は後頭部を押さえている。
 そこから赤い物が流れているのが見えた。
 そして、その足元にはやはり赤く濡れた鉄パイプが…
(千沙、それで殴ったんか!?)
 今までの彼女からは想像もできない行動だった。
 由宇が驚くのも無理はない。
「おい、小娘」
 立川が口を開いた。
 千沙は身を縮み込ませる。
「こんな奴と一緒にいてもいい事はないぞ。もし俺達に付いてくるなら今の愚行は見なか
った事にしてやる」
「え…?」
 千沙はてっきりこのまま殺されると思っていたが、意外にも男は答次第では見逃してく
れると言ってきた。
 もちろん彼女はこんなところで死にたくなんか無い。
 でも…
「千沙は、千沙はお姉さんと一緒にいたい……いえ、嫌だと言われても付いていきます!」
 由宇を裏切って生きていたところで、意味が無い。
 決して軽い気持ちで由宇に付いて行ったのでは無いのだ。
 流石にここまでハードな状況になるとは思ってもみなかったが、自分は由宇にずっと付
いていくと決心したのだ。
「そうか…」
 立川の目が、一瞬伏せられる。
 だが、次の瞬間はおたくを狩る狩猟者の目に戻っていた。
「ならば、お前から殺してくれる!」
 鬼の手を振り上げる。
「我与えるは閃光の裁き!」

 ジュァッ!

「ぐぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 立川の右腕が消し炭になって吹っ飛んでいた。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!?」
 拘束が解け、千沙が転がるように離れる。
「お前は……桜井あさひ! 何故ここに…」
 あさひは、キッと立川を睨み付けていた。
「あなたが何者なのかは知らないけど、もうあたしは傍観なんかしない! みんなが死ん
でいくのをただ指を咥えて見てるなんかイヤ! 例え結果的に助けられなくても、あたし
は全力を持って戦う!」
「そうか……ならば死ね!」
 シュゥゥゥゥゥ…
 立川の右腕が再生してゆく。
「バ、バケモンが…」
 由宇が毒づく。
「バケモノで結構!」
 同時に、無事な左手がメキメキと変形してゆく。
「ひぃ…」
 強気な事を言っていたあさひも、所詮は普通の女の子。
 立川の殺気と、変形してゆく左手にすっかり脅えてしまっている。
(くそっ、やっぱりウチがなんとかせなアカンか…)
 とは言っても、体は動かない。
(動けっ! 動けっ! ウチの魂燃え尽きようともっ!)
 しかし、どんなに気合を入れようが無理な物は無理。
 立川があさひに近づく。
「あさひぃぃぃぃぃ!!!」

 ゴンッ!

 千沙の鉄パイプが再び立川の後頭部にめり込んでいた。
「ち、千沙!?」
 その動転した由宇の声に、あっけに取られていたあさひは我を取り戻した。
 『力』を込めた台詞を口にする。
「マジカルユキ、狙うは猪名川由宇……我与えるは女神の祝福!」
 ユキが胸の前で両手を合わせると、ポウッと暖かな光が生まれた。
 その光が膨れ上がり、由宇の体を包み込む。
(なんや? 全身の痛みと痺れが引いていく…)
「猪名川さん! 頑張ってください!」
「分かった、おおきに!」
 由宇のペンがスケブを走る。
「なんだと!」
 立川が振り返るが、もう遅い。
「超電撃、ボルトフィンガァァァァァ!!!」

 ドスッ!

 マルチの手刀が立川の下腹部に突き刺さった。
「ぐぁっ…!」
 立川が苦悶の声を上げる。
「まだやっ! ウチと同じ苦しみを与えてやる!」
 空いているマルチの左手が輝き出す。
「もういっちょ! ボルトフィンガァァァァァ!!!」
 立川の頭を鷲掴みにする。
「ぐぬっ…」
「おらぁぁぁぁぁ! とっととぶち倒れんかいっ!」
「ふんっ……こ、殺すなら殺せ! その覚悟はできている!」
「アホ、ウチにはそういう趣味はあらへん。いいからさっさと倒れろ!」
「ぐっ…」
 立川は崩れ落ちた。



「なあ、これで雑魚共は全員か?」
「はい、警備員さん達と一緒に全員やっつけました」
「そうか、ならええんやけど」
 由宇達三人とメディアタワーの警備員達は、おたく狩りの連中を片っ端から縛り上げて
いた。
「いや〜 二人が駆けつけてくれんかったら今頃どうなってたか。感謝しとるで〜」
「そ、そそそんな……あたしも猪名川さんがいてくれなかったら…」
「千沙もな…」
「は、はい…」
「さてと」
 最後のひとりを縛り上げ、すっくと立ち上がったときだった。
「あ、あれ…?」
 突然バランスを崩し、由宇はヘナヘナとへたり込んだ。
「な、なんか体が……痛たっ! あ、頭が…」
 すがるような顔であさひを見上げる。
 当のあさひは申し訳無さそうな顔をしていた。
「あの、猪名川さん……実は、さっきの回復は一時的な物で、効果が切れると元どおりに
なってしまうんです…」
「そんな殺生な…」
「お姉さん!」
「はは、大丈夫や……それより千沙、さっきの鉄パイプ、ええもん見せてもらったで…」
 由宇は震える手で親指を立てた。
「ナイスファイトや、それでこそウチのパートナー…」
「え?」
 千沙の目が大きく見開かれる。
(今、パートナーって…)
「ウチはしばらく寝る。後はアンタとあさひに任せた。分かったな」
 恐る恐る千沙はあさひに目を向けた。
 しかし、あさひは千沙に笑みを返した。
 千沙の顔にも笑みが浮かぶ。
「分かりました、千沙に任せて下さい!」
「頼む……で…」
 そう言い残すと、由宇はコテンと頭を落として眠りだしてしまった。
「さてと、こんなところに寝かせておくわけにもいかないし」
 あさひはどっこしょと由宇を背負い上げた。
「塚本さん、裁きはいつか受けるよ。このゴタゴタがみんな収まった時に…」
「桜井さん…」
「それまでは仲良くしようよ。ね?」
 あさひは片手を差し出した。
「はい…」




                                第五話に続く

────────────────────────────────────────

次回予告!

 『神のシステム』を求め、『聖地』に向かう由宇達。
 ところが、宿を取ろうとした町に由宇の会いたくなかった人物が!?
 その人物は由宇を引き止めようとする。
 そして、由宇の体に異変が…

「駄目……これ以上クリエイターの力を使わせちゃ駄目!」