Creators! 第二話『The Queen of Power』 投稿者:へーのき=つかさ
 夜。
 雲一つ無い、満月の夜。
 廃虚のようになった町にも月の光は優しく降り注ぐ。
 その夜道を、由宇と千沙は歩いていた。
「にゃぁぁぁぁ…」
「なんや、さっきから」
 千沙は由宇の腕にしっかりしがみつき、先程から良く分からない呻き声のような物をあ
げている。
 周囲はシーンと静まり返り、物音ひとつしない。
 それが辺りの暗さと合わさり、恐怖感を倍増させているのだろう。
 最も、声を出したところでその恐怖感がぬぐえるわけではないのであるが。
「こ、ここには電灯とかは無いんですかぁ」
「無い」
 きっぱりと由宇は言い切った。
 千沙の顔が目に見えてひきつる。
「ここはゴーストタウンや、住人は誰もおらん。誰もおらんのやから電灯も必要あらへん
のや」
「なら懐中電灯使いたいですぅ〜」
「アカン。最近電池高いんやから」
「うぅぅぅ…」
「泣くんやない」


                   〜§〜


 ギィィ…
 重い鉄の扉を開ける。
 その先には、真っ直ぐどこまでも伸びる廊下があった。
「お姉さん…」
「一本道や、電気はいらん」
「しくしくしくしく…」
 由宇は壁に手を当て、スタスタと廊下を歩いてゆく。
 千沙はその腕にすがり、涙を潤ませながら廊下を歩いてゆく。
「あの、お姉さん?」
「ん?」
 千沙に呼びかけられ、返事を返す。
 ただ、足は止めないまま。
「この先には一体何があるんですか?」
「この先か…」
 そこで、一旦切る。
「戦場や」



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                  Creators!
             第二話『The Queen of Power』

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「くらえっ!」

 ドキュン!

 カラミティ・マルチの撃った弾は男の眉間に命中し、彼はそのまま崩れ落ちた。
『勝者! 赤コーナー、猪名川由宇!』
 やかましいほどのアナウンスが響き渡る。
 そして、それと同時に巻き起こる大歓声。
 彼女はグッと拳を振り上げ、その声に答えた。
「………」
 一段高い立ち見席で、手すりに寄りかかり千沙はその光景を呆然と眺めていた。



「ひ、非合法地下闘技場っ!?」
「そうや」
 由宇はなんでもないという風に、さらりと言い退けた。
「何をそんなに驚いてるんや」
「お、驚きますよぉ!」
 千沙はブンブンと手を振り回した。
「だって非合法ですよ!? 悪い事じゃないですか! それに闘技場だなんて…」
「大丈夫やって」
 由宇はよっこらせと椅子から立ち上がった。
「負けたりはせんよ。それに、ウチの目的は別にある、戦う事は手段に過ぎん…」



(別の目的……かぁ…)
 千沙は止まない歓声の中、ぼーっとここに来た時の記憶を呼び起こしていた。
(お姉さんはどうして旅をしてるんだろう)
 いろいろと考えてみる。
 漫画の修行?
 いや、漫画の修行のために旅をして回るなどというのは考え難い。
 ただの旅好き?
 いや、だったらこんな危険なところになんか来ないはずだ。
 もしかして、目指すは格闘王?
 いや、彼女は自分で戦う事は目的で無いと言った。
(うう〜ん…)
 さっぱり分からない。
「千沙」
「にゃあっ!?」
 突然後ろから方を叩かれ、千沙はピョンと飛び上がった。
 ぱっと後ろを向く。
「な、なんだ、お姉さんでしたか…」
「ウチ以外に誰がアンタに声かけるんや。行くで」
「は、はいぃ」



 自分にあてがわれた部屋に戻る。
「さてと…」
 由宇はマントの下からスケブとGペン、そして、もう一冊のファイルを取り出した。
「あれ? それは何ですかぁ?」
 千沙はそのファイルをみるのは初めてだった。
 真っ黒で飾り気の無い、頑丈な実用一点張りの物だ。
 タイトルらしき物は……無い。
「これか? これはクリエイターの間で『システム』と呼ばれとるモンや」
「システム…?」
 いきなりそんな専門用語を出されても困る。
 千沙は漫画の描き方は教わっていたが、クリエイターに関する事は全く教えてもらって
いない。
 由宇は説明を始めた。
「なあ千沙、クリエイターってのは頭の中のイメージをメディアを介して実体化させる事
ができる人間の事や」
「メディア?」
「そうや、ウチの場合は漫画やな」
 スケブを見せる。
「という事は、漫画以外の物を使う人もいるんですか?」
「そりゃあな、でもそれはとりあえず置いておこう。さっきメディアを介してイメージを
実体化させるって言ったな? ここでひとつの問題が起きる」
「問題?」
「そう、実体化された物……ウチ等の間では『キャラクター』と呼ばれとるんだけどな、
それのパワーの強さは如何に精巧にメディアで表現するかで決まるんや」
「???」
「具体的にウチを例にすればな、漫画を丁寧に、詳しく描けば描く程強い『キャラクター』
を生み出せるって事や。キャラの性格とか癖とか基本的な技とかな」
「なるほどー」
「でもな、漫画を描くたびにキャラクターの設定を描いていたんじゃ手間がかかる。それ
を解消するために生み出された技法が『システム』なんや」
 由宇は、ファイルをパラパラとめくって千沙に見せた。
「あ、中にたくさんカラミティ・マルチさんの絵がありますねー」
「その通り、このファイルにはマルチに関する基本的な設定が細かく記述されとるんや」
「これって、いわゆる『設定資料集』とか『設定原画集』とか呼ばれる物ですよね?」
「そうそう、うまい言い方やな」


                   〜§〜


 それから数日間、由宇は戦って、戦って、戦い抜いていた。
 倒した対戦相手の数は既に二桁に達し、しかもどの試合も一方的な物だった。
「全く根性無いなぁ……少しはウチに噛み付いてこないもんなねえ」
 つまらなげに呟く由宇。
「………」
 その横で、千沙は何か釈然としない物を感じ始めていた。



 ジジジジジ…
 古い蛍光灯がチカチカと点滅する。
 由宇はファイルに向かい、鉛筆片手に難しい顔をして黙り込んでいる。
 千沙は木製の椅子に前後逆の形に座り、背もたれに手を掛けてその上に顎を乗せている。
 静かだ。
 ページをめくる音だけが部屋に響く。
「あの、お姉さん…」
 千沙が、背もたれに顎を乗っけたまま声を出す。
「ん、何や?」
 由宇はファイルとにらめっこしながら答えた。
「お姉さんはどうしてこんなところに来たんですか?」
「こんなところって?」
「この闘技場の事です!」
 バッと立ち上がる。
 その勢いで椅子が音を立てて倒れた。
「ち、千沙!?」
 千沙はいつもは見せない厳しい表情をしている。
「危険じゃないですか!」
「危険?」
「それに…」
 千沙の顔が曇る。
「漫画を人を傷付ける手段に使うなんて……この前みたいに悪い人に囲まれたりしたのな
ら分かりますけど、ここは賭け試合ですよ! お姉さんは大好きな漫画をそんな事に使っ
て平気なんですか!」
「分かっとる」
 由宇は真剣な顔で言った。
「ウチだって、できればこんな事に自分のキャラを使いたくない」
「だったら…」
「でもな、ウチにはやらなければならない事があるんや」
「……それは前にも聞きましたけど」
「戦う事が目的なわけやない。戦うのは手段に過ぎん」
「手段?」
「ひとつは、戦いを繰り返す事でより優れたシステムを作り出す事。でもこれは今回の目
的の副産物に過ぎん」
 由宇は、天井を見上げた。
「本当の目的、それは……奴をおびき出す事や」



                   〜§〜


「失礼します」
「何だ、またアンタ達か」
「実は…」
「分かってるわよ。また邪魔な奴が現われたんでしょ?」
「はい、しかも今回はクリエイターです」
「へえ…!? おもしろいじゃない。まあ、ちょお天才のあたしには敵わないだろうけど
ねっ」


                   〜§〜


「最近対戦組んでくれんなあ…」
 立ち見席の手すりに寄りかかり、ぼーっと闘技場を眺める。
 そこでは屈強な男達が素手で殴り合いをしていた。
「仕方ないか……クリエイターとただの人間じゃ力の差があり過ぎる」
 それにここでの対戦は全て賭け試合だ。
 どちらが勝つのかが決まりきっているのでは賭けにならない。
 いや、少なくとも賭ける側にとってはうれしいかもしれないが。
「それにしても暇やな…」
 いつもは話し相手になってくれるはずの千沙は、あれから一言も口を利いてくれない。
(確かに気持ちは分かるけどな)
 由宇は膨大な数の照明やらスピーカーやらを釣り下げられた天井を見上げた。
(ウチだって始めの頃は抵抗あった。でもこれは仕方ないんや)
「すみません」
「ん?」
 声のした方を向くと、黒服の男が立っていた。
「猪名川由宇さんですね」
「ん、そうやけど」
「次の試合が決まりました」
 だらーっとしていた顔が、ぴしゃりと引き締まる。
「おお、やっとかい。最近全然対戦が無いから暇を持て余してたんや。で、相手は?」
「大庭詠美さんです」



(ついに……ついにこの時が来た!)
 バンッ!
 勢いよく部屋の扉を開ける。
 千沙はベッドの上でシーツに包って寝転んでいた。
「千沙」
「………」
 返事は無い。
 まだ機嫌が悪いのだろう。
 が、そんな様子には構わず由宇は口を開く。
「千沙、ウチは明日闘技場で戦う」
「………」
 千沙は黙ったままだ。
「相手はクリエイターや」
 ピクンッ
 シーツが動いた。
「千沙、見に来い。次の対戦でウチが本当の漫画を見せてやる」
 ベッドをギンッと睨み付ける。
「絶対来い! 本物の漫画家魂を知りたかったらな!」


                   〜§〜


「何よぉ、ちょお強いクリエイターだって言うから誰かと思ったら。ただの温泉パンダじ
ゃない」
「ふん、ただの温泉パンダで悪かったな」
 リングの上で、二人が睨み合う。
「一体全体何しに来たのよ」
「ん、ちょっと訊きたい事があってな」
「ヤダ」
「そう言うと思ったわ」



『絶対来い! 本物の漫画家魂を知りたかったらな!』
(漫画家魂、か…)
 立ち見席で、千沙はリングに立つ由宇を見つめていた。
(お姉さんは、千沙に何を見せるつもりなんですか?)



『それでは、いよいよバトルの始まりです』
 客席が歓声に沸く。
 同時に、由宇と詠美のペンが走る。
 次の瞬間、由宇の前には白の戦乙女が、詠美の前には黒の戦乙女が現われた。
 黒の戦乙女…
 勝ち気そうな黒い瞳に、艶やかな長い黒髪。
 猫科の獣を思わせる、洗練されたしなやかな肉体。
 それをぴっちりと包み込む、やはり黒のボディースーツ。
 それらだけならそこらの少女と変わりはしない。
 だが、その少女の頭と腰には…

「ネコミミ娘かい」
「黒豹よっ!」

 毛の生えた耳と尻尾が生えていた。
「豹〜? 素直にネコミミですって白状したらどうや」
「あんですって! そういうアンタはロリロリロボットじゃない!」
「悪いか!」
 ビッ!
 ふたりの指が、お互いのキャラクターを指差す。
「いくで……ウチが勝ったら質問に答えてもらうからな!」
「ふふ〜ん、ムリムリ」
『レディ…』
「「Go!」」
 戦いの始まりを告げるアナウンスに続き、ふたりの声が重なった。
「行けっ! カラミティ・マルチ!」
「ぶっ潰せぇ! アヤカパンサー!」


 カラミティ・マルチは、スライド移動しながら両手の拳銃を連射する。
 雨のように降りかかる光の弾丸。
 だが、アヤカパンサーはそれを素早いダッシュでかわす。
「ふふん、そんなちゃちな弾になんかやられないわよ〜」
 アヤカが跳んだ。
「馬鹿がっ! 宙に浮いたら絶好の的やで!」
 上空に照準を合わせる。
 ところが…
「いないっ!?」
 アヤカの姿が無い。
「ほらほらどこ見てんのよっ!」
「!?」
 いた。
 マルチのすぐ後ろに。
「あの一歩でマルチの後ろまで跳んだだと!?」
 慌てて体勢を整える。
「遅い遅いっ! ちょお爆裂パァ〜ンチ!」
 アヤカの必殺の拳がマルチに迫る。
(は、速いっ!)
 狙いは顔!
 マルチは後ろに飛び退きながら、両手を顔の前に交差させる。
「そんなんじゃ防げないわよ!」
 拳が交差した腕に当たる。
 凄まじい衝撃が走る。
「!?」
 マルチはそのまま後ろに吹っ飛び、競技場の壁に思いっきり叩き付けられた。
『あうっ!』
 マルチの口から声が漏れる。
 それと同時に、
「くぅぅっ!」
 由宇の膝ががくんと崩れた。
(き、効いたぁ〜)
 頭がズキンと痛む。



『空想実体化システム』
 漫画の神が生み出した、人の持つイメージを実体化させる夢のシステム。
 だが、この画期的なシステムにも大きな弱点があった。
 普通このシステムでは、漫画等のメディアを媒体に、自分のイメージを『キャラクター』
として実体化させる。
 簡単に言えば、イメージという情報を、物体という物理力に変換しているのだ。
 そして、この変換は逆の場合も起きる。
 ごく限られた条件においてのみだが、物理力が情報に変換されてしまう事があるのだ。
 その条件を具体的に言うと、キャラクターが物理的なダメージを受けた時。
 物理的ダメージは情報に変換され、精神的ダメージとして『クリエイター』に襲い掛か
るのだ。
 これこそ空想実体化システムの問題点のひとつ『バックファイア』である。



「あらあらぁ? パンダちゃんはもうおねむの時間かなぁ?」
 詠美は余裕の笑みを浮かべている。
 バトル中のはずのアヤカは、詠美の隣に立ち、笑顔で両手を振って観客達にアピールし
ていたりする。
 もちろん自分からこんな事をするわけがない。
 詠美がそうするように描いたのだ。
「ずいぶんと余裕やんか」
 由宇の声と共に、マルチがしっかりと立ち上がる。
「まあねぇ〜 やっぱりさいきょおたるあたしとしては、どーどーとしてないとね」
「ああそうかいっ!」
 二丁拳銃を連射しながらマルチが走り込む。
「おっとっと〜」
 アヤカは光の銃弾をかわす。
「くぅぅ……こんな至近距離でも駄目なのかっ!」
「さーてぇ、一気にトドメよぉ! すーぱー百裂拳!」
 ザッ
 アヤカが拳を構える。
「クソがぁっ! こうなったら全部捌いてやるっ!」
 拳、
 肘、
 掌底、
 手刀、
 膝、
 踵、
 足刀、
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
 由宇の神業的な執筆スピードと的確な描写により、マルチは何発かくらいながらも耐え
切った。
「あ、相変わらず酷いネーミングセンスやな。もうちょっとマシな技名付けたらどうや」
「うっさいわね、瀕死のパンダが吠えてるんじゃないわよ」
「やかましい、今度はこっちの番や! スタンガンバースト!」
 二丁の拳銃からマシンガンのごとく光の弾丸が放たれる。
「!?」
 至近距離からの乱射。
 だが、驚異的スピードでバックジャンプしかわす。
 数十発のうち、当たったのは僅か2発だった。
「なんちゅう奴や、あれだけの弾をかわすなんて」
「当たってるわよ! 痛いじゃない!」
 でも2発だけである。
 アヤカは大きく距離を取り、リングの端に沿って大きく回る。
(2発とはいえ、これ以上痛い目にあいたくないからね)
 その間に詠美は上着の前を開けると、一冊のファイルを取り出した。
 そこにちょいちょいと筆を加える。
「よしっ!」
 キキッ!
 アヤカの足が止まった。
(何か企んでいる? それに、さっきのファイルは…)
 由宇はマルチに防御体勢を取らせた。


 両者の動きが止まる。
 由宇は詠美に目を向けた。
(笑っとる)
 彼女は勝利を確信したかのような笑みを浮かべていた。
「さてと…」
 詠美が口を開く。
「このまま立ち止まっててもしょうがないからね。いくわよっ!」
 ドンッ!
 凄まじい衝撃波と共に、アヤカが猛スピードで飛び出す。
 当然、標的はマルチ。
 構えも何も無く、一直線に突き進む。
「舐めるなぁぁぁっ!!!」
 マルチの銃が火を噴く。
 それに構わず突進するアヤカ。
「馬鹿な! 避けんのか!」
 光の弾丸が次々にアヤカに着弾する。
 しかし、勢いは多少衰えたものの、少しもダメージを受けたようには見えない。
「効かない!? 電気ショックが効かない!?」
「これであたしの勝ちよ! ちょお爆裂パァ〜ンチ!」
 マルチは横に飛び退こうとする。
 が、足が滑った。
(殺られるっ!)
 由宇は思わず目を閉じた。
 ところが…
「あれ?」
 いつまでたっても衝撃が来ない。
 目を開けて辺りを見回してみると、マルチが背にしていた壁に手を突き刺し、抜こうと
しているアヤカの姿があった。
「な、何なんや…」
「何なんや……じゃーないっ! なんでかわすのよ! 今のいい感じだったのに!」
「馬鹿言うんやないっ!」
 壁から手を抜いたアヤカは、大きく跳躍し詠美の元へと戻った。
「まあいいけどね。もうアンタの攻撃はこっちに効かないんだから」
「詠美、ひとつ訊いていいか?」
「まあ、ひとつぐらいなら冥土の土産に答えてあげてもいいかな? なになに?」
 詠美は余裕シャクシャクだ。
 殴ったろうかとも思ったが、今は無理なのでグッとこらえて由宇は疑問を口にした。
「さっきファイルを取り出して何か書いてたな」
「なんだ、気付いてたの」
「あれって、もしかして…」
「そう、アヤカパンサーのシステムよ」
「システムって…」
 由宇は、目の前の景色がぐらりと歪んだような錯覚に陥った。
「んなアホなっ! 即席で、しかもキャラクターを呼び出してる状態でシステムを書き換
えるなんて! 一歩間違ったら…」
「あのねえ……あたしをアンタみたいな二流と一緒にしないでよね。ちょお天才のあたし
なら、あれぐらいの事造作もないわよ」
(造作も無いやと!?)
 普通なら考えられない。
 喩えるなら、稼動している最中のパソコンの中身をいじくりまわすような物だ。
 そして、失敗した際には──普通は成功などしないのだが──冗談では済まない精神的
ダメージがクリエイターに返ってくる。
 はっきり言って、無謀の極みである。
 だが、詠美はそれを平然とやってのけた。
 由宇はブルッと体を震わせた。
(さすが『同人の女王』と呼ばれただけの事はある。センスも技術も一級品や。それにア
ヤカパンサーのシステムには電気耐性が組み込まれた。もう銃は効かない。だがな…)
 ギンッと目つきが鋭くなる。
(ウチは昔のアンタからある弱点を予想していた。そして、さっきのアンタの一撃で、そ
れは確信に変わった! だから…)
「ウチは……勝つ!」



(お姉さん…)
 千沙は無意識のうちに両手を胸の前で組み、由宇の勝利を祈っていた。



「さあ来い! 詠美ぃぃぃっ!!!」
 マルチが銃を乱射する。
「効かないって言ってるでしょっ!」
 アヤカは銃弾を受けながら一直線に走り、拳を振り上げる。
 だが、マルチは地を蹴りアヤカの一撃をギリギリで避けた。
「さあ来い!」
 距離を取り、再び銃を乱射する。
「うっとおしいわねっ!」
 走るアヤカ。
 しかしまたそのパンチはマルチにかわされた。
「それそれそれそれ!」
 ズキュン! ズキュン! ズキュン!
「さっさとこの詠美ちゃん様にやられなさい!」
 ブンッ!
「当たらんなぁ〜」
 ズキュン! ズキュン! ズキュン!
「きぃ〜っ! ちょこまかきょこまかと!」
 スカッ!


 ざわざわざわざわ…
 さっきまで、熱戦に沸いていた観客達の様子に変化が表れた。
「おい、なんか…」
「ああ、さっきから同じ事繰り返してばっかだぜ」
「つまんねえぞ! オイ!」



「うっさいわね! 別にあたしはアンタ達を楽しませるために戦ってるわけじゃないのよ!」
 詠美は観客達に向かって怒鳴り声をあげた。
 それは由宇にとっても同感だった。
 だが、これは彼女にとって好ましい反応だった。
(こっちがパターン化した動きを始めたとたん、向こうの動きまでパターン化しおった)
 迫り来るアカヤ。
 そして、その向こうに控える詠美に目を向ける。
「ええ〜いっ! これでホントーのホントーにトドメよ!」
 アヤカの攻撃範囲に入る。
 だが、マルチは動かない。
 僅かに首を前に曲げ、腰を落としただけだ。
「お、お姉さんっ!?」
 千沙が悲痛な叫びをあげる。
 これで決着が付いた。
 ここにいる誰もがそう思った。
 だが…

 スカッ

 アヤカの拳は、マルチの頭の上を通り過ぎた。
「「「はあ?」」」
 会場中の人間が、そんな声をあげた。

 マルチはアヤカの懐に潜り込んだ。
「!?」
 アヤカは先程のパンチのせいでまだ動けない。
「詠美、アンタはまだ分かってないようやな」
「な、何が分かって無いって言うのよ!」
「アンタは漫画を分かってない! いや、漫画に限ったことや無いが」
 マルチは右の拳を握り、人差し指と中指をぴんと真っ直ぐ伸ばした。
 ギュィィィィィィン…
 その先に、青白い光が生まれる。
「で、電気は効かないって言ったでしょ!」
「物理的にはな。だが、クリエイターの強大なイメージは現実をも超える!」
 ギュォォォォォォォ…
 光が一段と強くなる。
「今ここに、我が漫画への愛を!」
 タンッ!
 指が、アヤカの額に突き立つ。
「超電撃! ボルトフィンガァァァァァァァッッッ!!!」
 ビシッ!
 アヤカの額にヒビが入る。
「そ、そ、そんなっ! なんで、なんであたしがこんなパンダにっ!」
 ビキビキビキッ!
 それはあっという間に全身に走り、

 ガシャァァァァァン!

 アヤカは、木っ端微塵に打ち砕かれた。


                   〜§〜


「う、んん〜」
「気が付いたか? 詠美」
 詠美はゆっくりと目を開けた。
 始めに目に飛び込んできたのは白い天井だった。
 最も、シミだらけの上塗装も剥げて灰色っぽかったが。
 次に感じたのは、背中と頭の柔らかい感触。
(ああ、あたし、ベッドで寝てるんだ…)
 顔を横に向ける。
 白いシーツに顔の左半分が埋まった。
(って事は、あの豆パンダに負けちゃったのか…)
 ぐっ
 詠美は足を動かそうとしたが、何かが足元のシーツを押さえているらしく動けない。
「ちょっと何よ、あたしの安眠を妨害する…」
「やあ」
 由宇だった。
 ベッドの足元に座り、いつもの人懐っこそうな笑みを浮かべている。
「げげっ!? なんでアンタがここ……」

 ズッキ─────ン!!!

「ふにゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!?」
 詠美は、いきなり真っ赤に焼けた鉄杭を頭に打ち込まれたのかと思った。
 それほどの激痛だった。
「あ、まだ精神ダメージが抜けてないから動くと……って、遅いか」
 詠美は両手で頭を抱え込んで枕に突っ伏し、哀れなほどビクビク震えている。
「あうううううっ……ア、アンタ…やっぱり、あたしを、殺す、気なのね……み、未来か
ら送り込まれてきた…殺人、ロボットなの、ね…」
「死にそうな声でアホな事言うなや」
 由宇はベッドをそろりと降りると、床に膝をついて詠美の顔色を伺った。
「詠美、大丈夫か?」
「じ、自分でやっといてよくもまあそんな…」
「何言っとるんや。一撃で木っ端微塵にしたから精神ダメージが流れ込みきる前にキャラ
クターが消滅してこれだけで済んだんや。じわじわ嬲り殺してたらアンタ死んどるで」
「だ、だったらキャラクターを破壊するまでやらなきゃ良かったじゃないのよ……クリエ
イターがダメージでキャラクターを操れなくなった時点で勝負はつくんだから」
 ぽん
 由宇は手を叩いた。
「そう言われてみればそうや」
「ア、ン、タ、はぁぁぁ……ふみゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!」
 再び頭を押さえてのた打ち回る詠美。
「だから暴れるなって…」


「落ち着いたか?」
「う、うん…」
 由宇は洗面器からあげたタオルを絞ると、詠美の額にそっと載せた。
「あ、ありがと…」
「どういたしまして」
「………」
「………」
 そのまま、二人共黙り込んでしまう。
「……ねえ…」
 その沈黙を破り、詠美が声を出した。
「どしたん? まだ痛いんか?」
「ううん、そうじゃなくて…」
 そこで、言葉をいったん切る。
「あたし、どうして負けちゃったんだろ」
「……!」
 由宇は僅かながら驚きの表情を浮かべた。
「珍しいな、アンタがそんな感傷に浸るなんて」
「うん…」
 顔を動かし、由宇の顔を正面から見詰める。
「あたし、ここに来てから一度も負けなかった。どんな相手でも、クリエイターだって秒
殺だったのよ」
「まあそうやろな、詠美のアヤカパンサーのパワーとスピードは凄まじかった。普通の相
手ならたまったモンやない」
「だけど由宇のカラミティ・マルチはあたしに勝ったじゃない」
「まあな、でも純粋にクリエイターの画力とシステムの完成度だけで比べたら、確実にア
ンタの方が上やったろうな」
「え?」
 詠美がきょとんとした顔をする。
「キャラクターを操る際絶対必要な物、それは画力。豪快で力強い線は、強大なパワーを
生む。流れるような勢いのある線は、目にも止まらぬスピードを生む。緻密に描き込まれ
た安定感のある線は、正確無比な動きを生む」
 詠美は黙って聴いている。
「これらに関してはアンタは完璧や。文句の付けようが無い。でもな……漫画には他に大
切な物がある」
「いい意味で読者を裏切る、独創的なストーリー…」
「なんや、憶えとるやん。アンタはこれが無くて力でごり押しだったから、単調な動きば
かりになってウチに負けたんや」
「そうだよね……あはは、今頃思い出した」
「全く……詠美ちゃんはすぐ言った事忘れるからなあ。一体何回ウチと決別したら気が済
むねん」
「何回って、たった二回じゃないの」
「多すぎや」
 フッと由宇はため息を吐いた。
「そう、一回目はウチとユニット解消した時だったなあ…」
「そうそう、あたし、同人界の女王だなんて自称して舞い上がってた」
「そして、二回目は…」
 ぴくっ
 詠美の笑みが凍り付く。
「詠美?」
「お願い、それは言わないで…」
「……ああ、悪かった」
「あたしの我が侭だってのは分かってる。でもまだ許せないんだ」
「そうか…」
 あっと由宇は指を鳴らした。
「そういやすっかり忘れてた。アンタに訊きたい事があるんやけど」
「あ、そう言えばそんな事言ってたわねー」
「そうそう、実はこれの手がかりを探してるんやけど…」


「由宇の……馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 バンッ!
 扉を突き破るようにして飛び出し、すかさず閉める。
 その直後にゴンッと扉を通して重い衝撃が背中に伝わった。
「詠美、そんなモン投げたりしたら…」
「みゅぅぅぅぅぅぅぅ……頭が、頭が…」
(だから言わんこっちゃない)
 しかし…
(ウチも少し無神経過ぎたかな。詠美は"あの事"をまだ過去の出来事として割り切れてな
いみたいやし)
 そこで、自嘲的な笑みを浮かべた。
("アレ"を探してるって時点で、ウチもまだ"あの事"を引きずってるんやな。でも…)
 キリッと顔を引き締める。
(これはウチの義務や。ウチがやらなくちゃならないんや!)
「さあ千沙、行くで!」
「にゃっ!? どうしてここにいるって分かったんですか?」
 廊下の暗がりから千沙が出てきた。
「扉のところでもぞもぞ動いてるのが丸聞こえだったわ。詠美には分からなかったみたい
やけど」
「うぅ……あ、そうです。その、詠美さんは…」
「ああ、怒らせてしもうたからな。後で甘いモンでも持っていってやろ」


 由宇と千沙は、薄暗い廊下を自室に向かって歩いていた。
「あの…」
「分かっとる、夕飯食ったら漫画の描き方講座な」
「えっ?」
「ウチがいたずらに漫画で人を傷付けてるわけやないって、分かってくれたやろ?」
「はい!」



                                第三話に続く

────────────────────────────────────────

次回予告!

 由宇は"ある物"の手がかりを求めてひとりの女性を訊ねる。
 かつては『女神』とも言われたカリスマ的存在。
 だが、彼女は味方であるはずの由宇に襲い掛かる。
 涙と共に。

「あなたには分からないのよ! 何十万、何百万という人間の、人生を奪った苦しみを!」



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〜お詫び〜
 第一話の次回予告で書いていた「それが……それがアンタの漫画かぁっ!」という台詞
は、諸事情により結局使われませんでした(笑)

http://www2.denshi.numazu-ct.ac.jp/~hirano/rabo/