「父から二人に、祝福を」第九話 投稿者:ハイドラント


              第九話  嵐破




>side.A  現実・・・あるいは虚構


「久しぶりだな、次郎衛門。それにエディフェル。」
 小次郎、いやダリエリは、低い声で言った。
 ダリエリ。
 鬼達の首領格だった者。
 前世において、俺が死闘の末倒した、最強のエルクゥ。
 俺はうめくように言った。
「なぜ・・・お前が・・・!」
「なぜ、だと?」
 ダリエリが笑みを浮かべる。
「エルクゥは互いに呼び合い、引かれ合う。
 我の魂と、貴様たちの魂が呼び合ったということよ。
 とは言え、よもや貴様の子供として転生しようとは・・・さすがに意外だったが
な。」
「そんな・・・」
 楓が呆然と呟いた。
 ダリエリは続ける。
「ともあれ、我はこうして、貴様の前に再び立つ事が出来た。
 ならば、望む事はただ一つ。
 ・・・我と戦え、次郎衛門。
 我はそのために輪廻したのだ!」
「・・!」
 戦う・・・俺が?
 ダリエリ・・小次郎と?
 俺の躊躇いを見て取り、ダリエリが眉を寄せた。
「何を迷う。
 言っておくが、我はダリエリ。小次郎ではない。
 無論、この二十年間の記憶がないわけではない。
 だが、ダリエリとしての自分を取り戻した我にとっては、もうどうでも良いこと
よ。」
「・・・・・・」
「・・・それでも戦えないと言うなら、一つ、面白い話をしてやろう。」
 何も言えない俺に、ダリエリはにやりと笑って言った。
 楓の方をちらりと見て、言う。
「前世において、エディフェル・・お前を死に追いやったのは、実はこの我よ。」
「!」
「なんだと!」
 楓が息を呑み、俺は思わず叫んだ。
「エディフェル・・・・今だからこそ言うがな。
 我は、お前を欲していた。己のものにしたいと思っていた。
 だがお前は、原住民の男・・・次郎衛門を選んだ。
 可愛さ余って憎さ百倍、というやつだ。
 我が、強硬にお前の処刑を要求しなければ、リズエルとアズエルが妹殺しをする
事はなかったであろうよ。」
 ダリエリの言葉に、俺は思わず拳を握りしめた。
 俺の中で、鬼の力がうごめく。
 ダリエリが、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そうだ・・・それでいい・・!」
「耕一さん!」
 だが、楓が俺の腕をぐっと掴んだ。
 首を横に振る。
 ・・・前世の事は前世の事。今は・・・
 楓の言いたい事は、すぐに伝わった。
「小次郎・・・。」
 俺は、拳を下ろした。
「・・・あくまで戦わないつもりか?」
 ダリエリが苛立たしげに言う。
「ならば、もう一つ教えてやろう。」
 腕を突き上げ、空を指さして、告げた。
「ヨークが、この星に近付いている。」
「!?」
「二十数年前・・・貴様はヨークの魂を破壊し、我らの呼びかけを妨げたな、次郎
衛門。
 だがあの時、既に真なるレザムに我らの声は届いていたようだ。
 今の我には分かる。この星の近くに、ヨークの気配を感じる。」
「なんだって・・・」
 俺は呆然と呟いた。
 ヨークが近付いている? エルクゥを乗せた箱船が?
 ・・・じゃあ、地球はどうなる?
 楓の手から、震えが伝わってきた。
 あるいは、それは俺の震えだったのかも知れない。
 それを見て、ダリエリがまたにやりと笑った。
「安心しろ。ヨークはまだこの星を発見した訳ではないらしい。気配が、真直ぐこ
の星に向かってくる様子はないからな。
 呼びかけをしていた我らが消滅してしまったからだろう。探そうにも手がかりが
ないらしい。このまま放っておけば、いずれ諦めて帰るのではないかな。
 ・・・だが、我がヨークに呼びかければ話は別だ。」
 ダリエリは、ぎらつく眼で俺を見据えた。
 俺は、ただそれを見返す事しかできない。
 楓も、ただダリエリを、息子を見つめる事しかできない。
 ・・・やがて、ダリエリが背を向ける。
「我は、この山の頂上で待っている。
 我を止めたいのなら、来い。
 余り長くは待たんぞ。早々に覚悟を決めて、来るがいい・・・。」
 跳躍。
 満月の光を浴び、ダリエリの身体が輝く。
 それも一瞬。
 すぐに闇に溶け込み、見えなくなる。
 俺は、ただ呆然と、その姿を見送っていた。
「耕一さん・・・」
 楓が、すがるような目で俺を見る。
 だが俺は、何も答える事が出来なかった。


 それから数日間。
 俺は悩み続けた。
 息子を殺して、世界を救うか。
 それとも、このまま黙って見ているのか。
 ・・・俺は、決断する事が、出来なかった。


 耕一は、何もする事が、出来なかった。


 そして。
 数日後の夜、ついに山の頂上に、幾つもの光が舞い降りた。
 それは、地獄の幕開けだった。




>side.B  幻・・・あるいは真実


 耕一は、風雨の中をひたすら走っていた。
 既に祐也を見失ってしまっている。腕に人間を一人抱えているとは到底思えない
スピードだった。
 だが、耕一は迷わずに走っている。
 学校だ。
 祐也は学校に向かっている。
 なぜか、耕一はそう確信していた。
 それが、エルクゥの精神感応によるものだと、彼は知らない。
 祐也が一体どうなってしまったのか、それも彼は知らない。
 彼が思う事は、ただ一つ。


 楓を助ける!


 そして、彼は裸足のまま、走り続ける。


「う・・・」
 楓が意識を取り戻したとき、最初に見えたのは机だった。
(ここは・・・教室? 学校の・・)
 確かに、そうだった。
 黒板。教壇。並んだ机。
 彼女の教室ではないが、何度も来た事はある。
「兄さんの教室? なんで・・・?」
「気がついたか。」
「!」
 慌てて声の方を振り向く。
 見慣れた少年が、そこに立っていた。
「ゆ・・祐也さん?」
「違うな」
 祐也は、楓の顎を掴み、自分に近づけた。
 楓は抗おうとしたが、まだ身体がうまく動かない。
 らんらんと輝く目で楓を見据えつつ、祐也が言う。
「分からぬか、エディフェル。この我が。
 我はお前の事を良く覚えているぞ。五百年経った今でも、な・・・。」
「・・・・ダリエリ!」
 思い出すより先に、その名が口を突いて出た。
 言ってから、思い出す。
 エルクゥ達の首領的存在だった者。
 一族最強の鬼。
「覚えていたか・・・。」
 祐也・・・いやダリエリが、手を離す。
 楓は崩れるように座り込みつつ、疑問を発した。
「なぜ・・あなたが祐也さんの身体に・・・!」
「・・・・我は・・我らは、次郎衛門に敗れてから五百年、ずっとあの山の奥深く
に隠れ、ヨークに命を託して細々と生き永らえてきた。
 何もなければ、あと僅かで、我の命も尽きていたであろうよ。
 だが、そんな時、この男が我らの隠れ場所の近くに来た。
 同族の匂いを感じた我はこの男を呼び、肉体と意識を支配した。
 そして、エディフェル・・お前と、次郎衛門が転生している事を知ったのよ。」
「そんな・・・・」
 楓は、怒りを込めてダリエリを睨む。
「酷い・・・祐也さんを・・!」
「酷い?」
 ダリエリは、意外そうに言った。
「酷くは、ないな。
 我は、この男の望みを叶えてやろうと言うのだから。
 ・・・我の望みでも、あるがな。」
「望み・・・?」
 ダリエリの手が、再び楓の顎にかかる。
 口元が、にやりと笑った。
「お前を、犯すことよ。」
「!」
 楓の身体が、びくりと震える。
 ダリエリは、笑みを浮かべたまま続けた。
「我はずっと、お前をこの手で抱きたいと思っていた。
 だがお前は、我の気持ちには気付く事なく、次郎衛門を選んだ。
 その時の我の気持ちが分かるか?」
「う・・・」
 ダリエリの手に、僅かに力が篭もる。
 苦しげにうめく楓。
「そして、この男・・・柳川祐也も、我と同じ思いを味わった。
 次郎衛門・・・今は耕一と言ったか?・・・がいるために、お前を自分のものに
する事が出来ない。
 だから・・・」
 唐突に、ダリエリの様子が変化した。
 顔が、がくりと下を向く。
「!?」
「だ・・か・・・ら・・!」
 その声は、ダリエリのものではなかった。
 この肉体の、本来の声。
「祐也さん!」
 楓は一瞬、祐也が自分の意識を取り戻したのだと思って、安堵した。
 だがそれは、まさに一瞬の事。
 再び祐也が顔を上げたとき・・・その目には、ダリエリとは違う、だが同じ輝き
があった。
「だから・・・俺は・・お前を・・・」
 祐也の手が、楓の服に伸びる。
「!」
「力ずくで・・・耕一から奪う!!」
 服が、引き裂かれた。
 祐也が、楓の上にのしかかる。
「いやーーーーー!!」
 そして、楓の悲鳴が、暗い教室に響き渡った。


「!?」
 走り続けていた耕一の足が、唐突に止まった。
 曲がり角を曲がったとき、彼の名が呼ばれたのだ。
「柏木君・・・」
 彼女が、そこにいた。
 街灯の光の下で、雨に濡れながら、彼女が立っている。
「姫路さん・・・」
 楓のことしか頭になかった耕一の足を止めたのは、名を呼んだ声ではなく。
 柚那の美しさ、であったかも知れない。
 淡い光の中、雨に濡れた髪を輝かせる彼女は、例えようもなく美しかった。
 深い色合いの瞳が、じっと耕一を見つめる。
「どう・・したの? こんな・・ところで・・」
 幻想的とすら言える姿に引き込まれそうになりながら、耕一はかすれる声で言っ
た。
 小さな唇が動く。
「二つの用事があって・・・柏木君を、待っていました。」
「俺を・・・待ってた?」
 こんな場所で?
 耕一の疑問の声は、口から出る事はなかった。
 音もなく近付いた柚那が、耕一の顔を両手で挟んだのだ。
 奥の見えない瞳が、耕一のまさに目前にある。
「ひ、姫路さん・・・」
「一つは・・・眠っている、もう一人のあなたを起こすこと。」
 柚那の指が、耕一の額をなぞる。
「あっ・・・!」
 その瞬間、耕一の脳裏に、幾つもの映像が浮かんだ。
 何度も夢で見た少女。
 いつか、月夜の晩、少女との出会い。
『鬼』の討伐に向かったとき・・・再び出会った少女。
 瀕死の自分を助けた彼女。
 鬼・・・エルクゥの、皇族四姉妹の一人。
 そして、裏切り者として殺されてしまった彼女。
 彼女の名はエディフェル。
 そして・・・・
「俺は・・・次郎衛門・・・」
「そうです。あなたは次郎衛門と、エルクゥの血を継ぐもの。
 そして、次郎衛門の転生。
 最強の、鬼の力を持つ者・・・。」
「鬼の・・・力?」
「そう。柏木の血と共に伝わる、人を人ならざる者へと変える力。
 柳川君は、その力を覚醒させている。ダリエリに操られて・・・。
 でも、あなたなら彼を止める事が出来る。
 感じるでしょう? 自分の中にある、何かを。」
 何か。
 確かに今、耕一の身体の中には、何かがあった。
 脈動する、熱く、激しい、何かが。
「その力で、彼を止めるのです。あなたになら、それが可能なのです。
 ・・・でも、それは今すぐではありません。」
「え・・・」
 柚那の瞳の奥で、光が瞬いた。
 それを見たとき、耕一の頭の奥に痺れが走る。
「楓さんのことは、諦めて下さい。」
「諦める・・?」
 ・・・何を諦めればいいんだ?
 柚那は、何か危険な事を言っている。
 それは辛うじて分かったが、頭の中でうずく心地よい痺れのため、考えがまとま
らない。
 柚那の声は、まるで耕一を眠りに誘うかのように安らかだった。
「楓さんは、やがて破滅を生む。生きていてはいけないのです。
 でも、わたしの力は制限されている。わたしの手で命を奪う事は出来ない。
 しかし、あなたがあと少しここに留まれば・・・そう、あと五分でいいのです。
そうすれば、ダリエリが彼女を・・・・。
 その後で、あなたを解放します。」
 破滅・・?
 五分、待つ?
 ダリエリ・・・俺と戦った、鬼の頭領・・・。
(一体・・・何が・・・)
 耕一の思考は、まとまらない。
「それから学校に行って、彼を・・・妹の仇を、討つのです。
 そうすれば、全ては丸く収まります。」
 柚那の顔が、耕一に近付く。
 唇に柔らかい感触を感じ・・・耕一は、眠るように目を閉じた。
(気持ちいい・・・)
 何だか分からないが・・・とにかくこのままでいよう。
 それから、姫路さんの言うとおり、学校に行って、仇をとればいいんだ。
 それで丸く収まるって、姫路さんも言ってるし・・・・


 ・・・仇?
 誰の?


 澄んだ瞳。
 過去も、現在も、変わらぬ瞳。


 エディフェル。
 ・・・・・・・・・・・・・楓。


「兄さんが、好き・・・!」


「!!!」


 耕一は、柚那の身体を押し退けた。
「か・・柏木君!?」
 瞳に驚愕の色を浮かべる柚那。
「君が何を言ってるのか・・俺には分かんねえけど・・・」
 その顔を・・・見ずに、耕一は告げた。
 迷いのない声で。
「俺は、楓を助ける!!」
 そして、後ろを見る事なく、走り出した。
「柏木君!!」
 柚那の声は・・・もう、彼には届かない。
 耕一の姿が、闇に消えていく。
「どう・・して・・・」
 後には、呆然と立ち尽くす柚那が残された。
 雨の雫が、彼女の頬を伝い・・・地に落ちて、散る。
 ・・・それは、雨ではなかったのかも知れない。


「はあっ・・・はあっ・・」
 暗い教室の中に響く、荒い呼吸の音。
 祐也である。
 彼の前には、全裸の楓の姿があった。
 その目は呆然と虚空を見つめている。
 瞳には、何も映っていない。
「・・・・エディフェル・・」
 祐也が・・・いやダリエリが、その彼女に声をかけた。
 満足げな声で。
「最高の快楽だったぞ、エディフェル・・・。
 昔も、こうするべきであった。
 お前の姉達に、お前を殺す事を強要するなどという、陰険な真似をするよりもな
・・・。」
 再び、声が変わる。
 祐也の声。
「これで・・・君は俺のものだ、楓ちゃん。
 心配しなくていい・・・。大切にするから。耕一なんかより、ずっと・・・。」
 楓は、何も答えない。
 ・・・・・いや。
「・・・・」
 微かに、口が動いた。
「・・・何?」
 祐也が耳を近づける。
 声が、届いた。
「・・・・いや・・・」
「!」
 祐也の顔が引きつる。
 楓は、殆ど聞こえない声で・・・だが確かに言った。
「ダリエリは・・・ただ、わたしを奪おうとしただけ・・・。愛してくれたわけじ
ゃない・・・。
 祐也さんも・・・結局、ダリエリと同じ・・・。
 わたしを愛してくれるのは・・・兄さんだけ。」
「くっ・・・!」
 祐也の顔が、歪む。
 狂気の形相。
 祐也は、楓に飛びかかった。
「お前が・・・お前がどうしても俺を受け入れないのなら・・!
 お前を殺して、俺のものにするまでだ!!」
 常軌を逸した声でわめきつつ、楓の首に手をかける。
 楓は、抵抗しなかった。
 ただ、呟く。
「兄さん・・・」
「言うなあっ!!」
 激情に任せ、祐也が腕に力を込めようとした・・・
 その時。


「・・・!」
 教室に飛び込んだ耕一が見たもの。
 それは、祐也が楓の上に馬乗りになり、その首に手をかけている姿だった。
「祐也ぁっ!!」
 その光景の意味を理解するより早く、耕一は突進していた。
 身体の奥で脈動する力を、そのまま祐也にぶつける。
「!」
 殴り飛ばされた祐也が、机を巻き込みながら吹き飛ぶ。
 それには目もくれず、耕一は楓を抱き起こした。
「大丈夫か、かえ・・・」
 言葉が、途切れる。
 楓は、全裸で・・・・
 そして、下腹部からは、赤い液体が流れ出していた。
「・・・・・・」
 耕一の脳は、その意味を理解する事を拒んだ。
 だが。
「・・・兄さん・・・」
 楓の、虚ろな表情。
 そして、何かが抜け落ちたような声。
「・・・・・・」
 耕一は、何が起こったのか、理解した。


 身体の奥で、脈動する力が、
 弾ける。


「次郎衛門・・・」
 祐也・・・いやダリエリが、立ち上がった。
 彼に背を向けていた耕一も、楓の身体をそっと横たえ、立ち上がる。
 ダリエリは見た。
 耕一の身体から発する、凄まじい殺気。
 そして、留まるところを知らず、膨れ上がっていく力。
(これは・・・・)
 ダリエリの身体が、戦慄と、そして歓喜に震える。
「それだ、その力だ、次郎衛門・・・!
 貴様と再び戦うこの時を、待っていたぞ・・・!!」
「祐也・・・」
 耕一が、ゆっくりと振り向いた。
 その声に、祐也の意識が再び表に出る。
「耕一・・・・」
 そして、その姿が、ゆっくりと変化していく。
 服を押し破りつつ、祐也の肉体が巨大化していく。
「お前さえ・・・お前さえいなければ・・・・」
 そして。
 一人の鬼が、そこに現れた。
 狩猟民族、エルクゥの真の姿。
 しかし、その姿を見ても、耕一に臆した様子はなく。
「・・・・・・」
 彼の身体も、変化していく。
 筋肉が、骨格が、急激に成長してゆく。
「祐也・・・・」
 その顔が、獣の形相に変化しつつ、最後の言葉を発した。
「おまエヲコロス」
 そして。
 鬼がもう一人、現れた。


 五百年目の戦いが、始まる。


「オオオオオオオ!」
 先に仕掛けたのは祐也だった。
 凶悪な爪を、えぐるように繰り出す。
 耕一はそれを、滑るような体移動でかわした。
「グオオオオッ!」
 そのままの動きで、祐也の腹に蹴りを放つ。
 それを祐也は、左腕でがっしと受け止めた。
「!」
 だが、僅かにバランスを崩す。
 そこへ、薙払うように振るわれた耕一の爪が襲いかかる。
「ガアッ!!」
 直撃は辛くも避けたが、跳ね飛ばされる祐也。
 耕一は追いすがり、更に攻撃を加えようとした。
 が。
「!?」
 転がった祐也はその反動で起き上がり、近付いていた耕一を蹴りつける。
「グッ!!」
 耕一は廊下まで吹き飛び、壁に叩きつけられた。
 そこに祐也が突撃してくる。
 耕一はそれを寸前でかわした。
 祐也の爪が、コンクリートの壁を紙のように切り裂く。


 祐也とダリエリの意識は、もはや区別がつかなかった。
 どちらも、思う事は一つ。
 耕一・・・次郎衛門・・・を倒す。
 祐也であり、ダリエリである鬼の頭には、ただその思いのみがあった。


 そして、それは耕一も同じであった。
 相手がダリエリであろうが、祐也であろうが関係ない。
 楓を傷つけた者を、この手で殺す。
 ただ、それのみであった。


 そして、二人の鬼は、いつしか屋上へと出ていた。
 暴風雨と雷鳴の中、二人の戦いは続く。
「ゴアアアアア!!」
 祐也=ダリエリが、耕一の肩口に爪を振り下ろす。
「オオオオオッ!!」
 耕一は、それを前に踏み込んで受け、相手の胸に肘打ちを叩き込む。
 よろめく祐也=ダリエリに、更に一撃を加えようとする耕一。
 だが、その腹に下から膝蹴りが放たれた。
「グッ!」
 うめいて後退する耕一。
 双方が、バランスを立て直す。
 一瞬の間。
 殺意を込めた四つの瞳がぶつかり合う。
「グオオオオオ!!」
「ガアアアアア!!」
 二人が、同時に飛び出す。
 間合いに入った瞬間。
「!」
 祐也=ダリエリの方が速い。
 耕一の喉元に、爪が伸びる。
 だが。
 それが肉をえぐる一瞬前、耕一の身体が沈み込んだ。
「!?」
 祐也=ダリエリの爪が、空を切る。
 それと同時、耕一の爪が彼の脇腹を深々と裂いた。
「ギャアアアアア!!」
 祐也=ダリエリが、絶叫を上げて後ろに転がる。
 耕一がそれを追う。
 祐也=ダリエリは、必死に体勢を整えようとしたが、間に合わない。
(殺った!)
 耕一が、そう思った瞬間であった。
「!」
「!」
 閃光。
  そして、轟音。
  ・・・雷が、屋上に落ちたのだ。


 落ちたのは、耕一の後方であった。
 稲妻がコンクリートの地面を砕き、飛び散った破片が耕一の背中に食い込む。
「ガッ!」
 一瞬、体勢が崩れる。
 だが、祐也=ダリエリには、それで充分であった。
 一気に飛び込み、爪を振るう。
「グァァァァァァッ!!」
 鮮血が舞う。
 耕一の胸元が、ざっくりと切り裂かれていた。
 倒れかかる耕一の首を、祐也=ダリエリの両手が掴む。
 そしてそのまま、上に持ち上げて吊るし上げた。
「!!!」
 声を出す事もできない耕一。
 必死にもがくが、首に食い込んだ手は揺るぎもしない。
 むしろ、段々と力を強めていく。
「今度は・・・我の勝ちだ、次郎衛門!!」
「これで・・・楓は俺のものだ、耕一!!」
 ダリエリと祐也が、勝ち誇った叫びを上げた。
 耕一の首の骨が、みしみしと音を立てる。
 窒息させようとしているのではなく、首を握り潰そうとしているのだ。
(・・・・・か・・・・)
 耕一の意識が、遠くなる。
 薄れゆく意識の中で、思った事は一つ。
(・・・か・・え・・・で・・・・)
 それだけを思いつつ。
  耕一の意識が、闇に沈もうとしたとき。
「ガッ・・・!!」
 突然、首にかかる手から、力が抜けた。


「・・・?」
 水溜まりの上に落ちた耕一がまず見たものは、呆然とした祐也=ダリエリの顔で
あった。
 その胸・・・心臓のある辺りから、何かが突き出している。
 鬼の爪。
 祐也=ダリエリの目と、耕一の目が、ゆっくりとその主に向く。
 そこには。
「・・・・・・・・・」
 白い裸身をさらし、右腕を祐也=ダリエリの背中に埋めた、少女の姿があった。
「か・・えで・・・」
 祐也=ダリエリが、ゆっくりと倒れる。
 楓の爪が、その背中から抜けた。
 倒れ伏す彼の背中から、鮮血がとめどなく流れ、辺りを朱に染める。
 だがそれも、激しい雨にたちまち洗い流されていった。
「・・ふ・・ふふ・・・ふふ・・」
 祐也=ダリエリの口から、微かな笑声が漏れる。
 祐也の声だった。
「ふふふ・・ふふ・・。
 そうだ・・・これでいい・・・。
 俺には、こんな結末が・・・ふさわ・・しい・・・・。」
 それが。
 柳川祐也の、最後の言葉だった。
 そして・・・・
「我は・・また、敗れたのか・・・」
 耕一と楓の頭に、ダリエリの声が響いた。
「だが・・忘れるな。
 エルクゥは互いに呼び合い・・・引かれ合う。
 我は必ず・・・また、貴様らの前に現れる・・・・」
 それを最後に。
 ダリエリの魂も、去っていく。
 後には、二人だけが残された。
 いつの間にか人の姿に戻った耕一と・・・立ち尽くす楓が。
「・・・・・楓・・・・・」
 耕一が、ささやくような声で妹を呼ぶ。
「・・・・兄さん・・・・」
 楓が、呟くように答える。
「・・・兄さんっ・・・」
 その顔が、くしゃりと歪んだ。
「兄さぁぁぁぁん!!」
 兄の胸に、飛び込む。
「楓っ・・・!」
 耕一は、泣きじゃくる妹を、強く抱きしめた。
 もう二度と放すまいと・・・強く。
 雨の下、兄妹の姿は一つの影になった。
「すまない・・・楓・・・。」
 奥歯を噛みしめつつ、耕一は楓に謝った。
「俺・・・お前を守れなかった・・・。」
 鈍い音を立てて、歯が一本折れる。
 口の中に血の味が広がった。
「もう少しで・・・お前を死なせてしまうところだった。
 ・・・前世と同じように・・・・」
 楓はただ、泣き続けている。
「でも・・・・」
 耕一は、楓を抱く腕にぐっと力を込めた。
「これからは、お前を守ってみせる・・・!」
「・・・・・・え・・・・」
 楓が、顔を上げる。
  その瞳に自分を写し・・・耕一は、自分の気持ちを確認していた。
(そうだ・・・俺は楓を・・・)
  愛している。
  実の兄妹だから・・・だから何だというのだ。
  大事なのは、俺が楓と一緒にいたいという事。
  楓が、俺と一緒にいたいという事。
  俺達が、互いに求め合っているという事。
  ただ、それだけだ。それだけだったのに・・・。
  俺がもっと早く、それに気付いていれば・・・・・
(あるいは、こんなことにはならなかったのだろうか・・・)
  そうなのかもしれない。そうではないのかもしれない。
  だが、例えそうだとしても・・・いやそうであれば尚更、耕一はもう迷うべきで
はなかった。
  雨と涙に濡れた楓の顔を見つめ、耕一ははっきりと言った。
「俺は一生、お前のそばにいる。
 そして、お前を守る。」
「兄さん・・・!」
 楓の瞳が、別の涙に潤む。
「兄さん・・・本当に・・?
 わたし・・・・汚されちゃったのに・・・」
「汚れてなんかない!」
 耕一は、楓を胸の中に抱き入れた。
「楓はいつだって綺麗だ。いつだって・・・・。
 お前が嫌だって言っても、俺はお前のそばから離れないからな。」
「兄さん・・・」
 耕一の胸に顔を埋めて、楓が泣き笑いを浮かべる。
 涙声で・・・しかし幸福そうに、言った。
「ありがとう・・・・・」


 二人は、結ばれた。


 その後。
  耕一は、片時も楓のそばから離れる事はなかった。
 あの夜の誓い通りに。
 最初はうろたえた家族も・・・やがて、二人の事を黙認するようになった。
 数年後、二人の間に子供が生まれる。
 小次郎と名付けられたその子は、元気に成長していった。


 こうして世界は、定められた通りの運命を辿っていったのである。




                               続く




               次回予告


 あなた達に、花を贈ります。
 祝福の、花を。


 最終話 「春風」


 嵐は去り、優しい風が、静かな大地の上を行く。