十六の夢、一つの現実(改行版) 投稿者:ハイドラント


                痕

          「十六の夢、一つの現実」




「・・・・・・・」
 俺が目覚めたとき、周りには何も見えなかった。
 暗闇。
 ぼんやりとした意識を抱えながら立ち上がり、辺りを見回す。
 少しずつ目が慣れてくる。
 どうやらここは、四方を壁に囲まれた、小さな部屋の中であるらしい。
 扉は、恐らくはあるのだろうが、俺の目には見えなかった。
「どこだ・・・ここは」
 俺の呟きに、答える者はいない。
 なぜ俺は、こんなところにいるのだろう?
 ・・分からない。
 頭が妙に重く、考えがまとまらない。
 それでも俺は必死に記憶を掘り起こそうとした。
 ・・・そうだ。
 あの晩、俺----柏木耕一----は鬼の力を覚醒させ、そして千鶴さんを殺そうとし
ていた鬼と戦い、倒した。
 そして翌朝、起きたら千鶴さんがそばにいて・・・俺がキスしようとしたとき、
梓たちが来て、それから・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 それから、どうしたんだっけ?
 思い出せない。
 ぷっつりと記憶が途切れている。
 あれから、何がどうなって、俺がこの部屋に入る事になったのか。
 記憶がない。
「そんな・・馬鹿な・・・。」
 再び呟いたとき、外で足音がした。
 一人ではない。数人が、この部屋に向かって歩いてくる。
 やがて、足音が止まった。
「・・・この患者は、例の事件の重要参考人でもありますので、面会は許可されま
せんでした。会話だけです。
 それと、患者を刺激するような会話は避けてください。」
 事務的な男の声がしたあと、足音が一つ、今度は遠ざかっていった。
 よほどしばらくして、別の声が響く。
「・・・耕一・・。」
 それは、聞き覚えのある女の声だった。
「梓か!?」
 俺は声がした方の壁に駆け寄った。ノブらしきものが見つかり、それを引いてみ
る。
 開かない。押しても、回しても同じだった。
 ノブをがちゃがちゃと鳴らしつつ、俺は外の梓に呼びかけた。
「梓、そこにいるんだろ!? ここを開けてくれ!」
「耕一・・・。」
 梓が、再び俺の名を呼んだ。
 感情を押し殺した声に、俺の動きが止まる。
「・・・千鶴姉を、殺したのは、あんたなのか?」
 ・・・・・!?
 千鶴さんが・・死んだ? 俺が・・・殺した?
「な・・何言ってんだ? 梓・・・」
「・・楓に聞いた。街で人を殺していたのは、おそらく鬼の力を暴走させたあんた
だって。そして・・」
 ちょ・・・ちょっと待て!
「何言ってんだよ、梓! あの事件の犯人は、刑事の柳川だろ!?
 お前と二人で、かおりちゃんを助けに貴之って奴のマンションに行って、そこで
あいつに捕まって・・・。
 まさか、忘れたって訳じゃないだろう!?」
 壁の向こうで、梓がため息をついたのが、気配で分かった。
「柳川刑事は、死体で発見されたよ。あんたが、千鶴姉の死体を抱いて眠っていた
場所の、すぐ近くでね。
 ・・・あの晩、千鶴姉は、あんたを水門に連れ出して、そこであんたを・・・止
めようとした。
 でもあんたは、その千鶴姉を殺した・・・。偶然その場にいた柳川刑事も一緒に。
 あんたの、鬼の力で。」
 一体何を言ってるんだ、梓は!? 狂ったのか?
 俺はたまらずに叫んだ。
「なんなんだよ、それは! だいたい、俺には鬼の力なんてものはないぞ!?」
「・・・子供の時と同じだよ。あんたは、千鶴姉を殺したショックのせいで、自分
の力を封じ込めてしまったんだ。記憶と一緒に・・。」
 俺は絶句した。
 梓の言うことは間違っていると、俺は確信していた。だが、言葉が出てこない。
 しばしの間を置いて、今度は別の声が俺の名を呼んだ。
「耕一さん・・・」
「耕一お兄ちゃん・・」
 この声は・・楓ちゃんと初音ちゃん!?
「楓ちゃん!」
 俺はそれを救いの声だと思った。
「楓ちゃん、君は知ってるはずだろう!? 俺は鬼の力を制御できたんだ! あの
とき、君が身を呈して俺を守ろうとしてくれたおかげで、俺は自分を取り戻す事が
出来たんだ! 君も、千鶴さんも、殺さずに済んだんだ!
 そうだろう!?」
 俺は必死で説いた。
 だが、答はない。
 俺は初音ちゃんにも呼びかけた。
「初音ちゃん! 一体何が、どうなっているんだ!?
 あの夜、洞窟でエルクゥの亡霊たちといろいろあって、でも、ちゃんと二人で出
て来れたんだよな? あの後、一体何があって、こんな事になったんだ?
 教えてくれ!」
 初音ちゃんも、答えない。
 かわりに、梓が再びため息をつくのが聞こえた。
「・・だめだ。話にならない。耕一はもう、自分の言ってる事に筋が通ってないこ
とすら分からないんだ。医者が言った通り、現実から逃避するために、夢と現実を
ごっちゃにしてしまっているんだ。
 完全に狂ってる。
 ・・・・帰ろう、楓、初音。」
 そして、足音が一つ、部屋から離れていく。
「ま・・・待ってくれ、梓! 俺の話を・・」
「耕一さん・・・」
 梓を呼び止めようとした俺の言葉を、悲しげな声が遮った。
「私は、あなたを助けたかった。あなたと一緒に生きたかった。
 たとえあなたが、鬼の力を制御できなかったとしても。
 でも、あなたは千鶴姉さんまで・・・。
 ・・・・・さようなら、耕一さん。」
「さよなら・・耕一お兄ちゃん。」
 そして、残り二つの足音も、俺から遠ざかっていった。
 ・・・バタン。
 遠くで扉が閉まった音を最後に、俺の周囲は再び静寂に包まれた。
「・・・・・・」
 俺は呆然と、壁を見つめていた。そのままずるずるとしゃがみ込み、その場にう
ずくまる。
 頭の中を、幾つもの言葉が駆け巡る。
 千鶴さんが死んだ。
 柳川も死んだ。
 俺が殺した?
 俺は狂っている?
 俺は・・・
 分からない。
「分からないよ・・・教えてよ、千鶴さん・・・・。」
 俺は、千鶴さんに呼びかけた。
 俺の心の中で、千鶴さんが何かを言った。
 だが俺には、その言葉が聞こえない。


「妹達の事、頼みます・・・」


 もはや耕一に、その言葉は届かなかった。




         「痕」Original Story of After Trueend  了