あの出来事は、まさしく真の恐怖そのものであった。
後に藤田浩之はそう回想する。
事の起こりは高校三年生の夏休み。
俺…藤田浩之はその休みを利用して、綾香と二人っきりで軽井沢に遊びに来ていた。
泊まりで。
ほひっ。
ゲフンゲフン!
勿論、このことは両親及び、友人一同には内緒だ。邪魔だけはされたくないからな。
え、どうやって来栖川財閥の監視の目を誤魔化したのかって?
そこはそれ。ほら、セリオさんのご協力を仰いでちょちょいっと、ね。
…まぁ、綾香の家族が、知ってて見てみぬ振りをしてくれただけなのかもしれんけど。
ともかく。
万難を排した俺達は今、こうして軽井沢での夏休みを楽しんでいるのだ。
そして現在。
遊び疲れた俺と綾香は、宿泊先のコテージに引き上げていた。
ただいまの時刻は夜12:00ちょい前。
大人タイムの始まる頃…なのだが。
綾香が浴びるシャワーの音を聞きながら、俺はベッドの上でうつらうつらし始めていた。
体力には自信があったのだが、昼間、ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったか。
がっでむ。
「…寝てたまるか…これから長い夜が始まるというのに…」
己の煩悩を総動員して眠気と戦う。だが、睡魔の戦力は圧倒的だった。
いつしか俺は、夢の世界へと…。
「っ?!」
ハッと目が覚めた。
心臓が激しく高鳴っている。俺は反射的に時計に目をやった。
AM12:15。…20分ぐらい、寝入ってしまってたのか?
「あれ、浩之起きてたの」
いつの間に風呂から上がったのか。パジャマ姿でベッド正面の鏡台に腰掛け、髪を梳かしていた綾香が声をかけてくる。
俺は彼女の台詞を殆ど聞き流しながら、急いで周囲を見回した。
…何だか、誰かの強烈な「視線」を感じたのだ。それで目が覚めてしまった。
しかし部屋の中には綾香以外、誰の姿も確認できない。
「そりゃそうだよな。変な夢でもみたのかな・・・」
独り言を呟く俺に、綾香が鏡越しに笑いかける。
「どうしたの、真剣な顔しちゃって。怖い夢でも見た?」
「なぁ、俺が寝てた時、俺の顔見てたか?」
「うん。可愛い寝顔だなぁって」
「何だ、そっか。…Hなことしなかっただろうな?」
「バーカ」
俺はベッドにゴロンと横になった。
静かな夜だ。…いや、静か過ぎる?
聞こえてくるのは、綾香から響く静かな衣擦れの音だけ。
夏なんだから、虫の鳴き声ぐらい聞こえてもいい筈だ。なのに何の気配も感じられない。
まるで何かに怯えて、皆、じっと息を潜めているかのような…。
…なーんてな。俺ってちょっと神経質?
綾香は相変わらず、こちらに背を向けて鏡に向かっている。
長髪は見た目綺麗だけど、お手入れは大変そうだよなーとか、やっぱこいつプロポーションいいよなーとか、風呂上りのうなじが色っぽいぜとか、馬鹿な(しかし男としては当然の)ことを考えつつ、綾香の後姿を眺めていると。
「…ねぇ浩之」
突然、綾香が話し掛けてきた。
「ん、なんだよ」
「玄関のカギってちゃんと掛けたっけ?」
「掛けたんじゃねーの」
「ホントに?」
「うーん。そうハッキリ聞かれると自信ねーけど…」
「確認してきてくれない?」
「えー、面倒くせぇなぁ…」
「いいから、お願い」
「ちゃんと掛けたって。…多分」
愚図っていると、鏡越しに綾香の瞳が不穏な光を放った。併せて口調が低くなる。
「お・ね・が・い。それとも、死にたい?」
「お任せ下さい、ボス」
返事をするが早いか、俺は慌てて部屋から飛び出した。
内緒で旅行に来て、撲殺された上に新聞の一面を飾ったんじゃ洒落にもならねぇ。
「…それにしても綾香のヤツ、えらく真剣だったな」
普段、頼みごとをする時はもう少し冗談めかして言ってくるんだけど…。
造りは立派とは言え、そう広くないコテージだ。
考え事をしているうちに、玄関に着いていた。
ノブとチェーンを確認するが、ちゃんとカギは掛かっている。
まったく、だから言ったんだ。
綾香め、この貸しは高くつくからな。今夜は眠らせないぜ…。
「ちゃんとカギ掛かってるぞー!」
部屋にいる綾香に聞こえるよう大声を出す。そして、さて戻ろうかとした時…。
ダダダダッ!
綾香が、廊下を凄い勢いでこちらに向かって走って来るのが見えた。
その形相にちょっとびびる俺。
「お、おう何だよ。カギならちゃんと掛かって…」
「来て!」
言うが早いか、綾香は俺の手を引っ掴むと玄関から外へと引きずり出す。
俺は突然の事でワケが分からず、ただ彼女にされるがままだった。。
外に飛び出した綾香は、近所に同じように建つコテージへ駆け込むと、そのドアを壊さんばかりにノックした。
「あの…綾香さん?」
…どうやら俺の声は届いていないらしい。
暫くすると眠い目をこすりながら、そこの住人らしき人物(中年男性)が玄関に出てきた。
「夜分遅く申し訳ありません。電話をお貸しいただけないでしょうか」
台詞こそ丁寧だが、綾香の口調は殆ど命令に近い。それにもう建物の中に入ってるし。
寝込みを起こされ、初め不機嫌そうだった別荘の主も、いつの間にか気を付けの姿勢になっていた。 うーむ。さすが来栖川一族の血に連なる者。
『なぜ電話を必要としているのか。電話なら俺らのコテージにもあったじゃねーか』
そういう疑問は置いといて、変なトコに感心する俺。
耳を澄ますと、何と綾香は電話で警察(!)を呼んでいるようだった。
黙って事態の推移を見守っていた俺も、これには驚いた。
「おいおい…!」
なんで? どうして?
綾香。あの部屋でいったい何があった?
お前、何を見たんだ?
やがて、電話を終えた綾香が外に出てきた。
待ってましたとばかりに俺が質問しようとすると…。
「ストップ。今、事情を説明するから」
「おう、そう願うぜ」
綾香はようやく安心したか、「ふっ」と息をつく。
そして、事の次第を語り始めた。
「さっき部屋にいた時、私、鏡台に座ってたでしょ」
「ああ。ベッドの前に置いてあるヤツだろ?」
「そう。それでね、鏡越しに寝っ転がった浩之のこと見てたんだけど…」
そこまで言って、綾香が言いにくそうに一旦言葉を切った。
「その時ね…私、見ちゃったの」
「…見ちゃったって…何を…?」
綾香は黙っている。
俺は沈黙に耐えきれなくなって、話の先を促した。
「何を見たんだよ?」
「…浩之が横になってたベッドの下に…『斧を持った女の人』が隠れてたのが見えたの」
「…?!」
絶句。
冗談でも言ってるのかと思ったが、綾香の表情は真剣だ。
「まさか…」
「見間違えなんかじゃなかったと思う。この私が怖くて振り返れなかったんだもん。だから浩之に先に玄関へ行ってもらって、後から私も戦略的撤退したってわけ」
嫌な沈黙が二人の間に落ちた。
普段の俺なら、この期に及んでも素直に逃げた事を認めようとしない綾香のことを笑っただろう。
だが、笑えなかった。
それは俺が寝てた時に感じた、あの妙な視線のせいなのかもしれない。
結局、二人は黙って寄り添ったまま、警察が来るのを待っていた。
パトカーが来たのは、それから十数分後のこと。
到着した警官が、綾香から事情説明を受けて、コテージの中へと入っていく。
それを、不安そうな面持ちで俺達は見送った。
そして、暫くの後。
部屋の中に足を踏み入れた警官が、綾香の話し通りベッドの下を調べたところ…。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
本当に斧を持ってベッドの下に潜んでいた、神岸あかり嬢を発見した。
「浩之ちゃん、見ーつけた」
彼女はそう言って、ニタリと笑ったという。
ひぃぃぃぃぃ…。
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季節柄、有名な都市伝説を使って怖い話なぞ作ってみましたが。
…笑い話ですね、こりゃ。
DEEPBLUE様。
感想をありがとうございます。
“TOO HARD”
『ワイルド・ギース』か、はたまた『戦争の犬たち』か。乾いた世界観がたまんねっス。
さっそく第2話を読ませてもらいつつ、以降の展開にも期待しています。