『すみません』と彼女は。 投稿者:猫玉 投稿日:6月7日(水)01時30分
ども、猫玉です。今回から本格的にSS復帰しますので、よろしくお願いします。
ではさっそく、今回のSS解説。
今回のSSはビッグコミックスピリッツにて連載中、高橋しん先生作『最終兵器彼女』
をモチーフに、マルチシナリオの終盤を描いてみました。
『遊園地・観覧車イベントが終わり、別れるまでの間の出来事』という設定です。
ネタばれしてますので、マルチのシナリオを解いていない人は、まずそちらをクリアー
してからの方がよろしいかと思われます。

『最終兵器彼女』は、現在猫玉が『どうしよう?』ってくらいハマッている作品です(笑)。
単行本第一巻が最近発売になりましたので、この場を借りてオススメしておきます。
『最終兵器彼女』を知っている人がこのSSを読んで、楽しんでくれるのはもちろんのこと、
このSSをきっかけに『最終兵器彼女』に興味を持ってくれる方が一人でもいてくれれば、
それに勝る喜びはありません。
それでは挨拶はこのくらいにして、本編の方をどうぞ……

タイトル:『すみません』と彼女は。
ジャンル:パロディー、シリアス/TH/マルチ、浩之
コメント:高橋しん先生作『最終兵器彼女』をモチーフに、マルチシナリオ終盤を。

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「――うわあ、すごい……キレイです……」

目の前に広がる夜景を見つめながら、マルチは本当に嬉しそうな声を上げた。
そんなマルチにオレは少し照れたように頭を掻きながら、ゆっくりと口を開く。
「……へへっ、だろ? なんか嫌なことがあるとさ、オレいつもここに来るからな」
「あの辺が浩之さんのお家ですか? じゃあ、あそこがいつものバス停で……あそこが駅……
あの辺が公園で……小学校、中学校……」
まるで子供のようにひとつ一つ指差しながら、マルチはオレに笑いかけた。
遊園地を後にしてから、もうどれくらいの時が経ったのだろう。
オレ達は行くあてもなくただ歩き続け……気がつけば夜の校舎の屋上にいた。
オレの高校の唯一の自慢とも言える、屋上からの景色。
どうしてもマルチに見せてやりたかった。
もうすぐこの世界からいなくなってしまうマルチに……是が非でも。
思ったとおり、マルチは瞳を輝かせて喜んでくれた。
オレ自身、夜の校舎からこの景色を見たことはなかったが、街の街灯が織りなす
イルミネーションは、言葉をなくすほどに美しかった。
屋上の入口横に腰掛けて、オレとマルチは夜の景色をただ眺め続けた。
「……この街は、きれいですね。とっても……暖かいですね」
「ああ、そうだな」
うっとりした声で言うマルチに、オレも静かに微笑みを返す。
「この街には、浩之さんやあかりさんがずっと住んでいて……わたしの好きな人達が
たくさん住んでいて……なんだか、切ないです……」
「…………」
「わたしの試験区域がこの街で……本当によかったです……」
そう言ってマルチは、ちょっとだけ悲しそうな笑顔をオレに見せた。

――To Heart・SS、『すみません』と彼女は。――

――すみません、浩之さん。
びっくり……しましたよね?
もう、泣かないでください……。
わたしは……浩之さんが好きです。
わたし、みなさんのお役に立てなかったけれど……
せめて、浩之さんにだけは御恩返しがしたかったんです。
すみません。
役立たずで、すみません。
ダメなメイドロボで、すみません――

観覧車の中でマルチと交わした会話が、オレの脳裏をよぎる。
オレはそこで、初めてマルチに課せられた運命を聞かされることになった。
『オレの目の前からいなくなっても、マルチは別の場所で楽しくやっていくんだろう』
そんなことをオレは、平和ボケした頭で能天気に考えていたんだ。
だが、現実は想像以上に深刻で……
それ以上に……残酷なモノだった。
最初は耳を疑った。

――ただのデータとして『処分』される、マルチの温かな心。

そして……それをただ受け入れることしかできないマルチ。
『わたし一人がガマンすればそれで……まるく収まりますから……』
そう言ってはにかんだマルチの笑顔は、とても痛々しく見えた。
オレの中で……何かが弾けた。

『――バカ野郎!!!!』

思わず怒鳴りつける。
ビクン、と身を強ばらせ、マルチは怯えたような瞳でオレを見つめる。
『周りが収まっても、おめーの気持ちが泣いたままなら……意味ねーだろーが!!』
『……あっ』
その手を取って、腕の中に強く抱き寄せる。
『何でそんなこと……笑顔で言えるんだよ……』
『ひ、浩之さん……』
オレは……泣いた。
人前で涙を流すなんてのは、本当に何年ぶりのことだろうか。
悲しかった。そして……悔しかった。
オレはあまりに無力で……
マルチのために何一つしてやれなくて……
そんなオレにマルチは、精一杯しがみつきながら、
『すみません……すみません……』
涙混じりの声で、何度も何度も、小さく謝り続けた。
『ダメなメイドロボで……すみません。それでもわたしは……浩之さんのことを……』

「……好きなんです。迷惑ですよね? わたし、ロボットなのに……」
「…………」
夜景を見つめたまま、麦わら帽子を大切そうに胸に抱えて、マルチはそう言った。
さっき遊園地で買ってやった、マルチの頭にぴったり似合う小さな麦わら帽子。
オレからマルチへの、最初で最後のプレゼントだ。
オレはマルチの言葉に返事をかえすことなく、ただぼんやりと夜景を眺めていた。
街の明りが一つ、また一つと音もなく消えていっている。
「すみません……浩之さん」
小さく顔を伏せるマルチ。
オレは無言で、マルチの頭を静かに抱き寄せた。
「あっ……」
そしてマルチの柔らかな髪を、優しく撫で付けてやる。
……ったく。迷惑だなんて、思うわけねーだろーが……

「…………すみません」

やがて安心したような、けれど少し寂しそうな鼻声で、マルチが呟いた。
ふたりとも押し黙ったまま、ゆっくりと、ただ時間だけが過ぎていく。
今のふたりにとって何にもまして大切な、かけがえのない時間。
『何か言わねーと……』
そんなことを考えれば考えるほど、頭の中が真っ白になっていく。
口を開くきっかけをつくることができない。
そして、
「……浩之さん」
その長い沈黙を破ったのは、やっぱりマルチの方だった。
「あ、ど、どうした、マルチ?」
急に声をかけられて、オレは慌てて返事をかえす。
マルチは少し俯いて、自分の左胸にそっと両手を添える。
そしてぽそぽそと、小さな声で話しだした。
「わたし……わたし、ロボットですから……心臓の音なんてしないんですけど……浩之さんと
一緒にいる時、いつもドキドキしてるんです。観覧車の中で抱きしめられた時なんて、頭がボーッ
となって、泣いちゃいそうなくらい……わたし、ドキドキしてたんです」
「…………」
「本当は……もっと浩之さんのお役に立ちたかったんです。いっぱいいっぱい、ご恩返しが
したかったんです。でも、結局迷子になっちゃって……お料理も失敗しちゃって……わたし、
恥かしくって……消えてなくなっちゃいたくって……」
そう言うとマルチは膝を抱え込むように抱き、うなだれるように頭を垂れて、
「それでも、わたし……すみません……好きなんです……」
「…………」
「浩之さんのお側に……少しでもいたいんです……」
聞き取れないくらいの小さな声で、オレにそう言った。
オレは何も言わず、星空を眺めていた。
マルチの『心』と同じくらいに澄んだ星空を、ただ眺めていた。
「…………」
「…………」
ふたたび二人の間に流れる、わずかな沈黙。

「いつか……」

「……え?」
そしてその沈黙を破ったのは、今度はオレの方だった。
ポツリと呟いたオレの言葉に、マルチは伏せていた顔を上げる。
「いつかまた……こんなふうに、この街を見る時があるのかな」
「…………」
「なあ、マルチ……」
マルチは何も言わなかった。
その答えが分かっていたから。
多分……もう二度と……
「オレ……オレ、就職しててさ。よく分かんねーけど……給料もらって、帰ってきてさ」
「…………」
「マルチはメシの用意しててさ……だけどトロいから、まだ半分くらいしか出来てなくて……
フロもまだ水で……」
「…………」
「おまけにゴハンのスイッチ、入れ忘れてたりしてさ……」
「あ、あうぅ……」
オレの『もしも話』に、幸せそうな笑顔でうなずくマルチ。
口にしたままの光景が、二人の目の前に、灯火のように浮かんでは消えていく。
「オレ……『しょーがねーなぁ』って言って……『給料入ったから、散歩がてら外行くか』
って言って……」
「…………」
「ふたりで手ぇつないで……歩いて……」
……じわり。
目頭がしだいに熱くなっていく。
気がつけば目の前の景色が、波打つように滲んでいた。
「そ、その頃にはさ……もう街中、マルチとセリオの妹達で溢れてて……やっぱ、おまえに似て
ドジで……でもみんな笑ってて……みんな幸せそう……で……」
「ひ……ひろゆき……さん……」
涙に濡れた声で、マルチはオレの名前を呼んだ。
……オレは、涙を見せてはいけなかったんだ。
オレが泣けば、マルチはきっと苦しむから。
オレが泣けば、それだけマルチとの別れがつらくなるから。

「…………わりぃ」

目頭を押さえながら、オレはただ一言だけ謝った。
それだけが精一杯だった。
ちくしょう……肩が震えちまう。
頬を伝う涙が止まらない。
それでもオレは……無理矢理に顔を上げて、マルチに明るく振る舞って見せた。
「『あの頃、懐かしいよなー』なんて言ってさ……」
「…………」
「『こんな風に笑いあえる時が来るなんて、思わなかったよなー』って……」
「ひ……ひぐっ……う、うぅ……」
「『あの頃、あんなに大変だって思ってたことが、なにひとつ何でもなかった』って……」
小さく肩を震わせるマルチをそっと抱き寄せて、

「『だって今……オレ達こうして、ふたりでいるもんな』って……言って……」

何度か鳴咽が混じりそうになりながらも、オレはそう言った。
……もう限界だ。言葉を……出すことができない。
マルチも思いは同じだったのだろう、

「ふ、うぅ……うわあああああぁぁぁぁ……っ」

オレの胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくるマルチ。
肩においた手のひらから、マルチの悲しみが伝わってきた。
しゃくりあげるマルチの頭に顔を押し当て、ゆっくりと息を吸いこむ。
ふんわりとマルチのやわらかな髪の匂いがして、胸がギュッと苦しくなった。
このまま、気の済むまで泣かせてやろう。
涙と一緒に、悲しみも流れていっちまえばいいのにな……
「うぅ……ひっく……ひっく……」
ようやく落ち着いたマルチの頭を、オレはそっと撫で続ける。
そして、

「……好きだぜ、マルチ」

オレは胸の中の大切な想いを込めて、優しくそう言った。
「…………」
「う、うまく言えねーけど……もっと、いいこと言ってやりてーけど……わ、わかんなくて……わりぃ」
「…………」
マルチは何も言わなかった。
ただ静かにオレの胸に頬を寄せ、泣きはらした瞳をそっと閉じる。
「オレ……おまえの妹が発売されたら、絶対に買うからな。それで……いろんな所に連れていって
やって……いろんなもの、見せてやって……」
「――聞こえる」
「……え?」
オレの言葉を遮って、穏かな声で小さく呟くマルチ。
そして体中の力を抜いて、オレの胸元にその身を預けてきた。
「……聞こえます。浩之さんの……心臓の音。『トクン、トクン』って……」
「…………」
「……浩之さんの鼓動……生きている証……とっても、優しい……あったかい……」
「……マルチ」
ゆっくりとオレの側から離れて、ごしごしと目元の涙を拭うマルチ。
そしてマルチは、まっすぐにオレの瞳を見つめて、

「わたしは、浩之さんのことが……誰よりも、誰よりも……大好きでした」

少し恥かしそうに微笑みながら、そう言った。

「……行こうか、マルチ」
「……はい」
オレ達は手をつないで校舎を後にした。
――ザザアッ……
暖かな春の夜風が、街路樹の枝を揺らしている。
オレ達は、いつも通っている坂道を下る。
ゆっくりと、ゆっくりと歩いて下る。
マルチは軽く遅れてついてくる。
しっかりとつないだ手には少し汗が滲んで、何だか気恥ずかしかった。
オレ達は何もしゃべらなかった。
何も言わなくてもつないだ手のひらから、お互いの思いを感じ取ることができた。
こうしていればオレ達は一緒にいられる。
いつまでも、一緒にいることができる。
坂道が終わり、バス停をこえて、
マルチを待つタクシーの目の前まで来ても、
オレ達は、手を離さなかった。

――オレ達は、手を離さなかった―― <終>