天使のゆびきり 投稿者:猫玉
鉄とコンクリート。
そして暮れゆく陽は、私の奥底にあった記憶を思い出させる。
「うぅ……えぐ……ひっく……」
泣いている私。
布団に顔を押し付けて、肩を震わせている私。
「き、汚くありませんから……ただの……水……ですから……きれいな……」
しゃくりあげながら、私は必死に言葉を紡ごうとする。
この人は今、どんな顔で私を見ているのだろう。
軽蔑、嫌悪、嘲笑……。
この人にだけはそんな目で見られたくない……。
そんな思いで頭の中がいっぱいだった。
怖くて顔を上げる事ができなかった。
「す……すみま……せん……ゆるして……くだ……さい」
スッと静かにその人の手が私に近づく。
ビクッと私の身体が固くなる。
「……馬鹿だな」
ふわり。
頬を打つかもしれないと思っていた手は、私の頭を優しく撫でた。
おそるおそる顔を上げる私。
「あ……」
その人の目は優しかった。
初めて会った時と変わらない、とてもとても暖かく、優しい目だった。
「あんまりマルチが可愛いもんだから……ちょっとビックリしちまっただけだ」
きゅ……。
そして私の小さな体を抱きしめてくれた。
「朝までずっと……こうしてようぜ」
たった一日だけのご主人様は、私を抱きしめて眠ってくれた。
不思議な気持ち。
なぜこんなにも、涙があふれるのだろう。
なぜこんなにも、胸が切ないんだろう。
鉄とコンクリート。
そして暮れゆく陽は、私の奥底にあった記憶を思い出させる。
それは安らぎと喜び、そしてそれを失う事の恐怖を同時に与えてくれる。
そして……私のたった一日だけのご主人様の事を……

「……チ、マルチ」
遠くから声が聞こえる。私の大好きな人の声……
「……マルチ! マルチ!!」
「……あ……浩之さん……」
ぶうぅぅん……という起動音と共に、私は目を覚ました。
外はまだ暗い。時計の針は午前3時30分を指していた。
「どうしたんですか、浩之さん? まだ、起きるには……」
そういってまだ眠い目をこすろうとして、初めて気が付いた。
私の頬を流れる涙に。ポロポロと溢れて止まらない、涙の雫に……。
「いや……ふっと目が覚めてマルチの寝顔見てたらさ、急にボロボロ泣き出したからどうしようかと思ってよ。とりあえず起こしたんだけど……」
浩之さんの言葉が終わる前に、私はその胸に顔を埋めた。
「マ、マルチ!?」
「う、うぅ……ひ、ひろゆきさん……」
浩之さんの広い胸に顔を埋めて、泣きじゃくる私。
そんな私に困惑しながら、浩之さんは私の背中にそっと手を回した。
「……どうしたんだ? 恐い夢でも見たのか?」
そう言って、クシャクシャと私の頭を撫で付ける。
今も……そしてこれからも変わらない、浩之さんの優しい手。そして優しい笑顔……。
「まったく、マルチはいつまでたっても、泣き虫で甘えん坊だよなー」
いつもの『しょうがねーなー』という声で言いながら、浩之さんは私の頭を撫で続けた。
「はじめて……」
「ん?」
「はじめて……ひっく、ひ、浩之さんと……すごした夜のことを……えぐっ、お、思い……だして……」
私の頭を撫でる手が、ぴくり、と動きを止める。
「もう……ひ、一人ぼっちは……ひっく……い、いやです」
「…………」
闇の中に私の鳴咽だけが響く。二人の間に無言の時が流れる。
しばらく黙っていた浩之さんは、静かに両手で私の顔を挟みこんだ。そして……
「……マ〜ル〜チ〜」
私のほっぺたをムニュ〜、と左右に引っ張った。
「ひ、ひほふひはん(ひろゆきさん)?」
驚く私をジト目で見つめながら、浩之さんは言葉を続けた。
「俺、いつも言ってるよな〜? 『マルチは俺が守ってやる。絶対に俺が幸せにしてやる』ってよ〜」
は〜、と深い溜息を付きながら、浩之さんは少しすねたような声を出した。
「俺って、そんなに信用無かったのか〜。ショックだよな〜……」
がっくりとした様子で、しみじみと言う浩之さん。
「ほ、ほんはほほはいへふ(そ、そんなことないです)! ひほふひはんは(浩之さんは)……」
あたふたと弁解しようとしたけれど、浩之さんに頬を引っ張られているため、うまくしゃべる事ができない。
「ははは、これじゃ何言ってんだかさっぱりだな」
楽しそうに笑いながら、浩之さんは私の両頬から手を放した。
「あ、あうぅ……」
半べそで、私は赤くなったほっぺたをさすった。
そんな私の目元の涙を、浩之さんの指が拭う。そして子供のような笑顔で、浩之さんは私に言った。
「よし、マルチ。右手だしな」
「え……は、はい」
浩之さんの言葉に戸惑いながらも、私はそっと右手を差し出した。その小指に、浩之さんの小指が静かに絡まる。
「それじゃ……ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本、飲ーます! ゆびきった!」
私の目をじっと見詰めながら、浩之さんは静かに詠った。何の事かよく分からずキョトンとする私に、浩之さんは優しく笑いかける。
「“ゆびきり”って言ってな、人間の誓いの儀式ってとこかな。“絶対に嘘はつきません。もし約束を破ったなら、針を千本飲まされても文句は言いません”って意味だ。だから俺がもし約束破ったら、針千本だろうが何だろうが、マルチの言う事聞いてやるぜ」
「そ、そんな! わ、わたし……そんなこと……」
おろおろする私を、浩之さんの両腕が包み込む。ぽんぽんと私の頭を軽く叩きながら、浩之さんは言葉を続ける。
「心配すんなって。俺はいつでもマルチの側にいるからよ。だいたい俺だって、マルチの笑顔が側にいないと、どうにもやる気出ねーからな……」
照れを隠すように頭を掻きながら、ぶっきらぼうに言う浩之さん。そんな言葉に、じわりと私の瞳が潤んでいく。止めようとしても、ポロポロと涙があふれ出てしまう。
「うぅ……浩之さん……ひろゆきさぁん……」
「だから安心して眠りな。今度はもっと楽しい夢が見れるように、ずっとこうしててやるからさ……」
ぎゅ……と私を抱きしめる腕に少し力が入った。
離したくないぬくもり。
失いたくない安らぎ。
この人の側にいたい。
浩之さんが、私が側にいる事を喜んでくれる限り。
そして……私の体がいつか動かなくなってしまう、その時まで……。
暖かなぬくもりに包まれながら、私は静かに瞳を閉じて、永遠に変らない想いをつぶやいた。
「大好きです……浩之さん……」<終>


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
『カレカノ』のパロをやってみようと思っただけなんですが……気がついたら、こんなSSになっている次第。冒頭の部分は、状況説明一切無しです。分かる人だけ分かって下さい(笑)。
また今回は、『マルチの視点から物語を書く』という初の試みだったわけですが……難しいです。個人的にはすごく満足してるんですが、いかがなものでしょうか?
日々、マルチの中で膨らんでいく浩之への思い。そして、そのぬくもりを失ってしまう事への不安……。『人を好きになる』ということは、結構辛い事なのかもしれません。それを感じ取っているマルチにとって、浩之と過ごす事のできる『今』は何物にも代え難い『輝ける時』なのでしょう。そして、その事を誰よりも理解しているからこそ、浩之はマルチの側でいつも優しく笑っている……そんな気がします。
人によって物の見方は様々ですし、『そんな奇麗事ばかりじゃない』と笑われる方もいるかもしれません。ですが、自分は浩之とマルチの未来は、きっと暖かな光に包まれたものであろう事を信じて止みません。もし貴方の中のマルチと浩之が、同じように幸せそうに笑っているのなら……とても嬉しい事ですね。