「光芒」その一 投稿者: なるるる
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 鹿児島空港を飛び立ったYS―11に、乗客はオレを含めて5人だけだった。
座席は指定されていなかったので、適当に窓側に座った。
 途中スコールに出会ったが、YSはそんなものなど存在しないかのように高度
も変えず平然と飛び続けた。
 乗り込んでからかれこれ40分、前方に見える島に向け高度を下げて行くので
着陸体制に入ったと判っても、いままで何のアナウンスもない。もちろん気の利
いたスチュワーデスが飲み物を持ってくることもなかった。
 やがて、空気よりも水のほうが多いかと思えるような大気を大きな4枚プロペ
ラが低い音で切り裂き、航空用高圧タイヤが滑走路に長い水飛沫を残すと、YS
は500メートルも滑走路を使用せずに停止した。
 オレは、トランクの中から折り畳み傘を取り出した。もっとも、そいつはタラ
ップに最初の一歩を踏み出した瞬間、気休めにしか過ぎないということを思い知
らされたけど。
 タラップを駆け下り、くるぶしまで水が溜まっているような滑走路を走り抜け
空港ビルに向かう。
 この島の建物には、これでもかというほど冷房がかかっている。ぬれた上着を
振って水滴を払い、ハンカチで頭をぬぐうオレには寒いほどだった。
 ガラスの向こうの煙る滑走路にさっきまで乗っていたYS。機体に描かれてい
るのは航空会社のロゴではなく、斜体の影付ゴシックで「宇宙開発公団」。国内
で現役で飛んでいるのはこれが最後の一機らしい。
 普通の空港なら乗降客でごった返し、航空会社のカウンターや土産物店が並ん
でいるところだが、ここにはベンチがいくつかと自動販売機が3台ほどあるだ
け。立っているのも気がつけばオレ一人。建物の新しさとは裏腹に、空気はどち
らかというとうらぶれたフェリー乗り場といった感じだ。もっとも、ここは正式
には空港ではなく飛行場だし、民間航空の定期便も乗り入れてはいない。
 迎えが来ることになっていたけど、それらしい人影も見当たらない。仕方ない
のでオレはトランクをベンチの上に置くと、自動販売機でカフェオレを買った。
ホットが欲しいところだったが、あいにく表示はすべて青だった。
 トランクの横に座って足を組み、カフェオレを飲む。
 テレビも何もない殺風景なところでぼんやりとカフェオレを飲む。半分くらい
飲んだところで、道路側の入り口から少し聞き覚えのある声がする。
「あぁ、藤田さんですね。お待たせしました、愛島出張所の岡野です」
 顔を見て思い出した。新入社員研修のときに一緒だった岡野という男だ。
「いやいや、こちらこそよろしくお願いします。本社営業2部の藤田です」
 知っている相手でもつい営業口調になって営業スマイルをしてしまう。職業病
というやつだな。
「まぁ、硬い挨拶は抜きにして。とりあえず車に乗ってください」
「そうですね」
 オレはトランクを持って歩き出した。岡野が持とうとしてくれたが、それほど
重いものでもないので遠慮した。

 ほんの数分の間だったが、雨は小降りになり薄日も差していた。
 「K.L.T.」の青いロゴが控えめに入った白いカローラハイブリッドバンがロー
タリーに斜めに停めてあった。
 K.L.T. 来栖川リビングテック それがオレの勤めてる会社だ。身近なところで
言うとシステムキッチンとかあぁいうのを作ってる。小はキャンピングカーの調
理ユニットから大はコンビナートの社員食堂の厨房まで、調理システムならなん
でも作ってる。
 本社営業2部、官公需を担当している部署に配属されたオレが初めて自力で取
ってきた受注がこの島、愛島にある宇宙開発公団の食堂の厨房システムだ。
 愛島は沖縄県の北端、鹿児島県との県境沿いにある無人島、だった。正確に言
うと昔は住人が居たが戦争末期に全員疎開して無人になり、その後数年前まで無
人のままであったのが、宇宙開発公団の新ロケット基地が建設されることになり
建設要員と技術者・研究者などの公団職員が住むことになった、という島だ。

 真っ黒なアスファルトに真っ白なセンターラインが続く。ほとんどすれ違う車
もない直線道路を岡野は40キロほどでとろとろと走っている。交番のひとつも
無いここでなんでそんなにゆっくり走るのかといえば、手のひらに乗るくらいの
スペクトル拡散波を使った最新鋭のネズミ取り、速度測定機、が実験のためにそ
こら中に仕掛けてあって、速度違反をすると公団から文句が来るらしい。
「まぁなぁ。そうでもしなきゃこれだけ空いててだだっ広い道路だ。娯楽の少な
いここだとサーキットにしちまうやつが出るからな」
 すっかり雨も上がって道路も乾き始めている。
「なんでここに、宇宙基地ができたか知ってるか?」
 新人研修のころの思い出話ですっかりお互いに打ち解けたころ、岡野がぼそり
と聞いた。
「無人島で都合がよかったからだろ」
「でも、昭和20年までは住民がちゃんと居たんだ。戦争が激しくなって疎開し
ても、戦争が終われば戻ってくると思わないか」
「それもそうだなぁ」
「疎開というのは名目で、実際は国がこの島をそっくり全部買い上げたんだ」
「全部?またなんで」
「鈍いやつだなぁ。この島で決戦兵器の研究が行われるはずだったんだ」
「決戦兵器?鉄人28号とかか」
「そんなところかな」
「いったいなんだったんだ、それって」
「わからん。終戦後この島も含めて沖縄県と南西諸島は米国の統治下に入った。
そこで米軍が徹底的にこの島を調査した。この辺の島にしちゃ木がみんな若いだ
ろ」
 オレは窓の外を見た。低い丘の間の切り通しのようなところを走っていたが、
両側の木々は確かに南西諸島というよりは本土の植林された山を思わせる風景だ
った。
「米軍はこの島を全部掘り返しちまったんだ。残ってた建物も全部壊して柱まで
切り刻んだけど結局何も見つからなかった」
「で、何にもわからないのか?」
「あぁ、資料も何も残っていない。この島に居た関係者も何もわからないと言っ
てる」
「わかんないじゃなぁ」
「まぁ、この島が全部国有地で宇宙開発公団が基地を建設するまで無人島だった
のだけは確かだ」
 そんな話をしているうちに、車は丘の間を抜けた。一気に視界が開けた。オレ
は一瞬言葉を失った。
 海に面した平地、いや平野と呼んでも良いくらいの広さだった。一番に目に入
るのは、巨大な発射台。それは宇宙基地としては当然の設備だが、それを護る様
に立ち並ぶ建物群がそれ以上にオレを驚かせた。優にジャンボジェットが組み立
てられるかと思うような工場が4つは見て取れた。それ以下の規模の建物になる
と一目で数が判別できないほどであった。
「すげぇなぁ」
「あぁ、1万ちょい居る。もっとも、うちのシステムで飯作って食わせる必要が
あるのは1200人ほどだけどな」
「ロボットが8800ねぇ。HR比が法定率完全に越えてるんじゃないのか」
「遠隔地ってことで特例が認められてるし、それに労働基準監督官なんて居ない
から公団も各企業も無登録で勝手に持ち込むわ、宇宙作業用ロボットの研究って
ことで最近では部品からのアッセンブルまでやってるらしい」
 そのような話をしているうちに、車は建物群の中でもひときわ目立つビル、宇
宙開発公団愛島本部ビルの駐車場に入っていった。


      2

「ごちそうさまでした」
 オレは満足感たっぷりにそういうと箸を置いた。目の前には空の鉢や皿がいく
つも並んでいる。
「ほんと、浩之さんに来てもらうとお料理も作りがいがあるわ。うちのお父さん
は出張が多いからいつもあかりと二人なの。煮物でもちょっとだけ作るとおいし
くないのよ」
あかりのお母さんがにっこり笑って言う。
「そうなんですか」
「それに浩之さん本当においしそうに食べてくれるし。最近あかりは体重を気に
してあんまり食べてくれないのよ」
「気にしてなんかないって。太ってないよぉ」
 あかりが口を尖らせて言う。
「ふふふ、私と二人のときはいちいち『これはカロリーが高い』とか『油使いす
ぎ』とかいうくせに」
「そうなのかあかり〜。そういえば最近……」
「そんなことないって」
 あかりがいっそうむくれる。
「あ〜ぁ、うちも男の子が欲しかったわ。浩之さんうちの子にならない?」
「あ、こんなおいしいご飯が毎日食べられるんなら喜んで」オレは満腹感でかな
り本気で返事した。
「もぉ、お母さんったら〜〜」
 あかりがお母さんを手で小突く
「もうこの際、孫でもいいわ。あかり、早くお母さんに孫の顔見せて頂戴。もう
適齢期なんだから」
「またそんなこというんだから」
 あかりは話題をそらそうと食器を台所に運ぶ。
「あ、オレも」
 食器を運ぼうとしたオレをお母さんは制して
「いいのよ気を使わなくて、大事な人なんだから。ソファーでゆっくりしてテレ
ビでも見ててね」
 お母さんの言葉に甘えてオレはソファーでテレビを見ることにした。ニュース
では宇宙開発公団が発表した宇宙探査機、人類初の冥王星探査機の打上げ予定を
報じていた。そういえば今度、宇宙開発公団の新宇宙基地に出張なんだよな。い
つかはまだ聞いてないけど。
 自動食器洗浄機があるので、後片付けは程なく終わった。あかりとお母さんが
紅茶を淹れクッキーを持ってきてくれた。
「じゃぁ、私は部屋に居るから何かあったら呼んでね。浩之さんはごゆっくり
ね」
「あ、はい」
 お母さんは料理研究家で雑誌にも連載を持っているし料理の本も何冊か出して
いるのでよく家で原稿を書いている。
 紅茶を飲んでクッキーを食べる、これもお母さんの手作りだ。テレビを見なが
らたわいない会話をする。普段一人暮しのオレには本当に心やすらぐ時間だ。高
校、大学、そして就職して、なんだかんだで十年近くも一人暮しをしている。H
M―12も結局は返品してしまった。HMの返品率は最近高いらしい。
 この十年ほどで自分の両親よりもあかりやあかりの家族と飯を食った回数のほ
うが多いのかもしれない。なんだかすっかりこっちの家族になっちまったような
気がする。
 あかりは妹であかりのお母さんが母親で……そういや、すっかり「お母さん」
と呼ぶことに慣れちまったなぁ。
 あかりギャグ入りの会話がふととぎれ、あかりがこっちに向きなおってちょっ
と改まった口調で言った。
 「そういえば、浩之ちゃん こんどうちのお父さんとお母さんが一緒に旅行に
行かないかって言ってるけど。お父さんの会社の保養所が隆山にあるんだけど、
新築ですっごくきれいなの。で、浩之ちゃんもどうかなって……」
「旅行かぁ、いつなんだ」
「うん、来月の22日から二泊三日の予定だけど、どうかなぁ」
「う〜ん、出張が入ると思うんだ。ちょっと遠いんだ、沖縄の手前まで」
 確かに、あかりのお母さんには年中世話になっているし、あまり会う機会も無
いけどお父さんも気さくでいい人だ。四人で食卓を囲むと本当の家族のように話
が盛り上がる。家庭での団欒というものに縁遠いオレにはとても心地よい時間で
もある。
 でも、こう改まってどこかに旅行にでも行かないかといわれると躊躇してしま
う。きっと楽しいに違いない。あかりと二人だけのときとは違った楽しさがある
だろう。でも……
「いや、やっぱりこういうことは家族水入らずで……」
「水入らずって、浩之ちゃんはもう他人じゃないよ。最近はお母さんも私には浩
之ちゃんのこと浩之くんでなくて浩之ちゃんって呼ぶし」
「それはおまえのがうつっただけだろーが」
「でも浩之ちゃんもお母さんのことお母さんって呼んでるよ」
……うっ 確かにそれはそうだけど
「いや、まぁ、とにかくいつも邪魔ばっかりしてるからこれ以上迷惑掛けちゃい
けないかなって……まぁ、その、なんだ……」
 オレが口を濁すと、あかりはもうオレの言わんとしていることをすっかり読み
取ってしまったに違いない。何か一言ぼそりとつぶやいて、沈んだ表情でテレビ
を見つづけた。
 オレはきまり悪くなって、残っていた紅茶を飲み干すとそそくさとソファーを
立ち、廊下の途中にあるお母さんの部屋に一声挨拶すると自分の家へ帰って行っ
た。