「光芒」その二 投稿者: なるるる
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 今ごろあかりの一家は隆山からの帰りに違いない。実のところ、この出張も少
しラッキーだったと思っている。
 確かに、あかりとあるいはお母さんといるのは心休まる時間に違いない。だけ
ど、何かそれに束縛されることに対してオレは心のどこかでしっくりこないもの
を感じていたのだった。

 喫茶室で岡野と一服してから、総務部に挨拶に行った。
 そのビルの17階フロア半分を占める部屋だったが、人間の課員は5人、管理
者を入れて7人。
 あとはすべてHM。群舞を思わせるように業務をこなして行く50体のセリオ
は壮観だった。HM―151シオンとリプレースされたリースバック機らしい
が、ワンフロアでこれだけの数を見るのは初めてだった。一般の事務系事業所な
らHMは人間と同数までという規制が新労基法で定められているから、こんな光
景をみることはあり得なかった。
 人間の課員とは型どおり一通り名刺交換を済ませた後、会議室で今回の受注契
約の厨房システムの仕様について説明を行った。
 これも、本社で作ってきたムービーファイルをノートマシンで走らせてプロジ
ェクターで写し、オレはその画面を適当にリモートマウスで指してカタログどお
りに説明をしただけだった。
 一体、なんのためにこんなところまで来たんだか。これだけならわざわざ人間
を送ってこなくてもリモート会議システムで済むだろうに。いくら高速回線を引
いたって、どうもお役所とか外郭団体ってところの意識は変わらないらしい。最
先端科学の真髄みたいな宇宙開発公団にしたってだ。

 夜になって、お疲れ様ということで、総務部員、もちろん人間だけ、と岡野と
で公団事務局ビルの最上階にあるラウンジに行った。発射台と管制塔を除けばこ
の島で一番高い建物らしい。ここから見る夜景は、明るい部分はサーチライトや
投光機で真昼のように照らされ、暗い部分は漆黒の闇に閉ざされた奇妙なモノト
ーンのモザイクだった。
 この愛島で初めて発射されるH―IIIロケットで打上げられるのは、外宇宙探
査機PLUTO―S 愛称はまだ無いが、打上げ成功の暁にはなにか名前がつく
らしい。なんか内部では勝手に「ほたる」なんて名前がついてるらしいが、ロケ
ットに「ほたる」じゃ景気悪いよなぁ。
 こいつの目的はいまだパイオニアもボイジャーも成し得なかった冥王星探査。
1998年に経済恐慌のあおりで予算承認されず流産してしまった米国のプルー
ト・エクスプレスに代わってこいつが冥王星探査機として打上げられることにな
った。
 適当にビールなど飲みながらたわいない世間話をした。出された料理はほとん
どレトルトか冷凍と判るものばかりだった。まぁ、この状況もうちの厨房システ
ムが納入されれば変わるんだろうけど。
 この島の宿泊施設は単身寮にもゲストハウスにも全室にファイバーが引いてあ
ってペイチャンネルまで含めたBS・CS見放題でインターネットも常時接続、
新聞も東京の最終版がサーバーに置いてあって見れるようになっている。それで
も、ほとんど外界と隔絶され人間の数倍ものHMに囲まれた人工環境の島では、
他人の生の話というものに大変飢えていて、出張者がくるととにかく話をしたが
る、と岡野が言っていた。
 その通り、とりあえず乾杯してからずっとオレは話の中心に居た。会社での愚
痴でもみな身を乗り出して真剣に相槌を打って聞いてくれるのだから悪い気はし
なかった。
 2時間ほどでとりあえずお開きということで乾杯になり、何人かは席を立った
が残りの何人かと岡野と、そして付き合いでオレは飲みつづけていた。
 一通り話のネタも尽きたところで、岡野が聞いてきた。
「藤田さぁ、彼女はできたのか」
「彼女って、まぁ一応はなぁ……」
 居ないって言うのもなんとなく悔しい気がしたのでそう答えた。
「へ〜、どんな娘だ、おい」
そういえば、こいつ新人研修のときから酔っ払うと女の話が好きだったんだ。
「幼馴染だよ。小学校から一緒のな」
「そーかいそーかい。それじゃぁもう高校生のころにはとうにヤッちまってるん
だな。いひひ」
「下品なやつだな〜。オレはおまえと違って清く正しく生きてるんだよ」
「清く正しくって。じゃぁまだ何もしてねーのかよ」
「あ、あぁ…… まだだ」
 確かに、あかりとはまだ何もない、何かそういう関係では無いような気がして
いる。一緒に居ると心が休まるし、何かあればまずあかりのことが気にかかる。
でも、恋愛とか男女関係とはそういうものとは何か違うのだった。
「うひゃひゃ、その分じゃまだどーてーだな、このむっつりスケベの癖に」
 誰がむっつりだ
「そんなことはねぇぞ……オレだって」
「そんなことはないですか〜、じゃぁ風俗のひとつやふたつくらいは」
「いや、高校生のとき……」
「へぇ〜〜 幼馴染一筋かと思ったら結構もてたんだねぇ、このぉ」
 オレは口ごもって、手の中のすっかりぬるくなったビールの水面を見た。高校
生の時の体験、それは志保と、それと……
「で、何人くらいとヤッたんだ、え、このこの」
「いいだろ〜〜、そんなことどうでも」
 オレも酔った勢いで強く岡野を突くと、岡野はソファーに転がってぎゃははは
と大声で笑っていた。明るい酒だがお世辞にもあまり酒癖がいいとは言えない。
 岡野をそのままにすると、オレはトイレに立った。ラウンジのスモークガラス
のドアを出るとオフィスビルそのものの味気ない廊下が続く。5メートルばかし
歩いてトイレに入る。

 用を済ませて手を洗っていると、オレに続いて横の洗面台によれよれのジャケ
ットを羽織ったオッサンが来て手を洗った。
「この島はどうですか」
 そのオッサンが独り言にもオレに尋ねているようにも取れる声でつぶやいた。
オレは手を拭きながらそのオッサンを横目でちらりと見た。どっかで見た顔だ。
やたら張ったあご、丸眼鏡、だらしなく緩めたネクタイ、そしてこの口調。
「あなた、もしかしたら長瀬博士……」
「覚えていてくれてましたか」
 そう、オレが高二のときに学校に運用試験にやってきたメイドロボット、HM
X―12マルチの開発者。
 マルチの試験が終わって3ヶ月ほど経った夏休み、来栖川電工の研究所に招か
れて、このオッサンと話をしたことがある。
 マルチの話を聞かれるかと思ったが、なんだか良くわからない禅問答のような
話を5分ほどしただけだった。それだけに、この男のことはいっそう印象に残っ
ていた。
「なんでまたこんなところに居るんですか。ひところはロボット工学の権威って
ことでNHKやらに出てたじゃないですか」
「権威ってのは穏やかじゃないなぁ。マサチューセッツ条約前後に当事者ってこ
とであちこち引っ張り出されただけのことさ」
 マサチューセッツ条約。AC=人工人格及び感情を持ったロボットの研究・開
発・製造の一切を禁止する国際条約。いや、国際条約というよりは米国がスーパ
ー301条、その他ありとあらゆる、多分直接的軍事力以外のすべて、を持ち出
して日本とEUに押し付けた条約であった。
 原因に付いてはいろいろ言われた。ほとんど日本の独走状態にあったAC研究
に米国が危惧を抱いたのだとも、キリスト教原理主義団体に推された全く無名の
男が「地上最大の奇跡と偶然」によって共和党の候補となりそのまま大統領に収
まってしまったからだとも言われた。
 だが、マサチューセッツ条約は調印され発効した。調印国でACを研究してい
た企業、公的研究機関、各大学、それらすべてにおけるAC研究は廃棄され、査
察団が書類キャビネットまでひっくり返していった。唯一抵抗を示した大日本電
子は、即日米国において系列企業製品の全面禁輸措置が採られ、さらに系列銀
行・証券に対する格付機関の格付けを3ランクも下げられ、取りつけ騒ぎまで起
こされては成す術が無かった。
 来栖川生命工学研究所のヒトクローン成体「K」騒動以来、日本の世論あるい
は政府も一種のフランケンシュタインコンプレックスに陥っていた。とてつもな
く不平等且つ酷い内容にもかかわらず、マサチューセッツ条約に公然と反対する
ことは一種の勇気が必要とされる行為となっていた。

 廊下を歩きながら相変わらず独り言なのか良くわからない口調で長瀬は続け
た。
「あれ以来ねぇ、HMの研究開発にすっかり意欲を無くしちまいましてね。それ
で今こっちに出向して探査機のファームウェアを作ってるんですよ」
「ずいぶん畑違いですね。メイドロボから宇宙船とは」
「そうでもないですよ。今度の探査機は冥王星まで行くんですから地球からコマ
ンド送ったって届くのに6時間弱、向こうからレスポンスが帰ってくるのにまた
同じだけ、とても直接制御なんてできるレベルじゃないですからね。ACとまで
は言わないにしてもかなりの部分で自律制御させてやらないといけないんです。
はっきり言って探査機のハード自体は米国の引き写しに近いですからこういうソ
フト部分でHMのAI技術を応用して差をつけようってわけです」
「そうなんですか」要は連絡が不便だから自分で探査して来いってわけだよな
ぁ。
 再びラウンジのドアをくぐると
「まぁ、良かったらこっち来て呑みませんか」
 長瀬がラウンジのオレのいたのとは反対側のボックスを指す。なんとなくこの
オッサンには興味があったし、岡野と付き合うのも飽きてきたので長瀬と呑んで
みることにした。ボックスに2人で腰を落ち着けると、長瀬がひらひらと手を振
った。静かにメイドロボが近づいてきてひざまづいた。
「ご用でしょうか」
「あぁ、ギネスを1本。あと適当に乾き物でも持ってきてくれ。君はもう酒はい
いだろう」
 そういってもらって助かった。もともとは酒に強いほうではないオレは、さっ
きまでしこたま呑まされて参っていた。
「じゃぁ、ウーロン茶を」
「はい。かしこまりました」
 やがて、程よく冷えたビールとグラスに入ったウーロン茶と、皿に入ったナッ
ツが運ばれてきた。
 オレが注ごうとするのを手で制して、長瀬は手酌で一杯注ぎ、一息で飲み干し
た。
「あれから何年になるのかなぁ」
「10年、にはならないと思います」
 一瞬とぼけてみようかとも思ったが素直に答えた。そうだ、この男は何もかも
知っているんだ。マルチのことなら何でも、オレとの1週間のことも、愛し合っ
たあの夜のことも……。当たり前のことかもしれなかったが、ここにこうしてこ
の男と差し向かいで座るまでは忘れていた、いや、思い出そうとしなかったこと
だった。
 急に間が悪くなった。席を立とうかと思ったがそうもいかず、何か適当に話し
ておこうとしたが、長瀬は窓の外の夜景を眺めながら何も言わずにナッツをつま
み、ビールをもう一杯飲んでいた。オレも間が持たないのでウーロン茶を少しず
つ飲んでいた。
「古代エジプトの人はなぜピラミッドを作ったと思います?」
 長瀬が窓の外を見たままいきなり突拍子もないことをつぶやいた。
 オレはいったい何のことだか判らなかったが、とりあえず素で答えてみた。
「王様のお墓だからでしょう。あと天文台だったとかいろんな説があるらしいで
すけどね」
「そうかも知れないですよね。でも、それだけの理由であれだけ多くの人間が命
までなげうって何かを作れると思いますか? そういう理由は後世の人間が後付
けした理由に過ぎないのかも知れませんな」
「後付けしたって、長瀬さんは知ってるんですか、本当の理由を」
ちょっとからかい口調で言ってみた。
「知ってますよ」
「まさか」
 長瀬はオレのほうに向きなおり、真顔で言った。
「長瀬家の祖先はエジプト古王国から続く家系なのです。長瀬の元になった『ナ
グゥア・セ』というのは古代エジプト語で『仕える者』という意味です。カエサ
ルによってエジプト王国が滅ぼされた後、一族はイスラエルに移りました。そし
て、ゴルゴダの丘から逃れたイエスと共にシベリアを越えて日本に渡り、今の青
森県にたどり着きました。今でも長瀬家の墓は、青森県三戸郡新郷村にあるキリ
ストの墓の隣にあります」
 ……おいおい本当かよ。そりゃぁ、あの魔法使いのセンパイに仕えていたセバ
スチャンとか言う来栖川の怪しげな執事はこいつの親父だし、歌手のフランク長
瀬も親戚だって言うし。もしかしたらなんかすげー秘密を持ってるんじゃ。
 オレは改めて長瀬の顔をまじまじと見た。確かに言われてみれば普通の日本人
からはなんとなく違うような気がしないでも……
「冗談です」
 一気にずっこけた。なんなんだこのオッサン
「墓は東大阪市にあります」
「墓はどうでもいいって」
「ピラミッドの話ですよね」
いきなり話を戻そうとする。よくわからん。
「何かを残したかったんです」
「何かを?」
「そう、そこに人が居て文明が興り栄えやがて都市や国家ができ共同体ができ
る。そうするうちに、人々は考えてしまうんですな。この共同体が永遠なのかど
うか。しかし、人間の営みが永遠でないということにもまた気づいてしまう。こ
の共同体もまたいつか滅び去ってしまうということに気がつくと人々は何かを残
そうとするんです」
 良くわからない話を始める男だ。そういえば高二の夏休みにこの男と会ったと
きにもこんな話をしていたっけ。
 そう言えば思い出した。高二の夏休み、来栖川電工中央研究所の緑に包まれた
広大な敷地の中の建物で、このオッサンは、窓から外の緑を眺めながら言ってい
た。
―「こうして見ている外の光景も、こうして話をしている私も、あなたも、ほん
の一瞬の幻影に過ぎないのです。宇宙ができてからの百億年の時の中では、ある
いはこれからの時間の中では。その中で、わたしは一体なにをやっているんでし
ょうなぁ」
 なんだか良くわからない話だったが、妙にそこだけが印象に残っている。
 長瀬はさらにもう一杯ビールを注いで、それを半分ほど飲んだ。
「人はその生きた証を残そうとする。どこかにその証があるのではないかと何か
を捜し求めるんです」
 オレは何を言っていいのかよく判らなかった。そう言えば高二の夏休みも結局
オレは一言も話すことができなかった。あの時と変わっていないのはオレなの
か、このオッサンなのか、あるいは両方なんだろうか。
 しばらくの沈黙が流れる。
「じゃ。ここのゲストハウスは一流ホテルにも負けませんからね。ゆっくりやす
んでください」
 長瀬はそう言うと、そのまますっと席を立った。
 オレは、立ちあがって何かを言おうとしたがそれよりも先に長瀬の背中はラウ
ンジのドアの向こうに消えていた。